『世界を肯定する哲学』 保坂和志 (ちくま新書)
科学者にも小説家にもなれない人が哲学者になるのだと思っていました(もちろん馬鹿にしているのではなく、その逆)。しかし、筆者は御存知芥川賞作家でありながら、この本は極力小説的な技術を排して、哲学書に徹している。
もともと小説を読むのが苦手な私ですから、同じテーマを扱うならこうして哲学書にしていただいた方が助かります。
この本の中にも似たようなことが書かれてあったと思いますが、小説とは言語の不備(すなわち言語で世界を表現し切れない事実)を逆手にとって、その言語の外側の無限に広がる世界を表現しようとするものだと思います(もちろん、詩はそれをもっと徹底したもの、さらに俳句は…となります)。
またワタクシの「モノ・コト論」ですけど、結局「コト」の権化、最先端、斬込み隊長である「言葉(コトノハ)」は、世界の抽象の結果でしかなく、ある程度の公共性はあっても、そこに完全なる理解と同意は求めようがありません。それはなんとなくイメージできますよね。四捨五入の結果なんですから。
で、その「コト」の外側に無限に広がるのが私の考える「モノ」なんです。ですから、「コト」を集積すると、つまり、全人類(あるいは他の存在全てかも)の意識=「コト」を集めてつなぎあわせると、もしかすると全体である「モノ」と同価になるかもしれない(なりそうにない気もしますし、ならないと保坂さんは言っていますが)。一方で、「コト」があるおかげで、その周辺というか、補集合としての「モノ」が立ち上がるのであるから、ある意味では、「コト」が「モノ」を象徴しているのかもしれません。ある集合と補集合が足されて全体になるというわけです。
保坂さんはこう述べています。
「世界は言語というシステムによって私の処理能力から逸脱したときだけ立ち上がる。それをもたらすものを『リアリティー』と呼ぶ」
なるほど、これは分かりやすい説明ですよね。私の考えていることとかなり似ています。私の「もののあはれ」の定義を上手にまとめてくれていますね。
で、彼はそういうリアリティーある瞬間を言葉によって表現して、そうして読者に「世界」を感じ取らせているわけですね。小説家の仕事…というか、芸術家の仕事の意味がちょっと解った気がしました。
ほか、視覚と思考の関係、生と死と世界の関係、その他いろいろ面白い記述(哲学と言えるのでしょうか)がありましたが、まだ私の中の「哲学」が熟していないので、そのへんについては、またいつか書きたいと思います。特に「死」について。
Amazon 世界を肯定する哲学
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