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2008.11.11

『爆笑問題のニッポンの教養 「日本語って“ヤバい”」~日本語学 山口仲美」』(NHK)

20081111_1 日は帰宅後一仕事して、NHKの興味深い番組を続けて観ました。
 まずは「クローズアップ現代」で「ニッポンを主張せよ~アーティスト 村上隆~」。芸術と商売の関係が面白かった。ポップアートが日本古来の伝統を受け継いでいるという彼の主張には完全に賛成します。いつも書いている通りですね。あと、バブルの怖さ。彼の作品が数億円で取り引きされるのは、これは昨日の「水」の話ではありませんが、たしかにバブルですよ。ゲージツなんて、まあ水物ですからね。
 そして「プロフェッショナル仕事の流儀 トークスペシャル」。自分のアイデアにこだわる「コト」派の宮崎駿さんと、日常の風景を自然に吸収する「モノ」派の柳家小三治さんのコントラストが面白かった。
 続けてこの爆問学問。前の二つの番組で味わったアートや言葉、つまりそれらは「仕事」…「コトを為す」ということそのものですね。その流れでこの番組を観ましたので、より興味深く観ることができたような気がします。
 今日の教養人は「日本語の歴史」の山口仲美さん。爆笑問題の二人も「言葉」を仕事道具にしているわけだから、話がうまくかみ合っていたと思います。太田はいつも言葉と戦っていますね。今日も言葉の重みに耐えられないというようなことを言っていました。また、山口さんに「ラムネ」と言われてました。言葉が喉で一度つかえて、そして選ばれて出てくると。なるほど。喉のところで戦ってるんでしょうね。
 一方で言葉に救われている面もあると。田中が「(言葉は)病気にも薬にもなる」と言っていました。たしかに太田はこの前のこの番組では「言葉で表現し合うことの快感」を語ってましたっけ。感情が言葉によって馴致されるんでしょうね。言葉は箱ですので、そこに片づけて整理されるんでしょう。
 まあ、それこそが「コトノハ」の「コト」化作用そのものとも言えます。「モノ(外部・不随意)」であるモヤモヤした感情を「コト(内部・随意)」にするわけです。ああ、そうだ。山口さん、こんなことも言ってましたね。日本語、日本人は抽象的・論理的なことを表現するのは苦手だが、具体的・感覚的なことを表現するのは得意だと。まあ、よく言われていることです。最近私も書いた萌え=をかし」なんてまさにそれですよね。清少納言なんて、まあ枕草子では理由なんか全然述べずに、とにかく「をかし」「をかし」言ってる。いや、ホント見事に理由は割愛してますよ(笑)。徹底していて痛快です。
 で、あと山口さんも指摘していたし、昔からよく言われていることですけど、日本語の形容詞はネガティヴなものが多いんですよね。感情的にネガティヴ。そうそう、私は生徒によく言うんです。なんだか知らない形容詞が出てきたら、とりあえず「不快」って訳しとけって。それでだいたい当たるからって(笑)。
 これは、つまりですね、ちょっと話が複雑になっちゃいますが、こういうことです。
 この世の本質は、お釈迦さまが説いたように、どう考えても、どうあがいても「無常」であり「不随意」な「モノ」です。それは、我々人間にとっては、やはり「不快」なことですよ。で、その不快感をなんとかしたいというのが我々の欲求なわけでして、西洋では「言葉=ロゴス」によって、自分の外界の方を箱に入れて整理しようとした。哲学や科学やキリスト教なんかそうですね。
 一方、日本では自分の側を箱に入れて整理しちゃったんですね。向こうはどうも整理しきれないぞと。それ以前に、整理するのは恐れ多いと思ったかもしれません。とにかく早い段階で諦めちゃったんですよ。それが実は「もののあはれ」です。で、仕方ないから、日常では逃避的に世の真理(マコト)から目をそらして、自分の都合で時間や空間を微分して、箱にどんどん入れていった。「をかし=萌え」ですよ。オタク的行動です。
 ですが、あくまで、それは暫定的措置であって、自分たちが実は「もののあはれ」から逃げているんだという罪の意識のようなものもあったんですね。それにちゃんと向かい合ったのが、たとえば源氏物語だったりするわけですよ。
 だから、西洋のロゴスとかランゲージとかと、日本の「言の葉」とは、機能も性質も全く異なるんです。そう、今日山口さんも言ってましたね。抽象的・論理的な「コト」の必要に迫られると、それを処理する箱がないから、仕方ないので漢語やカタカナ語をどんどん導入してしまう。なにしろ自分から遠いところから逃げてましたからね。世の中全体を考えたりするのを避けてきましたから、言の葉では処理し切れない。
 現代、そうして我々は「言の葉」と「ロゴス」という二種類の箱というか、もう全然ベクトルの方向が違う道具の狭間でフラフラしてるんですよね。今日も取り上げられていた絵文字なんかも面白い存在です。あれは、まさに「言の葉」ですよ。あれで世界は表現できませんし、そこから科学も哲学も生まれません。でも、とっても機能的だし、我々の役に立ってますよね。ロゴスへの現代的なアンチテーゼであります。
 と、なんとも長くなってしまいました。こうして私が書いているのはいったいどっちなんでしょう。私はどっちも好きなんですけどね。で、なぜかこのブログでは絵文字は使いたくない…。

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昨日の爆問学問は、日本の疑問とも言うべき内容だった。 心地よい時の表現の形容詞より、ネガティブな感情表現の形容詞の方が圧倒的に多いなどという話は面白いというかなるほどなぁ〜と思わされた。 このあたりを研究すると面白そうだ。 また平安時代だったか?古い時代は助詞がなかった。 名詞と形容詞と動詞を並べただけの表現だったなんて言うのも面白かった。 本乙なのかどうか納得するために自分で調べたくなった。 爆笑問題のニッポンの教養 | 過去放送記録 | FILE054:「日本語って“ヤバい”」 | 山口仲美(や... [続きを読む]

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