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2009.04.08

接続詞「なので」はあり??(その1)

1 ジファブリックの『Sugar!!』が届きました。CDも充分良かったのですが、なんと言っても、あの「市民会館(地元民はそう呼ぶ)」ライヴのDVDがねえ…。もう、また泣いちゃいましたよ。そして、私自身も何ヶ所か映ってるし、これは家宝ですね。
 とにかく、改めて「茜色の夕日」は名曲だと痛感しました。
 うむ、山梨県は、「3月9日」と「茜色の夕日」と、あといちおう(?)「島唄」を生んだだけでも、もう充分音楽の歴史に貢献していますよ。世界に誇る、100年後に残る名曲たちですから。クラシックになります。素晴らしい。
 ところで、あの志村正彦君の感動的なMCに水を差すようで申し訳ないのですが、日頃気になっていることを書かせていただきます。
 いや、私は志村君の日本語のセンスが大好きですからね。今回も「茜色の夕日」のモノ・コト論と同様に、御本人は決して意識していないであろう、しかし、日本語の大切な本質をついた、彼の無意識の言語選択のセンスがうかがえる話になるのではないでしょうか。
 「…今日は叶いました、夢が。(拍手)なので、」と語りだしたのは、彼の知られざるプロ・ミュージシャンとしての苦悩、そして普通の大人が幸せそうに見える葛藤でした。「…音楽をやる9年間というのは、楽しいことだけじゃなかったんですね。だから、そういう気持ちを全部含め、いろんな出会いや別れや、いろんなことやものがあって、今日の日がある。だから、今日ライヴができて、とりあえずその日は、その今までは報われたかなと、そういう自分は報われたかなと思ってます。ありがとうございます」
 「なので」は結局、その後の長い長い深い深い言葉全てを包括していたのでした。まあ、簡単に言ってしまえば、「叶いました、夢が。なので、(皆さんに)ありがとうございます(と言います)」ということですね。そういう意識の上に使った「なので」なのでしょう。
 ところで、最近、小論文の指導をしていて気になるのが、この「なので」という接続詞です。私は話し言葉ではそれほど違和感を抱かないのですが、書き言葉だと正直ゲゲッと思ってしまいます。かなり抵抗感があるんです。最近…そうですねえ、ここ5年くらいでしょうか、「だから」とか「そのため」とかの代わりに「なので」をじゃんじゃん使ってくるんですよ。で、そのたびに、「こんな日本語はない!」と言って直させるんです。
 実は、今度小学校4年生になったウチの娘も作文で使ってました。で、これは先生に注意されないのかと聞くと、されないとのことでした。その証拠に小学校の文集をざっと見たら、出てくる出てくる、「〜。なので」が。あれ〜、いつのまにか、「なので」が公認になってるのか?自分が取り残されてるとか…?
 いろいろと辞書などを調べてみますと、ほとんど接続詞としての「なので」は認められていません。三省堂くらいでしょうかね、積極的に先取しているのは。
 しかし、もうお気づきと思いますけれど、「だから」にしても、もともとは「〜だから」としか用いられなかったものが、独立して接続詞として一般化したものです。同様なものには、「でも」「なのに」「ならば」「にもかかわらず」「だとすれば」などがありますね。口語ですと、「だって」なんかもそうです。さらに最近では「(ん)なわけない」とかありますね。静岡では「だもんで」もよく使われます。「んだ」もある意味その一種かな(笑)。
 「なので」も、あと10年くらいすれば、全ての辞書に接続詞として載るかもしれませんね。そういう言葉の変化については、いつも書いている通り、私は容認派です。ただ、まだ生理的に書き言葉としての「なので」には違和感があるということです。そのうち慣れるかもしれません。
 ちなみに、明治時代、平成の若者よりも先を行っていた人がいるんですよ。それは、かの文豪、夏目漱石です。彼の「それから」にこんな部分があります。

『其代り帰つても、落ち付かない様な、物足らない様な、妙な心持がした。ので、又外へ出(で)て酒を飲んだ』

 かつて好きだったが、今や友人の細君になってしまった三千代さんの所へ行こうか迷ったあげく、結局勇気が出ず、帰ってくるシーンです。いきなり「ので」ですからね。「なので」より過激です。さすが漱石。
 私はこの例を知っていましたから、娘に「今度は『なので』じゃなくて『ので』って書きな。それで先生に直されたら、『いや、漱石も使っています』と言え」なんて教えました(笑)。ああ、いやな親、いやな先生ですね。もちろん冗談ですけど。
 …と、ここまで書いて、これはだいぶ長くなりそうなので、明日に続けます。明日は「から」と「ので」の機能やニュアンスの違いから、志村くんの「なので」と「だから」を分析しようかと思います。

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コメント

こんにちは
初めまして。pianyiと申します。

会社の新人の日報を読んでいて、同じ疑問を持って調べていた所、ここに辿り着きました。

私もこの言葉に違和感を感じ、新人に書き直させようと思っていましたが、調べて行くうちに「私が時代遅れ?」と思うようになりました。今は、書き直させるか、注意で終らせるか悩み中です。(w

しかし、時代の流れは速いですね~。付いて行けません(T_T)

「言葉は生き物」とはよく言ったものですね。


P.S. 同じように「重複」を"じゅうふく"と読む事にも違和感があります。それも年上の人に言われると悲しくなります(w

投稿: pianyi | 2009.04.10 02:52

pianyiさん、おはようございます。
コメントありがとうございました。
これは難しい問題ですね。
私も書いているうちに擁護派になっちゃいました(笑)。
その2をご覧下さい。
言葉はこうして変化し、進化していくものです。
ら抜き言葉なども、機能的ですし、進化の過程を見ますと理にかなっています。
ただ、私たちは、言葉に限らずいろいろなことに基本保守的ですから、どうしても最初は違和感、不快感を持ってしまいますね。
しかし、そういう抵抗勢力も必要であって、そういう中を生き残った言葉が、単なる流行語としてではなく、定着していくのでしょう。
「じゅうふく」とか「そうきゅう」とかも、実は今逆転勝利しそうなんですよね。
「ちょうふく」や「さっきゅう」なんかも、単なる読みの習慣でしかなかったものなので、ま、仕方ないかな、というところです。
私は仕事柄、保守派にならざるを得ませんが…。
pianyiさんも、いちおう直してあげたらいかがですか?
上司に不快感を与えることは、新入社員にとっても不利益ですからね。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.04.10 08:58

 書き言葉での接続詞「だから」に引っかかってしまうのは、感覚古すぎでしょうか?どうにかして別の言葉に置き換えたくなります。
 また、それとは別に、「だから」より「なので」のほうが日本語的に美しいような気もしてきています。
 なので、たんなる、「だから」嫌いなのかもしれませんね(誤用?)。

投稿: 貧乏伯爵 | 2009.04.11 20:57

伯爵さま、こんばんは。
私も「だから」は嫌いですよ!
接続詞はなるべく使わないのがいいのです。
接続詞がないけれども、わかりやすいのが一番の名文でしょう。
だから、私の文は下手くそです(笑)。
なので、これからは頑張りたいです。
ああ、そうそう、この「〜たいです」も問題というか、日本語の不備の一つですね。
形容詞や形容詞型の助動詞の丁寧な言い方がないんですよね。
指導が難しいです(笑)。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.04.11 21:40

最近忙しくて、リアルタイムでコメントできず恐縮いたします。

高校時代に凄い接続詞を駆使する先生がおりました。

「○○~と、いうわぁげ(わけ)でぇす。...けれぇ、どもぉ、がぁ、しかぁ~し!~」

“けれども” “が” “しかし”。そう三発続けて、次の文章が前文を覆す例外的な内容ならまだ理解できますが、時には肯定文で補足したりして。
うむ、今思えばその先生にとっては接続詞と言うよりも、常套句というか、話のリズムをとっていただけなのかも知れません。

投稿: LUKE | 2009.04.15 15:05

LUKEさん、お忙しいところわざわざありがとうございます。
いますねえ、そういう人…というか先生(笑)。
いや、私もそうなんです。そこまで極端じゃないですけど。
そうやってリズムを取るという機能も、接続詞にはあると思いますよ。
そうそう、いいところに気づいてくれました!って感じです。
その点、昨日の記事に書いたまじめな本など、論理的な機能に固執しすぎていて、ちょっと読んでて疲れたのも事実です。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.04.15 18:41

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