『爆笑問題のニッポンの教養 「時間」という名の怪物~一川誠(実験心理学)』(NHK)
時間に関しましては、今までもいろいろな本を読んだりしまして、いろいろ書いてきました。私の「モノ・コト論」の本質にも関わることなので、どうしても避けて通れない問題ですね。と、言いますか、人類はずっとこの問題に悩んで来たわけです。
こういう時代になっても、いまだに科学的解決にも心理学的解決にも文学的解決にも至らない、この「時間」の問題。まさに「怪物」の名にふさわしい大問題であります。
私は、「もののあはれ」の「モノ」を、不随意なもの、不如意なもの、自己のコントロール外にあるものとしてとらえ、その基底に「時間」が流れていると解釈してきました。
「もののあはれ」とは、決してマイナスイメージのものではありません。時間の経過によって成長したり、達成したりすることもたくさんありますから、「あはれ」というのは単純に「ああ(aha)」ということであって、悲しんだり、虚しく思ったりしているだけではありません。プラスの意味で感動している場合も多々あるわけです。
しかし、人間には「老・病・死」があります。(日本)仏教的無常観が発達していく中世以降は、マイナスイメージが強くなっていきました。日本に限りませんね。人類は、技術や思索を発達させ、「できるコト」を増やせば増やすほど、その反面に、やはり「できないモノ」、「逃れられないモノ」の存在を強く意識するようになります。
もちろん、究極の「モノ(不随意)」は「死」です。今日の番組で、一川さんは「死という個人的時間の限界に向かっているのにそれを見つめない自己防衛機能」という言い方をされていました。まさにそれですね。その象徴が、本来「モノ」であるところの「時間」を「コト(随意)」化することでした。「時間」の社会的管理です。
我々はそうした人類究極の「悩み」を完全共有することに成功しました。みんなで渡れば怖くないということです。太田さんが、時間とお金は似ているというようなことを言っていましたが、私は同様に時間と言語は似ていると実感しています。いわば、世界共通語としてのグリニッジ標準時であるわけですね。
そうしますと、我々の時間の感覚が、子どもの時と大人の時とで大きく違うのもよく理解できます。我々は言語をどんどん身につけ駆使できるようになってきますし、貨幣に関する価値観もどんどん変化させていきます。子どもの頃の100円は、今の私の1万円くらいの価値がありました。同様に、当時の1日は今の1ヶ月くらいの濃密さを持っていましたね。
つまり、私たちは、本来「モノ」であるものを「コト」として所有すればするほど、時間にせよ、言語にせよ、貨幣にせよ、それぞれの一単位の価値を希薄にしていってしまう性質を持っているんですね。インフレを起こしているんです。これは基本不可逆、不可遡な現象です。
このどうしようもない、人類にとって不可避な悩みを解決するためには、どうすればいいのでしょうか。デノミでは根本的解決になりませんね。
それを提唱したのが、多くの宗教家であり、哲学者たちであったわけです。たとえば、イエスは「永遠の命」というフィクションを発明しましたし、釈迦は「解脱」を実践しました。どちらもある種の逃避であることはたしかです。かたや有限を無限としてしまい、かたや有限を無視せよと言ったわけですから。
では、私はどうしようか、ということを番組を観ながら考えました。私には正直イエスや釈迦のような発想はできません。
というわけで、実は私はこうです。「モノ(不随意)」を「悩み」とするのではなく、逆に「楽しみ」にしてしまうという、究極の逃避術を身につけることにしたんですよ(笑)。
ま、究極の不如意である「死」に関しては、この前の三沢さんの件を持ち出すまでもなく、他者のそれは何とも堪えがたい苦痛ではありますが、自分の「死」については、これは楽しみにしてしまおうということです。
いつかも書いた通り、私の地獄行きはすでに決定していることなので、どうせなら地獄というテーマパークの各種アトラクションをしっかり攻略し、また閻魔大王様にうまいこと取り入って、せいぜい楽しくやっていこうと思っているわけです。
そして、現世においても、人生という限られた「すさび」の時間を存分楽しんでしまおうと画策しています。考えてみれば、いいことも悪いことも、ゴールがあるから楽しかったり、乗り切れたりするわけですからね。時間、特に制限時間というのは、ゲームの演出として絶対的に必要なものです。基本、時間は神仏からのプレゼントだと思っているんですよ。
なんとなく番組の内容からどんどん離れていってしまったような感じがしますが、私はこんなことを考えながら、テレビと、その前でな〜んも考えず寝ている猫たちを見ていたのでした。
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コメント
めちゃくちゃなとんでも理論ですね・・・
投稿: これは酷い | 2009.06.24 10:20
わざわざご同情ありがとうございます!
まあ、そのとおりです。
トンデモが私の売りですから(笑)。
ただ、これは理論ではありませんな。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.06.24 12:07