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2008.10.03

今こそ「八百長」の精神を!

118659_c450 の大相撲八百長訴訟で、横綱の朝青龍が出廷して証言しましたね。ああ、大相撲もとうとうここまで来ましたか。終わりですね。
 これはプロレスは八百長かという議論に似ていますが、プロレスではチャンピオンが出廷して「八百長ではありません!」とは証言しないでしょう。朝青龍はまたウソをついてしまいました。
 いや、朝青龍は「がちんこ」しかしていないかもしれません。ただ相手はどうかわかりませんね。
 もともと、相撲は本来の「八百長」によって成り立っていました。本来の、ということは、今世間で言われる「八百長」の意味が、間違っていると思うからです。御存知のように、八百長という言葉の語源は、次のように説明されます。せっかくですから、日本国語大辞典から引きましょう。

〔名〕
(八百屋の長兵衛、通称八百長という人がある相撲の年寄とよく碁をうち、勝てる腕前を持ちながら、巧みにあしらって常に一勝一敗になるように手加減したところからという)

1 相撲、あるいはその他の競技で、前もって勝敗を打ち合わせておき、表面だけ真剣に勝負を争うように見せかけること。
*万朝報‐明治三九年〔1906〕四月五日「ワザと決勝点間際で自分から落車し、暗々裏に此の勝負の八百長である事を示して」

2 転じて、一般に、前もってしめし合わせておきながら、さりげなくよそおうこと。なれあい。
*明治叛臣伝〔1909〕〈田岡嶺雲〉総敍・二「八百長(ヤホチャウ)や冗談にするのでない、真剣である、真面目である」
*明治大正見聞史〔1926〕〈生方敏郎〉明治時代の学生生活・一一「どうもこれは客と高座と馴れ合って、八百長的に題を出すらしかった」

 もう一度言います。相撲もプロレスも本来の「八百長」によって成り立っていました。ある意味それが本質であるとも言えます。相撲もプロレスもスポーツではありません。興行(見世物)であり神事です。そこから「八百長」を取ってしまったら、どうなるでしょう。そう、今の相撲界になってしまうんです。
 興行のストーリー性が失われ、一番一番の相撲が味気ないものになり、けが人が続出、絶対的な王者が不在になり、単なる混沌が残るのみ。ひどいことです。がっぷり四つに組んで土俵際から押し返すなんていう相撲はもう昔の話。
 プロレスはどうだったか。たしかにこの10年は大変でした。それについては、こちらに書きましたね。そして、あの総合格闘技が生まれ人気を博しました。しかし、一方でプロレスは本来の「八百長」精神をさらに強固にし成長させて再びその人気を得ようとしています。この前のキャンプ場プロレスなんか、ガチンコでできる世界ではありませんね。
 相撲も考えてみれば、前日に翌日の取組を決めるなんてところだけを見ても、絶対にスポーツではありません。それこそ言い方によっては八百長です。興行が盛り上がるように取組を決めていくわけですからね。
 こんな無粋な論議が起こる前には、本当に人々を楽しませる相撲が多かった。つっぱり合い、水入り、多彩な技…。今、相撲はまるで総合格闘技のようにパターン化しています。純粋に勝つための方法というのは、実はとっても少ないのです。経済の世界と一緒です。ずるいことをしてでも、相手をケガさせても勝てばいいのです。そんな相撲を誰が喜んで観るでしょうか。神様だって怒ります。
 だいいち、八百長という言葉の裏側に「がちんこ」という言葉があったこと自体、相撲やプロレスの本質が本来の「八百長」にあったことの証明です。どちらかというと「がちんこ」の方が非常事態だったんですね。ただ、たまに起きるその「がちんこ」という非日常性(!)が、全体の良きスパイスになっていたことは確かです。相撲においてもプロレスにおいても。それは一つの事件でしたから。それこそ訴訟になってもおかしくない事態ですよ。
 もう一度「八百長」の語源を確認しましょう。
(八百屋の長兵衛、通称八百長という人がある相撲の年寄とよく碁をうち、勝てる腕前を持ちながら、巧みにあしらって常に一勝一敗になるように手加減したところからという)
 長兵衛さん、相手に気を遣い、あるいは観客に気を遣い、大いに盛り上げ、その時間を演出によって濃密かつ幸福なものとしたわけです。一勝一敗に持ち込んで、盛り上げて、最後は自分が勝ったわけですよ。プロレスの三本勝負ですな。で、年寄も自分も観ている人も満足する。何が悪いんですか。
 これがどんな相手にもガチで挑んで、こてんぱんにやっつけるような長兵衛さんだったら、きっと嫌われますし、相手も不快なだけ。みんな不幸になりますよ。そんな世界、無粋すぎます。
 つまり今回の一件は、週刊現代すなわち講談社が無粋の発端です。板井も痛い。たしかに馴れ合いとカネの算段が行きすぎていたことは事実です。しかし、だからといって根底から覆さなくてもよかったのでは。
 あ〜あ、これも小泉改革の歪みでしょうか。談合の全てが素晴らしいとはいいません。しかし、昨日の話ではありませんけど、本来の不公平を互助意識によって再分配するのも一つの智恵だと思いますよ。ガチは単純な勝ち組と負け組を作るだけです。格差を生むだけです。そして、みんなが疲弊します。ムリ・ムダ・ムラを排すると、そこにはそういう寒々とした風景しか残りません。

石原都知事の発言

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コメント

昔の富士櫻対麒麟児なんて、勝負だけを考えたら絶対にありえない。先代貴ノ花がらみの水入り大相撲とか。「自分の相撲をとりきる」ことと勝負とは時には別。

朝青龍は、ガチンコを通り越して相手をたたきのめし、ぶちこわすところまで行ってしまった。それを非難されている一方で、八百長疑惑というのもよくわからないですね。

最近では、本当に客を楽しませるような取り組みがあまりに少ない。

投稿: AH | 2008.10.04 21:40

AHさん、こんばんは。
まったくねえ。困ったものです。
まさに私も富士櫻対麒麟児、貴ノ花のことを思いながら書きました。
明日は私たちは音楽を奏で切りましょうね。
そうすればお客さんも喜んでくれますよ。
思いっきりアンサンブルしましょう!
音楽にはある意味八百長精神が必要ですね。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.10.04 21:54

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