告知!!マンハッタン・ジャズ・クインテット&富士学苑高校ジャズバンド部 スペシャルジョイントライヴ
MISO with MJQ
わ〜ぉ!ついにここまで来たか…というか、いつのまにここまで来たの?という感じでしょうか。8月24日、我らがMISO(富士学苑高校ジャズバンド部)が、あの!MJQとジョイント・ライヴをやっちゃいます。
昨日の小澤征爾さんでも感じましたけれど、ある種のこだわりのなさというか、語らなさというか、知らぬが仏というか、スケールの小さな部分に関わりすぎないというか、そういうのって最強ですね。そう、いわゆる天才と言われる人たちが、大人になっても子どもでいるというのは、そういうことなんですよね。
社会や自分の「コト」に支配されず、いつまでも「モノノケ」でいられるのが、カリスマの条件なのです。
ということは、やはり子どもはみんな天才でありカリスマであるということです。社会の人になりきっていない高校生の強みはそこにありますし、我々の仕事の面白さもまた、まさにそこにあるわけです。
今回のこの大事件についても、当の本人たちはよく分かっていません(笑)。さっきも生徒に説明するのに、こんな話をしました。その子はジャニヲタなので、こう言ってやったんですよ。
「今度さあ、キムタクとカラオケ行くことになったんだよ!」
ジャズ界のMJQがジャニーズ界のキムタクなのかどうかはよく分かりませんが、ま、そんな感じですよね。で、その生徒はもちろん「え〜?うっそ〜!」ということになるわけで、それくらいあり得ないことなんだよと、そういう説明をしたわけです。
小澤征爾さんなんかは、もちろん立派な大人であり、ある意味勉強に勉強を重ねて今のような境地に至ったのであります。だから歴史に名を残すわけですね。
私なんかもそうですが、子どもの頃は、誰しもがそうであるように自分は天才だと思っていたわけですよ。親もそう思ってた(笑)。それがまさに「二十歳過ぎればただの人」、こんな程度のフツウな大人になってしまいました。
ほとんどの人がそうなっていくわけですね。それを象徴しているのが、たとえば、そのジャズバンド部の主催して行われている「富士山の森ジャズフェスタ」なんかですね。そこにも書いた通りです。大学生になると、言葉や知識やメソッドや技術が、なぜか音楽の邪魔をする。高校生の頃のあの輝きやモノノケ的パワーはなりをひそめる。
それは決して高校生のそれぞれがカリスマなわけでなく、高校生という存在自体がいまだ素晴らしいということです。ですから、去年そこで輝いていた高校生が、大学へ行ったりして、相変わらず輝いているかと言えば、決してそうではないのが実情です。それが普通でしょうし。
で、そういう無垢な、ある種無知な高校生が、ジャズ界の大御所とさりげなくジョイントしてしまう。実に素晴らしくも、実にうらやましい事態です。本人たちはコトの重大さを理解していない。理解していないからこそできてしまう。たとえば、私がですよ、ありえませんが、MJQとの共演が決まったら、もうその時点で身動きができなくなってしまうでしょう。情報という「コト」が未来を閉ざしてしまうのです。それが凡人(大人)の悲しさですね。
おそらく、おそらくですが、MJQのメンバーも非常に楽しみにしていることでしょう。そして、きっととんでもなく根源的なことを体感し学んでお帰りになるでしょう。彼らは少なくとも、そういうスケールで音楽とつきあってきたカリスマだと思いますから。
そんな両者のことを想像すると、本当に今から胸がドキドキワクワクしますね。お互いにとって、どれほど刺激的なライヴとなることか。また、単純に音楽という共通語が、国や世代を軽々超えて、あるいは互いに強烈な化学反応を起こして、とんでもない「モノ」を我々に提供してくれるのか、とっても楽しみです。
日々、そういう現場の近くにいられる私はとんでもない幸せ者ですね。青春なんて言葉は、今はもうはやりませんが、その熱く透明で甘酸っぱい実体は、どんな時代にもちゃんと存在しているのでありました。
ああ、私もいろいろ頑張らなきゃ。生徒たちに負けないような、とんでもないことを実現できる大人になりたいなあ。
皆さんもぜひ、この奇跡的な音楽の遭遇のオーディエンスになりませんか!?
当日レポートはこちら!
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むむむ、実はかなり感動してしまった。すごいわ、やっぱり。スケールが違う。大きさも違うし、音階も違うという感じ。
あと、そういうスケールということで言えば、あまり「語りすぎない」ということでしょうね。このインタビューでも、彼は、分からないことは分からないという姿勢を貫いていますし、我々音楽シロウトだったらいくらでも語っちゃうようなことを、ある意味すっ飛ばしてしまっています。それが強みだなと思いました。
ぎりぎりセーフ。山梨県立文学館で開かれていた「太宰治展 生誕100年」、最終日に行ってきました。
富士山に住んでいる(住所も鳴沢村字富士山)「富士山蘊恥庵庵主」として、ナンバーを「富士山」に替えるというのは、もうほとんど義務のようなものでしょう。その義務をようやく果たしました、半分だけ。
また天才の訃報が…。どんどん時代が終わっていきますね。
うわっ!やられた。またまた名盤を出してきましたね。林檎嬢、すごいわ、やっぱり。この人は天才です。
これまた遅ればせながら読んでみました。なかなかいい本じゃないですか。私はこういうノリ好きですよ。
時間に関しましては、今までもいろいろな本を読んだりしまして、いろいろ書いてきました。私の「モノ・コト論」の本質にも関わることなので、どうしても避けて通れない問題ですね。と、言いますか、人類はずっとこの問題に悩んで来たわけです。
ゲスト、「人間合格」の井上ひさしさん。
横浜は今年開港150周年だそうで、いろいろとイベントをやっております。その一つであるコンサートに出演させていただきました。
今日は、静岡から両親が、川崎から姉が、そして富士山からウチの家族が聴きに来てくれまして、珍しく一族が集合しました。せっかくなので、終演後メンバーとの打ち上げには欠席させていただきまして、一族で中華街に行きました。いちおう父の日ということもありますかね、孫からおじいちゃんに目録など渡したりして、でも、結局夕食代はおじいさん持ちという、なんだかよく分からんことになりましたが、久々にみんなで楽しい時間を過ごしました。
渡部潤一さん…。こんなことやってていいんですか(笑)。ま、まえがきで結構辛そうにしてますので、彼自身はこういう趣味はないのでしょう…たぶん。
桜桃忌。いや、太宰生誕100年の日。生きていたら100歳か。
47回目の誕生日となるはずだった今日、三沢さんの通夜が営まれました。悲しみは消えることはありません。
三沢に馬場の16文が命中!
できれば、三沢さんもそうした花を咲かせてほしかった。なぜなら、ちょうど先月の今日、三沢さんは天狗のお面を装着して、橋誠にカンチョー攻撃をしかけていたからです。私はこの試合のことを知って、なんかとっても安心したことを記憶しています。
三沢光晴選手の死を、ようやく客観的に受け止められるようになってきました。それに伴い体調も戻りつつあります。
実は今、私としては非常に珍しいことなのですが、胃腸炎とおぼしき状況でして、食べても飲んでも全部出てしまいます。汚い話ですみません。精神性のものでしょう。それほどまいっております。
まだ気持ちの整理ができません。認めたくありません。




信じられない。信じたくない。あまりのショックに言葉も涙も出ません。
明日、太宰の命日ですね。来週の今日は桜桃忌。生誕祭。今年は太宰治生誕100年です。明日はちょっと東京に行く用事もありますので、玉川上水にでも飛び込んで、いや、お参りしてこようかな、などとも考えております。
ところで、今日、甲府の方に出張だったので、ついでと言ってはなんですが、帰りに御坂峠の天下茶屋に寄ってきました。ええと、どっかに書きましたけど、私、あそこに関しては、ある事情(太宰のいたずらその1)により、出入り禁止となっています。ですから、そうですねえ、7年ぶりくらいになるんでしょうか。いや、8年ぶりくらいかな。
猫です。猫がくつろいでいます。寝ころんで富士を眺めていた猫が、寝ころんだままこちらを振り返って「ニャー」。私は救われた気がしました。
祝!船木、純プロレス復帰!
さて、そんな船木選手の純プロレス復帰を祝って、今日はこの作品を紹介しましょう。
またまた、向かいに座っている理科の先生からお借りしました。彼女、まあいろいろネタになる本を貸してくれること。
今日は実にありがたいお話を聴く機会を得ました。本校に、姉妹校である兵庫県の市川高校の野球部約80名と先生方数名がいらっしゃいまして、短い時間ではありましたが、両校の親睦を深めました。
この本はなかなか鋭い。正しいことを言っています。「ウェブはバカと暇人のもの」。まあ、そのとおりです。













ムジカ・ポエティカによるバッハのカンタータ演奏「
ここのところ、自分にとってのアニバーサリーが続いております。今日は一日一食生活の5周年を祝います(一人で)。
富士山はやはり女だ。それを再確認させられた本でした。
最近、というか今日のマイブーム(ってまだ言うかな?)、
ラッドの新譜、遅ればせながら聴いてみました。前作からあまりに時間が経っていたため、正直忘れてました!すんません。このブログの読者の方から、ぜひ聴いてみてくださいとのメールをいただき、思い出した次第です。どうもありがとうございました。
今日は学校が創立記念日ということで休日。仕事と趣味をかねて昨日から東京に来ております。
もう少し近づいてみますと、こんな感じになっています。このコンクリートの塗り壁も、どこか取ってつけた感があり、つまりは誰かのなんらかの意図というものが感じられます。そして、やはりゲート様の「もの」の微妙な存在感というか、非存在感というか、非日常的な感じがたまりませんね。なんでこういう角度なんでしょう。フツウは道に直角、すなわち壁の延長線上に位置させるべきでしょう。それが、この角度ですからね。謎です。
ゲートを恭しくくぐり抜け、反対側の世界に出まして振り返ってみますと、このようになっています。なんと、壁のあちら側(こちら側)には自動販売機が設置されていたのでした。これは予想外でした。まさかこの門をくぐると、そこにペプシが派手ばでしく待ち構えているとは。あの塗り壁の無機質な世界の裏側に、これほどきらびやかな世界があるとは。まさに陰陽表裏一体。そして、無造作に配置されている赤いコーンが、ゲートの足下との絶妙なバランスを取っています。お見事。
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