『国宝 阿修羅展』 (東京国立博物館)
評判の阿修羅展に行ってきました。評判通りの混み方でした。
日本人はこういうブームが大好きです。メディアもそういうブームをあおります。私はそれも日本文化の特質の一つだと思っていますから、そこも含めて今回は楽しんできました。
阿修羅像そのものに関しては皆さんがおっしゃる通りの優れた造形だと思いますので、詳しくは語りません。
今回なんと言っても興味深かったのは、「おばさん」たちでした(笑)。まずおばさん率が非常に高かった。8割以上。いや9割か。つまり、おばさんたちは阿修羅くんに萌えたいわけです。ヨンさまとかに対する感情と同じです。腐女子魂であります。
それはそれで問題ありません。なぜなら、興福寺所蔵の阿修羅像は、奈良時代のおばさんの総代表が作らせたものだからです。光明皇后ですね。阿修羅像だけでなく八部衆全体に、彼女の趣味が色濃く反映しているのは間違いありません。
そんな不謹慎な。あれは母親の供養のために作らせたものであり、高貴な魂の生んだ傑作である。そうおっしゃる方もおいででしょう。もちろん、そういう一面も認めた上で、あえて違った側面を強調したいと思うのです。
これが父親の供養であったなら、彼女はああいう造形を求めなかったのではないでしょうか。いわば、そういう女性的な「萌え」の感情が二重に増幅されて、悲しみの中にすらああいう美を生み出してしまったのでしょう。そして、そこにまた千年以上経ったのちの女性たちが「萌える」わけですから、やはり日本文化というのは「いとをかし」です。
その証拠に、あのショップの熱気はなんですか。フェルメールの時や宝塚の時も感じましたが、実物よりそうした商品といいますか、自分の身近に所有する、いわば「萌え=をかし(招きたい)」の対象物に興味を抱いてしまう。これは私がこのブログで何度も繰り返している、女性的、貴族的、本来のオタク的心性のなせるわざです。「をかし」は母性を基調とした心の色合いなのです。
私はそれを卑下したり嫌悪したりは、絶対にしません。それこそ日本文化の底流にあるものだと信じているからです。「モノ・コト論」で言いますと、また出ました、「コトを窮めてモノに至る」「コトを窮めてモノに還る」というやつですよ。「もののあはれ」は「をかし」の蓄積がないと生まれません。
ま、ちょっと意地悪に苦言を呈させていただきますか。「きゃー、カワイイ!」と年甲斐もなく叫ぶおばちゃんすらいて、実はですね、とても仏像を鑑賞する雰囲気ではなかったのですよ。最前列をキープしたおばちゃんたちは、係員の「懇願」も無視して、そこに居座り続けていました。そんな中、ちゃんと脱帽して合掌礼拝していたのは、私だけでしょう(それも変なのかな…笑)。
また、「海洋堂制作阿修羅フィギュア売り切れ」の告知と、阿修羅ファンクラブ公式ソングが流れているのには、正直ちょっと萎えましたね。私なりに全ての展示を味わい尽くしたその掉尾に、あの高見沢さんの歌声はさすがにキツかった。
まあ、それはそれでいいとしましても、ああやって多くの優れた仏像の中で(特に八部衆の中で)阿修羅像だけを特別扱いするのはどうでしょう。あまりの特別扱いに阿修羅像自体が恐縮しているように感じました。いつの時代も女性はアイドルを求めているのでしょうか。それこそが、宗教心のルーツであるとも言えないこともない…のかな。
さて、一つだけどうしても書いておきたいことがあります。おばさん方は、阿修羅くんの顔(特に正面の顔)を凝視することに執心しておられましたけど、私は彼の全体像をとらえることにこだわりました。それもやはり正面からのお姿ですね。仏像は基本、裏側なんか観るべきものではありません。私にもたしかに裏側や横の二つのお顔を見てみたいというミーハーな感情もありました。しかし、基本仏像は正面にたたずんで観るべきものです。
そうして観た阿修羅像はたしかに見事に周囲の空気を作り出していました。オーラと言ってしまって良いか、それはよくわかりません。もう少し正確に表現するなら、一番上の手は空を支え、真ん中の手は地を押さえ、合掌する手は私たちの心を包んでいたわけです。そこを含めてのバランスと言いますか、全体の佇まいは、たしかに他の仏像たちにはない独特のイメージを喚起するものでしたね。
ショップの喧騒を抜けて、すっかり現実の世界に帰ってきた私は、国立博物館の建物を出ました。そこには、あれは何の木なんでしょうかね、巨木が空に向かってそびえていました。ああ、阿修羅と全く同じだ。私はそう感じました。空を支え、地を押さえ、私たちの心を包んでくれる。きっと、あの仏師は自然のこういうところを真似て、ああいう美を作り出していったんでしょうね。そんなことは、あのおばさん方にはどうでもいいことなのかもしれませんが(笑)。
注 この文章での「おばさん」「おばちゃん」は、ある一部の人たちを指す言葉であり、一般的な女性を表すものではございません。あしからず。
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