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2008.09.10

本当の「春はあけぼの」とは…

Makura る堅い雑誌から、あんまり堅くない内容の原稿依頼が来ていて、締め切りが近づいてるのだけど、なかなかはかどりません。いや、さぼってるとか、そういうことではなく、まあよくあることですが、まじめに頭を働かせていると、どんどんいろんな考えが浮かんじゃって、あるいは思わぬ発見があって収拾がつかなくなるんですよね。
 一番よく参照する資料はこのブログです。日々の断想や思いつきを書き散らしているので、こういう時のとってもいいネタ帳になっています。で、毎日書き散らしているので、当然のように何を書いたなんて忘れてるわけで、ついつい自分の文になるほど〜と感心してしまったり、あるいは、そりゃないだろう〜とツッコミを入れたくなったりする。そんなことをしてるとどんどん時間が過ぎてしまうんですね。
 で、今日はこちらの(真説)春はあけぼのという、ちょっといやらしい記事にツッコミを入れたくなりました。いやいや、これは自分に対するツッコミではなく、世間に対するツッコミかもしれない。いや、あの記事では清少納言さんに聞いたとかほざいてるから、彼女に対するツッコミかもしれない。あんたウソ教えたでしょ、って(笑)。
 さあ、というのはどういうことか、と言いますとですね、上の写真を見て下さい。例の枕草子の冒頭です。これは京都大学所蔵の江戸の版本です。江戸のものでさえ、こんなふうに句読点なしで、そしてほとんど平仮名で書かれています。どこで切るかというのは、完全に読者やエディターにまかされているわけですね。
 ということは、皆さんが教科書で習うような「有名な」冒頭部分、皆さんが先生から無理矢理暗記させられほとんど慣用句化した冒頭部分も、実はこのようにだけ書かれているんです。
 
はるはあけほのやうやうしろくなりゆくやまきはすこしあかりてむらさきたちたる雲のほそくたなひきたる

 ですから、あの教科書の句読点や漢字には、誰かの解釈が介入しているということですね。そして、その解釈が正しいとは限らないということ。ほかの解釈の可能性も当然あるということです。
 で、私は、いちおう音楽の世界でオリジナル主義的なことをやってきましたから、そういう過去の常識やら習慣やら権威やらから自由になって、まっさらな自分でまっさらな作品に向かい合うのが(たぶん)得意でして、このあまりに有名な古典作品についても、そういう見直しをしてみたんですよ。別にそんなに難しいことではありません。心を無にすればいいだけですから。
 さあそうして無垢な(?)自分という装置に、無垢な言葉を挿入してみましたら、こんな結果がガチャンと出てきました。それを見て、無垢ならざる自分も、ああ、なるほど!と思ってしまったわけです。

春はあけぼの。
やうやう白くなり行く山際。
少し赤りて紫だちたる雲の細くたなびきたる。

 ちょっと現代語訳してみましょうか。

春と言えばあけぼの。
だんだん白くなって行く山際。
少し赤くなって紫色っぽくなっている雲が細くたなびいている…。

 なるほど、「すこしあかりて」と「むらさきだちたる」が「雲」にかかっているというのがミソですな。あと「あかりて」を「明りて」ではなく「赤りて」としたところ。
 まず季節と時間帯をドンと言い(それがどうだとは言っていない。もちろん「をかし」とも言っていない)、次に場所あるいは方角を指定する。ちょっとズームインする。そして、繊細な色合いを見せる雲というディテールに視線を持って行く。うん、いい流れですなあ。
 だいいち、一般に言われるように、「だんだん白くなっていく山際が少し明るくなって」とすると、なんか変な日本語ですよねえ。センスない。「しろく」というのは当時は「著く(はっきりと)」というイメージもあったので、「明かりて」と表現がダブる感じがします。
 よくある異説、「やうやう白くなり行く」で一度句点を打つというのも、考えてみると変です。「山際(が)少しあかりて」という文脈というか文型にするなら、私の知る限り、清少納言さんは「山際の…」とするはずです。
 それから、夏以降のリズム感などと考え合わせても、「やうやう…たなびきたる」まで一文とするのは、ちょっと冗長で歯切れが悪く感じられます。春は韻文的、夏、秋、冬と次第に散文的になっていく、その変化がまたいいと思うのですが。
 というような話を、もうちょっと詳しくですが、授業で話したら、ある生徒が次のような説も考えてくれました。無垢なる(?)高校生という装置による解釈です。

春はあけぼの。
やうやう白くなり行く山際。
少し赤りて紫だちたる。
雲の細くたなびきたる。

 うん、これもいいですねえ!ありうる。ちょっと現代語訳してみましょうか。

春と言えばあけぼの。
だんだん白くなって行く山際。
少し赤くなって紫色っぽくなっている…。
雲が細くたなびいている…。

 おお、これは美しい詩ですねえ。感覚としては、「春は明け方がいいわね。だんだん白くなって行く(だんだん明瞭になって行く)山際なんかね。少し赤くなって高貴な紫色っぽくなってる…。あと、雲が細くたなびいてるのも…」ってな風でしょうか。「すこしあかりてむらさきだちたる」の主語がわかりにくいのが難点と言えば難点ですが、別にいいんじゃないでしょうかね、なんでも。
 暗くて判然としなかった山際がだんだん見えてきて、赤味を帯びて紫色になるというのは、かなりリアルな表現とも言えますし。
 雲が紫色というのもありえますが、逆に空が紫色(今で言う赤紫)で、それをバックに雲もだんだん見えてくるというのは、ホントよくありそうな光景です。
 また、夏以降「〜たる名詞」という文はありませんので、文体的に言っても「たる」で切るこの解釈は案外自然です。
 そうしますとですね、たとえば、こんな別の解釈も可能なわけてす。

春はあけぼの。
やうやう白くなり行く。
山際少しあかりて紫だちたる。
雲の細くたなびきたる。

 まあ、こんなふうに原典(原点)に帰って遊んでみるも面白いものです。そういう遊びこそが学問につながっていくのです。常識を疑うこと、心をまっさらにしてみることって大切ですね。そういうことを妨げる情報過多な時代に生きている私たちには案外困難なことですが。
 最後に、ちょっと理屈っぽくなってしまいますけれど。私が私の新説を支持するのには、自然科学的な根拠もあるんです。乾燥していて空の透明度が高い冬が終わり、空気中の水蒸気の量が増えた春は、朝焼けが起きにくくなります。つまり、空自体は赤くならないで白んで明けていきます。早起き経験上もそれはたしかです。しかし、地上より先に日光の当たり始める上空の雲は、多少色づくこともありますので、「すこしあかりてむらさきだちたる」のは「雲」であると考えるのが妥当だと思うのです。
 と、まあいろいろと言いたいことを言ってきましたが、で、ホントのところどうなんでしょう、清少納言さん。えっ?この中にも正解がないって?え〜!
 というわけで、皆さんも考えてみてください。

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コメント

面白~い!
「少し赤りて紫だちたる」は、私にとってもの凄く
腑に落ち(笑)ました。
私も参加。(o^-^o)

春はあけぼの。
やうやう白くなり行く山際。
少し赤りて紫だちたる雲の、
細くたなびきたる。

解釈。
春は明け方がいいよねぇ。
薄暗い所にだんだん山が浮かび上がってきたりしてさ。
でもって雲が何とも言えず赤いような紫のような具合でさ、
はぁ~、(´。`)それがもう空一面細くたなびいちゃったりするわけよ。ウットリしちゃうねぇ。

“雲の”の次を読点で是非区切りたいです。
でも、ホント言うと、高校生の解釈の方が
より自然な描写に近いと思うんですよね。

投稿: LUKE | 2008.09.12 00:11

LUKEさん、私の授業?に参加してくれまして、ありがとうございます。
うん、素晴らしい訳ですね!うまい!
そう、そんなノリなんですよ。間違いなく。
あんまり型にはめない方がいいですよね。
キース・ジャレットの言う通りです(笑)。
実は、私も高校生の意見が好きなんですよね。
自分だったら、きっとストレートに、あんなふうに書きそうだなあ。
深く考えずに。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.09.12 10:21

>LUKEさん、私の授業?に参加してくれまして、ありがとうございます。

冗談抜きで参加したいっす。公開授業やってくださいよ~! ま、このブログがそうなのかも知れませんねぇ。でも、通信教育みたいで今一ダイナミズムに欠ける所が生徒としては不満ですよ。\(*`∧´)/
ところで、ちょっとショックでしたよ。古典ってもっと研究しつくされているのかと思ってました。

>実は、私も高校生の意見が好きなんですよね。

春はあけぼの。
やうやう白くなり行く山際、
少し赤りて紫だちたる。
雲の細くたなびきたる。

二行目三行目をつなげてしまえば、主語の曖昧さも解決されるかな。
面白いですねぇ~。

投稿: LUKE | 2008.09.13 03:17

LUKEさん、いつもどうもです。
いやいや、私の授業は授業になってないので、とても公開なんてできませんよ。
この枕草子もちょっと思いつきで雑談風にやっただけで、あとはすぐに違う(変な)話題に飛んでましたし。
まあ、とにかくいろいろ遊んでみることです。
国文学なんていう世界、特に古典なんて世界は、まあひどく硬直化していて、作品を殺すようなことばかりしてますから(笑)。
音楽のクラシック(古典)界といっしょですよ。
さらに試験という曲者があるから困る。
私のようなトンデモ説?じゃあ、大学受かりませんからね。
だから、私は受験テクニックと、こんなような妙なことの両極端を、割り切って教えてます。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.09.13 10:43

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