『「日本文学史序説」補講』 加藤周一 (かもがわ出版)
実は今日まで進学合宿でした。そしてそれが終了してすぐに宿泊座禅。ちょっときついスケジュールでして、その中でいろいろと読んだり考えたり書いたり、そして遊んだりするのは、けっこうキツいのであります。
でもそういう時こそ能率的にいろいろなことをこなせるものでして、たとえば本を読むにも普通なら1週間かかるところを1時間半で読めてしまったりします(って、ずいぶん極端ですな)。まあ、私が1時間半で1冊読む時というのは、やはりそういう読み方をしているのであって、決して速読術などを身につけているのではありません。いつも言う通り、「即読術=即席読書術」であります。
この本、本来ならそんな即読術で読むべき本ではないのかもしれません。いや、こういう難しいというか、いや決して難しく書いてあるわけではないな、なんというか堅いというか、まじめな本は、熟読しだすと、ホントに難渋してなかなか進まなくなり、そのうち放り出してしまうんですよね。だから、案外こういう忙しい時にさっと読んでしまうというのもいいものなんです。読まないよりはさっと読んだ方がいいに決まっています。
忙中閑あり、というのはこういうことなんでしょうかね。暇中閑なし、とも言えますね。「では時間がある時にまたゆっくりと…」という常套句の意味は「もう○○しません」ということですよね、大概。
さて、今回の忙中に携帯していたのは、一昨日の記事に書いた日本文化における時間と空間と、この本です。加藤周一さんのこれらの本、評判がいいようだし、いちおう国語のセンセイとして読んでおこうかなと。
で、先に日本文化における時間と空間を即読しまして、即読のくせにあのような生意気なことを書いたワケですね。「源氏物語はどうなんだ?」みたいな態度で。で、その源氏物語についてもちゃんと書いてありました。「もののあはれ」「ものおもひ」の系譜として。なんだ、結局そういうことか。つまり加藤さんの中では、「今=ここ」と「もののあはれ」は対照されてないんですね、私と違って。
まあ、それはいいとしまして、この本もあまりにも話が古今東西なんでもござれ!(ってどっかで見た啖呵ですな)でして、正直即読脳には混乱を来すだけ。だいいち、これは「補講」ですからね。「日本文学序説」本体をちゃんと読んでいない(部分的にはずいぶん読んだ)のに、いきなり補講に行っても、そりゃあ分からんでしょう。
ただ一つ面白いし、自分も考えてみようと思ったのは、「万葉集」と「古今和歌集」のコントラストの部分です。そう、賀茂真淵が「万葉集」に入れ込んで、そしてそれを「ますらをぶり(益荒男振り)」と評し、弟子の本居宣長が「古今集」に入れ込んで、それを「たをやめぶり(手弱女振り)」と評したことに関する部分ですね。「万」が男っぽくて、「古」が女っぽいということ。
私はこのことに関して前々から異議を申し立てていたんです。「万葉集」が「行動的」「直情的」なのはわかります。また、「古今集」がうじうじしているというのも。でも、それを「男性的」「女性的」としてしまうのはどうかと。いや、あのような多様で大規模な歌集たちを、そうやって二分することにも問題がありますが、そこはまあ分かりやすくするための方便として許しましょう。で、そうやって二分した時に、私は「行動的」「直情的」な方が「女性的」、うじうじとしている方が「男性的」だと思うんですよ。
加藤さんはそこまで言っていませんが、しかし、一般的なキャラクタライズでは、「いまのフェミニストなら抗議するでしょう。そういうことは男性の考えた妄想に過ぎない、単なる男女差別の表現に過ぎないと批判されるだろうと思います」と書いています。私は色気のない美しくない(失礼)フェミニストは嫌いですが、ことこのことに関してはちょっとフェミニストさんの肩を持ちたくなります。
いつも書いているように、私は、加藤さん流に言えば「今=ここ」的、ワタクシ流に言えば「萌え=をかし」的・「コト」的な感性や表現というのは、本来女性の専売特許であると考えているんです。そして、その反対、時間の流れに翻弄されウジウジしている「もののあはれ・ものおもひ」的・「モノ」的な感性や表現というのは、実は男性の方が得意であると(もちろん、それはそれぞれの指向・思考・嗜好の傾向であって、それ本体はその逆、すなわち女性が「物の怪」的であり、男性が「仕事」的なんですが)。
そうしますと、私にしてみると、「万葉集」は女性的、「古今集」は男性的ということになるんです。あんまり深く考えないで、その場の感情に流されるのは、どちらかというと女性の方ではないでしょうか(なんて書くとそれこそフェミニストさんに怒られそうですね)。一方、過去を引きずって、未来を必要以上に憂えたりするのは、実は男性であったりしませんか?
だから、これも以前書いたような気がしますけど、私にとっては「枕草子」はとっても感覚的で女性的、「源氏物語」はとっても理知的で男性的に感じるんです。教科書には逆に書いてあって、私は授業で困っちゃうんですけどね(笑)。「源氏物語」はやっぱり男の手によって書かれたんじゃないでしょうか。私は「男の勘」でそう信じています。
と、この本ではそれほど重要ではない末節にこだわったワタクシでありました。そんなふうな即読でしたから、結局「日本」とは「文学」とは「歴史」とは「日本文学」とは「日本文学の歴史」とは、という根幹の部分がちっとも読み取れませんでした。すみません。
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