『私のこだわり人物伝 フレッド・ブラッシー』 森達也 (NHK教育)
知るを楽しむ…愛しの悪役レスラーたち 昭和裏街道ブルース 第2回
先週のグレート東郷に続く第2回。今回は「銀髪鬼」「銀髪の吸血鬼」フレッド・ブラッシー。
グレート東郷との試合がテレビ中継され、あまりの流血の多さにお茶の間の老人が数人ショック死したという伝説を残す男。そのニュース自体が既に虚実皮膜の間を行ったり来たりしていますね。ま、私は、老人を死なせたのはブラッシーではなく、カラーテレビだと思っていますが。ついにテレビが人を殺す時代になったと。
さて、今日の番組では、彼のヒールぶりと、実生活における紳士ぶりとの両方が紹介されていました。森さんも言っていたとおり、たいがいヒール・レスラーは「いい人」が多い。実生活の自己と遠く離れているからこそ、プロフェッショナルとして演じられるのでは、という森さんの見解には完全に同意します。また、だからといって、あのヒールは実は「いい人」だった、で終わらせたくないという言葉にも大賛成です。
さて、そういう意味で心に残ったのは、最後に紹介されたブラッシーの言葉です。試合を観戦した母親が、普段の息子とリング上の息子があまりに違うことに狼狽し、「どっちが本当のおまえなの?」と聞きます。すると、ブラッシーはこう答えました。「どちらも本当の私ではない」。
この言葉はなかなか重いですね。「どちらも本当の私だよ」という答えを期待した人も多かったのではないでしょうか。でも、それではあまりに予定調和的ですよね。
「どちらも本当の私ではない」…この言葉にはいろいろな意味を読み取れます。単純に、別のところに本当の私がいる、という意味にも取れますし、本当の自分はあまりに多様であり「どちら」という二者択一では表現しきれない、ということを表現したとも取れます。あるいは、自分自身にも「本当の自分」なんてものは分からないという意味だとも考えられますよね。
いずれにせよ、「虚」の無数の集合体が「実」であると言えそうです。ワタクシ的な言い方ですと、「コト」は「モノ」の一部であり、全体である、ということになりますね。あるいは最近よく使う「コトを極めたところにモノ」があるというのもに通じますし、お釈迦様をはじめとする、歴史上のたくさんのオタク(!)もしくは哲学者の「悟り」とは、そのことに気づく、というか、諦観するということなのではないでしょうか。
ですから、ブラッシーのようにフィクション(フェイク)を演じきると、あのような柔和な笑顔を持った好々爺になるのでしょう。奥様である三耶子さんが語るブラッシーは、まさに仏さまのようであります。
ブラッシーさん、あまりのヒールぶりにずいぶんとひどい目にあっていたようです。殺されそうになったことも何回もあるとのこと。それこそ命がけで悪役を演じた。命がけで修行して、悟りを得たのですね。尊敬します。彼にとっては、それは単にビジネスだったのかもしれませんし、会場を沸かせることが快感であったのでしょうが、いずれにしても、冷静な思慮深さを持っていなければ、この偉業は為し得なかったでしょうね。
リング上で憎まれ役を演じることと、日常でいい人を演じること、それはどちらも演じることであり、そうやって、両端を演じて、その中心点に「本当の自分」を仮設するのが、もしかすると人生なのかもしれませんね。自分自身に照らしてみても、どうもそういうことが言えそうです。皆、「本当の自分」を定位させるために、いろいろな演技をしてみるんじゃないでしょうか。職場で家庭で飲み会で、あるいは一人になってみたりして。両端とか「どちら」とかではなく、無数の演技の中の中心点というか、重心というか、そういう「座」みたいなものを浮かび上がらせる…それがうまく行っている人は、自信をもってこの世を生きていけるのではないのかなあ。
ただ、ブラッシーもそうでしたが、その時必要なのはやはり他者の存在です。他者との関係性の中において、自分の「座」を決めることができるのが、すなわち今日のテーマ「プロフェッショナル」なんじゃないでしょうか。そんなことを思いながら、この番組を見終えました。
最後にオマケ。裏番組、すなわちNHK総合では、この時間「プロフェッショナル 仕事の流儀」が放送されていました。こちらは「プロフェッショナル 人生の流儀」でしょうかね。面白いコントラストでした。
Amazon フレッド・ブラッシー自伝
吸血鬼が愛した大和撫子―フレッド・ブラッシーの妻として35年
私のこだわり人物伝 2008年6-7月 (2008)
| 固定リンク
「スポーツ」カテゴリの記事
- いろいろな「二・二六」(2021.02.26)
- (マイナスな)コトタマは恐ろしい…(2021.02.25)
- ジャイアント馬場 vs スタン・ハンセン (1982.2.4)(2021.02.04)
- 『俺の家の話 第1話』 宮藤官九郎脚本作品 (TBS)(2021.01.22)
- 「我は即ち宇宙」…合気道の神髄(2020.12.05)
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- キャンディーズ 『哀愁のシンフォニー』(2021.03.03)
- 『曼荼羅』 石堂淑朗 脚本・実相寺昭雄 監督・冬木透 音楽作品(2021.02.28)
- 『波の盆』 倉本聰 脚本・実相寺昭雄 監督・武満徹 音楽・笠智衆 主演作品(2021.02.27)
- いろいろな「二・二六」(2021.02.26)
- 『ユメ十夜』実相寺昭雄・松尾スズキ・天野喜孝ほか(2021.02.22)
「モノ・コト論」カテゴリの記事
- (マイナスな)コトタマは恐ろしい…(2021.02.25)
- 「歴史ミステリー 関ヶ原の勝敗を決めた細川ガラシャ」…麒麟は家康だった?(2021.02.10)
- これからは音声配信の時代!?(2021.02.05)
- 田中緒琴(初代・二代)の八雲琴演奏(2021.02.03)
- 『「生きる力」としての仏教』 町田宗鳳・上田紀行 (PHP新書)(2021.01.20)
コメント
前略 蘊恥庵御亭主 様
この御文は・・・思い入れが強すぎて
通常のコメントにあいなりません。笑
愚僧の現在は認知症の母上様が・・・・
数十年前・・・・・
やられっぱなしの日本人レスラーに
「うぅぅん。金玉を蹴りあげてやんなさい」
と白黒ブラウン管に叫んでおりました。笑
合唱おじさん
投稿: 合唱おじさん | 2008.07.09 08:50
合唱おじさんさま、こんにちは。
いやあ、胸に迫るコメントありがとうございます。
なにか、時間の重みと申しましょうか、
記憶や人の心というのは実に尊いような気がします。
それを呼び起こしてくれたブラッシーさんに感謝したいですね。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.07.09 18:42