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2009.01.31

「二重スリット実験」に思う

 しい時に限って、どうでもいいことを考えてしまうものです。でも、その「どうでもいいこと」が、案外「重要」なことであったりして、そんなところにも、その時点での「どうでもよさ」と、その時点に縛られない「重要さ」が両立するというか、両者が共存するのが分かります。
 量子論では、そういう相矛盾する二つの何かが共存するのが普通でして、だからこそ我々の経験的知性は混乱をきたし、また、それが新鮮な刺激として受け取られるんですけどね。
 で、そういう非日常的な刺激(それはとっても危険で不道徳で、だからこそ漫画的、文学的なんですが)の最も分かりやすい例が、この「二重スリット実験」の結果ではないでしょうか。比較的シンプルで、俗人にも日常的に理解できる実験方法でありながら、奇術的な結果が出るので、それで人気があるのでしょう。何かで「世界一美しい実験」に選ばれたとか。
 まずは、上のYouTubeの動画を再生してみてください。なかなか分かりやすい映像ですよ。
 …どうでしたか?なんとも不思議なことが起きてますね。まず、この実験が本当にこのように行われて、このような結果が出たのか、これは自分でやったわけではないので信じるしかない。電子なんていうものもこの目で見たことないし、それを1発ずつ発射するなんて、それこそマンガかゲームの世界のような気がしますが、そこにつっこみを入れると、もう話が進まなくなるので、ここではそういう欲求は我慢しましょう。
 で、この実験で分かることは、電子は、同時に粒子であり波であるということと、観測すると観測者を意識したようなふるまいをするということですね。もうこの二つだけでも、経験知は混乱します。
 私はこの実験の話を知った時、ああこれはお釈迦さまの教えそのものだな、と思いました。その後実際いろいろな立派な方々がそういう解釈のしかたで、ある種の安心を私たちに与えてくれましたが、考えてみれば、それは根本的解決には全くなっていない。方便としては価値はありますが、それが「科学」や「科学を信じる私たち」を本当に救ってくれているかというと、そうでもないですよね。
 最近の私、というか、今日の忙しい私は、これをどう解釈したかというとですね、やっぱり忙しいからか、ある種の投げやり的態度とでも言いましょうか、とにかくこれは私たちの「言葉」が悪いのだと思ったんですね。
 「粒子」とか「波」とか「観測」とか「観測者」とか、それらは確かに経験知的なイメージを持った言葉です。私たちはその、「言葉」が喚起するイメージで、ある事象を解釈しようとしているわけですよね。なんかその時点で、もうすでに間違っているのではないか…と思ってしまったんですよ。
 つまり、私の言語観からしますと、「電子」や「観測者(正確にいうと観測した誰それ)」は言語以前に存在しているけれど、「粒子」や「波」や「観測」は、言語によって生まれた概念であって、それらを全て同列で文章化する…すなわち因果関係をリニアに並べるのは、これは根本的に無理があるのではないかと。
 だから、あえて言うなら、「電子は粒子でも波でもない。電子は電子である。これでいいのだ!」ということになりましょうか。
 そんなこと言ったら、私たちの文脈化されている全ての営為は否定されてしまうし、この駄文にも何の意味もないことになってしまう。いや、実際そうなのかもしれなくて、かの科学的実験とやらも、実はそういうレベルの問題なのではないかという、なんともやるせない究極的に虚無的な結論に至ってしまったわけです(笑)。
 ま、つまり、正直に言ってしまうと、電子があろうとなかろうと、電子が粒だろうが波だろうが、きれいな干渉縞で出ようが出まいが、あんまり自分の人生や日常の生活には関係ないということでしょうか。というか、ほとんどの人々にとって、実はそうなのではないでしょうか。
 量子論を語る際、必ず登場するもう一つの実験がありますね。そう「シュレーディンガーの猫」です。あの実験については、何の罪とがもない猫ちゃんを箱に閉じこめて、そこに青酸カリ入りの瓶を忍ばせるという、その実験のやり方自体、人道(愛猫道)に反しているので、私は問題にしたくありません(笑)。いや、案外そういう不自然で不道徳な実験だからこそ、「半死半生の猫」というワケのわからん化け猫が生じるのかもしれませんね。
 いやはや、結局、「コト」によっては「モノ」を説明できないということですよ。しかし、ある意味「コト」を窮めると再び「モノ」に帰るということで、私がいつもの「モノ・コト論」になっちゃうわけですね。
 さ、現実に帰って仕事(シゴト)しよう。「コト」を為して「モノ」に帰る。これが人生の修行であります。

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コメント

前略 薀恥庵御亭主 様
うぅぅぅん。
素粒子・・・・。
うぅぅぅん。絞殺中× 考察中。
・・・・・・・。
シュレーディンガーの猫・・・
何となく「禅問答」みたいですね。笑
まぁぁぁぁ・・・
えぇぇぇぇ・・・
素粒子の「寿命」は・・・
確か・・・バラバラだったと記憶
いたしております。笑
一秒だったり・・・一年だったり
百年だったり・・・ラジバンダリ。笑
一万年の寿命を持った素粒子
一秒に足らない寿命の素粒子
無量寿や刹那の世界。
光と闇の世界。
仏教と科学の融合ですね。笑
愚僧の場合・・・・
科学の未熟な知識は宗教で誤魔化し
宗教の真理の無知は科学で誤魔化す
タイプの馬鹿野郎です。笑
合唱おじさん   百拝

投稿: 合唱おじさん | 2009.02.01 11:43

合唱おじさん様、おはようございます。
いつもありがとうございます。
たしかに禅問答ですね。
ですから、自分なりの答えを作ればいいような気もします。
でも、科学はそれを許さないんですよね。
私も、宗教と科学、同じくらい好きなので、ついつい融合したくなります。
というか、それこそ双方補い合って全体なのかせしれません。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.02.02 08:12

こんにちは。ご無沙汰しています。引っ越すことになって、それを決断したときは、そのつもりはまったくなかったのですが米国に行くことにして、今米国にいます。

「どうでもいいこと」の重要さ、あるいは「真面目」と「不真面目」の両者のバランス。そういうなが大事だなと、つくづく感じています。

投稿: 龍川順 | 2009.02.04 01:58

龍川さん、おはようございます!
いや、そちらは夜でしょうか。
お引っ越しにあたっていろいろと激励などと思っていましたが、年末年始忙しく実現しませんでした。
すみません。
いやあ、決断とは案外そういうものですよね。
全て、あんまり力んでるとうまく行かなくて、「どうでもいい」感じで「いいかげん」で多少不真面目なくらいが、やっぱり「いい」みたいですよ。
ぜひ「適当に」頑張ってきてください。
ヒル先生にもよろしく!

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.02.04 09:08

前略 薀恥庵御亭主 様
えぇぇぇ・・・・
くだらないコメントばかりですが。苦笑
光子の寿命は・・・・
あっ・・・森光子様の余命ではなく
「こうし」ですね。笑
すみません。
素粒子の光子です。
あぁぁぁぁ・・・
えぇぇぇぇ・・・
光子の寿命は無限ですし・・・
まさに無量寿ですね。
摩訶不思議な世界です。笑
光子は凡人の理解を遥かに
超えた存在です。
それに・・・
光子に子供は出来ないそうです。
えぇぇぇ・・
あっ・・・森光子様とは
当然 無関係です。
言葉足らずですね。苦笑
うぅぅぅぅん。それに
質量もゼロだそうですし・・・・
運動も複雑怪奇。
まぁぁぁぁ・・・当然ですが
アインシュタイン様の
理論は愚僧には全然理解出来ておりません。
それでも御天道様【太陽】の「みひかり」
によって愚僧は日暮しできております。
光子の御蔭で愚僧は生きております。
兎にも角にも感謝感謝ですね。笑
まさに光子は偉大な存在です。
森光子 様も偉大な存在です。
合唱おじさん        百拝

投稿: 合唱おじさん | 2009.02.04 21:06

合唱おじさん様、どうもです。
森光子さん、最近すっかりお変わりになってしまいましたね。
ちょっと心配です。
ちなみにウチのカミさんは「陽子」です。
プロトンですね。
全く粒子のように変幻自在、つかみどころのないヤツです(笑)。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.02.05 21:53

前略 薀恥庵御亭主 様
えぇぇぇ・・・・烏賊× 以下◎
多分 駄文 長文だと。笑
何卒 御許し下さいませ。
アインシュタイン様風に申せば
愚僧が餓鬼の頃・・・・
夕方再放送の「トムとジェリー」の楽しい
時間は「あっ」という間に過ぎ去り・・・
その後の本堂での読経の苦しい時間は無限に
続く感覚でおりました。苦笑
本当に・・・
時間の感覚は「摩訶不思議」であります。
あぁぁぁぁ・・・それから・・・
陽子の寿命は・・・予言
では10の30乗年ぐらいですね。笑
随分と御長寿であられます。
宇宙が出来て150億年・・・・
宇宙の広さは・・・150億光年。
「光年」・・・「光の世界」
「光」が一年間に進む距離は・・・
うぅぅぅん。いけません・・・・
これは痔転×辞典◎を見ないと。
えぇぇぇぇぇ・・・
9兆4600億キロメートルですね。笑
とにかくスケールが「でかい」です。
地球の歴史は46億年ですね。
未来の地球はどうなっているのでしょうか。
うぅぅぅぅん。
科学と宗教といえば・・・
たしか56億7千万年後に弥勒菩薩様が・・・
下生される御予定。
素晴らしい世界の誕生。
弥勒様・・・みろくさま。
えぇぇぇ・・・・
「ミトラ」「ミトラス」などと
呼ばれている太陽神・・・・光明神。
「光」を司りし神様ですね。
うぅぅぅん。
人間は古来より・・・「光」を
求め信仰し修行していたようです。
まさに富士山の「御来光」。山岳信仰ですね。
「不二行者様」の世界ですね。
愚僧も富士山山頂での御来光には
本当に感動しました。
56億7千万年後の「みろく」の世界。
全く新しい世界への期待ですね。
56億7千万年後の「しあわせ」。
「567」の数字を尊んで・・・
「みろくさま」。兎にも角にも素晴しい。
そういえば・・・・
富士講の「食行身禄様」も「みろくさま」
同じく 「村上光清様」も「光は清い」
なんといっても「光」は尊いものです。
うぅぅぅぅん。それでも・・・
学生時代・・・・仏教学を学んでいた頃。
弥勒菩薩様の56億7千万年後の御姿が
「布袋様」だと聞いたとき・・・
こりゃまた・・・随分太られたもんだと
苦笑したことを思い出します。笑
合唱おじさん   百拝


投稿: 合唱おじさん | 2009.02.06 08:08

合唱おじさん様、おはようございます。
本当に宇宙に思いを馳せますと、自分がちっぽけに感じられますね。
でも、そういう気分になることは、案外大切ですね。
あるいは、私達が勝手に線引きしている時間や空間が、全然絶対的でないことを思い出すのも大事ですね。
自分に対するこだわりが、少し弱くなる瞬間です。
そう言えば、王仁三郎さんは、よくコスプレして弥勒にも布袋にもなっていました。
おなかがデップリしていて、実に福々しいし、つい笑ってしまうほど可愛いんですよね。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.02.07 06:56

前略 薀恥庵御亭主 様
本当に「クダラナイ コメント」ばかりで・・・
いつも御迷惑 御掛け致しております。
愚僧も宇宙好きです。笑
コラプサー?違う・・・
ブラックホールですとか・・・
ホワイトホールですとか・・・
宇宙誕生前の虚数時間 等々。
仏教学での「無」ですとか「虚空」
「空の思想」との関連を
考えるのが大好きでした。
現在では・・・仏教より・・・
「指笛」ですとか「歯笛」に興味があります。笑
えぇぇぇ・・・・
宮沢賢治様の「春と修羅」ですとか
光の粒子説の「ニュートン」様の存在を考えますと
宇宙と宗教はとても密接な関係が
あることを常々感じております。
愚僧の愚考ではありますが・・・・
「二重スリット実験」では・・・・
粒子が・・・運動実験確認機器の存在を
認知し行動を変化させました。
まるで何かの意思を感じさせるように。
将来 「宇宙地図」が大完成し
宇宙の全体像が明らかになった時・・・・
世界地図を見て大陸移動説が進展
したように宇宙存在の意思が見えてくるのかも
しれません。
無意味に宇宙の銀河が配置されているのではなく
何か意思というか秩序というか法則というか
そんなのがあるのではと思います。笑
まぁぁ・・・・「宇宙」と「光子」と
「海」と「人間」は親子みたいなもんですから・・・・
何か知ら繋がりがあるのでしょう。
ブラックホールが一種のスリットで・・・
そこに地球が打ち込まれて・・・
吸い込まれた先に「新しい世界」が
待っているのかもしれません。笑
今回 とても楽しくコメントさせていただきました。
本当に有難う御座いました。
合唱おじさん      百拝


投稿: 合唱おじさん | 2009.02.07 09:52

合唱おじさん様、こちらこそありがとうございます。
本職の方からの有難いお言葉に感謝です。
私も宇宙の意思というものにとても興味があります。
昨日付けの記事にも書きました、いわゆる「理性」というものが、その尊い意思を見えにくくしているような予感がします。
観測装置というのも、まさに「理性」の裏付けとして存在するものですから、それによって、真理が歪められているのかもしれません。
つまり、電子がこちらに合わせてふるまいを変えたのではなく、ふるまいの全体像が見えなくなっているだけではないかとも思うのです。
どうしても、私たちは「自然」の現象を、こちらの都合に合わせて考えがちですが、それもまたずいぶんと思い上がった発想とも言えますよね。
案外、私たちが夢の中で見るような世界、「理性」からは一笑に付されるような世界こそが、本当の全体なのかもしれません。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.02.07 15:32

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