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2008.08.27

『おやすみプンプン 1〜3』 浅野いにお (小学館ヤングサンデーコミックス) 

Oyasumi 本マンガを読まない人間です。生徒から強制的に読めと言われなければ、おそらく全く読まないでしょう。意外に思われる方も多いようですが、けっこう苦手な分野です。
 かといって、小説を読むかといえばそんなことも全くなく、ま、簡単に言えば活字が大嫌いというわけです。国語のセンセイなのに困ったものですね。また連続ドラマなんかもほとんど見ませんので、つまりはストーリーを追いかけていくのが苦手なんでしょう。
 映画や音楽は好きですので、つまり言葉による表現が主体なものは苦手で、その他の媒体への依存度が高まるとなんとか受け入れられるようになるということのようです。かえすがえす困ったものです。
 昨日でしたか、生徒とある大学の過去問を解いてましたら、安部公房の面白い文章に出会いました。「言葉によって言葉に逆らう」という、いかにも安部公房らしいアヴァンギャルドなタイトル。しかし、書かれていることは非常にまっとうで、意味と不即不離な言葉という道具を使って、「意味以前のイメージ」を表現せねばならない小説家としての苦悩を、案外素直に表現している内容でした。
 その中で、安部公房は「それ自体では意味を持たない音や形は、言葉とくらべればはるかに忠実で御しやすい表現素材なのである」と言い、小説が音楽や美術などより厄介な分野であることを、自分への慰めや世間への言い訳も多少含めて(…と私には感じられました)強調しています。
 これにはいろいろな立場から反論もありそうですが、しかし、たしかにそういう一面はありますね。安部公房も「化学薬品のような攻撃性」と比喩していますが、言葉の持つ前進性(不可後進性)は誰しも認めざるを得ないでしょう。つまり、私の言い方でいうところの「コト化」というやつです。なんだか得体の知れない「モノ」に出会った時、すぐに言葉(コトの葉)が発動して、命名、言語化、概念化、内部化が進行します。言葉の前進願望は、経済における前進願望と似て、案外私たちにとって厄介なもので、あるいは私たちを不幸にしている、その基本的煩悩の一つなのかもしれません。
 さてさて、そういう言葉やストーリーに、ある意味前衛的な挑戦をしている現代の作家が、この浅野いにおでしょう。彼の作品を読むのは二回目です。以前もマニアックな生徒にすすめられて素晴らしい世界を読ませていただきました。そこでも書いているとおり、私はこのマンガ嫌いじゃありませんね。世間では賛否両論のようですけど。
 ただ、ちょっとずるいとは思います。だって、「素晴らしい世界」では、大学生のアンニュイという、言語以前のイメージを描いてますし、こちらではもっと言語以前の普遍イメージである小学校高学年から高校生にかけての「男子」のモヤモヤを描いているんですから。ずるいですよ。
 で、これを貸してくれたのは女子なわけで、私は「お前にはわからんよ」「女子にはわからん」「男子には痛いほどわかる」と、お礼もそこそこに怒鳴ってしまいました(笑)。
 そう、それこそ男子に普遍な(まあ女子にも女子の普遍があるんでしょうが)言語以前のイメージというか、モヤモヤというかムラムラというか、あのちょっと罪悪感をもはらんだドキドキ感ですね、あれは確かに小説では書きにくいでしょう。言葉にしてしまうと、もうウソ臭くなってしまう。モノノケですから、あれは。自分のようで自分でない。
 考えてみれば、そんなところに挑戦して玉砕したのが安部公房なのかもしれませんね。彼の作品は映像化したほうがわかりやすかったりしますから。この「おやすみプンプン」、安部公房が読んだら(見たら)きっと怒りますよ。ずるい!って。純粋に言葉で勝負してみろよ!って。
 いにお作品はシュールレアリスムで語られることが多いみたいですが、なんとなく胡散臭いんですよね。そう、彼はつげ義春の「ねじ式」に突き動かされてマンガ家になったと語っているようです。よくありがちなパターンとして、あの真剣に馬鹿なこと、わけわからんことをやっていたあの時代、そう、まさに赤塚不二夫やつげ義春や寺山修司や土方巽や安部公房のような時代ですね、それを現代の若者がまねてもなかなかうまくいかない。痛いことになる可能性が高い。
 かろうじて、その言語以前のイメージが時代を超えて両者を結びつけているわけですが、しかし、安部公房が言うように、それを結ぶ手段は「コトの葉」すなわちその時代のメディアしかないわけですから、けっこうつらいですよね。マンガでやるなら、マンガをもってマンガ以前のイメージを表現しなければならないわけですから。
 おそらくあの時代はそんな意識もなく、新しいメディア自体が私たちの「コトの葉」になっていなくて、メディア自体が私たちを使って表現していたんでしょうね。自分の下に置いてコントロールしようとすると、大概反撃されて痛いことになるんです。
 しかし、この浅野いにお作品には、その痛さをも武器にしてしまう強さがあるような気もします。だから私は嫌いになれないのでしょう。あるいはマンガが新しい自分になるための「痛み」なのかもしれないな。彼はずいぶんと新しい技法を使っていると思います。実験的であることはたしかでしょう。そこに何かを期待している私もいるわけです。

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コメント

前略 蘊恥庵御亭主 様
愚僧は 小学生の頃・・・
夏休みの宿題は すべて親父の担当で
ありました。笑
先生から・・・・いつも
「お前は随分 達筆だな」と
嫌味を言われておりました。笑
「ツクツクボウシ」や「ヒグラシ」が
泣き出しますと・・・自分も一緒に
泣き出して 父親に宿題の完成を
懇願したものです。笑 
基本的に勉強は苦手でした。
それでも「小学館 学習図鑑シリーズ」
だけは毎日毎日拝読いたしておりました。
「絵」の部分だけを見るのが大好きでした。
文字の読書きは 現在でも 苦手です。
読むのも書くのも面倒くさいのです。
ですから・・・こうやって
読点(とうてん)も付けておりません。笑
こんな愚者でも・・・大人になれました。
全国の小学生諸君・・・・
「大丈夫です。安心してください。
なんとか なります。」笑
しかし・・・二十年程前・・・
「ワープロ」の出始めの頃
高僧にたのまれて・・・ワープロで
手紙を代書したとき・・・
結語の「合掌」を「合唱」で誤変換の
まま多数 投函してしまいました。笑
多くの法類より随分と・・・笑われました。泣
それ以来・・・ハンドルネームは
「合唱おじさん」であります。
愚僧も・・・与えられた宿題に
本腰で取り組む時期になりました。
また いつか書き込みさせて頂く事を
楽しみにいたしております。
合唱おじさん     九拝


投稿: 合唱おじさん | 2008.08.28 10:19

合唱おじさんさま、こんにちは。
座禅明けで頭がスッキリ…いやボンヤリしております。
なるほど!
そのような経緯でのハンドルネームでいらっしゃるのですね。
なかなか素敵な由来ではないですか(笑)。
昔から、僧名にはそういうユーモアがたくさんありますよね。
失敗も何も全てユーモアで包み込むことこそ大切だと、常々考えております。
おかげで生徒にはいつも怒られたり呆れられたりしておりますが(笑)。
合唱おじさんさまの文章には、不思議な味がありますね。
御自分のスタイルを確立されています。
私もそうなんですが、案外「言葉」と仲良くない方がいいのかもしれませんね。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.08.28 11:22

前略 蘊恥庵御亭主様
啼(な)く・・・梟(ふくろう)が啼く
鳴(な)く・・・蝉(せみ)が鳴く
泣(な)く・・・誤変換に愚僧(バカ)が泣く
最後の最後まで・・・訂正でした。笑
合掌おじさん      百拝

投稿: 合掌おじさん | 2008.08.29 07:21

合「掌」おじさん様、こんばんは。
ひぐらしが泣く…なんとなくいい風情じゃないですか。
誤変換はシャレです。
他力による新しい世界だと思えば楽しいですね。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.08.29 18:46

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