「鳴沢」とはどこか
今、東大名誉教授久保田淳さんの「富士山の文学」という本を読んでいます。富士山を題材にした、あるいは富士山の登場する文学というのは膨大にありますが、その一部を年代順に解題して、富士山に対する我々日本人の感情がどのように変化してきたのか…いや、変化していないということを明らかにしています。
あくまで一部の紹介ですけれど、それでもガイドブックとして、なかなかの良書だと思います。私も、富士山と言えば自分が住んでいるところですから、それなりにそういうものをチェックしてきたつもりですが(読んでいるわけではない)、知らないものもずいぶんとありました。
さて、そんなこの本の中に、「藤原俊成 鳴沢論議」という章があります。鴨長明「無名抄」にあるエピソード、すなわち俊成が自らの歌で「なるさぞふじのしるしなりける」と誤って詠んだため、「なるさの入道」と揶揄されたという話に関する章です。この話は知っていましたが、それについて顕昭の「袖中抄」に詳しく顛末が書いてあるとは知りませんでした。勉強不足でした。
顕昭は例の万葉集にある「さ寝らくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと」などの歌を挙げて、「なるさは」が正しいことを証明します。そこには俊成を擁護した惟宗広言の説なども書かれているのですが、結局は両者とも、平安初期に書かれた都良香の「富士山記」の記述に影響を受けているようです。つまり、「なるさ」派は斜面を砂や石が落ちていく音を、「なるさは」派は頂上の池の沸騰する音を、それぞれ「鳴沢」だとしているのです。
ところで、鳴沢と言えば、今私が住んでいる村も「鳴沢村」です(その村の「字富士山」という、まんまなところに住んでいます)。ここ鳴沢が万葉集ほか、いくつもの和歌に歌われた「なるさは」であると、村の人たちは思っています(たぶん)。実際村内に「さ寝らくは…」の歌碑もあります。
しかし、今、この村はとっても静かです。激しい恋情を象徴するとはとても言えない静けさです。ずいぶん冷めた恋です(笑)。本当にこのあたりが歌枕の「鳴沢」だったのでしょうか。
古くから、「鳴沢」とは大沢崩れのことだ、という説が有力でした。久保田さんも基本その立場を取っているようです。しかし、私はどうもその説に違和感を覚えていたんですよね。
たしかに富士北麓の現鳴沢村あたりが歌枕になる可能性は低いなあとは思っていましたが、だからと言って大沢崩れに比定するのはどうかなと。たしかに今では東海道からも見ることができますし、毎日トラック数十台分の岩や石が崩れ落ちているようですが、しかし、その音が響き渡って街道まで聞こえたとは思えません。というか、もっと根本的な問題として、本格的な大沢崩れが始まったのは平安後期であって、万葉集に歌われるわけはない、というのが私の意見なんです。
もちろん、他にもいろいろと考えがありますよ。貞観の噴火以前に、現鳴沢村あたりを大田川という大きな川が流れていたらしいのですが(ある程度科学的にも証明されています)、そこに滝があって、その音だろうという話もあります。鳴沢村民としてはそう考えたい。たしかに私の読んでいるトンデモ文献宮下文書にも、大田川の描かれた古地図がいくつかあります。あっ、これはトンデモなんで証拠にならないか…と言いつつ、ついでに書いちゃいますと、基本あの古文書においては、「なるさは」は「鳴流澤」と表記され、今の富士吉田付近だということになっています。
で、最近の私の考えなんですが、これって実は場所を表しているのではないのではないか、つまり地名ではないのではないか…、そう思うようになったんですね。いずれにしても特定の場所で轟音が鳴り響いていたというのは、それ自体不自然な感じがしますし、「富士の高嶺の鳴沢」が「ニューヨークの摩天楼の124階」みたいな表現だとは限らないじゃないですか。
すなわちこういうことです。「富士の鳴沢」とは「富士の煙」とペアになる表現で、「なるさは」の「なる」は「鳴る」でいいと思いますが、「さは」は「騒ぐ(古語では騒く)」と同源の「さは」、あるいは「ザワザワ」と同源の「さは」、または「多い」「甚だしい」を表す上代語「さは」と同源の「さは」であり、「なるさは」全体で単に絶えることのない噴火の音を表していると。単に「富士の轟音」と訳すべきだと。つまり、「富士の煙」という視覚的なものともに、聴覚的に「絶えざる恋情」「激しい恋情」を表しているということです。
考えてみれば、万葉集は当然万葉仮名(漢字)で書かれていたわけで、一般に「鳴沢」と当て字される言葉も、元は「奈流佐波」なのです。そこに「沢」という字を当てて読むようになったのは、もちろん後世のことでして、その「沢」という字に流されて、いろいろと勘違いが生じたのではないかとも思われるのです。
この本にも紹介されていましたが、「さ寝らくは…」の歌には別ヴァージョンがいくつかあって、その一つに「伊豆の高嶺の鳴沢」という表現があるんですね。これも、伊豆箱根のどこかから噴煙が上がっている様子を聴覚的に表現したものだと思います。実際に音は聞こえてこなくとも、大きな山の頂上からモクモクと噴煙が上がっていれば、誰でも「鳴り騒ぐ」音を心の耳で聞くんじゃないでしょうか。
ということで、新説です。「鳴沢」はどこにもないけれども、ある意味どこにもあると(笑)。もしかすると、1000年以上にわたる誤謬を正す珍説かもしれませんよ、まじで。
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コメント
興味深いお話です。
実際、時代が下って「なるさは」は、『続古今集』冬638番の「富士のなるさは音むせぶなり」や
『新拾遺集』夏270番「富士のなるさは水こえておとや煙に立ちまさるらん」のような歌も見えますし、
「なるさは」は場所よりも音に主眼があるようですね。
渓谷を表す言葉「佐波」の音も、聴覚的に訴えてくるものがあるような気がします。
とりとめない話ですみません。新説にワクワクしてコメントしてしまいました。
投稿: kono | 2012.05.07 17:46