« 『ラジオ付き ウォークマン  WM-FX202』 (SONY) | トップページ | 10cc 『I'm Not In Love』 »

2008.09.03

『死刑』 森達也 (朝日出版社)

人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う
25500412 画しておいた『未来への提言「思想家 ノーム・チョムスキー ~真の民主主義を育てる~」』を観ました。いつのまにか言語学者じゃなくて思想家になってしまいましたね。ま、言語を研究しているとそうなるんでしょう。鈴木孝夫大明神も自称哲学者になってますし。私もどっちかというとそういう路線を歩んでいるような…レベルは違いますけどね。
 さて、現代最高の英知はどのようなことを言っていたのでしょう。それと今回のテーマ「死刑」とどういう関係があるのでしょう。
 言うまでもなくチョムスキーは反戦思想家として大きな影響力を持っています。真の民主主義を目指すためには、どうしても避けて通れないのが戦争という事実なわけですね。9.11に対する報復戦争と言ってよいだろうイラク侵攻について、講演やインタビューでいろいろと語っておりましたが、その中で印象に残ったのは、次の言葉です。
「人に課す基準は自分にもあてはめられなければ誠実とは言えない」
 なるほど。とてもシンプルな理屈ですね。たしかに民主主義の基本とも言えましょう。
 で、私は彼のように頭がよくないので、ちょっと、というか、かなり乱暴にものごとを見てしまいますが、お許しを。
 つまりですね、私は、死刑の問題は戦争の問題と非常に似ている、と常々思っているんです。それこそかなりおおざっぱな思考ですけれど、9.11のテロとイラク侵攻の関係が、個人による無差別殺人とその代償や報復としての死刑の関係と似ているというわけですね。
 戦争に関しては、チョムスキーの考え方に賛成ですので、結果として私は死刑廃止論者ということになりますね。そう、天才的なレベル、すなわち理論も情緒も超えたところでの思考(…私はそれはできませんが、なんとなく想像はできます)では、これはもう当り前に両者ともあってはならないことだと思います。私は非常に単純な思想家(?)ですので、捕食意外の目的での他者の生命を奪う行為、それも同種どうしでの殺し合いなんていう、動物でもしないことをするのは、やっぱり天の理に照らしておかしいと思うわけです。
 でも、どこかで戦争も死刑もあってしかたないかなとも思っている、まあ天才ではない一般人の自分もいます。おそらく、これは、それこそ天才でない一般人の「思考」の結果だと思います。
 チョムスキーも番組の中で言っていましたが、知識人というのはとかく右寄りになりやすい、つまり国際問題においては右、もっと個人的に言えば利己的になりやすいということでしょう。
 で、知識人がメディアでそういう姿勢を見せますから、我々凡人、一般人はさらにそっちに傾く。つまり、理性は他人の情緒をコントロールできるわけです。その事実が、戦争の問題、死刑の問題にも大きな影響を与えていると思うんですね。
 ですから、この本で森達也さんが「理性」や「常識」や「情緒」や「感情」や「思想」や「(当事者の)現実」といった、様々な角度から「思考」してもですね、私自身としては結局何も変わらない気さえしてしまうのです。
 森さんがおっしゃるように思考停止が一番いけないのかもしれません。しかし、知識人や一般人がそのレベルで思考しても、結局戦争と同様に人間の愚行である死刑はなくならないでしょう。では、思考しない方がいいのか。それはわかりませんが、愚者が思考することによって生じる過ちもあると思います。
 どう考えても、その愚行(どんな理由があっても人殺しをすること)は間違っています。その大前提は、私は絶対に揺るがないと思っています。そこはチョムスキーといっしょかもしれません。では、なぜ、我々がみんなで思考した結果が、それに反することになるのか。その理由を考えることの方が、個々のケースを考えるよりも、実は重要なのかもしれません。
 この本は、停止した思考を再稼働するためには、たいへんに素晴らしい本だと思います。みな迷うでしょう。迷うことは思考そのものです。しかし、一度、本当の原点に帰ってみて、なんでこんな自明なことを迷うのか、ということにも悩んでみるべきなのではないでしょうか。そんなことで迷っているのは、おそらく人間だけでしょうから。
 「人に課す基準は自分にもあてはめられなければ誠実とは言えない」…こんな簡単なことさえできず、どちらかというと、「自分にあてはまることを人に課す」ことばかり考えている人間とは、なんとも救いようのない存在です。

Amazon 死刑

楽天ブックス 死刑


不二草紙に戻る

|

« 『ラジオ付き ウォークマン  WM-FX202』 (SONY) | トップページ | 10cc 『I'm Not In Love』 »

文学・言語」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

歴史・宗教」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

自分の身に命の危険が訪れた時、
後から思えばぞっとするほど簡単に、
加害者を殺してしまおうと行動に出た経験があります。(結局思いとどまったので、
こうして平穏な人生を送っているのですが。) (゚ー゚;
私が思うに、殺人の良し悪しを論じられること自体が、
即ち暢気で幸せなことだという証明で、
常に身を危険にさらしているような
極限状態の人間にとっては、良し悪しを論ずることが
意味として分からない気がします。
前述の自分の場合は、思考停止と言うより反射でした。
思考なんて追いつかなかったですよ。
思いとどまって良かったな、とは、
後の平時に身を置いてからの話。

では、自分自身でなく、私の妻や子供が
考えたくもないようなことになったら。
私は加害者の死を切望するだろうか、
それとも、何もかもどうでも良くなって
人生の幕を早々と降ろしてしまうだろうか。
その時、平時と同じく殺人の良し悪しについて
考えられるだろうか。
無理な気がするなぁ。

投稿: LUKE | 2008.09.04 22:47

うむ、そうですね。
やはり、人間の場合は同族に殺される可能性というのがありますからね。
常に身構えてないと。
ライオンに喰われそうになったら、人間は逃げるだけでなく、あらゆる手段でライオンを殺そうとするでしょうね。
捕食以外の殺意というのがプログラミングされてるんでしょう。
まあ諦めが悪いというか、なんというか。
あと、憎しみとか恨みという感情も厄介ですね。
頭が良くなりすぎた(?)人間だからこそ、「平時」を保つ努力の方が大切なのではないでしょうか。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.09.05 18:02

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55913/42374346

この記事へのトラックバック一覧です: 『死刑』 森達也 (朝日出版社):

« 『ラジオ付き ウォークマン  WM-FX202』 (SONY) | トップページ | 10cc 『I'm Not In Love』 »