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2008.07.02

『ラプソディ・イン・ブルー』 末延芳晴 (平凡社)

ガーシュインとジャズ精神の行方
58283170 ャズ方面の大学に進もうとしている生徒の指導のために読みました。
 まあそこそこクラシックとジャズについての知識はある方だと思いますが、そのクロスオーヴァーとしてのジョージ・ガーシュインについては、正直かなり疎かった。勉強になりました。
 なんとなく古楽に出会った時のような感じを受けましたね。のちの時代の常識を取り払って、本当の姿に近づこうとして見えてくる世界。ガーシュインも、実像より虚像が独り歩きしていたようです。
 私にとっても、ガーシュインと言えば「ラプソディ・イン・ブルー」、それもモダン・ジャズかスウィングの味付けがされたもの、あるいはあのレナード・バーンスタインによる荘重な(!)オーケストラ演奏、もしくはピアノでクラシック作品を弾くかのように楽譜を再生したものしか知りませんでした。ですから、この本を読みながら聴いた、ガーシュインによるガーシュイン演奏には正直衝撃を受けました。
 まずはそれを聴いていただきたい。ナクソス・ミュージック・ライブラリーに入会している方はこちらで、入会されてない方は例の冒頭の部分だけでも下のリンクからAmazonやiTunesで聴いてみてください。
Amazon Gershwin Plays Gershwin
iTunes Gershwin Plays Gershwin
 他のどんな演奏も物足りなくなってしまいますね。やっぱりオリジナルに触れるということは意味のあることです。新しい解釈や表現を試みるにしても、やはり作者本人の意図を知ることは大切ですね。
 古楽的だと思ったのには、次のような理由もあります。その自身による演奏のテンポが非常に速かったこと、そして、即興で奏される部分が多々あったこと、さらにピッチがかなり低めであったこと。表現が決して上品ではないこと。
 そう考えてみますと、ジャンルを問わず手垢にまみれてくると、音楽は遅くなり、固定化され、ピッチは上がり、お上品になってくるということでしょうかね。ま、一概にそうとは言えないとも思いますが、ちょっと面白い一致ではありました。
 さて、そんな体験をもしながら読んだこの本。基本、ガーシュインの伝記ととらえてもいいでしょう。けれども、実際はそれにとどまらない、立派なアメリカ論、音楽論になっていると思いました。
 特に繰り返し強調される、二組の三位一体。すなわち、「黒」「白」「ユダヤ」という三位と、「ホワイトマン」「グローフェ」「ガーシュイン」という三位。両三位はある意味同じとも言えましょうか。ホワイトマンはその名の通り(?)白人ですが、黒人的な性質を帯びたジャズ・バンドを率いていましたし、グローフェは一般的なクラシック音楽、つまり西洋的(白人的)音楽の使い手でしたし、そしてもちろんガーシュインはロシア系ユダヤ人でしたから、それら三色(?)の音楽や人や文化が混じり合って、あのガーシュインの「ブルー」が生まれたわけです。そして、その色が、のちの様々なジャズの形態の土壌を作っていったのですね。
 また、彼らの集団的職人的音楽製作現場というのも、これもまた、クラシック的ではなく、のちのロックンロールなどの大衆音楽のあり方を決定づけたのでした。
 一方では、こうしたある意味破格な音楽作品が、クラシック世界にも大きな波を起こします。つまり、彼の音楽はより「歌」的であり、脱楽譜的であり、明解であり、そういう意味で回帰的であったため、カウンター勢力としての無調性音楽や抽象音楽が生まれるきっかけを与えてしまったようです。
120510 そのへんの流れや歴史的事実については、正直全く知りませんでした。昨日の記事的に書けば、音楽界に物の怪が登場して売れっ子になった一方、クラシック界からもジャズ界からも卑下され疎まれ、しかし確実に周囲に影響を与え、意識改革を促したということですね。そんなすごい人だったんだ。
 そんなすごい人は、少年時代は単なる不良だったようで、ピアノを始めたのはなんと14歳。ずいぶんと遅い。まあそのおかげで、彼は正確に楽譜どおりに弾くことや、完璧な音楽理論と技術による作曲や編曲が苦手だったわけでして、それでああいう独特な世界が生まれたとも言えますね。もし、彼が幼少からいわゆる英才教育を受けていたら、ただの凡庸なクラシック・ピアニストになっていたかもしれません。あるいは、音楽なんかにはすぐに飽きてプロの喧嘩屋さんになっていたかも。まったく運命というのは面白いものです。
 あらゆる文化が流入し、混ざり合い、優れたハイブリッドが次々生まれていた古き良きアメリカ。いつのまにかアメリカという強大なブランドが出来上がり、ずいぶんと硬直化してしまいましたね。メルティングポットからサラダボウルへ。そして今は…。今、世界の優れたミュージシャンにとって、アメリカは最大の市場ではありますが、優れたミュージシャンを育てる土壌とは言えないようですね。
 あっ、そうそう、そう言えばあの天才ジャズ・ヴァイオリニスト、ステファン・グラッペリがライヴでラプソディ・イン・ブルーを弾いてましたっけ。ピアノで(!)。それが非常に早くてそっけないような感じだったんですね、あれ〜?って感じ。でも、それが実は正しかったんですね。1908年生まれのグラッペリは、ヨーロッパで育ち、音楽活動を始めたわけですが、当然アメリカから逆輸入されたばかりの活きのいいガーシュインを体験していたはずですから。なるほど、納得しました。

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