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2008.12.03

『直筆で読む「人間失格」』 太宰治 (集英社新書ヴィジュアル版)

08720468 ンデモな古文書読むのが趣味だからか、音楽でオリジナル主義(という言葉ももう古くさくなってしまいましたかね)というものをやってきたからでしょうか、どうにもこういうものには弱い。いや、どうにもこういうものに弱いから、オリジナル主義に走ったんでしょうかね。
 特に何かと縁のある(この前もやられましたな…笑)太宰の自筆稿となれば、これはもう萌えずにいられるか。
 しかし面白いもので、太宰がけっこう好きな私でありながら、実は世間的に代表作とされる「人間失格」は高校か大学の時にさっと読んで、それこそ「つまらなそうな顔」をしてそれっきり。なんで世の中ではこれほど人気があるんだろう、こんなものよりずっと面白い作品がたくさんあるのに、だいいちちっとも笑えたもんじゃねえ…と、少し太宰風にひねくれたりして、その後全く読み返していませんでした。
 それが、こういう形で刊行されて、ようやく再読する気になりまして、実際読み始めたら、面白い面白い。なんだ、やっぱり笑って読むべきものだったのか、学生時代なんていう自意識の強い、なんともいかんともしがたくいろいろと勘違いしている時期に、ああ青春とはなんぞや、人生とは、世間とは、自己とは、なんてしかめっ面して読むものじゃあなかったのか。
 と、こんな具合。どこか文体も、つまり頭の中の思考回路も太宰風になりつつ、とっても楽しく一気に読んでしまいました。ホント、こりゃあダメな大人にならないとわからん話だし、まあ、どこを取っても普通の人間の半生記という感じでしたね。結局、この「人間失格」という逆説的なタイトルが示すとおり、人間でなくなってようやく「人」になるのかもしれないし、ある意味葉蔵のように人に(特に女に)甘えられる優れた処世術を身につけて、立派な世間の人になっていく話かもしれないし、どんなに社会と自分の間に違和感を持っていても、最後は社会に守られているという可笑しさですね。実にかわいいお話だと思いました。
 そうそう、昨日の数学ガールでも書いたことが、しっかり書いてあって、そこでも笑ってしまいました。「数学の嘘」というやつです。ここで言う「数学」とは、まさに「世間」ですからね。期せずして太宰と同じことを書いてしまった(もしかすると、数十年前の記憶がタイミングよく出てきたのかもしれませんが)。
 「世間とは個人ぢゃないか」という「思想めいたもの」。これはまさに「思想めいたもの」に過ぎず、たしかに「個人」だけれども、その「個人」が決してインディペンデントではなく、お釈迦さまが言うとおりに他者依存的な存在であったというオチですかね。
 手記の最後の「廃人」が喜劇名詞だという話や、「ただ、いっさいは過ぎて行きます」という真理、そして「たいていの人から、四十以上に見られます」という決めゼリフ、全てがそうして他律的で立派な社会性に収斂していきます。
 あとがきの掉尾、「…神様みたいないい子でした」で、完璧に、残酷なほどに救われてしまった葉蔵、そして太宰自身。実に楽しい喜劇ではないですか。
 このたび、こうして太宰の自筆の影印に触れることで、おそらくそこからしか立ち上がってこないであろう「読み」を受け取ることができました。その全てをここに開陳できませんが、とにかく毎ページ面白すぎた。これぞまさにオリジナル(とは言ってもコピーですが)の魅力であります。
 バッハの無伴奏にせよ、源氏物語にせよ、太宰にせよ、こうして遡れる限りオリジナルに近づいてみることは大きな意味があることです。原典でなくてはダメだという狭小な思想ではありません。そうした原典を原点としていろいろと眺めてみるということには、その他の位置に立って目を凝らすよりも大きな発見と歓びがあるのは確かだと思うんです。楽譜にせよ文字にせよ、手書きのものに活字以上の情報が記憶されるのは当然です。
 こうして私もワープロで文章を書いていますが、こんなデジタルな時代にこそ、アナクロでアナログなメディアに触れて一服するのもいいのではないでしょうか。そう、まさに一服の茶の体験ですよ。一期一会。当事者との一体感。この前の観世寿夫ではありませんが、天才自身の「離見の見」に乗っかっちゃって、ちゃっかりおんなじ風景を見させてもらうのです。
 このシリーズ、ぜひぜひもっともっとたくさん出してもらいたいですね。作家本人は苦笑いするでしょうけど。

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