『ヤクザと日本−近代の無頼』 宮崎学 (ちくま新書)
昨日は「ロケット団」という「義」で結ばれたヤクザの記事を書きました。今日はまじめなヤクザ研究本を紹介しましょう。
この本は以前紹介した『近代ヤクザ肯定論 山口組の90年』の理論編です。たしかに、この二冊を読むとかなりはっきりとしたヤクザ像が浮かび上がってきます。ヤクザ像が浮かび上がるということは、それを浮かび上がらせるシャバ、すなわち世間が、その背景として沈殿して見えてくるということでもあります。
アウトローを生み出す「ロー」の部分、法と秩序という、ワタクシ流に言えば「コト」をつぶさに観察することによって、「モノ」の怪たるヤクザの意味と存在価値が解ってくるということですね。
そうすると、コトに執着する「オタク」とモノたる「ヤクザ」って、とっても対照的な存在ですね。無理矢理こじつけてしまえば、武士や被差別民を源流とする「ヤクザ」が減り始めてからというもの、貴族を源流とする「オタク」がこの世に跋扈するようになったとも言えますね。なるほど(と自分で納得する)。
そうそう、ちょっと話がずれますが、学校というシャバの縮図のような所でも、ずいぶんとその雰囲気は変わりましたよ。昔風なアウトロー、すなわちツッパリや不良、非行少年のような輩はなりをひそめ、クラスの過半数がオタクなんていうクラスも現れ始めました。
振り込め詐欺の話じゃありませんが、絶対的なワルがいなくなったかわりに、普通の生徒が影でコソコソ悪事を働くようになったとも言えます。
昔のように悪が顕在化していた時の方が、たしかに日々の指導は大変でしたが、しかし、その他の生徒は「善」として、いい意味で身動きがとれなくなっていたので、安心のようなものもあったんです。最近は、なんというか、裏表があるというか、絶対的な悪と善のような構図がなくなって、誰もが危険で安定感に欠ける感じがあるんですよね。
大学なんかでも、学生運動や、それに伴う闘争はなくなりましたけど、一方でフツーの学生が大麻に手を出したり、詐欺をやったりするじゃないですか。一見、昔より平和に見えますけど、なんとなく不安定で、皆が疑心暗鬼になっている感じがする。若者の精神疾患が多いのも、実はそういうフィクショナルな「自分像」が確立していない、させられていないからではないか…。
話を戻します。いや、戻らないか。昨日、軽々しく、ロケット団に「武士道」を感じた、ロケット団は「義」で結ばれている、なんて書いちゃいましたが、もちろんそれは軽口にすぎません。しかし、多少の真理をそこに見てとることもできますよ。
本来の武士道は、戦場の倫理であり、実にプラグマティックなものです。近世、近代の、儒教、朱子学と結合したネオ武士道とは違います。ヤクザの仁侠道は、そうした原武士道での武闘部分に回帰しつつ、ネオ武士道に反抗したものだと宮崎さんは述べています。私もそう思います。しかし、ネオ武士道に対しては、反抗しつつも寄り添っていますよね。ある意味メタ封建制度を目指したとも言えます。
ですから、昨日書いたように、サトシやヒカリやタケシたちとポケモンの関係、あれは実に西洋的な支配被支配関係であって、ある意味近代的な主従関係なわけですね。そこに無頼、アウトローたるロケット団が介入しているわけですよ。原武士道とネオ武士道をもってしてね。
サトシたちはポケモンに「愛情」をもって接しているかもしれませんが、では、ポケモンのために命を捨てられるかというと、どうでしょう。ロケット団は、実際昨日、ある目的、夢のために命を捨てようとしました。それも仲間とともに。そして満足して、そして来世にまで、その仲間との結束を約束し、夢の成就を期待して…(笑)。いや、(笑)ではない!真剣です。
また話が違う方向に行く、いやいや、同じ話を違う方向から見ることになりますが、初代タイガーマスクの佐山聡さんが、ある雑誌で「義」について語っていました。引用します。
「愛で人を守る。六本木で人が倒れてたら愛で助ける。これはキリスト教の考えですね。その一方で武士道というのが日本にはあって、封建制度で作った武士道の精神基底というが切腹なんです。つまり『死』なんですね。ここに愛と死の違いがあるわけですよ。六本木で人が倒れてて、それを助けることができなかったら、これは切腹なんです。友達に何かあって、でも助けることができなければ、俺はもう切腹しなくちゃいけない。どうしてかというと、恥だから。そういう『恥』の概念が我々にはあるんですね。愛の概念とはまるで逆ですけども、規範という点ではまったく一致しているんですよ」
ここでの「義」は、封建制度上の武士道のことですから、ネオ武士道のそれかもしれません。しかし、すぐそこに「死」を置くことによって、形骸化しない一つの絶対的な規範を作り出しているとも言えます。つまり、「義」を「愛」にすり替えられたネオネオ武士道とは一線を画しているわけですね。
今、日本は有事ではなく無事ですから、原武士道は適用しようがありません。しかし、なんというか、いかにも表面的で偽善的な、こちらから与えてやるというような「愛」がはびこっていて、もっと根源的な人間どうしの感情や倫理というものが、軽んじられている、あるいは意図的に隠蔽されているような気がしてなりません。
無事な世に設置された「ヤクザ」という装置。原武士道とネオ武士道を高次元で統合していた「必要悪」。それが消えつつある今、私たちはなんとも言えない不安にさらされています。ある意味、悪が可視的であった時はよかったのです。今、私たちは、自分と他人と社会の中に潜む、見えない「悪」・「敵」と日々闘わなければならないのです。
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