『フェルメール展〜光の天才画家とデルフトの巨匠たち』 (東京都美術館)
今日は日欧バロック三昧とでも言えましょうか。実に面白い一日でした。
まず、朝早く富士山を出発しまして、武蔵境に車を置いて電車で上野へ向かいました。上野には、私に運命を変えられた(?)教え子二人が待っていました。二人とも才能あふれる芸術家(芸能人)の卵です。
3人でまずはフェルメール展を観覧。持つべきものは教え子ですなあ。開場前からものすごい入場者の列ができていたんですが、私はある正当な理由によって(決して裏口からとかではありませんよ)、無料ですんなり入ることができました。ありがたや。
この展覧会の事情に詳しい一人の教え子によりますと、とにかくあのTBSの番組以来、とんでもなく人が増えたとのこと。さらに、あの番組を観て、「青いターバンの少女」や「牛乳を注ぐ女」や「絵画芸術」なんかがあると思って来場する人がずいぶんらしい。それである意味がっかりして帰って行くとか(笑)。いけませんねえ。
まず、感想の最初にこのことを言っておきましょう。東京都美術館は渋すぎる。せっかくのフェルメールの魅力が半減です。もともとあの建物の構造はいただけませんし、もう少しディスプレイや装飾に工夫があった方がいいのではないですか。でっかい企業がスポンサーになっているんですから、そういう努力もしないと。それこそ昭和40年代の美術展の雰囲気でしたよ。ま、たまにはそれもいいか。でもなあ、あの階段にペタペタ貼られた色ビニールテープによる矢印はないでしょう。あれじゃあ、大学の学園祭ですよ(笑)。あっそうそう、一部屋だけ床がデルフトスタイル(白黒の格子模様)に改装されてましたっけ。そのいちおうやってみました感もちょっと…。
さて、そんな愚痴はいいとして、フェルメールです。私は本物を見るのは初めてです。こちらもまず一言。おそらく日本人はフェルメールを買いかぶりすぎではないかということ。他のデルフトの画家たち(巨匠なのか?)と比べると、たしかに彼の技術とアイデアは優れていますが、いわゆる歴史的な巨匠たちからすると、その作品から発せられるアウラはちょっと弱いように感じられました。とりあえず、ルーベンスやレンブラントほどではない。
いや、私は大好きなんです、彼の作品。でも、それが超一流かと言われるとそうとも言い切れない。そうですね、ちょうどフェルメールと同時代作曲家兼演奏家であるスヴェーリンクと同じような感じです。私は彼の鍵盤作品も大好きですが、では芸術的価値がたとえばバッハやクープランなどと並び称されるかというと、ちょっと疑問です。もちろん、その芸術価値とか言うものの実態が何かよくわからない上に、それが作品の同時代的意義を決定するものではないことは解っていますがね。
と、また前置きが長くなってしまいましたが、そうですね、今回フェルメールとその周辺の画家たちの作品をじっくり観て感じましたのは、やっばり彼らがバロックであるということです。つまり、ルネサンスやマニエリスムと、新古典主義に囲まれたとっても特殊な時期の作家であり作品であるということです。フェルメールの作品もそうですが、宗教的な画題に挑戦するよりも、日常的な時間と空間の切り取りに精根が注がれます。そして、そこに潜むフィクション。ある意味露骨なウソや思わせぶり。
よく言われる光と影の極端なコントラスト。前にも書きましたが、これはある意味写真的なラチチュードです。またいかにもカメラ・オブスキュラ的な遠近感。これは自然主義、あるいは写実とは明らかに違う指向です。しかし、一方でフェルメールはそのフィクショナルな遠近法にさらにフィクションを重ねている。「小路」がそれですね。これは片目で見ると、北斎並みに脳が混乱して面白いですよ。
あとはなんと言っても、女性のいかにも思わせぶりな態度ですね。窓の外の「何か」に気を取られたり、手紙の中の「何か」に没頭したり、いきなり「はい、写真撮るよ」的ないかにもなカメラ目線になったりとか、とにかく画面の外にわざと主人公の意識を放り出すんですよ。これはずるいし巧い技法ですね。その意識の先に何があるんだろうというような、まあ、そういう謎チックなところが日本人好みなんでしょうけど。
でも、こうした作られた演劇性というか、胡散臭い生命感というのが、いかにもバロックなわけです。これは重要なことです。ある意味それがとっても人間的な結果になるわけですから。人間の存在の本質がそこに現れていると思いますよ。
というわけで、実はとっても楽しめた展覧会でした。そういうちょっとひねくれた観点からしますとね、会場の最後にあった、フェルメール全作品の実寸大パネルと、商魂たくましいショップの商品たちこそ、一番面白かったかもしれない。実際、そこが一番賑わってましたし。
そうそう、古楽器奏者としては、フェルメールに限らず多くの作品に描かれていた当時の楽器を見るだけでも面白いですね。あの10個のペグがついていた擦弦楽器は何なんだろう。共鳴弦があるようにも見えたけど、ヴィオラ・ダモーレにしてはでかかったな。ちょっとカッコよかった。
さて、都美術館をあとにした私たちは、まずは教え子の母校である芸大を散策。私、実は初めて入りました。憧れの芸大に。いかにもなムードに、ちょっとしたジェラシーすら感じてしまいました。これに比べて私の出た大学は…笑。
さて、そのあとは、上野から谷中付近を散歩。うむ、これは面白い。縄文と江戸と昭和が水平的に地層になっているぞ。いや、もちろん垂直的にもあるんですけどね。あっそうか、つまり波のグラデーションか。遠くから眺めると、それぞれが干渉し合って独特の「TOKYO」の妖しい色彩になるんだな。
散歩の終着点は根津のおいしいあんみつ屋さん「芋甚」。私は「アベックまめかん」といういかにも昭和バロックな(?)メニューを注文しました。いやはや、ふだんあまり甘いものを食べつけない私ですが、この微妙な塩加減には感動しましたぞ。う、うまい…。そして昭和焼きをお土産にいただきまして、恐縮です。持つべきものは教え子ですな。
さて、そこから今度はもう一人の教え子を連れて千駄ケ谷に移動しまして、バロック・アンサンブルの練習です。いろんな意味でバロックを味わってきたので、調子よく弾けるかと思いきや、なんだか、どうもイマイチ。変な迷いが生じている。理屈をこねすぎて、バロックの逆襲を喰らったか(笑)。ま、単に自宅練習が不足しているのでしょうが。
ところで、演奏に難渋しながら思ったんですけど、もともと、バロックの絵画も音楽も、金持ちの生活のバック・グラウンドみたいなもんじゃないですか。それをああやって展覧しちゃったり、こうやって演奏会形式で披露したりして、その作品たち、なんとなく居心地悪いんじゃないかな。じゃあ、どうすればいいかなんて、わかりませんし、だいいち、ここは平成の日本ですからね。もうすでに充分フィクションですよ(笑)。ま、とにかく純粋に作品や作家に敬意と愛情をもって、真摯に取り組めばいいということですかね。
と、非常に濃厚なスケジュールをこなし、そして、東京で模試を受けたクラスの子を拾って富士山に帰ってきたのでした。ああ、面白かったなあ。
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