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2008.10.10

『國文學』に拙稿が掲載されました

0182_2 、なんと…本日発売の『國文學 2008年11月号』の特集は、「『萌え』の正体」!よくぞやってくれました、學燈社さん。そして、なぜか私に原稿依頼が…。
 面白いものですね。ネット社会の一つの可能性を示す事例でしょう。昔だったらいきなり「國文學」から、どこの馬の骨とも分からヤツに原稿依頼なんて来ませんよ。
 そういう意味では、たしかにネット社会は庶民の味方ですね。梅田望夫さんが言う通りだ。以前、プロとアマの間に厳然としてあった壁は取り払われつつあります。それがいいことかどうか、文化の醸成の過程として正しいのかどうかは、これはまだ分かりませんけどね。
 ま、まずはこの特集の内容をご覧いただきましょう。ちょっと面白そうですよ。

「萌え」の本質とその生成について   斎藤環
「萌え」と「萌えフォビア」   伊藤剛
「萌え」の行く先――文学は敗北したのか   本田透
「キャラ萌え」とは何か   高田明典
音楽萌え―その諸相と東方・初音ミク―   井手口彰典
第三のジェンダー「萌えるヒト」   村瀬ひろみ
「萌え=をかし」論   山口隆之
萌えの世界はどこまで広がるか   堀田純司
児童ポルノ法は「萌え」を裁けるか   原田伸一朗
創造的コミュニケーションとしての「萌え」   shiburin
二次元と三次元の狭間に住む女の子たちの話   金巻ともこ
個人的萌えと商業的萌え、萌えとかわいいとエロの関係   ヤマダトモコ
「萌え」の構造~聖と俗の幾何学~   海猫沢めろん
(投稿原稿)「萌え」における現実と非現実   藤本貴之

 むむむ、そうそうたるセンセイ方のど真ん中に位置して、なんとも居心地悪そうにしているワタクシの「萌え=をかし」論。実際お読みになるとお分かりになるでしょうが、内容的にも一人浮いています(笑)。
 しかし、ありがたいことに、「萌え」やオタクの世界から遠い人々からは、一番分かりやすかったとのお言葉を、また、今回原稿を書くにあたってたいへんお世話になった、オタク男子や腐女子の生徒諸君からも、なかなかいいんじゃない?とのコメントを多数いただきました。ありがとうございます。
 それにしても、いつのまに私は「萌え」の研究家になってしまったのでしょうか(笑)。私を知っている人からしますと、アニメも観ない、マンガも読まない、ゲームもしない、昔の秋葉原にはよく通っていたようだが、今のアキバからは足の遠のいているようなヤツが、何を知ったかぶって語ってるんだ、という感じかもしれませんね。まあ、ある意味、少し(かなり)離れた立場から客観的に考察できるというメリットもありますが…。
 私は、今表層的にとらえられている「萌え」というのには興味がありません。それは、性欲と経済にからんでいるからです。その二つは、人間の先天的第一位の欲求と、後天的第一位の欲求であり、「萌え」に限らずいろいろな文化現象や人間の心性に、常に影を落としているからです。つまり、その二つの目に見えやすい属性は、「萌え」に照射されている、あるいは反映しているものであって、その本体ではないと思っているのです。
 ですから、他の論者の方々とは、かなり違った内容になっているわけですね。そういう料理のしかたをすることによって、批判の対象になるだろうということも当然想定しております。しかし、それをあえてやってみることにも多少は意味があったと自負していますよ。
 だいいち、これは「國文學」です。ユリイカではありません(笑)。ある意味、一番「國文學」してるのが、私の文章ではないでしょうか。実際そう言ってくれた方が何人もいました。皮肉なことですね。本来の「國文學」においては許されないような、編集者泣かせの軽薄な文体が、結果として最も「國文學」らしくなってしまったというのは。
 それこそが、現代の国文学のありようを象徴しているのかもしれません。この歴史ある雑誌のみならず、多くの国文学の権威は今や地に墮ちつつあります。いわゆる小説を現代国文学の中心に据えてしまっている限り、この状況は好転しません。その辺の事情、特に「小説は死んだ」ということに関しては、このブログにもたくさん書いてきました。
 しかし、私は、ほんの少しだけれども、「萌え」ではない「文学」に期待もしています。それは、拙稿の終わりにさりげなく書いたつもりです。いや、ちょっと感動したのはですね、実は拙稿の掉尾に記した部分、そこだけ編集の手が入ったんですよ。すなわち、こういうことです。
 私は最終節、「萌え=をかし」の時代が終わって、再び「もののあはれ」の時代が来ることを期待するというようなことを書きました。そして最後は、自分なりのメッセージをこめて、

 それはきっと悪いことではないだろう。我々にとっても、社会にとっても、地球にとっても。
 加えて言えば「国文学」にとっても。なぜなら、「文学」の主たるテーマは、「時」との、「無常」との、「不随意」との闘いだからである。

 と結びました。実はこの「国文学」というのを旧字体にするか、新字体にするか迷ったんですよ。で、結局、なんか「國文學」ではあまりに露骨だなと思って、一般名詞の新字体にして原稿を送ったんです。そしたら、できあがったものは、しっかり旧字体「國文學」になっていました!うん、素晴らしい。私はそこに関係者の強い意志を感じましたね。期待ではなく意志ですよ。
 はっきり言って、「國文學」がこの特集を組むのには、そうとうの勇気が必要だったと思います。人によっては「國文學」も終わったなと言う人もいるでしょう。しかし、この勇断の裏にある強い強い意志と愛情の存在を、私はしっかりと感じました。
 まさに、重層的な意味において、「國文學はじまったな…」ですな。面白いですね。歴史上全ての文化はこうして時間と闘ってきたわけですか。
 ところで、この「萌え=をかし」論ですが、お気づきのとおり、私の専門(?)である「モノ・コト論」に一切触れていません。今回はあえてそれを省きました。それを書き出したら数倍長くなってしまったからです。それはまたいつか別の機会にまとめたいと思っています。

参考記事 『をかし』の語源…『萌え=をかし論』の本質に迫る!

Amazon 國文學 2008年11月号

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