『映画監督 押井守 妄想を形にする ~新作密着ドキュメント~』 (NHKハイビジョン特集)
抜群に面白かった。「スカイ・クロラ」自体を観ていないのにも関わらず、ここまで楽しめるとは。そして、「スカイ・クロラ」心から観たいと思った。
このように語られて、それで観たいと思うのは、これってやっぱり押井作品がオタク的なメディアである証拠ですね。というか、語られないとわからない。いや、語られてさらに作品に価値が増すのでしょうか。
押井さんの仕事ぶりというのを初めて見ましたが、これはもう日本の伝統職人ですね。江戸の絵師というか。「日本的」な仕事ぶりですよ。そう、日本のオタク文化って、日本男児の自閉症的傾向から生まれたものですよね。ある一点への異様なこだわり。そのこだわりを満たさずにはいられない。たとえばバセットハウンドや兵器のリアリズムに対するこだわりとか(笑)。異様ですよ。
たしかに世界中の天才と言われる人たちは皆そういう傾向にあります。芸術家も科学者もスポーツ選手も、みんなそうですね。そんな中でも特に日本男児は脳内の妄想に固執する傾向があります。社会性のあるリアリズムなんてクソくらえで、自分の脳内こそがリアルであるというような。
押井さんはそういう「妄想」を形にすることができる稀有な絵師なのです。これは、私の考える「物語」そのものですね。「モノ」とは自分の外部、未知なもの、不随意なものを表します。「カタル」とは「コト」化を表す動詞。「コト」とは自分の内部、既知なこと、随意なことを表します。つまり、我々は押井さんは自らの妄想という「モノ」をアニメーション映画というメディアで「カタリ」、形にするんです。もちろん「カタ(チ)」という語と「コト」という語は同源です。
私たちは彼の作品を通して、彼の脳内妄想を私たちの脳内に「ウツス」ことができます。「ウツス」というのは「移す」であり、「写す」であり、「映す」であります。一連のこのような営みを「モノガタリ」というのだと私は考えています。外部の内部化。ある意味生命の本質に関わる連環です。
もちろん、押井さん自身にとっては、内部(脳内妄想)の外部化(作品化)、すなわち「コト」の「モノ」化と言えるわけですから、「物語」という名詞や、その元になった「物語る」という動詞は、相手の(受け手)の立場に立った言葉であることがわかりますね。
ところで、「スカイ・クロラ」における押井さんの妄想は、今までの彼のそれとはかなり違っているようでした。押井さんも55歳を超えて(今57歳でしょうか)、ずいぶんと社会性を持ったようです。ようやく彼も大人になったってことでしょうか(笑)。若者に対するメッセージだなんて、なんか彼らしくないような気もしますね。でも、その気持ちはよく分かります。私も40過ぎてちょっとそういう境地が分かるようになりましたよ。彼が語った、「人生はツラい。大人になってもツラい。それは当たり前。でも、案外悪いものじゃない。ゴールに入るといいものが見える」みたいな言葉、これはまさに私が教室で語りたいことそのものです。
「大人とは何なのか?」という問い、「人生とは何なのか?」という問い、すなわち子どもや若者がぶち当たる「辛さ」の源ととも言える問いに対して、押井さんは一つの答を提示したのではないでしょうか。静かに人生の、世の中の真実を伝えたのではないでしょうか。
殺されるか、自殺するかしなければ、永遠に子どものままで生き続ける「キルドレ」。そのキルドレに、現代の若者たちを投影したという押井監督。ここ数日の記事の続きになってしまいますが、人間はたしかに「死」を意識しないと「生」を意識できません。しかし、子どもも大人も「死」を恐怖し隠蔽しがちです。それと真剣に対峙して初めて、私たちは人生の意味を知り、大人になるのでしょう。
面白いなと思ったのは、押井さんを大人にしたきっかけの一つが「空手」だったということですね。身体性だった。エンボディメント。脳内妄想(コト)ではなく、最も身近な外部である体(モノ)だったということです。これは重要なポイントだと思いました。
あと興味深かったのは、宮崎駿とコントラストでしょうか。両者に関わっている鈴木敏夫さんの語りが刺激的でしたね。私は知らなかったのですが、やっぱり押井さん、宮崎さんに出会ったことで、こういう作家になったんですね。宮崎さんがいなかったら押井さんはなかったと。ある意味でのライバルというか、まさに自分の思い通りにならない「モノノケ」の存在。
そして、彼は言います。妄想も実体験に基づいたものでなければならないと。実際にある場所に行かねば本物は生まれないと。ある意味それは「モノ」からしか「コト」はやってこないということです。
こうした「自己」と「外部」との関係。そして、そこから生まれる「物語」。そして「モノ」と「コト」の連環。これらは現在の私のテーマとも完全に重なっています。それはお釈迦様が語った「無我」や「空」や「不二」に通じると思っています。
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