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2009.02.24

なぜ大学入試に「英語」があるのか

↓これは指導に使った本
76641294 よいよ明日、国立の二次試験です。ウチのギャルどもは、私大入試で快進撃(8名で63校合格、1名はこれから)、上智以外の有名私大はほとんどゲットしちゃったので、なんとなくモチベーションが下がり気味。たしかに古くさい国立の教育より、私立の方が魅力的に見えるよなあ。ま、なんだかんだ言ってしっかりやってくれると思います。
 今年のあいつらを見てて思うのは、受験は団体戦だなあということ。実際、自分の志望校に受かるよりも、クラスでどれだけ受かるかが主眼になってますからねえ(笑)。実際手分けして「○○は○○大学担当」みたいになってて、そっちが合格するかに気をもんでる。ホント楽しそうです。3年間で今が一番笑いが絶えません。いいよなあ、オレの受験なんて…うるうる。そうそう、その悲惨な話、こちらに書きましたね。ま、こっちも笑えるか。
 さて、今日はウチの高校の入試の日でもあったのですが、今日の日程がひと通り終わったのち、早稲田に通う教え子が論文の書き方を指導してほしいということで、私をたずねてきました。彼は将来英語の先生になりたいということでして、そういう勉強の準備を始めたところです。
 さて、大学入試と言えば「英語」ですね。どこの大学にもたいてい英語はあります。文系も理系も関係ありません。もうそれが常識で当たり前で誰も疑問すら抱きませんね。私もそうでした。
 で、なんで?とセンセイに聞きますと、だいたい、「大学では英語が必要だから」とか「国際化の現代、英語ができないと生きていけない」みたいな答えが帰ってきます。
 これって絶対ウソですよね。高校生の時はそれを信じてましたけど、今になってみると、ひどいウソだったことが分かります。すっかりだまされてた。
 まず、大学に行っても、ほとんど英語は使いません。英語の論文を読むとか英語で論文を書くとか、そういうウワサがありますが、ほとんどの大学のほとんどの学部学科で、そういうことはありません。一部の英語系のところじゃないと、まず論文を英語で書くことはない。
 いや、本当は大学生は英語の論文を読んで、英語で論文を書いてほしいですよ。それが世界標準なんですから(それが世界標準だということの是非は別として)。でも、実態はそうではない。アブストラクトさえ書きません。ま、私なんか国文科ですから、大学4年間、英語なんていうものには全く触れませんでした。一般教養の英語なんて、あんなの遊びでしたよ。勉強じゃない。
 では、社会に出ると英語が必要かというと、これまたほとんどいらない。日本人の99.999%は日常的に英語を使わず、日本語だけで生活しています。仕事上必要な人はいますが、彼らも必要に迫られてから勉強するケースが多い。
 まあ、たしかに受験英語がそういう実用英語の基礎になるというのは事実です。変な会話よりも、形式的な英語の方が、ずっと実戦でも有用なんですよね。それはそうです。ほとんどの外国人は、友だちではなく他人なのですから。
 こんな状況なのに、なんで猫も杓子も英語なのか。大学入試=英語なのか。誰も疑問に思わないのでしょうか。とりありず周囲の生徒や先生たちはあんまり深く考えていないようです。そして、「なんだか知らないけど、大学入試は英語で決まるらしいから、やる」という感じが蔓延しているように感じます。
 というわけで、私は生徒たちにどのように説明しているかなんですが、これは案外真実をついてるかもしれないですよ。これは私のオリジナルな考えではなく、複数の大学の先生と話し合った結論です。彼らと私は、ある意味無理やりこういう結論に至りました。
 英語という教科は、基本的に中学校で初めて体系的に学びます。中学生と言えば、もう母語である日本語の体系は完成しています。そこに初めて全く違う体系や文化的背景を持った言語を習い始めるわけですね。
 で、言語の能力というのは、我々の脳にプログラミングされているものの中では、かなり基本的なものです。たとえば、音楽の能力とか、運動の能力とか、あるいは数学の能力などに比べると、あまり大きな個体差はないように感じます。すなわち、得意、不得意、好き、嫌いが発生しにくいんですね。
 そういうものを中学から一斉によ〜いドンで勉強しはじめるわけです。それも、本当に将来役に立つかどうかもわからないもの。とりあえず、日常生活では99.999%無用なことを実感しながら勉強します。
 そして、英語という言語は、御存知のとおり印欧語の中でもかなり特殊、西北の果ての田舎言語ですから、ものすごく単純化していますね。かなり面倒なことをはしょった一方言です(ま、そのせいで発音だけは難しい。スペルと発音の関係が複雑すぎる。つまり、なまりすぎてるんですが)。
 で、そういう、比較的全ての日本人にとって、それほど不公平がなく、やればできる可能性が高いものをですね、どれだけやったかを測るのが、大学入試の英語ではないかと思うんです。そう、生徒の受験勉強を見ていますとね、英語という教科が、一番やった分だけ点が取れるようになる教科なんです。もちろん、社会などの暗記物もそうなんですけど、社会なんか本人の興味や趣味もかなり影響しますよね。でも、英語はあんまりそういう部分がない。洋楽が好きとか、外国人と話すのが好きとか、その程度は当然ありますけどね。
 ですから、極論してしまうと、受験英語ができるということは、なんだか意味があるんだかないんだか分からんけど、とにかくノルマが決まっていて(単語1900とか、構文150とかね)、それをちゃんとこなせるということなんですよ。将来、なんだか意味があるんだかないんだか分からん研究や仕事をしていくにあたって、あるいは、なんだか意味があるんだかないんだ分からん人生というものを営んでいくにあたって、そういう能力ってとっても大切です。好きなことだけやってては生きていけませんからね。
 そうすると、大学入試用の英語力って、まんま「生きる力」・「人間力」ということになる。最近、まじでそう思ってます。だから、大学が英語の試験を課すのもよく理解できるんです。もちろん、そんなこと考えないで出題する大学がほとんどなんですけどね。
 でも、こういう説明をすると、案外生徒たちは納得するんですよ。ああ、そうかって。たしかに、やっただけできるようになる教科だな。そうか、生きる力を試されるんだったら、ちょっと頑張ってみるかなって。
 実際のところは、漱石や稲造の時代から続く、単なる欧米崇拝の教養主義の伝統に過ぎないんですけど、まあ、こうやって新しい意味付けをすることに意味がないとは言い切れないでしょう。
 ちなみに私は大学入試での英語学習がとっても役に立っています。今、こういう時代になって、英語のホームページを読むことが多いので。
 というわけでして、本当ならもっと公平にエスペラントを入試に課すべきだと思います(マジ)。

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コメント

蘊恥庵庵主さん、こんにちは。
確かに大学ではほとんど英語を使いませんね。研究関連の論文をほんのちょこっと読む程度です。
でも中学校から今まで勉強してきた英語を生きる力、人間力として捉えれば頑張ってきた甲斐がありました。視点を変えるって大切ですねぇ。
そして大学4年でやってきた意味あるんだかないんだかわからない私の有機化学の研究も救われるってもんです。
エスペラントを世界の大学が入試に課せば交流も進んで一石二鳥ですね!!

投稿: ニキータ | 2009.02.25 13:44

 医科系では英語が卒前教育レベルでもかなり必要であると思います。卒後になると絶対必要になると思います。まあほとんどの必要性は読むだけですが、大学院で研究したり博士号を取ろうとするなら、書く必要も出てきます。医科系の博士号は乱発で取りやすいですが、いまや論文が英語で書かれていることが必須に近くなっているという感じがします。
 英語の困った点は、文法構造が単純な分、語彙で補っているところで、いつまで経っても辞書やalcのサイトが手放せないというところでしょうか。文学ではない実用的な英文でも、8000くらいは必要なのではと思います。
 日本以外だと、教科書が自前で作れなかったり、翻訳すら経済的あるいは術語の未整備等でできないため、授業の使用原語を含め、英語がそれこそ当然のように使われています。
 日本は幸せですよ。

投稿: 貧乏伯爵 | 2009.02.25 16:21

ニキータさん、こんにちは。
あんまり真に受けないでくださいね(笑)。
でも、世の中には一見無駄なこと、無意味なことの方が多いみたいですので、こうして自分で納得するというのもありでしょう。
ただ、ずいぶんと無反省というか無思慮にやらせ、やらされているので、ちょっと爆弾投下してみました。

伯爵さま、こんにちは。
そうですね、医科では必要ですよね。
やっぱりお医者さんは偉いですよ!
医学部行ってヒーヒー言ってる教え子見ててもそう思います。
でも、その他のワケわからん勉強している大多数の教え子たちは、全然英語使ってませんね。
外語大でも思ったほどじゃないみたいです。
そして、まだ日本はいいわけですか…なるほど、訳してくれちゃってるんで原語は使わないんですね。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.02.25 17:14

前略 薀恥庵御亭主 様
ここ何週間か・・・
ゆったりと「時」を過ごす事が
出来ました。
御亭主様の楽しい御文章を拝読し
ここに「コメント」を書かせて
頂き とても幸せな気分でした。
えぇぇぇぇ・・・えいご・・英語英語。
愚僧は「アルファベット」も怪しいです。爆笑
「英語」・・・難しい問題ですね。
私の師匠(父親ではありません)は・・・
愚僧に対して いつも
「キチンと日本語を喋(しゃべ)ろ」
と恫喝いたしておりました。笑
「敬称」(手紙)にもうるさくて・・・
「様」には三種類ある。
目上の御方様には・・・・
「様」の水の部分が「永」。
同輩には・・・
「様」の水の部分が「次」。
目下の者に対しては普通の「様」。
坑木×公僕◎には「殿」でよいのじゃ。
決して「御檀家様」には「殿」は
使うなよ。わかったか。この馬鹿者めが。
愚僧が それでは「御殿様」では如何でしょうか
とふざけると。劣化×烈火の如く怒られました。笑
まぁぁぁぁ・・・・愚僧の場合
「先ずは正しい日本語から」なので
ありましょう。苦笑
えぇぇぇぇ・・・勇気歌学×有機化学◎
を修めておられる御方様のコメントが
御座いましたが・・・「有機化学」ほど
尊い学問はないと愚僧は感じています。
仏教なんかよりずっと大切です。
それは・・・例えば・・・
ケイ素(シリコン)半導体による情報詰込には
限界があります。
愚僧の頭と同じですね。笑
「カーボンナノチューブ」半導体によって
将来「コンピューター」は物凄い発展を
遂げるものと確信いたしております。
愚僧はとても楽しみです。
まぁぁぁ・・結局薬局テレビ局
どんな学問でも突詰めると楽しいもんですね。笑
宇宙の「ゆらぎ」
金の原子の「ゆらぎ」
愚僧の知識の「ゆらぎ」笑
少しは愚僧も「仏教学」を突詰めなくては
なりませんね。
合唱おじさん         頓首百拝


 

投稿: 合唱おじさん | 2009.02.25 18:29

合唱おじさん様、おはようございます。
なるほど、「様」にもいろいろあるんですね。
日本語は本当に難しい。
いちおう、私はそちらの専門家のはずですが、全くできていませんね。
よく軽薄だ、品がないと言われます。
文は人なり。
有機化学はたしかに世のため人のためになっていますね。
地味ですが大切な分野です。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.02.26 07:57

お久しぶりです。

指導が一段落したので、ふらっと立ち寄らせて
いただきました。

英語を小学校からとか高校英語は全部英語でとか
私は「アホらし」(暴言失礼)としか思っていなかった
のですが、自分では英語が一番得意で、
大学時代に通訳のバイトをしたこともあります。
(終わってから恐ろしくなって国語に逃げ帰った
わけですが)

本当に「努力力」とでも呼びたいくらい、
英語学習は意志に基づく反復を要しますね。

内村鑑三が『How I became a christian』
を出版するなど明治の人々は大変な力を持っていたし、
語学学習に集中することによって陥りがちな
視野狭窄にもなっていないことに感心します。

英語の試験は「がんばる力」をもつ人間を判定する装置、
そう私なりに読みかえて指導に使わせていただきますね。

投稿: いなかっぺ | 2009.02.26 18:53

前略 薀恥庵御亭主 様
愚僧も「軽薄」と「下品」には
誰にも負けない自身×地震×
自信◎があります。はい。←莫迦ですね。笑
「下品下生には自信あり」です。苦笑
えぇぇぇぇ・・・・
私は「人」を評価(判断)するとき・・・
「洒落の判る御方様」「ユーモアのセンス」
で決めております。笑
長年これでやってきております。はい。
「ユーモアのセンス」と「人格」はとても密接なのです。
この判断方法は大概「間違い」がありません。
英語でもドイツ語でもフランス語でも
他国の御方様との縁(えにし)を結ぶには
「笑顔」が一番大切ですね。
そして次に「挨拶」。そして「ユーモア」。
うぅぅぅん。どうも
日本人は「笑顔」と「挨拶」が苦手ですね。笑
愚僧の家内は「笑顔」が最高です。
愚僧も「薄ら笑い」なら出来ます。爆笑
その上 日本人は「ユーモア」のセンスにも
欠けていると海外から評されています。
結局薬局歌謡曲・・・・
なんといっても「communication」
コミュニケーション・・・発音できませんけど。笑
「笑顔の伝達」が一番大事です。
そして・・・・「humor」「ユーモア」
いやぁぁぁぁぁ・・・
初めてこの単語の綴り(スペリング)を知りました。笑
御亭主様の「ユーモア」のセンスは・・・
「超一流」exceed first clas←?
です。だから愚僧は ここに居座っているのです。笑
合唱おじさん   豚首舶来× 頓首百拝

投稿: 合唱おじさん | 2009.02.26 20:17

訂正
first clas  ×
first class ◎
ふぅぅぅぅぅ・・・・。笑
joining one’s hands middle age ←? 笑 

投稿: 合唱おじさん | 2009.02.26 21:31

合唱おじさん様、こんにちは。
たしかに「humor」は大切ですね。
humorの語源は、たしか…humid(湿気)のそれと同じだったような。
humanは違うのかな?
いずれにしても、人間関係に、そして人間の心に潤いを与えるものですね。
私の仕事でもhumorは一つの武器になります。
それもアドリブ力が重要ですね。
そこだけはちょっと得意かもしれません。
というか、授業のほとんどはそこに費やされてしまいます(笑)。
で、生徒に怒られたりしてます。
授業進めてくださいって(笑)。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.02.27 16:30

いなかっぺさん、こんにちは。
ご指導お疲れ様です。
だいぶ落ち着きましたね。
さて、この「英語=人間力」の話ですが、
いろいろな方から「なるほど」と言っていただき、とてもうれしく思っています。
元はといえば、英語に限らず、「なんだか意味があるんだかないんだ分からん」受験勉強をさせている自分の仕事に対する言い訳みたいな感じだったんです。
最初はハッタリで言っていたんですが、なんとなく正しいような気がしています。
ちょっと前に、「教科書の内容と現実に違いがある」と言って文科省局長らの殺害予告をした東大出身者が逮捕されましたね。
せっかく、ある種の人間力があるのに、実に狭い視野でかわいそうだなと思いました。
与えられたことしかできない…そういう言い方もされますが、与えられたことができるのが全ての基礎だと思いますし。
ぜひ、生徒さんに自信を与えてあげてください。
そにしても、小学校から英語を…なんて、やっぱり「アホらし」ですよ(笑)。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.02.27 17:03

お久しぶりです。

今年の入試もさすがに順調みたいですね。
国立の方も期待しています。

「英語=人間力」説は面白いですね。

但し、「人間力のために英語を勉強しろ」と、子ども達に説明した上で英語を勉強させたとすると、みんな英語を勉強しなくなりそうですね。

やはり、「勉強する意味はよく分からないし、役にも立ちそうにないけど、みんなも先輩も勉強しているし、勉強するのが当たり前だからなんとなく・・・」
というような、それこそ意味不明な理由で子どもに英語を勉強させるほうが、英語真面目に勉強しそう


最近よく言われる説で、国際化社会の中では国際人にならなければならないから英語が必要だとかいいますが、
まるで、英語さえ勉強していれば国際人になれると勘違いしているヒトもいそうですよね。
それならば、英語圏に住んでいる人はみんな国際人になってしまいますし。

ということで、英語を勉強する意味ですが、
大学教授からの「英語くらい出来やがれ!!」というメッセージだという解釈はいかがでしょうか??

投稿: ピピニー | 2009.03.02 11:52

ピピニーさん、お久しぶり!
お元気ですか?
たしかに、「わけわからん」ままが一番やる気をそがないかも、ですね。
勉強に限らず、「なんで」と思うと、生じるのは迷いばかりです。
全てに「なんで」と思い続けると、出家するしかなくなりますよね、マジで(笑)。
「英語くらい出来やがれ!」…これって本音かもしれません。
まさに「(受験)英語くらい」です。
ということは、(受験)英語力=勉強力ってことでしょうかね。
ピピニーさんもいろいろと勉強されているようですね。
また、お酒でも飲みながらいろいろ語り合いましょう!

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.03.02 17:44

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