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2008.09.09

『御祝(ごいわい)』…遠野の秘謡

Goiwai1 、すごい。古いビデオの1本をなんとなく再生してみたら、なんともすごいモノがたくさん録画されていました。1991年、今から17年前のいろいろなテレビ番組が乱雑に詰め込まれています。まあプロレス関係とかMt.FUJI JAZZ FESTIVALとか、全部すごかったんですけど、今日はそのうちの一つ、遠野の不思議な民謡を紹介したNHKの番組をとりあげます。
 NHKのアーカイブスで調べてみますと「にっぽんメロディー探検 遠野民謡 御祝(ごいわい)の秘密」という番組ですね。ちゃんと番組の最初から録ってあるので、事前に番組を知り、録画しようと思ったようですけれど、なぜこの番組を録ったのか、その時「御祝」のことを知っていたのかは、はっきり言って忘れてました。ただ、これは録画しておいてよかった。今観ても実に不思議ですし、心動かされます。
 御祝は、岩手県遠野市小友(おとも)町の氷口(すがぐち)地区に伝わるもので、最近無形民俗文化財にも指定された、大変貴重な音楽遺産です。簡単に言えば、男性が謡を、女性が民謡を同時に唄うという、まあ西洋風に言えばクオドリベットの一種と言っていいと思うのですが、その不思議なハーモニーというか、不協和音の響きが実に興味深いんです。まずは、番組から録った音を聴いていただきますか。
 御祝
 どうですか。すごいでしょう。17年前の私も、今の私もかなり戦慄しましたよ。美しいとは言えないかもしれませんが、なんというか、ものすごく強い音楽ですね。
Goiwai2 この番組で御祝の謎に迫るシンセサイザー奏者星吉昭さん…「姫神」の星さんです。04年にお亡くなりになりました…の功績によって、全国的にも有名になり、国立劇場で演奏会が行われたり、DVDが発売されたり、保存会が発足したりしたようです。
 クオドリベットの例を引かずとも、世界中にこのようなタイプの多声音楽は多くありますし、酔っ払いの芸としてはある意味自然発生的に聞かれますよね。そして、音楽に(騒音に)まみれた現代においては、もしかすると恒常的に御祝状態が続いているとも言えるかもしれません。いや、そこには人間の神への意思なんてかけらもないか…。
 この御祝のような人工的なカオスというのは一種のハレ状態であり、非日常的な祭祀空間であるということです。特に日本の神道的儀式や祭にはそういう要素が色濃く感じられますね。人間の自らの手によって、日常が目指す「コト」性を崩して「モノ」を招来する。そう、日本人はコスモスよりもカオスに神、すなわち自然を見ていたんですね。西洋的な発想とはかなり違うのではないでしょうか。
 そして、そうしたモノ招来の行為自体に「祝性」があり、またそれが「遊び」に通じていました。「遊び」にはルールもあります。この御祝も、一見めちゃくちゃに合わせているように感じられるかもしれませんが、実は互いのキーや重ねるタイミング、リズムの合わせ方など、いろいろなルールがあるようです。そうした、モノ性の中に形成されていくコト性、すなわち混沌な中から修理固成していく「世界」という面白み、あるいはめでたさというのもあるんでしょうね。単なるカオスではダメなんです。
 そういう中間世界的な可変性のようなものこそが、神と人間をつないでいる証拠なのかもしれません。この御祝は、ある意味とても素朴な音楽なのでしょう。でも私はちょっとおおげさにそんなことを感じたんです。日本人として理屈抜きに共鳴する何かがあります。
 一度、生で聴いてみたいですね。できれば国立劇場とかではなく、本当の祝いの空間で。

Amazon 岩手の秘謡 御祝(ごいわい)

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