「たたずまい」とは
猫は「たたずまい」の天才…「場」に溶け込む
一昨日、昨日と、本当にいろいろなことがありました。そのいろいろなことの中に、ある共通したテーマがあったような気がします。それが「たたずまい(佇まい)」です。
オーケストラの練習では、音のたたずまいが非常に重要だと感じました。演奏全体のたたずまいというのももちろんですが、その中での自分の音のたたずまいですね。それがしっくり来るかどうか。
阿修羅展での仏像たちの「たたずまい」。それは、私にとってはあまり好ましいものではありませんでした。では、阿修羅くんを取り巻くおばさんたちの「たたずまい」はどうだったでしょう。博物館前の巨樹の「たたずまい」は?
デザイナーの教え子と話した時も、「たたずまい」がテーマでした。デザインされた「モノ」が醸し出す「たたずまい」。彼はそれを重視したいと言いました。
そして、「王仁魂復活プロジェクト」。そこにもいろいろな「たたずまい」がありましたね。皆さん、素晴らしい「たたずまい」を持った方々でした。その点、私はかなり心細い…。桐の箱と、和綴じされた和紙の解説と、和紙の折り紙に包まれた王仁の言霊CDの「たたずまい」もまた、CDらしからぬ「たたずまい」を醸し出していました。
さあ、この「たたずまい」とはなんなのでしょう。普通「様子・有様・雰囲気」などと簡単に訳されていますが、もっと深い「何か」があることを、私たちは実感しています。日本人はこの言葉大好きですからね。しかし、我々はこの「たたずまい」という言葉を、それこそ「雰囲気」的に使ってしまっています。今日は、私の専門分野からその本当の意味を考えてみたいと思います。
まずは語源から考えましょうか。
「たたずむ(佇む)」という言葉がありますね。おとといの阿修羅展の記事で私も使っています。「仏像は正面にたたずんで観るべきものです」と。
「たたずまふ」は「たたずむ」という動詞の未然形に反復・継続を表す「ふ」という接尾語が付いたものです。それは間違いないでしょう。未然形の、未だ完成・固定されていないイメージを味わいましょう。
では、「たたずむ(佇む)」の語源はどういうものでしょうか。一般には「立た住む」と捉えられることが多いようですが、「立つ」の未然形が「住む」という動詞につながるのはやや不自然です。イメージ的にも、「たたずむ」様子が「立っている」状態とは限らない感じがしますよね。
そこで、古い使用例を調べてみますと、こんなことが見えてきます。10世紀後半の蜻蛉日記にこういう文があります。
「だらにいとたうとう誦みつつ、礼堂にたたずむ法師ありき」
陀羅尼(呪文)をとても尊く唱えながら、礼堂に「たたずむ」法師がいた。
少しあとに書かれた源氏物語の末摘花には次のような例があります。
「なにやかやと世つける筋ならで、その荒れたる簀の子にたたずままほしきなり」
何やかやと色恋沙汰ではなくて、(ただ)あの荒れた簀子に佇んでみたいのだ。
源氏が荒れた邸で琴を弾く常陸宮の姫君に会いたくて妄想しているシーンです。ま、結果、妄想は裏切られ、姫君は象の鼻の持ち主(末摘花)だったわけですが(笑)。
この二つの例から何がわかるのでしょうか。そう、実は両者とも「場所」「ロケーション」が重要になっているんです。「礼堂」「荒れたる簀の子」ですね。そんなこと当たり前じゃないかって?そう当たり前ですが、ちょっと待ってください。次に行きます
次に「たたずまふ」の古い例を確認してみましょう。源氏と同時期の枕草子「正月一日」から。
「われはと思ひたる女房の、のぞきけしきばみ、奥の方にたたずまふを」
自分こそが思っている女房が、のぞきながら気合いを入れて、(部屋の)奥の方にたたずんでいるのを。
男根の形をした棒(粥杖)で、新婦のお尻をたたくという楽しく土俗的な遊び(まじない)をしようとするシーンですね。ここでも「奥」というロケーションと「隠れている」という行為の関係が肝心です。
続いて、「たたずまひ」という名詞形の古い例。
平安初期の東大寺諷誦文の例です。これは古い。9世紀前半。
「経行(たたずまひ)も吉く遠見も怜(おもしろし)」
実はこれが重要な例なんです。「経行」という字を当てているところが大切。「経」は「たて(縦)」という意味です。「たて」「たた」は「ただ」とも語源的につながっています。「経」と同じ意味を表す「径」を「ただ」と読む例もあります。「ただ」の意味は「直」「只」「唯」という字で考えると解りやすい。「ストレート」「ダイレクト」「オンリー」「ピュア」というイメージですね。不純物や障害物がなく、直接何かと何かがつながっている感じです。
つまりですね、「たたずむ」というのは、その「場」に相応しい状態でそこにしばらくいる、「場」の空気と一体になって存在する、そこに「しっくりはまる」という感じなんですね。ですから、その反復形の名詞形「たたずまい(たたずまひ)」の意味は、もうお分かりになると思います。
何かの「たたずまい」と言った場合、実は単にその「何か」が雰囲気を発しているのではなくて、つまり、その「何か」が主体ではなくて、あくまでその「何か」を取り巻く「場」が主体なのです。楽器の音もそう、阿修羅もそう、デザインもそう、CDケースもそう、王仁魂の方々もそうです。「醸し出す」とは言っても、単にそれ自体がアウラを発しているのではない。あくまで全体の空気感なのです。
その「場」というものには、もちろんいろいろな要素があります。物理的な空間としての「場」だけでなく、歴史の堆積としての「場」、そこに存在する物や者たちのアンサンブルが醸す「場」、そして、人の気持ちが創る「場」。そういう複層的、相互依存的な「場」の中で、その一つの要素たる「何か」に注目した時にですね、その「何か」がちゃんと「場」の創出に機能しているかどうか、それこそがそのモノの「たたずまい」ということになりそうです。ちゃんと正しい役割を果たしているかどうかなんです。
古い例をもっと見てみると、だんだん自然物、たとえば山や雲などに「たたずまひ」を使うようになっていきます。自然物は自然にその役割を果たしている、自らの分をわきまえ、正しく他に活かされ、他を活かしているということでしょうかね。
こう考えてくると、この言語化、数値化、あるいは英語化できそうにない「たたずまい」という言葉を、日本人が好んで使う意味も分かってきますね。
「たたずまい」。早く身につけたいものです。
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コメント
こんにちは!
ちょっと気になったので質問します。
経行(たたずまひ)は、「きんひん」と読む時とは別のこと、あるいは別の意味なのでしょうか?
投稿: kobayashi | 2009.05.09 21:22
kobayashiさん、おひさしぶりです。
経行は、元をたどれば、眠気覚ましの「きんひん」と同じだと思います。
歩きながらの行ですよね。
この場合の「経」は「お経」という意味ではないようです。
また、「過ぎる」という意味とも違うみたい。
どちらかというと「常」「自然」「日常のいとなみ」というイメージでしょうか。
ところで「きんひん」と読むのは禅宗だけでしょうかね。
古くは「けいこう」とか「きょうぎょう」とは言ったようですが。
密教なんかではどうなんでしょう。
まあ、いずれにしても、私の説はちょっと(だいぶ?)こじつけですので、あんまり深く詮索しないでください(笑)。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.05.09 21:49
こんにちは。遅れましたがカキコさせていただきます。
私「佇まい」と連呼してましたか(笑)
言語化のお蔭で、再編集できました。ありがとうございます!
まさに、その場に相応しいことや、空気と一体となっていなければ
「佇まいがある」とは感じませんね。
そして「品(ひん)」にも通じていきますよね。
阿修羅展で感じられたのは、文脈を分断され
西洋の展示方法からくる 「違和感」でしょうか!?
王仁魂キット今度見せて下さい!
投稿: OS劇場 | 2009.05.13 12:55
OS劇場…笑
ツボを押さえてますな。
「佇まい」…なにごとにも大切だね。
調和しながら主張するわけだからね。
つまり、全ては有機的につながる必要があるんだよ。
阿修羅展は参った。
ある意味「萌え」の空間としては興味深かったけど。
お互い、品のある佇まいを目指そうね。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.05.13 18:16