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2008.10.11

『生きた、描いた、愛した~モディリアーニとその恋人の物語~』 NHKハイビジョン特集

E0039879_2222553 家モディリアーニとその妻ジャンヌ・エビュテルヌの激しくも切ない愛を描いたドキュメンタリー作品です。一人娘のジャンヌが書いた両親の評伝をもとに基本再現映像でまとめあげた力作。
 私もモディリアーニは比較的好きでしたし、神秘的な妻エビュテルヌのことは藤田嗣次の関係で知っていましたし、昨年彼女の作品が日本にも来ていたことも知っていました。しかし、なかなか評伝も読む機会がなく、展覧会にも行けず、またこの番組の本放送も見逃して、なんとなく忘れかけていたんですね。それが、今日たまたまテレビをつけたらやっていた。非常にラッキーでした。
 モディリアーニは大変ないい男で、もちろん才能もありましたから女にもてたと思います。実際いろいろな女性とつきあったらいしのですが、やはりエビュテルヌとの出会いは特別すぎました。まあ、写真をご覧になってわかるとおり、彼女はほとんど悪魔ですね。男はそういう悪魔にとりつかれて、その才能を開花させ、そして死に至らしめされるものです。
Img20070514_1_p モディリアーニは結果として夭逝の天才となってしまったわけですが、当時としては不治の病である結核を患っていたのですから、いずれにしても死は避けられなかったことでしょう。エビュテルヌは彼の残された短い人生を、彼の想像を超えて輝かしいものにしました。もしかすると、彼女がいなければモディリアーニはここまで高い評価を得なかったかもしれません。
 たしかに、ずいぶんと振り回されたようです。なにしろ、エビュテルヌは若くて美しい。絵の才能も並外れていて、モディリアーニも正直一目置いていたようです。そして、どこか憂いを秘めた暗さがあり、物静かだが時に理解不能な行動もする。モディリアーニにとっては、彼女は美の女神であると同時に、どうしても思い通りにならない悪魔のような存在でもありました。
 結局、ご存知の通り、モディリアーニが亡くなった2日後に、彼女は二人目の子どもをお腹に宿したまま飛び降り自殺をして彼のあとを追いました。あまりに哀しい結末です。彼女の家族にとっては、モディリアーニこそ悪魔だと思ったことでしょう。実際当初、二人は別々の場所に埋葬されました。カトリックの信者だったエビュテルヌの実家では、ユダヤ人のモディリアーニはまさに悪魔だったのです。
9 この番組を見終わって一つの感想を抱きました。それは、あのモディリアーニの目のことです。そう、彼の作品の特徴の一つである、あの瞳を描かない平面的な目のことです。
 彼自身は瞳を描かなくとも、充分にモデルの内面を描けると考えていたようですね。つまり、「目は口ほどにものを言」いすぎると感じていたのでしょう。私もそう思います。画竜点睛の難しさたるや、これはもう一度は絵を描いたことがある人は必ず理解できるはずです。現代のアニメやマンガなどで、逆に瞳を大きく描いたり、あるいは全体が黒目になってしまっているのは、きっと逆の発想ですね。記号化することによってパーソナリティーを排除しているのだと思います。あくまでキャラであって、生身のパーソナリティーは必要ありませんから。
 数多いエビュテルヌの肖像には、瞳を描いているものもあります。それは案外普通のかわいい少女像という感じですね。実際の彼女は非常に眼光が鋭かった。それがとても優しくなってしまっている。ある意味モディリアーニの理想のキャラ化が行われてしまっていて、絵としては力を失っているような気がしました。
406pxmortejeanne 今回の番組で紹介された絵の中で最もショックだったのは、エビュテルヌが自殺の寸前に描いた4枚の絵のうちの一つである、これでしょう。これは怖い。ここでは二人の目は完全な虚空になってしまっています。モディリアーニはそこに青などの色を塗ることで、生命感を保持する方法を発明していましたが、この絵にはその色さえありません。白というより、本当に何もない透明な空間が広がっています。我々は無限に広がる虚しい空間に見つめられているような恐怖感をおぼえますね。これは間違いなく死です。死を象徴しています。もう「人見」はない。こちらは見ていても永遠に見返してくれない恐怖です。目をつぶっているのとはあまりに意味が違う。
 おそらく、エビュテルヌの心はすでに虚空になってしまっていたのでしょう。そして、自分を見つめてくれる人もいないと感じていたに違いありません。その目の表現はモディリアーニが発明し、彼を有名にした究極の方法でしたが、しかしまた、一方では最も恐れていた描き方だったのかもしれません。彼はたぶん、その虚空を輪郭したのち、その恐怖から逃れるように(たとえそれが白であっても)いち早く絵の具を、色を、実在を、生命を塗り込んだのではないでしょうか。それは、結局は自分の生命を充填する行為だったのです。

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