「Time is Money」のお話
↓「Time is Money」と言ったらしい?フランクリンさん
以前、「Love or Money」のお話という記事を書きました。あれはなかなか評判が良かったというか、いろいろと議論を巻き起こしましたっけ。実は私もよくわからないまま書いていたんですけどね。ま、どの記事もいつもそうですけど(笑)。
今日もまた、よくわからないまま書き出します。「時は金なり」という話です。「時は金なり」というと、「時間はとっても大切なものだ、無駄にするな」的な解釈がされますが、今日はちょっとひねくれた観点から書いてみようと思います。どうなることやら。
「金で時間を買う」という言い方、時々聞きますね。一般的には、たとえば「普通列車でなく新幹線で行って早く目的地に着く」とか、「温泉旅館に行って、のんびりした時間を過ごす」とか、そういうニュアンスで使われていると思います。
つまり、作業の効率化にせよ、休暇の有効利用にせよ、いずれにしても、自分の思いどおりになる時間を作るために、お金を払っているわけです。お金をケチって普通列車に乗るとしたら、出かける時間を早くしなければならないかもしれませんし、仕事が終わる時間が遅くなるかもしれません。そうすると、自宅でくつろぐ時間は減りますね。また、温泉旅行に行くお金をケチりますと、結局家でダラダラ過ごしてしまったり、パチンコで散財したりして、なんとなく満足が得られません。やっぱり、自分の理想の時間を持つためにはいろいろとお金がかかるんです。
で、今日の私は、それをどんな意味でとらえるかと言いますと、ある意味「Time is Money」を、比喩ではなくて等式としてしまう。つまり、お金の働きを「自分の理想の時間を買うためのものである」と定義するのです。それ以外の機能や目的を認めません。非常に単純化してしまうのです。
そうして、我々の「買い物」を見直してみますと、実は全てその定義の中に収まってしまうことがわかります。ためしに昨日お金を払って手に入れた物品やサービスを思い出してみてください。食べものはもちろん、電話代とか電気代とも入りますよ。
それらにお金を払わなかったら、いったいどういう時間を過ごしたことでしょう。もちろん、結果として、断食ができて体調が良くなったとか、真っ暗な中で過ごせて自分を見つめることができたとか、そういう意味付けもできるでしょう。しかし、それはあくまで結果論であって、お金を払うのは基本、未来の時間に対してです(料金後払いというのも、契約が成立するのは事前です)。
で、その買い物の値段に対する感覚というのが面白いんですね。つまり、購入前に予想していた時間の充実予想に対する実際の充実度、すなわち理想にどこまで近づけたかということと、実際払った対価の関係によって、我々は得したとか、損したとか思うわけです。
某国製の安物を買ったらすぐ壊れた。でも、そんな時はそれほど損したとは思いません。安かろう悪かろうと予想していたのです。一方、国産の高い製品を買ったはいいが、いきなり壊れたというような時は、かなり腹立たしくなります。予想に反しているからですね。
長持ちするしないという問題だけではありません。面白かった面白くなかったとか、おいしかったおいしくなかったとか、気持ちよかったよくなかったとか、そういう基準もあります。まあ、いろいろですね。そんなことは当り前と言えば当り前で、今まではそういう「価値」をお金で買うというような考え方が一般的だったと思います。それを、ちょっとひねくれて、そういう「時間」を買うというふうに考え直すんです。
そうすると、もう一つのことが分かってきます。お金を使うのではなく、その逆、お金を稼ぐということの意味です。すなわち「仕事」の意味ですね。我々は大概いやいや仕事をしています。そんなことない、仕事が楽しい!とか、人様のために働くというのは気持ちがいい!仕事を通して自己実現できるなんて最高!という人もいるでしょう。でも、それって、かなり無理があるじゃないですか。ま、率直に言ってしまうと、それってかなり自己暗示的です。そうしないとやっていけませんからね。
我々の仕事のほとんどは、人様のためになんかなっていません。だいたい無駄遣いさせているだけです。それが資本主義の基本ですから。そんな真実に気づいたら、我々はすぐに食いっぱぐれます。だから、自己暗示をかけて、あるいは自己洗脳をして、急場を乗り切って、そうしているうちに人生が終わります。
いずれにしても、我々は自分の理想からかけ離れた苦痛な時間を過ごすことによって、その対価としてお金を得ています。そうして、今度はその得たお金で、理想に近いと予想される未来の時間を買っているわけです。あの車を運転している自分を予想したり、あの音楽を聴いている自分を予想したりして。
まあ、その理想とやらも、ずいぶんと自己暗示的、自己洗脳的であるわけでして、そんな真実をも知ってしまったら、我々は生きる喜びも望みも失ってしまうでしょう。そうしたら出家でもするしかない。後藤組の組長さんみたいに(笑)。彼はまじめに悟ったのでしょう。本当の理想の「時間」は、「金」でも「暴力」でも「権力」でも買うことができないと…。
こう考えてきますと、我々人間が構築してきた「経済」という虚構(なぜ虚構かは、あえて語りません。まあ本当に「経世済民」かどうか考えれはすぐ分かるでしょう)は、「時間」を「金」でやりとりするところから始まったと言えるように思えてきます。「時間」はいつでもここに満ちているはずですが、まるで空気に対するように我々はそれに対して無意識的です。我々が意識する「時間」は、実は不快な時と快い時だけなんです。その意識される「時間」たちを、人と人との間で交換する手段として、あるいは道具として「金=カネ=貨幣=money」が発明されたところから、経済活動は始まったと言えますね。そう、実は物々交換が端緒ではなかったのです。
と、筆にまかせて書いてきましたが、書いてるうちになんだかとんでもない方向に行ってしまったようです。すみません。
結局、「Time is Money」という言葉、実は格言でも名言でもなく、おそろしい言葉だということを言いたかったのです。「時間はお金のようにとっても大切なものだ、無駄にするな」…とんでもない言葉ですね。ワタクシの「モノ・コト論」的に言うなら、「モノ」の最たる存在である、いわば神であるところの「時間」を、さもしい卑小な人間の「コト」の最たる存在である、いわば悪神であるところの「カネ」で比喩しているんですからね。そんなのを例えば教室や職場に貼って標語にしているような人がいたら、もうその人はかなり悪神に魂を売ってますよ。な〜んて、昔の私はしっかり教室に貼ってましたけど(笑)。
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コメント
「Time is Money」という格言、まさしく金言ということなんでしょうか。(ひょっとして金言の語源はこれ?笑)
因みに私はこの言葉を、相対性理論で言う所の「物質とはエネルギーである。」と、同義にとらえています。時間が大切とか、お金が大切とか言うより、「“時は金なり”そういうものだ!」と、単に看破しただけで、どう解釈するかは受け手に放り投げている気がします。(まぁ私、不勉強でして、フランクリンさんがどのような人物か全く知らないわけなのですが。)
投稿: LUKE | 2009.04.11 02:46
LUKEさん、こんばんは。
なるほどねえ。
E=mc2ですか。
フランクリンは、「5シリングの価値を無駄遣いすれば5シリングを失う」と言ったらしいのですが、真意はよくわかりませんね。
まあ私は単純に経済至上主義的発言だと思ってましたけど。
案外、「時はお金のように人の心を縛る」だったりして。
あるいは「時も天下の回りもの」とか(笑)。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.04.11 21:31