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2008.11.22

習う=忘れる(その1)

1 道を習ふといふは自己を習ふなり、自己を習ふといふは自己を忘るるなり(正法眼蔵「現成公按」)。
 道元禅師のあまりに有名であまりに深い言葉です。私たちはいろいろなシーンでいろいろな意味でこの言葉を味わわなければなりません。
 今日はちょっとこの言葉について考えることがあったので、記録しておきたいと思います。以下はあくまで私の解釈ですので、その点ご了解ください。私は専門家ではありませんから…。
 仏道とは世の摂理を知ることに相違ありません。すなわち仏道という言葉には、世の学習や習い事のみならず、私たちが日々習得していく全ての知識や技術、仕事や知恵など、本当に生きていくこと全てが含まれると言っていいのです。
 仏教の教えでは、宇宙と自己は全くの等価です。自己は全ての他者によって成り立っているし、宇宙の存在もまた私という存在に依存しているからです。どちらが全体で、どちらが一部ということはありません。ですから、「仏道を習ふ=自己を習ふ」というのは、実は単純な公式なんですね。
 では、次の等式「自己を習ふ=自己を忘る」とは、どういうことでしょう。
 仏教の教えはスケールを変えて考えるとわかりやすいものです。ここでは、一気にスケールを縮小して卑近な例で考えましょうか。
 たとえば私がヴァイオリンを弾けるようになった過程を思い出してみます。もちろん最初はまったく思い通りにならないものでした。一生懸命腕や手首や指をコントロールしようとするのですが、なかなかうまくいきません。しかし、3年くらいしますとそれなりになってきます。教本を使ったり、先生や先輩に教わったりしながら、次第に慣れていったのでしょう。もちろん今でも思い通りにならないことだらけですが、それでも、ずいぶんとできることも増えました。そのできることというのは、すなわち無意識にできることなのです。つまり、コントロールすることを「忘れ」ていることなんですね。
 こういうことは、言語や、あるいは車の運転、いや歩くことなどの習得にも共通のことであると、誰しもがすぐに想像できます。
 つまり、私たちの「習う」という行為は、「慣れる」という現象であり、それは意識から無意識への変容のプロセスのことだとも言えるのです。
 そうしますと、「自己を習ふ=自己を忘る」という等式も案外明快なものであることがわかりますね。そして、最初の仏教的公理「仏道=宇宙(世の全て)」=自己」を代入するなら、そこにまた様々な等式が成り立つことに気づきます。
 これをまた卑近な方向に持っていきまして、私の「モノ・コト論」で説明しますと、「習ふ=忘る」とは「モノ→コト→モノ」という流れになります。つまり、「自己の外部(無意識)→自己の内部(意識)→自己の外部(無意識)」ということです。
 まさに「ものにする」とはこういうことで、ある行為を無意識のうちに成し遂げることができるようになることです。
 逆に言えば、何ごとも考えているうちはダメだということでしょうか。禅ではそのことを強く戒めますよね。不立文字、教外別伝。
 宇宙の摂理を知るにも、私たちは最終的には理屈から抜け出さねばならないのです。本来我々は宇宙と等価であり、その摂理に自然に則って生きているべきでした。しかし、人間は進化してしまったのか、退化してしまったのか、本来ものにしていたはずのことを忘れてしまい、それで一生懸命に勉強したり修行したりして、それを取り戻そうとしているのです。
 いや、ほとんどの人間は、そんなことを考えもせずに、宇宙の摂理に反して暴走してますかね。いちおうこれも仏教的視点と「モノ・コト論」ですが、ちょっと視点を変えて我々人間の愚かさを考察してみましょうか。
 (その2に続きます)

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コメント

前略 薀恥庵御亭主 様
私も門外漢です・・・。笑
私の親父は現在 認知賞×
認知症◎であります。
昔の厳格な親父にくらべますと
何となく・・・
丸くなったような・・・
味が出てきたというか・・・
なかなか いいもんです。笑
大変 達筆な父でありました。
「書」の能力は失いましたが
別のなにか大切な「もの」を
得たようです。
愚僧も何時(いつ)か・・・
積み重ねてきた何かを失う。
そのかわりに何か もっと
尊いものが得られるのかも
知れないと「つまらん」
欲を出しております。
この事は愚僧の「門外腐出」の
愚考の極みで御座います。笑
合唱おじさん  拝

投稿: 合唱おじさん | 2008.11.23 18:00

合唱おじさん様、おはようございます。
門外漢だなんて…とんでもございません。
実に尊い教えをありがとうございます。
この記事はずいぶんと長くなってしまったので、3日に分けて掲載いたします。
のちに「積み重ねてきた何かを失う」話も出てくるかと思います。
別のなにか大切な「もの」…もしかするとそれが最も尊いのかも、ですね。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.11.24 06:59

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