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2009.04.15

麻生太郎の誤読の件

Asou 検協会の馬鹿親子の会見を見ていて、なんとも言えない怒りに…と思ったらそうでもありませんでした。
 最近ウチでは、無印天才バカボンと元祖天才バカボンばかり見ているので、彼らくらいの悪漢では満足しないのでしょう。
 漢字と言えば、麻生首相の誤読問題が盛り上がっていますね。これもまたバカボン・クオリティーからしますと、ちょっと物足りない。まあ、一国の首相としてはよくやってる方だと思いますが。もうちょっとぶっ飛んだ読み方を披露してもいいのでは。
 考えてみれば、漢字の読みなどと言うのは、まさに社会的なルール、慣習であって、単なる多数決の結果に過ぎないことが多いものです。それで、その常識とやらを知らないと、まさに常識を疑われ、非常識な人間と決めつけられ、社会性や教養のないダメ人間だとされてしまう。
 そこんとこをうまいこと商売にしたのが大久保昇でした。その片棒を担いでしまった、いやまだ担いでいるワタクシは、ものすごく辛く恥ずかしい心境です。今日もまた、生徒から漢検の受検者を募ってしまった…。
 逆にそこんとこを全く気にしないで、社会のフィクションに抗っている(そんな意識すらありませんが)のが、バカボンのパパです。だいいち彼は漢字というものをほとんど知りません。ハナから相手にしていません。そこに真実を見出せないからでしょう。彼にとっては、まさに漢字なんてナンセンスです。意味がありません。しかし、世間では彼のことをナンセンスと言います。その場合のセンスとは、おそらく社会性のことなんでしょう。
 さて、先ほど、麻生さんの誤読はまだイマイチだと申しました。なぜなら、彼の誤読はパパレベルに達していないからです。まだ、センス(意味)やセンス(社会性)を充分に含有しているからです。
 たとえば、最近で言えば「弥栄」を「いやさかえ」と読んだ、あれは間違いか、それとも正しいかと騒ぎになっていますが、正直そんなことはどうでもいい。間違いと言う人も正しいと言う人も、両者とも社会のルールに縛られているからです。それなら私は、「弥栄」は「いやさかはえ」であると言いたい。万葉集にそうありますから。
 未曾有を「みぞうゆう」と読んだ。これも別に騒ぐことではない。「未」は「み」、「曾」は「そう」、「有」は「ゆう」ですから、社会的な慣習を抜きにすれば麻生さんの方が正しいとも言えてしまう。有無とか怪我なんかもそうです。
 詳細を「ようさい」と読んだ。これも非常に高い社会性、教養のなせる誤読です。いちいち説明しなくてもわかりますよね。同様なのは、低迷(ていまい)や破綻(はじょう)でしょうか。
 音訓の整合ということで言えば、前場や思惑も、「まえば」「しわく」の方がより自然とも言えてしまう。
 踏襲を「ふしゅう」、順風満帆を「じゅんぷうまんぽ」と読んだのはその逆ですが、ある意味訓読みを正しく知っているということにもなりますね。
 「基盤」を「きはん」、「措置」を「しょち」、「頻繁」を「はんざつ」と読んだというのは、これはもしかすると、原稿に「規範」、「処置」、「煩雑」と書いてあったのかもしれない。日中両国首脳の往来はたしかに「煩雑」ですからね(笑)。
 「決然」を「けんぜん」と読んだと報道されましたが、これも原稿に「顕然」、「軒然」、「喧然」、「慊然」とあったかもしれない。意味わかりませんが(笑)。
 とまあ、麻生さんのおかげで、ずいぶんと勉強になりますね。授業のネタとしても最高です。
 「あ、そう」言えば、「麻生」の読みも難しいよなあ。苗字としても「あさお」「あそお」「あそう」などがあります。生徒に「まお」ちゃんもいましたっけ。地名としては「あさお」「あさぶ」などがありますね。麻生太郎も、もしかすると「あそおたろお」かもしれませんね(笑)。

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コメント

全国のアソーさんに申し訳なく思いますが、英語圏で“あそー”と発音したら“○○の穴”に聞こえないのでしょうか? 私、アソーさんが外国に行く度、いつもドキドキしてしまうのです。

投稿: LUKE | 2009.04.16 17:15

LUKEさん、どうもです。
なんか、そう聞こえるらしいですね。
考えてみると、プーチンも変ですね。
思いっきり下ネタだけど可愛かったりして。
そんなふうに聞こえてるのかも(笑)。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.04.17 07:06

>なんか、そう聞こえるらしいですね。

やっぱり。(笑)

投稿: LUKE | 2009.04.21 02:09

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