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2008.07.01

『私のこだわり人物伝 グレート東郷』 森達也 (NHK教育)

知るを楽しむ…愛しの悪役レスラーたち 昭和裏街道ブルース 第1回
Akuyaku ろいろな意味でタイミングのよい番組。NHKいいぞ!
 グレート東郷 vs バーン・ガニアの映像が観れたのも収穫。グレート東郷の「ジャパニーズ・スマイル」&「待った!待った!」最高でした。NHKさん、案外プロレス好きですよね。まあ「テレビとプロレスは双生児」ですから、避けて通れないのでしょう。
 さて、私も好きでよく読む森達也さんの本ですが、数年前に読んだ「悪役レスラーは笑う」も大変面白かった。ただ、ネタが私の専門とする(?)プロレスなだけに、逆に語りにくくなってしまって、このブログでは取り上げずじまいでした。そうこうしている内にNHKさんに取り上げられちゃった。そして、私の言いたいことを全部言われてしまった…と言うか、森さん本人が語っちゃった。ということは、森さんと私の考えは非常に近いということですね。
 その一番言いたいことはとりあえず置いといて、本書の中での最も感動的な(味のある)部分は、先日亡くなったグレート草津さんとの酒を飲みながらの対談でしょうかね。あれがプロレスの全てを表していましたよ。ああ、グレート草津さん、命がけで酒飲んでたんだ…。それこそレスラーの生き方でしょうね。
 それから、昨日の記事で、「政治はフィクション」みたいなことを書きました。あれは今日の森さんの言葉で言えば「国家というフェイク」ということでしょうね。そういう意味でもタイミングが良かったかな。なんだ、おんなじこと言ってんじゃん…う〜ん、やっぱり森さんの著書に影響受けてるのかな、私。
 森さんがいろいろなメディアで一貫しておっしゃる、「この世は単純でなく、複雑で、多層的で、豊かである」ということは、ワタクシ的に言うと、「コト」より「モノ」ということになりましょうか。今日の番組でも少し触れられてましたが、時代はハッキリした「コト」にばかりこだわって、つかみどころのない「モノ」の豊饒を享受しなくなっています。非常に涸れた感じがしますよね。プロレスを観て、あれは八百長だろう、で終わってしまうような。
07_book グレート東郷の出自からしてよくわからない、その「モノ」性に、皆が嫌悪し、興味を引かれ、語りたくなる。昭和はそういう時代でした。昭和まで、と言った方がいいでしょうか。
 それに比べて、最近はどうでしょう。わからないことを楽しむ…フェイクに自らすすんで騙され、フィクションで遊び、虚の豊かさの中で自己を世界を拡張していく、そういうまさに「物語(モノガタリ)」がなくなってしまっていませんか。この前、総合格闘技のイベント「DREAM」について厳しい感想を書きましたが、それはこういう実感から由来するものなのでした。
 番組中、森さんが語った「フェイクがリアルに転換する瞬間」「虚の中に実がある」「全てが虚実の被膜」「人間は矛盾した存在」「底が丸見えの底なし沼」ということは、最近私が言っている「コト」を極めて「モノ」に達するということにも通じています。
 私が言いたいのは、なんでも科学的に説明したり、白黒はっきりさせたり、勝ち負けだけで論議したり、つまり「コト」化だけで終了し、安心し、納得してしまうのでなく、なんだかわからない「モノ」について、みんなが語り(コト化し)…すなわち「モノガタリ」しあい、しかし結局その総合体がまたなんだかわからない「モノ」になっていく、というのが人間の営みであるべきだということなんです。「モノ」→「コト」→「モノ」→「コト」…という無限の循環こそが、我々の生きる意味であるし、世界の実態であると思います。
Togo もちろん、それはお釈迦様の教えにもつながっていますね。つまり、この世の「マコト(真実)」は、全ての「モノ」は無常であり、だからこそ多様であるということ一つなわけです。そうして、究極には「コト」と「モノ」が一体化していく…。
 「言葉(コトノハ)」で語る(コト化する)とは、すなわち何かを切り取り抽象するということですので、それ自体が「騙り」=「虚」になります。そこで終わってしまうのでなく、それを元に捨象された部分、未知なる「モノ」に思いを馳せて更に語る(コト化する)のが、「物語(モノガタリ)」の本質です。
 ですから、語られた(あるいは騙られた)「コト」を全てとして終了してしまうのは、私は絶対に避けたいと思っています。たしかに最近の世の中には、そこで終わってしまって、せいぜいブツブツ愚痴をこぼすだけの人が多い。それは感じます。もっともっと我々は底なし沼に入っていかなければなりませんね。底が見えているからと言って、それがホンモノであるとは限りません。蜃気楼みたいな幻影かもしれませんからね。まずはそこ(底)まで行ってみましょう。
 まあ、実際、語られる物の怪がいなくなった、モノガタリの素材たるモノが欠如している、物語の推進力を秘めたモノを感知しにくくなっている、そういう時代になってしまいましたね。単なるノスタルジーやセンチメンタリズムではないと思いますよ。
 おそらく森達也さんも、同じことを、私と違う経験と思索の中から感じ取っておられるのだと思います。もちろん、私のようなモノと森さんを同列に扱うことは大変失礼でありますが、しかし、いつかお酒を飲みながら語り合いたいですね。
 さて、いろいろ書きなぐってきました(語ってきました)が、番組の中でも、あるいは著書の中でも登場した重要人物、大モノノケである力道山について近い内に語ろうかと思います。面白い映画を観たので。

Amazon 私のこだわり人物伝 2008年6-7月 (2008)

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