『現代殺人論』 作田明 (PHP新書)
宝くじに当たる確率と人に殺される確率(あるいは人を殺してしまう確率)と、どっちが高いんでしょうか。まあ、宝くじに当たって殺されちゃった不幸な人もいましたが。
なぜ人を殺してはいけないか、という実に純真な、しかしはなはだ純真ならざる問いに、うぶな大人が振り回されてもう何年たったのでしょうか。なんとなく懐かしささえおぼえます。それについては、前田英樹さんの「倫理という力」という名著で一つの決着がついたと思っています。決着も何もありませんけどね。
私は、その妙な問いを聞いた時、じゃあ「なぜ人は生きなきゃならないのか」という問いにも答えなくちゃいけないじゃん!って思いました。あと、「なぜ人は人を殺すのか」が先じゃないの?とも思いましたっけ。前者の問いにはやはり決着も何もないと思いますが、後者の問いには答えがありそうですね。
今日読んだこの本は、そのへんについてヒントを与えてくれます。多くの実例が挙げられているので、その中に「なぜ」の答えをある程度見つけることができるでしょう。
その答えはさておいて、この本を読んで思うのは、同じ作田さんの書「性犯罪の心理」を読んだ時と同じように、その世界が案外身近だということです。それはある意味戦慄の事実ですよね。自分は「殺人」なんていうものからはほど遠いと、ほとんどの人は思っているでしょうから。
しかし、作田さんは言います。殺人とは他者の存在の排除の究極の形であると。また、ある人を疎んで「いなくなってほしい」とか「消えろ」とか思った時点で心の中で殺人をしたとも言えるのでは、と(少なくともイエスはそう言うだろう)。そう考えると私たちは案外たくさん殺人を犯しているかもしれません。
まあ、そういうキリスト教的解釈が正しいかどうか(…私は否定的です)というのは別として、たしかにそういう感情の先に人殺しという事態が発生するのは事実でしょう。しかし、我々は殺人というある意味でのゴールがとんでもなく遠いと思っているのが普通ですね。私もそう思っていました。でも、この本を読むと実はそんなに遠くないどころか、すぐ隣り合わせにそこにあるということに気づきます。
ああ、そう言えば、時々夢見るよなあ。なんだか人を殺しちゃったらしく、自分がひどく動揺したり、いかに隠蔽しようか狼狽している夢。皆さんはそういう夢見ませんか?私は1年に一回はあるんですよ。誰を殺したとか、どうやって殺したとかは全然分からないんですけど、もうすでに殺人犯なんですよ。そこから始まる。
で、目覚めてホッとするんですけど、なんかすごくイヤな気持ちになります。もしかして前世で人を殺してるんじゃないのかな、とか。まあ、ある意味そのくらい自分の潜在意識の中には可能性があるわけですよ。たぶん、それが殺人と自分の本当の距離なのではないでしょうか。
「性犯罪の心理」でもそうでしたが、そういう際どい自分の存在にドキッとしました。もちろん、加害者としてだけでなく、被害者としても同様の距離というのがあるはずですけど、それもまた普段ほとんど忘れ去られていますね。いつそういうことになるか分からない。宝くじが当たるかもしれませんし。
そんな普段の意識の上での殺人に対する遠距離感というのは、日常の言葉の上にも表れています。今日も模擬試験を受ける生徒に言いました。「ケアレスミスをしたら殺されると思って、そのくらいの緊張感でやれ!」と。もちろんみんな笑ってます。また、生徒たちの日常では、仲がいい者どうしよく「死ね」とか「殺すぞ」とか言い合います。もちろんお互い笑いながらですよ。よく世間で言われるように、そういう言葉を言わなければいいという単純なものではありません。その場の空気の中で、それらは非現実的な、とても柔らかい表現ともなりうるのです。私は前にも書いたように、管理教育的で盲目的な言葉狩りは大嫌いです。それこそ言葉に対する無差別…いや差別的殺人行為ですよ。
まあ、それはいいとして、とにかくそういう遠距離感というのが、実はとても大切であり、常にそれを意識的に持っていれば、突然隣に殺人という実行為が現れることはないとも言えますね。そのためには、実は近くにあるということをも常に意識していなければならないのです。
やっぱり人間は特別だよなあ。実は他の動物でも同種どうしの殺し合いがあるらしいのですが、いずれにしても人間はずいぶんと日常的に同種殺しをしますよね(戦争も含めて)。利欲にせよ、隠蔽にせよ、葛藤にせよ、またある種の精神疾患や人格障害にしても、人間が余計な知恵を身につけてしまったから起こることです。また、二足歩行で手が自由になったというのもありますね。首を絞めての殺人とか、ほかの動物じゃできません。あともちろん道具の発明と使用ですね。刃物と拳銃がなければ、ずいぶんと殺人事件も減るでしょう。
つまり、人間が人間らしくあるかぎりは殺人の条件は揃ってしまうわけでして、どうにも解決のしようがない問題だということにもなってしまいます。困ったものです。まあ、宝くじにも当たらないように、また殺人事件にも関わらないように願うだけです。
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コメント
殺人事件なんてそんじょそこらに転がっていますよ。世の中に溢れかえっていることはもちろん、最近ウチの近所で起きた殺人事件も未解決のままですし。桑原桑原。
>その世界が案外身近だということです。それはある意味戦慄の事実ですよね。
私にしてみれば逆に身近に思えない方が戦慄ですね。殺人報道の無い日なんてありませんし、地下鉄サリンの被害者は目の前に住んでおります。友達が元オーム信者だったりしてね。人口密度の多い所におりますと、対岸の火事だとしてもその川幅は相当狭いです。
過剰に神経質になることはないですが、何事にも普段から、さりげなく気をつけておくことは重要だと思いますよ。
投稿: LUKE | 2008.10.26 23:38
そうですね。実際にはかなり身近です。
それを知りながら遠ざけるというのも大事なような気がするんですよね。
平和なウチの村でも、数年前に無差別殺人がありました。
どこか別の土地から流れてきた男が、捕まりたいという理由で村の若い女性の命を奪ってしまいました。
恐ろしいかぎりです。
あと、ウチの隣は樹海なので…いろいろと。
考えてみると、都会より死体が転がってますな、こりゃ。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.10.27 13:58