『近代ヤクザ肯定論 山口組の90年』 宮崎学 (筑摩書房)
歌謡曲やプロレスを好む者として、そしてそれらを含めて昭和の輝きを忘れない者として、この本は非常に勉強になりました。
まず最初に断っておきますが、私は立場上の理由も含めて、「私も近代ヤクザを肯定します!」とは言えません。書けません。しかし、平成の世と昭和の世を、非常に大ざっぱに比較して、どちらを肯定してどちらを否定するかと言えば、間違いなく「昭和」を肯定します。それが、いわゆる「近代ヤクザ」の時代と重なっているというのは事実であります。
なお、私は姓はこの本で取り上げられている某組の名前と同じですが、直接的な関係はなにもありませんのであしからず。ついでに言っておくと、名の方も本来はその某組の二代目と同じになるはずだったそうです。結局その案は、ひっくりかえすと「登山口」になるという理由で(?)却下されたのですが、現在の名も基本的には同じ意味なんだとか。言われてみればそうですな。
世の中には「法律」というものがあって、いちおう法治国家である日本では、それにしたがっていろいろな利害が調整されていきます。しかし、当然そこには様々な無理が生じます。しょせん法は言葉ですから。そうした「コト」的、デジタル的、白黒的世界から排除された、「モノ」的な存在や事象を、ある意味アナログ的、灰色的に解決してきたのがヤクザさんたちでした。
とんでもない成長を遂げたからこそ随所に歪みが生じていた昭和という時代に、彼らは輝きを放ちました。その時代は、まだお金は「カネ」と呼ばれ、我々人間の欲望の象徴にしかすぎませんでした。
しかし、その後バブルが起こり、それが崩壊し、経済はグローバル化し、市場は自由化され、お金はいつのまにか「マネー」と呼ばれるようになり、私たちの心や体を支配するようになってしまったのでした。
そして、今、日本史上初めて、ヤクザは滅亡の危機に瀕しています。彼らはこのまま消えてしまうのでしょうか。それとも単なるマフィアになってしまうのでしょうか。そして、外国から流れ込んでくる本家マフィアに吸収されてしまうのでしょうか。もし、そうなったら、日本の「悪」もグローバル・スタンダード化し、犯罪もまた世界標準に近づくのでしょう。そして、日本の安全神話は、本当に過去の神話になってしまう。
事実、もうすでにそうなりつつありますね。気がつけば、東京も今までと違う危険を感じる街になってしまいました。田舎でも、たとえば私の職場のあるあたり、昔はヤクザさんがいろいろなことを調整して、そうして街の秩序を保っていたものですが、今となってはすっかり廃虚の街になってしまいました。
プロレスの興行は地方では行われなくなり、祭の雰囲気も変わりました。歌謡ショーなども以前に比べればずいぶんと減りましたね。そして、反対に、都会の大会場に何万人も収容して集金する総合格闘技のイベントやJ-POPのコンサートばかりが目立つ世の中になりました。
つまり、談合もなく、冷戦もなく、手打ちもなく、芝居もない、ただのガチ世界になると、マネーの集まる都会がまるでブラックホールのようになり、田舎の生気を吸い取ってしまうんです。昔のヤクザさんたちは、そうした力学に抗する砦でもありました。
この本は、そうしたヤクザの本質と変質を、山口組という巨大近代ヤクザの歴史をなぞることによって明らかにした素晴らしい本です。彼らをこうして明るみに出すことによって、私たちの、そして昭和という時代の、古き良き「暗部」が見えてくる。まさに「モノ」的世界ですね。ですから、この本は見事な「物語」なのです。
マージナルとアジール…これがこの本のテーマだなと感じました。いずれも日本史を語る上で避けて通れない言葉ですね。それは政治史にしても文化史にしてもそうです。もちろん皇室の歴史を語る上でも、宗教史を語る上でも。
そのマージナルもアジールも、今や消えつつあるわけです。そして、こういう格差社会などと呼ばれる、実に味気ない、温かみのない世の中になってしまいました。時代の要請によって、こうして世界標準化、いやアメリカ化でしょうか、そうなっていくのはしかたないことですが、しかしやはり何か寂しいものを感じるのは私だけではないでしょう。
ここのところ、昭和ノスタルジー的記事を書くことが多かった。美空ひばりとか、ジャイアント馬場とか、かんけりもそうかな。あの時代をもう一度というのは無理な相談です。せいぜい、その頃発達した様々なメディアの恩恵によってそれらを追体験し、その古き良き時代の実感を忘れないことですね。ある意味、そういう記録媒体の発達が、我々の文化継承力を低下させた、そして時代が空っぽになってしまったとも言えますが…。
まあとにかく非常に興味深い本でした。近い時代だからこそ、あるいは自分が育った時代だからこそ、よく分かることがありましたね。つまり、「良き」時代を実現するためには、それを支える「悪しき」存在が絶対に必要だということです。それがユニバーサルな力学なのです。「必要悪」と「不必要善」。その「必要と不必要」、「善と悪」は、法という言葉の上では、そうしてはっきり分けられますが、実は不二一体の存在であり、その総体こそが、我々人間そのものであるのでした。
私たちは今、言葉やマネーといった、自らが作り出した「コト」に翻弄され、その心と体を真っ二つに割られてしまっているのかもしれません。はたして幽閉されつつある「モノ」は復権するのでしょうか。
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コメント
宮崎学の本は、「突破者」以来かなり読みました。最近あまり読んでいませんが、これは面白そうですね。
彼が手がけた神田神保町、東洋キネマ跡付近の地上げ跡地にたたずんでみたこともありましたよ。ただ、実際に街が急速に変わりだしたのは、バブル期よりも最近のタワーマンションブームからのような気がします。世界のアメリカ化が完了する前に、本家がもうすこし傾いてくれて、皆を幻想から覚めさせてくれるといいのですけれど。
投稿: 貧乏伯爵 | 2009.01.21 18:21
伯爵さま、こんばんは。
いやあ、この本面白かったなあ。
いろいろ勉強になりました。
伯爵さまは、このあたり詳しそうですね。
ちょっと前はヤクザではなく外国資本だったりしたんでしょうかね。
ここでアメリカほか外国が弱ってくれますと、ホント古き良きニッポンが再発動してくれそうですよね。
そんなことに期待しちゃいけないのでしょうか。
また、東京を案内してくださいね。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.01.21 22:09