『理性の限界―不可能性・不確定性・不完全性』 高橋昌一郎 (講談社現代新書)
素晴らしい本。自分に知識と才能と根性があったら、こういう本を書いていたことでしょう。
しかし、私には理性の限界…いや、それ以前に根性の限界があったのでしょう。こういう本は書けず、こういう駄文を書き散らしています(苦笑)。
今日帰宅後何気なくテレビをつけたら、BSジャパンで「養老孟司の環境スペシャル」をやっていました。養老さんの語る「脳化」「都市化」は、ワタクシの言う「コト化」であり、それはまさに「理性」で全てをコントロールしようとすることです。
で、養老さんが力説していた「自然」の不随意さ、不可解さが、ワタクシ的には「モノ」の本質的な属性であり、それこそ「理性の限界」の外側の世界であると思います。
我々は、「脳」で「理性」で「コト」で「モノ」的世界を分節、分析し、抽象して、それを制御する手段を考えることに終始してきました。まあ、そのようにプログラミングされているのでしょう。何かを(疑似的であっても)サブミットすることによって安心を得たり、快感を得たりするようにできている。それはこれまでの人間の進化や歴史のベクトルを見るだけでわかります。
逆に、我々は自分たちの「限界」について語ることを嫌います。それはモノが怖いからです。いつの時代も物の怪は厭われます。限界の先はいかにしても未知なのです。
そして、そういう人間の弱さを誤魔化すために(だと思いますが)、人間界では、理性的であること、あるいは知性、知識に優れていることを良しとし、その逆を蔑む空気を作っています。
しかし、実際はですね、もう誰もがお気付きだと思いますが、本当に理性的になると自らの「理性の限界」を無視できなくなるはずなんですね。本当に理性的なら、自分が理性的でないことがわかる…そうすると、自分は実は理性的でないわけだから、全ての人間は全然理性的でないことになる。理性的を標榜してるヤツは全部ニセモノってことになりますね。さっそくパラドックスですな。
仏教の世界なんかでは、そんなことは自明のことでして、だから、さっさと「自我」なんてものは捨てるわけです。でも、そういう正しい道に進むのはとっても勇気のいることで、たとえば私なんかも全然そういう勇気がなく、頭だけは丸めてますが、とても出家なんかできません。
そして、理性の牙城たる学校なんていう、まるで処世術を教えるようなつまらぬ場所で働いて、なんだかよくわからん理性的なるものを振り回して禄を食んでいる。まあ、こういう自責を口先だけでも語れるというのは、多少は理性的である証拠かもしれせまんが…と、つまり、理性について語ると、こうして堂々巡りになるんです。
で、この本では、私のようにいい加減ではなく、ちゃんと理性的に(!)「理性の限界」について語って…いや語り合ってくれています。そう、この本の面白いところは、シンポジウムの形をとっているということですね。ディベートというか、朝まで生テレビというか、そういう雰囲気で激論を闘わせているので、とっても難しいお話が、自然と多面的に見えてきまして、あんまり…いやいや全然理性的でない私でも、ある程度理解できました。
とは言っても、やっぱり難しい話です。私なんか、不可能性定理、不確定性原理、不完全性定理、どれがどれだか、どれが誰が発見したかすら、ごっちゃになっちゃいますもん、今でも。えっと、アロウが「そんなことアロウはずがない」だから、えっとえっと「不可能」で、ハイゼンベルクが「はい、全部ヤマ(berg)勘」だから不確定、ゲーデルが「消化が不完全でゲー出る」で不完全…なんて覚えてるくらいですから(笑)。
それはいいとして、この仮想シンポジウムの面白いところは、その参加者たちですね。数理経済学者、哲学史家、生理学者、科学社会学者、実験物理学者、カント主義者、論理実証主義者、論理学者、国際政治学者、フランス社会主義者、フランス国粋主義者、心理学者、情報科学者、急進的フェミニスト、映像評論家、ロマン主義者、相補主義者、ロシア資本主義者、方法論的虚無主義者、そして、会社員、運動選手、大学生。
その最後の一般人(?)数名を除いて、「〜学者」とか「〜主義者」という方々、みんなキャラが立っていて面白い。みんな痛いヤツです。筆者のユーモアを感じますね。いきなり登場して、司会者にしょっちゅう「その話はまた別の機会に…」とか言われてスルーされる方々もいて、読んでいて楽しい。
つまり、そういう「〜学」「〜主義者」っていう、「理性」を売りにしている人々こそ、「痛い」人たちで、なんか他者を受け付けず、自分の「理性」の世界に閉じこもり、すぐにケンカをしかけちゃう(笑)。逆に、会社員、運動選手、大学生たちは、素直に人の意見を聞き、人に教えを乞い、また正直に分からないものは分からないと言う…。
実はそのあたりが、筆者の表現したかったことなのではないか、そんな気もしました。それこそ「理性の限界」を示しているのではないか。
そういう意味でも、読後感はなぜか爽やか、というか痛快であります。自分はまあ会社員みたいなもんですから、ここに登場する会社員の方が、一番謙虚で素直で、ある意味とっても賢く感じるんで、嬉しいんでしょうね。
結論。「理性」的な人間が集まるとケンカになる。ま、そういうことですな。私も「理性」というお荷物を早く下ろして、のんびり生きたいですね。
とにかくこれは名著です。久々のヒット。理性的でありたい人も、理性なんて信じない人も、ぜひ御一読を。
PS 左のAmazonの自動広告、すごいことになってますね。特に上から二番目。「友人の妻 巨大爆○輪に負けたオレの理性」って…たしかに「理性の限界」だわ(笑)。そして、なぜかギターを挟んでカントの「純粋理性批判」。そしてまた「理性喪失」(笑)。たしかに機械には理性はないようですが、しかし、ユーモアはある!?
Amazon 理性の限界
楽天ブックス 理性の限界
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コメント
前略 薀恥庵御亭主 様
いやぁぁぁ・・・・
「機械」は本当に素直ですね。爆笑
嘘がありません。真っ正直です。
愚僧など・・・
「別名」は尼之雀・・・×違う違う
「あまのじゃく」「天邪鬼」◎ですから。
全然 素直ではありません。笑
「雀の涙」ほどの素直さも御座いません。
しかしながら・・・・
「素直さ」ほど尊いものは御座いません。
妻は本当に「素直」な性格です。
それを愚僧が「小馬鹿」に
するものですから・・・・・・
毎日・・・・天罰が下っております。笑
これこそ正に・・・「あまのばつ」。
合唱おじさん 百拝
投稿: 合唱おじさん | 2009.02.07 21:50
合唱おじさん様、おはようございます。
まったくお上の罰は恐ろしいですね(笑)。
そして、機械の正直さには全く感心します。
思わずクリックしてしまいますよね(笑)。
そうした煩悩も人間の理性の一つかもしれません。
いや、人間の語る理性こそ煩悩そのものかも、ですね。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.02.08 07:36
前略 薀恥庵御亭主 様
えぇぇぇぇ・・・
本当に「素直さ」は最良の道標ですね。
しかしながら・・・
愚僧のほとんどは「悪知恵」「浅知恵」です。笑
結局 それでほとんど失敗痛(いた)しておりす。笑
自分の病気などでも・・・
医療の知識も無いくせに・・・
この「薬」とこの「薬」で・・・・
治癒力倍増間違いなし・・・
二つ合わせて「協力 強力 大パワー」
などと服用いたしまして・・・
病状をさらに悪化させたり致しております。苦笑
まさに畜生以下の行いで御座います。
猿などは温泉で体を癒したり・・・
猫なども食事を我慢して安静にしたり
愚僧よりずっと立派な行いです。笑
人間は謙虚に自然に学ばねばなりません。
愚僧の場合「今日一日を大切に生きる」
そのことから始めねばなりません。反省
合唱おじさん 百拝
投稿: 合唱おじさん | 2009.02.08 10:44
訂正
結局 それでほとんど失敗痛(いた)しておりす。笑×
結局 それでほとんど失敗痛(いた)しております。笑◎
浅知恵僧 百拝
投稿: 合唱おじさん | 2009.02.08 12:13
合唱おじさん様、こんにちは。
とんでもございません。
そのようにしっかり分かっていらっしゃるだけでも御立派というものです。
また、一般に「良い知恵」「深い知恵」などと言われることこそ、理性の生み出した「悪知恵」「浅知恵」であることも多かったりします。
なかなか一概に言えませんね。
一日一日を大切に生きられたら、私たちはもう悟りの境地に至っているのでしょうね。
私ももちろん無駄に時間を浪費してばかりです。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.02.09 13:14