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2008.08.29

「ものにする」とは…

150 日のニュースに、例の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の話題がありましたね。そのテストに関する賛否は置いておくとして、皆さんもご存知と思いますが、この面積の問題、面白い結果が出ましたね。

「約150平方センチメートル」の面積のものはどれか。
1,切手 2,年賀はがき 3,教科書の表紙 4,教室の床

 3を選んだ子どもが一番多かったとか。なんと4を選んだ子どもも全体の3分の1だったそうです。これは困ったことです…とは言いきれないよなあ。私も一瞬迷いましたから。一瞬じゃないな、5秒以内に答えろと言われたら間違えたかもしれない(笑)。
 もちろん(…と書いちゃいます)答えは2です。横約10センチ、縦約15センチですから。
 この問題、クイズとしては実に面白い問題だと思うんですが、全国テストとしては何を問う問題だったのでしょうか。
 ニュースでは、知識が実生活と結びついていないと言っていましたけど、はたして実生活で、はがきが面積150平方センチメートルであることを知ることに意味があるんでしょうか。ちょっと短絡的な解説だと思いました。
 実際はもうちょっと複雑ですよね。まず、150…と聞いて、10×15を想起しなければなりません。そして、10センチと15センチを物差しなしに想起するというのも重要な能力でしょう。そして、その長さと実生活における身近な具体的物品と結びつける…大人にとってもけっこう厄介な知的作業ですよね。
 で、これがはたして実生活とどのように結びついているのかということです。私が一瞬(?)迷ったのは、まさにこれまでの40数年の人生において、このような作業をあんまりしてこなかったからですよね。だから、あんまり安易に学習と実生活ということを言ってほしくないんです。よく言われるんですよ、現場では。あるいは現場以外では。これが何に役立つのかと。
 学問は実生活から乖離して、初めて学問と言える部分もあります。私はそう思っています。音楽とかスポーツとかと一緒です。実生活のことは家庭でやりましょうね。
 ですから、今回のこの問題は、あくまでも学問の領域において「できてほしい問題」であって、実生活においては別に出来なくてもいい問題だと思います。もし本当に心配なら、子どもの前に、大人にこういう問題を解かせてみればいいんです。それも5秒以内に解答せよと。大人なんだから。結果は目に見えてますよ。
 さて、今日の本題です。日本語に「ものにする」という表現がありますね。この表現は、さかのぼってもせいぜい江戸時代まででして、そういう意味では新しい表現とも言えます。つまり、私の「モノ・コト論」では本来説明できません。私のは中世以前の「もの」と「こと」を対象にしていますんで。
 でも、ちょっと無理矢理結びつけて考えてみますと、こんなことも言えます。
 一般的には、この問題を解けなかった子どもたちはですね、これはこの面積という概念や、面積を出す公式を「ものにしていなかった」と言われると思うんですが、私からしますと、これは「ことにしていなかった」ということになります(もちろんそんな表現はありませんが)。コトは意識下での出来事や存在、モノは無意識下での出来事や存在ですので。公式を思い出したり、計算したりするのは「コト」的作業です。
 では、この場合、「ものにしている」人はどういうことになるかと言いますと、そうなんです、計算しないで、一瞬のうちに年賀はがきと答えられるんですよ。おそらく世の中にはそういうことができる人がいると思います。何らかの事情(おそらく仕事上の必要性)から、面積の数値と実際の「広さ」を対応することを繰りかえしていて、それでもう考えなくてもできるようになっちゃっている。弁当に米飯をつめる作業を繰りかえしているうちに、一発で誤差2グラム以内におさめることができるようになったおばちゃんとかと一緒です。
 これは実は誰しもやっていることですね。歩くことも、階段を昇ることも、また車を運転することも、楽器を演奏することも。とにかく、ロボットにやらせたら(つまり全てコトで処理していったら)とんでもなく膨大な作業を要することも、人間はいつのまにか無意識のうちに出来るようになってしまう。これはすごい能力です。まさにそれは意識外の「モノ」のしわざになっていますね。
 「ものにする」の語源は、おそらく単純に「自分のものにする」であろうと思われますが、今のような考え方をすれば、また違った解釈もできると思います。
 人は何かを習得していく時、まずそれを意識的にできるように努力、訓練します。つまり「ことにする」が第一段階ですね。そして、いつのまにか無意識にできるようになる。「ものにする」わけですね。
 ああ、そうそう、般若心経を覚えるのもそんな感じでした。最初は書かれたものを見なければ言えなかった。そのうち、何々の次は何々みたいな覚え方で、いちおう見ないで言えるようなっていった。そして、今ではほかのことを考えていても口をついて出ます。
 で、たまにふと我に返ると(つまり「コト」世界に戻ってくると)急にわからなくなってしまうこともある。楽器を弾いていてもそうだな。本番で突然変な意識(コト)がやってきて、何気なく弾いていたところが突然弾けなくなったりする(笑)。スポーツもそうでしょう。面白いですね。
 とすると、結局、本当に「ものにする」には、やっぱり繰り返しの訓練、そして本番での無心が必要なんですね。ああ、私の苦手なものばかりだ(笑)。いろいろなことがなかなか「ものにならない」はずだ…。

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