風姿花伝より「年来稽古条々」〜プロレスと年齢その2
94年 夢の対決!馬場・ハンセン組VS三沢・小橋組
三沢に馬場の16文が命中!
このシーンでの若林アナの名実況が忘れられません。
「二十代には二十代のプロレスがある。三十代には三十代のプロレスがある。馬場さん五十代!五十代のプロレスがある!今できる、一生懸命、全ての自分を見せている!」
今日も能楽部の活動日。能楽師として修業中の教え子に、基本的なカタをいくつか習いました。
今日は読売新聞の取材も来たりして、生徒たちもはりきってやってましたね。
練習場であるお茶室の隣ではバレー部やバスケ部が活動していますし、外ではダンス部が練習しています。みんな茶室の前を通る時には、ニヤニヤしながらのぞいていきます。まあ、半分バカにしているところがあるのでしょう。正直好奇心という感じではありませんね。
私はその気持ちもよくわかるんですよ。西洋スポーツの真似事をやってる方がかっこいいですから。私も高校生だったらそう思います。てか、そう思ってました。ですから、その反応は正常だと思います。
日本の伝統芸能をやるというのは、実は勇気のいることなんです。自分自身と直接向き合うことになるからです。日本人としての歴史や生理、明らかに西洋人ではない自分と、そして明らかに日本人的でなくなっている現代の自分という、様々な現実と直面せざるを得ないのです。
私自身、高校時代はロックとバロックばかりで、純邦楽や演歌や民謡なんていうのは、まさにバカにする対象でした。大学に入って純邦楽をやりはじめても、そのメソッドやテキストのないレッスン方法に半分あきれかえっていました。今思うと、それこそ若気の至りというか、バカ気の至りなんですけどね。
さすがにこの歳になりましたから、両方の面白さがわかるようになってきました。もう優劣なんかとっくに超えています。明らかに使う脳の場所が違いますので。土俵やリングが違う。総合する必要すらありません。ずいぶん時間がかかったなあ…。
今日のお稽古では、本当にいろいろと考えることがありました。やはり体感してみてわかるものがたくさんありますね。それらについては、まだまだ考え中、感じ中なので、いずれあらためて。
そこで今日は、昨日の続きを記しておきたいと思います。昨日の記事で、「世阿弥は五十になったらもう引退しかないと言っている」と書きましたが、これは正確ではないとの指摘を受けました。そのとおりですね。すみません。ついつい勢いであのように書いてしまいました。そこで、今日は、「五十有余」の部分をきちんと現代語訳(プロレス訳)しておこうと思います。
『このころ(五十過ぎ)からは、だいたいにおいて、「しない」ということ以外には手だてはあるまい。「麒麟も老いては駑馬に劣る」と申すこともある。そうは言っても本当に窮めたレスラーならば、技は全てなくなって、どんな場面でも見どころは少ないと言っても、花は残るに違いない。
亡き父であった者は、五十二だった五月十九日に死去したが、その月の四日、静岡県の浅間神社の御前で奉納試合を仰せつかり、その日の試合は、特に華やかで、観戦の人々は一同に賞賛したものである。おおかたその頃は、技を早々に後継者に譲って、無理のないところをごく少なめに色を添えるようにだけこなしたのだが、花はいよいよ増すように見えたものである。
これは、本当の意味で得た花であるがゆえに、そのプロレスリングにおいては、枝葉も少なく、老い木になるまで、花は散らないで残ったのである。これは紛れもなく、老骨に残った花の証拠である』
この世阿弥の文章を読むにあたって、やはり思い出されるのは、往年のジャイアント馬場さんのことです。あの姿をして、みっともないとおっしゃる方もおられましたが、私はあれはあれで「花」のあるプロレスであったと信じています。実際、生観戦した際、馬場さんが花道に現れ、そしてエプロンサイドに立った瞬間、ロープをくぐってリングインした瞬間、もうその一連の流れの中で、私は感動して涙したものです。
そうした「たたずまい」こそが、世阿弥の言う、そして観阿弥の有した「花」であったかと思います。
また、そうした老骨の花でさえ、美しく感動的に咲かすことができるのが、プロレスのプロレスたるゆえんであり、純スポーツと間を画され、伝統芸能や神事に比せられる肝要であると思います。
できれば、三沢さんもそうした花を咲かせてほしかった。なぜなら、ちょうど先月の今日、三沢さんは天狗のお面を装着して、橋誠にカンチョー攻撃をしかけていたからです。私はこの試合のことを知って、なんかとっても安心したことを記憶しています。
三沢さんは「明るく、楽しく、激しい」プロレスの「激しい」部分から引退して、「明るく、楽しい」部分を担って行こうと考えていたのかもしれません。もしかすると、13日の試合は、その「激しい」プロレスの最後の試合だったかもしれませんね。最後に後継者たる潮崎豪に、自らの命をかけて何かを伝えたかったのかもしれません。
今日もまた、三沢さんのご冥福をお祈りします。そして、プロレスがプロレスとしてこれからも生き続けていくことを祈ります。人間にはプロレス的世界がどうしても必要なのです。
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コメント
週プロで、三沢選手の最期の瞬間の写真を見ました。バックドロップでマットにたたきつけられる瞬間、そしてピクリとも動かない様子。普通であれば絶対に死には至らない程度の技だったようです。しかし、恐らく最後の瞬間にいつもと違う何かが起きたのでしょう。バックドロップを受ける前にすでに糸が切れる寸前だったのかもしれません。
タイガーマスクの面を自ら剥いでからの三沢選手に華を感じていた人も多いかもしれませんが、私は華やかな技とは裏腹にどちらかというと悲壮感がただようように思えました。他のトップレスラーからは感じない独特の雰囲気です。決して大型とはいえない身体で、馬場さんや鶴田さんのような「横綱」であろうとしたのでしょうか。なにか、晩年の2代目横綱貴乃花の姿に重なります。
馬場さんは、肉体的に精神的にも大きな人だったではないか。何か相手のすべてを受け止め、まだ余裕がある懐の深さを持っていた。だからこそ、50歳を過ぎてもあういうレスリングスタイルでもやれた。普通ならプライドが許さないのではないか。若い頃のイメージを保ちながら、歳相応の試合をするのはとても難しいことだと思う。
プロレスファンは、レスラーたちと共に歳をとる。若い頃に熱狂したレスラーには、いつまでたっても若々しく元気なプロレスを見せてほしいし、それを見ることで、自分の若さにも自信が持てる。逆にレスラーが露骨に衰えを見せれば、自らの衰えをよりいっそう感じる。三沢選手をはじめ、我々の同世代レスラーはまだトップを張っているが、今回のような事故があると、やはり自らの衰え、老いを自覚せざるを得ない。同世代のレスラーたちの生き様を見て、自分のこれからの生き様も考える。彼らにはいつまでもがんばってほしいが、一方で無理して命を落としてほしくない。
投稿: AH | 2009.06.19 01:28
今まさに三沢さんは見送られようとしています。
黙祷を捧げたいと思います。
みっさわ! みっさわ! みっさわ!! 。・゚・(ノД`)
最後の最後まで、プロだったよ! ! !
そう言いたいです。
黙祷・・・。
投稿: 蘊恥庵庵主セコンド | 2009.06.19 11:59
AHさん、本当にいつもタイミングのいいコメントをありがとうございます。
今日は、ウチは家族で昔の全日本のビデオを観まくりました。
超世代軍の頃のものです。
そこでカミさんと話したのは…
やっぱり鶴田はデカイ。
デカイから余裕があるね。これじゃあケガしないよね。
馬場さんがレスラーは大きくなくてはいけないと言った意味を改めて確認しました。
久しぶりに観ますと、まず外人のデカさビックリ。
それに普通に対抗できるのはジャンボと馬場さんだけですね。
あとは、子どもが必死に食らいついている感じです。
それが当時は感動的でしたが、今観るとちょっと痛々しい。
そして、自らの歳を感じる…これも全く同感です。
自分のこれからの老い方も含めて、本当にいろいろ考えている毎日です。
セコンドよ!
おかげで黙祷できたよ。
そして車のナンバーは823にしたよ。
馬場、鶴田、三沢…。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.06.19 18:50