2009年度センター試験国語
昨日のセンター試験の国語、解いてみました。この情報量の多さはなんじゃ!この活字の小ささで新聞見開き4分の3。これを80分でやれとな?まあ、ひでえ問題だなあ…と思わずヤクザな言葉になってしまうほど、いやな問題でした。出題ミスのようなことはないのですが、なんというか、いったいこれでなんの力を見ようとしているのか、さっぱり分からない、というような問題がいくつかありました。
だいたいですね、第1問の評論、栗原彬さんの「かんけりの政治学」、なんで今ごろこれを出すか!?って感じです。これってずいぶん昔の話じゃないですか。私も品川区の旗の台の近くに住んでまして、「かんけり」とかやってましたからね。ま、私の場合もう10年くらい遡りますが。いずれにせよ、四半世紀前の社会学を持ち出されてもねえ。
いかにもニューアカデミズム的というか、ポストモダン的というか、構造主義的な「意味付け」を感じさせる文章でした。私はそういうのが好き、というか、自分もその学問的手法(いや、今となってはそれこそが「遊び」の手法だな)が好きですので、とっても楽しく読めましたが、生徒たちはきっと「かんけりはかんけりだよ!社会の縮図でも演習でもなんでもなく単なる遊びじゃん!なんだよ、コスモロジーって!ww」と思ったことでしょう(それでよろしい!)。
そうした「意味付け」、あるいは「こじつけ」というものの面白さと空しさ、これは私の世代の人間にはよ〜くわかるところです。てか、このブログ自体そういう臭いがしますよね。ああ、ダサっ(笑)。
「人生ゲーム」が出てきた段となっては、もう笑わずにはいられませんよね。でも、今の高校生の親が、まさにそういう世代でしたから、我が家もそうですけど、案外子どもたちとそのあたりは共有してるんですよね。そういうこともあって、まあ生徒たちは、この文章を理解することはしたんじゃないでしょうかね。なるほど〜、そうとも言えないことはない(なんとでも言える)わな、と。
しかし、そこまではいいとして、問いがいけません。文章の理解という次元とはだいぶかけ離れた作業を要求する問いです。間違い探しって国語力なんでしょうか。
まあ、しかたないか、出ちゃったものは。いずれにしてもその作業に時間がかかるいやな問題でした。途中でホントいやになった。とにかく、「遊び」を「社会への演習」だと捉えてまじめに論じているアカデミズム自体が「遊び」であるということに気づけばいいのだ!と(バカボンのパパ風に)叫びたい気持ちでいっぱいです(笑)。すみません、国語のセンセイがこんなんで。
あっそうそう、注の1は「かんけり」についての説明でした。今どきの高校生は「缶蹴り」知らないのか…。
第2問、小説は加賀乙彦さんの「雨の庭」。これも私の世代、70年代の話でしょうかね。ここでも注の1に愕然…いや、ウケてしまった。
1 塵芥の山に火を付けた−当時、家庭の廃棄物を個人で焼却することは禁止されていなかった。
たしかに(笑)。時代は変わりましたね。ジェネレーション・ギャップ。昭和は遠くなりにけり。そういう意味では全問古文みたいなものですかね、高校生にとっては。
問1の言葉の意味を選ぶ問題、これはまた完全に古文でしたね。
ア 無聊に耐えられなかった
イ 沽券にかかわる
ウ 後片づけのはかは行かず
ちなみに当地方では、今でも「はかが行く」という表現をしますのでちょっと有利だったかな。方言とは古い言葉づかい(古い標準語)が残ったものです(とは言い切れませんが、だいたい)。
小説の選択肢にもちょっと微妙なものがありました。結局消去法で一番キズの少ないものを選ぶしかない。センター国語では、いつものことですけれど、なんか虚しいなあ。
その点、第3問と第4問、すなわち古文と漢文(中国の古文)は、比較的読みやすく、また問いや選択肢も素直で解きやすかった。ただ、和歌の修辞法の問題、あれは微妙ですねえ。「表現技法とその効果」って言っておきながら、効果について述べていないものがある。それを選んじゃいけないんでしょうか。単に「表現技法」としておけばよかったのに。惑うではないか。
漢文は新しいタイプの問いもありましたが、全体として易しめでしたね。これまた注が多く、それも含めて時間との闘いだったのではないでしょうか。
という感じで、とにかく文字数が異様に多かった今年のセンターでした。結局、情報処理の早さを測ってるんでしょうかね。まあそれもたしかに世の中では必要な能力ですけれど…。
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コメント
かんけりは、まだ残っているみたいですよ。筑波大学の留学生寮に住んでいる子供たちがやっているとか・・・。
ところで、いま大正時代の伝奇小説を読んでいますが、難しい漢字や当て字が頻出でなにやら古典を読んでいる感じがしています。「鳥渡」で「ちょっと」とかです。いつから、現代文なのかというのは難しいですね。
また、古典(宇治拾遺物語)や漢文の長文引用も多く、当時の読者の教養の高さも偲ばれます。(というか、私はついつい読み飛ばしたくなってしまいます。)
ちなみに作品は富士の裾野が舞台の「神州纐纈城」です。
投稿: 貧乏伯爵 | 2009.01.19 09:46
伯爵さま、こんにちは。
今年は監督なくて良かったですね!
かんけり…今高校生(中国出身)に聞いたんですけど、知ってました。
ただし、テレビでTOKIOと関ジャニ∞がやってるのを見たんだそうで…笑。
あと、「こおり鬼」っていう、鬼に触られると固まっちゃうやつは、中国にもあったと言っております。
いやあ、「神州纐纈城」、面白そうですね!
山梨の、特に甲府盆地方面にはファンがけっこういるそうですよ。
私もあの辺の伝奇小説、いずれ読んでみたいです。
たぶん、私こそ古典の引用は飛ばしそうですが…。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.01.19 17:14
こんばんは。
毎年この時期になると寄らせていただいて
おります。
論説と小説を見て、タイムスリップした思いが
したのは私もまったく同感です。
それはまだよいとしても、
論説の各問いの選択肢チェックが
嫌になったということには同感しつつ、
テストの限界かもとためいきをつきました。
御指摘のとおり、「国語」というより「日本語」の表面的な整合性だけを求めているようで、
同じ古い文章を扱うなら、昨年までの
日本文化論のようなものが読みたいななどと
思ったりしました。
たとえば、昔ドナルド・キーンさんが
指摘されたような日本の文化物の「非対称性」
とか、
伊勢神宮の式年遷宮による究極の永遠性とか
考察した文章などはないのでしょうか?
まだ出題されたことのないタイプだし。
養老先生ばりに
「これこれが日本文化と言わないのが日本文化」
とみなさんお思いなのかな(笑)
おそらく平均60パーセントを
至上命令とされていることに原因があるのでしょう。
出題者たちの苦労も想像はできるので、
勝手なことばかり言ってはいけないなとは
思いながら、何か「これで本当にいいのかな?」
と思う気持ちは否めません。
ここニ・三年、生徒への解説をしていて、
おや、相手は外国人なのかなと思うときが
あるほど、ギャップを感じます。
映像文化や活字離れといった側面ばかり
やりだまに挙げるのではなく、
教育行政や教科書・教材作りにも
ひょっとして責任の一端がありはしないかな
などと。
古文は御指摘の和歌の問いは生徒にとって
難しかったでしょうね。
これだけの検討をさせておいて、
「序詞とはどのようなものでしょうか」とだけ
問うているのと同じですから、
何だかなあ、とも思いましたが。
どこの予備校でも平均点は去年よりは少し下がる
と予想しているようですね。
私も論説の選択肢の厳しさと古文の分量増加も
含んだ内容の難化で最低5点は下がるだろうと思います。
これから英語もやってみます。
お互いに、関わった生徒諸君がうまく
センター試験を踏まえてよい社会の居場所を
確保してくれるといいですね。
また寄らせてください。
投稿: いなかっぺ | 2009.01.20 01:27
日本では「妄想」も評論として扱われているようですから仕方ないですね。世界の常識で言ったら「かんけりの政治学」は評論とは認められないですよ。
日本の児童・生徒は、妄想書きとそれをありがたがる大人たちのせいで世界標準の人間にはなれないようですね。
卒論がネット上の文のコピペだと嘆かれているようですが、まともな典拠をつけていない文をずっと読まされてきたのだからしょうがないですよね。
ちなみに「はかが行かない」は「はかどらない」から連想すれば解けますね。
投稿: monty | 2009.01.20 09:23
いなかっぺさん、今年もよろしくお願いします!
私が言いたかったことを冷静に書いてくださりまして、ありがとうございました。
私は、ついつい感情的になってお馬鹿な書き方をしてしまいました(笑)。
ウチのクラスの生徒は、3年間、朝の20分をかけてセンター形式のテストをしてきました。
ですから100年分以上(!)の過去問を解いたのと同じくらい演習しました。
しかし、結果は他クラスの無勉の生徒(ただし読書家)にトップを取られてしまいました。
まあ、ある意味での国語力を測れているのかもしれませんが、できれば努力が報われる形式、内容にしてもらいたいものです。
生徒の積み重ねや、あと、教師としての私の存在の意味(笑)が、なんだかとっても虚しく感じられました。
ま、私も彼女たちも、実際は悔しがるより、大笑いして終わりましたけれど。
そういう教科、テストなんですよね。
これから二次対策ですが、ようやく自分らしい指導ができそうです。
お互いもう一踏ん張り、生徒達のために頑張りましょう!
montyさん、コメントありがとうございます。
私も全く同感です。
日本のエッセイは、まさに随想・随筆ですよね。
とても世界標準とは言えません。
で、どうせなら、中途半端でなく、昔の学者さんのような文学的な文章を書いてもらいたいものですね。
「はか」については、ちょうどセンターの前々日、古文単語の「はかなし」が出てきたので、方言のほか、ご指摘の「はかどる」「はかばかしい」などの話をしました。
おかげでみんなできたようです。ラッキーでした。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.01.20 18:20
恐らく庵主さんならご存知でしょうが、中学受験の文章からしてえらく長文化してますね。私が昔やっていた「小学国語長文の研究」では、せいぜい2ページ足らずの文章が載っていて長文とされていましたが、今は4ページくらいざらみたいですし。それを50分とかでやろうと思ったら、テクニックに走らないと難しかろうなと思います。昔みたいに、まず全文を読んで流れをつかんでとかのんびりしてると時間がなくなってしまいそうで。
投稿: TKJ | 2009.01.20 22:27
TKJさん、おはようございます。
今年もよろしくお願いいたします。
そうですね。
最近仕事上中学入試の研究をしたんですけど、
ある中学なんか今回のセンターなみの長さでした。
当然、塾ではテクニックばかり教えていますね。
テクニックの全てを否定しませんが、ちょっとどうかと思います。
最近は、センターでも全文読まず答えなさいと指導をしている予備校さんもあります。
私なんか、高校の時、模試の文章に感動してしまって、問題解くのもそっちのけで思索にふけった記憶がありますが…笑
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2009.01.21 08:52