「勝つ」と「負ける」
昨日は本当に素晴らしい、勝負を超えた勝負の世界を見ることができました。あらためてレスラーの皆さんに感謝申し上げたい。
最近は、何ごとも勝ち組と負け組のようにデジタル的に処理することが多いですねえ。皆がそういう気分になっているのでしょうか。本来は「すもうに勝って勝負に負ける」という言葉があったり、「負けて勝つ」とか「負けるが勝ち」と言ったり、勝ちと負けの境界はもっと曖昧なものでした。
「勝つ」と「負ける(負く)」は古くから対義語として使われてきたようです。記紀万葉にまで、その用例を遡ることができます。そうした用例を見ていて面白いのは、戦いに明け暮れた時代には、当然敵との勝負においての勝ち負けという意味で使われていますが、平時にはどうかというと、たいがい「己に克つ」とか「己に負ける」とか、そういう使われ方が多くされているんですね。これはちょっと面白い。
自分の中に戦うべき何かがある。それは、煩悩であったり、欲望であったり、あるいは場合によっては病気(恋の病も含む)であったりします。考えてみれば、他者と戦うのも、自らの煩悩によるものであるとも言えますね。もっと広い土地に住みたいとか、隣のおいしそうなものを食べたいとか、あそこの女を自分のものにしたいとか。まあ、そんな程度の欲求から、たいがいの戦いは始まります。いわゆる近代戦争もそんなものでしょう。
現代日本は平和なのかというと、そうでもないようですね。勝ち組、負け組という発想自体がすでに戦争状態です。つまり、我々日本人は今、己の煩悩や欲望に負けて、他人に勝とうとしているということですよ。
我々は本来は自己の中に戦うべき、勝つべき相手がいるのに、それを忘れて、あるいはそれとの戦いを最初から避けて、その手下になって、他者を侵害しているんです。もちろん、全てがそうだとは言いませんが、そういう気分が蔓延しているのはたしかですね。
ここで、またワタクシの「モノ・コト論」を登場させます。「モノ」とは不随意、「コト」とは随意だと、何度も繰り返していますが、もう少し根本的な音義論で説明しますと、「m」音は外部・他者、「k」音は内部・自己を表すと考えているんです。推量(未来)・意志の助動詞「む」と過去・発見の助動詞「き」の対照などその典型例です。
で、そういう観点を持ち込みますと、また「勝ち」・「負け」は面白い正体を垣間見せますね。そう、「勝つ」は「k」音、「負ける(負く)」は「m」音を基音としているんです。
つまり、「勝つ」は自己の思い通りになることを表し、「負く」は自己の思い通りにならないことを表す語だということです。
古今集に次のような和歌があります。
思ふには忍ぶることぞまけにける色にはいでじと思ひしものを
冒頭の「思ふ」はいわゆる「物思ひ」ですね。どうにもならないこと、かなわないこと、あるいは自分の意志とは関係なく沸いてきてしまう思いを、古語では「ものおもひ」と言います。それを「忍ぶる」、すなわち「我慢」したり、それに勝とうとしたりするのは「こと」です。自分の意志ですね。しかし、その自己の意志が「まけ」てしまう。結局は不随意になってしまうのです。ですから、最後「ものを」という不随意の終助詞で結んでいます。表情に出すまいとしていたのに、つい出ちゃったと。
この歌から派生したと思われる百人一首の平兼盛の和歌も有名ですね。
忍ぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで
これもまた、「忍ぶ」という「こと」が「もの」に負けていますね。やはり、自分の思い通りになることが「勝つ」で、思い通りにならないことが「負く」なのでしょう。
まあ、人間ですから、自分の欲望や煩悩に一瞬負けてしまうこともありますが、そこで気を取り直してもう一度「忍ぶ」というのが正しい道ですね。でも、いわゆる現代の「勝ち組」はそういう我慢はしません。自らの中の他者に負け、そして自らの外の他者に勝とうとします。際限がありません。
そういう意味では、次の和歌はまずい。平安にしてすでに平成的な生き方をしているぞ(笑)。
思ふには忍ぶることぞまけにける逢ふにしかへばさもあらばあれ
(我慢が煩悩に負けちゃったよ…もう我慢できない。まあいいや、なるようになれ…会ったらやっちゃえ!)
まあ、作者は平安の「勝ち組」、イケメンで頭もよくて、家柄もよし、口先も達者で、あっちも絶倫とウワサされる在原業平ですからね。そう考えると、彼は本当に現代的ですね。
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コメント
前略 薀恥庵御亭主 様
えぇぇぇ・・・
愚僧 常々申し上げておりますが・・・
薀恥庵御亭主様の「才能」は とても
とても素晴らしいのです。
どうぞ 御出家など つまらぬことを
考えず(笑) 今のままで・・・
なにとぞ 御活躍くださいませ。
まぁぁぁ・・・
ここは「ツマラナイ世界」ですよ。苦笑
愚僧も長いこと・・・この世界の中
に居りますが・・・私の知人(坊主)の中で
薀恥庵御亭主様のように
こちらの「心」が とっても温かくなったり
「新しい世界」・・・・というか
「楽しい発見」を与えて下さる御方様方には
未だ巡り合ったことが御座いません。
これも常々書いておりますが
素晴らしい先生に出会えて
生徒様方は「しあわせ者」ですよ。ホント。
うぅぅぅぅん。
何というのか・・・
個性を潰しちゃうんですかね。
「坊主の世界」は・・・笑
やっぱり・・・・
出家という小さな「形」におさまって
しまうのは余りにも「モッタイナイ」ことです。
えぇぇぇぇ・・・
愚僧は・・・若い頃より・・・
「ナンシー関」様同様・・・
心より尊敬いたしております「井上球二」様
の「一人一寺 心の寺」運動に
こころ 惹かれておりました。
本当は愚僧も・・・「こころの中の寺
の住職」になりたいのです。笑
まぁぁぁ・・・現実逃避なんですかね。笑
愚僧も・・・
現実の日暮しに絶望することもあります。
そんな愚僧であっても・・・・
今日から俺は「生まれ変わるんだ」と思えば
やっぱり生まれ変われてますね。
三日ぐらいすると・・・・
「元の坊主」に戻ってますが。笑
まぁぁぁ・・・人間は・・・・
毎日 生まれ変わっていますね。
結局薬局放送局「こころ」の在り様(よう)ですね。
愚僧も日々「こころ」を少しはマシな方向に
向けてまいりたいと存じます。合唱おじさん
頓首百拝
投稿: 合唱おじさん | 2009.02.13 20:55
合唱おじさん様、こんにちは。
いつも有難いコメントありがとうございます。
「才能」なんて、とんでもありません。
私に才があるとすれば、「ハッタリ」のそれくらいですよ。
また、出家するほど根性はありませんからご安心を。
毎日生まれ変わる…とても楽しいことですね。
たとえ元に戻ったように見えても、ちゃんと旅をして帰ってきたわけですから、何かが違っているはずです。
私も「こころ」が昨日より少しでもいい場所にあるよう、努めてゆきたいと思います。
難しいですけれど。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.02.14 14:54
前略 薀恥庵御亭主 様
至極 安心致しました。笑
御亭主様の愛弟子の皆様方も御活躍の
由。真に有難い慶事で御座います。
えぇぇぇ・・・・
「勝ち組 負け組」の話ですが・・・・
人生にも・・・・
「引き分け組」とか「不戦勝組」
とか「販促負け」×違う・・・・
「反則負け組」◎もいいですね。笑
愚僧「アブドーラ・ザ・ブッチャー」様
の大ファンでした。
そのぉぉぉぉ・・・・あの
なんとも愛らしい御顔立ち。笑
憎まれ者の「潔さ」を感じておりました。
何の役にも立たない偽善者より・・・・
人から罵倒され続ける悪役に魅力を
感じていたのでしょうね。笑
まぁぁぁぁ・・・・しかし・・・
愚僧もいつのまにか・・・自分の嫌いな
「人の良さそうな偽善者」になっておりました。笑
これから先も・・・・
「自分の内面を探る旅」は まだまだ
続きそうであります。 合唱おじさん
頓首百拝
投稿: 合唱おじさん | 2009.02.15 21:18
合唱おじさん様、おはようございます。
「引き分け組」「不戦勝組」「反則負け組」いいですね!!
ブッチャーもシンも、本当に素晴らしい人格者だそうで…。
私、どこかに書いた気がしますが、人間界には「真善者」「真悪者」はいないと思うんですよね。
だから、「偽善者」か「偽悪者」しかいない。
そうすると、本当は「善」で、「悪」を演じている「偽悪者」が一番偉いんではないかとも思うんです。
やっぱりブッチャー様は偉いんですね。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.02.16 06:55