『文章は接続詞で決まる』 石黒圭 (光文社新書)
この前、「なので」について書きました。書いてみてわかったのですが、私自身話し言葉ではけっこう使ってましたね。そして、それはたしかに「なので」であって、他の接続詞には代えられないということもわかりました。
そんな「なので」についても、ほんの少しですが触れられています。話し言葉の接続詞として扱われていました。特に問題視はされていませんでした。
それにしても、よくぞこれだけたくさんの接続詞をとりあげて、それぞれ分析してまとめあげましたね。すごい。
何がすごいって、その研究の成果もですけど、なんというか、私からしますと、こうして文章作法を文章で書いているところがすごい。わかります?有名な作家の皆さんの「文章読本」なんかまさにそうなんですけど、文章の作法について文章で論じるわけですから。わかります?まず、自分の文章がちゃんとしてなきゃいけないじゃないですか。それってすごいプレッシャーだと思いますよ。
たとえば音楽の作法を言葉で説明するのは、そんなにドキドキすることじゃありません。絵画とかもそうでしょう。スポーツもそうです。言葉、文章に関する時だけは、なんか、生き方を生き様で見せるような感じで、ちょっとこそばゆいし、自信がなかったりするじゃないですか。
それを石黒さんは見事にやってのけてるから、偉いなって思うんです。マネできませんね。
内容的に感心したのは、「文末の接続詞」という発想でしょうか。なるほど、いわゆる接続詞だけではなく、文末表現がそういう働きをすることもありますね。
と言いますか、文脈というものがあるかぎり、いわゆる接続詞や文末表現だけでなく、全ての文は接続詞的な機能を持っているとも言えますね。あるいは、人生は接続詞だとも…笑。いや、まじでそんなことを思いました。
ところで、この本でもブログの文体についての記述がたくさんありましたけれども、私のこの文体、先日も書いたように「講演書き起こし体」、あるいは「平成軽薄体」と呼ばれています(自分に)。で、よく指摘されるんですが、今も出てきた「で」とか、「ま(あ)」とか、あと、頻発するいわゆる「順接の『が』・『けれど』」、これは意識的に使っているのかということについて。
実は、これはかなり意識的に使っています。ブログでの私の文体です。いちおう私も文章家のはしくれだと自認しておりまして、それなりにいろいろな文章を書き分けることができるつもりです。いろいろと事情があって、ブログではこういう文体を使っています。その事情についてはナイショ。
いやあ、真のプロレスラーではありませんが、実はガチもできるけど、あえて軽薄を前面に出すというのが、私の理想です。なんちゃってね。ま、ドリフみたいになりたいんですよ(?)。
というわけで(これもよく使いますね。無理やりフィナーレに持っていっちゃう荒技)、この本を読むと、接続詞の使い方が気になって、文章が「決まる」どころか、なんだか関節技が決まっちゃったみたいに身動きできなくなります。つまり、今まで自然に書いていた文が書けなくなる。ご注意を(笑)。
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