『稲田奈緒美 「土方巽 絶後の身体」出版記念パーティー』
南青山のNHK青山荘にて行われた、「稲田奈緒美 『土方巽 絶後の身体』出版記念パーティー」に夫婦で出席してまいりました。
いやあ、本当に楽しく勉強になりました。だいたいが、このようなそうそうたるメンバーの集まるパーティーにワタクシどものようなモノが出席をさせていただけただけでも、もうこれは奇跡的なことであります。
舞踏や舞踊などの研究者だけでも、圧倒されるような方々ばかり。そこにまた、大野慶人さんやら笠井叡さんやら小林嵯峨さんやら、実際に土方と舞ったこともあるカリスマ的舞踏家の方々が独特のオーラを放って立っている。うむ、ものすごい状況だ…。
全くご縁というのは面白いもので、今回の主役、著者である稲田さんとは、3月9日の土方巽生誕80周年記念イベントで初めてお会いし、ちょっとお話させていただいただけの関係だったんです。そして、その時購入したこの本の感想をこちらの記事として書いたんですが、それを稲田さんがたまたま読んでくださいまして、それがご縁でご本人様からお誘いをいただきました。まったく恐縮なことでございます。
結局ずうずうしく2次会までのこのこ付いていき、まあ夫婦二人でそういうすごい方々相手にヘーキで喋る喋る(笑)。結局用意した名刺がまったく足りなくなってしまう事態に。日常鍛えている「突撃力」「はったり力」「ちゃっかり力」がこういう時に発揮されてしまうんですね。申し訳ありませんでした。言ったことにはちゃんと責任とりますので、お赦しを。
さて、もうあまりにいろいろな方のお話を聞かせていただいたので、どうにもまとめようがないのですが、しかし全体を通してわかったことがありましたので、それだけは記しておきます。これはもう私の人生のテーマそのものですので。
いろいろな方のお話を聞いておりますと、この素晴らしいデータベースは、たしかに素晴らしいが、しかし書かれていない、書けていないことも結構あるとのこと。これはもう面白いほど皆がそう語っていました。つまり、稲田さんは直接土方の舞踏を観ていない世代なんですね。私もそうです。ですから、実際に観た人、実際に土方と舞った人、実際に土方と生活した人は、それぞれの記憶と想いを語りたくてしかたなくなるんですね。それこそが、まさに土方という現象なわけです。
しかし、その記憶や想い(若松美黄さんは「匂い」と言ってましたね)を全て記録するのは物理的にも不可能ですし、結局それをすることは無意味なようにも感じます。つまり、こういう「モノ」を「カタル」という行為には、常に濾過のような機能が働いていて、そうしてどんどん純化していくのが本質だと思うんですね。
土方を神格化するな、あいつはとんでもないヤツだった、という語りも、これは当然その逆の形と同じだけあるでしょう。しかし、大野さんが言っていたように、舞踏も時間の中で消えてゆくモノであり、もちろん人間も土方に限らず、こうしていつのまにか消えてゆく存在です。それを語り継ぐ、つまり命をつないでゆくには、こうしてそれぞれが語って語って、聖も俗も、正も邪も、プラスもマイナスも何もかも、その語りをぶつけあっていって、その中で濾過、純化の機能を働かせてゆくしかない。実際、全ての歴史的芸術作品や作家像は(のみならず全ての偉人伝も)こうしてその命脈を保ちつつ、より高い次元に昇華されていったわけじゃないですか。
いつも書いているように、そして今日もたくさんの人にそう語ってしまいましたが、「カタリ」の本質は「騙り」にあるわけで、それ自体はあくまでもフィクションです。「情報」は死んだ「コト(ノハ)」に過ぎませんが、人が「モノ」を「カタル」こと、あるいは人という「モノ」が「カタル」こと、つまり「物語」は常にそういう生命力を秘めているんです。
そして、そうした物語を生む素材こそが歴史的な遺産となって生き続けるんですね。そういう意味では、今日のあの時間と空間の中だけでも、土方はとんでもなく生きていた。そこに立ち上がっていましたよ。
その語るということ、すなわち言語化するということに関して、会場で四谷シモンさんとお話しされていたヴァイオリニストの佐藤陽子さん(故池田満寿夫さんの奥様ですね)にわざと(!)こういう不躾な質問をぶつけてみました。
「音楽こそ舞踏であるべきですよね。言語化できないものじゃないですか?」
そうしたら、ものすごい目力をもってこちらを見据え、毅然とした声で、
「いいえ、言語化すべきです」
と答えられました。私は待っていたばかりに、
「なるほど、そうですか。自分の責任において言語化するのが私たちの仕事ですね」(←「私たち」って、ずうずうしいにもほどがあるぞ!笑)
と言いますと、これまた毅然と
「はい」
とお答えになりました。
そうです。そうして、死に行く(エントロピーが増大していく)作品や人の記憶を、言語化し、騙り、それについてまた語り合っていく行為こそ、(芸術家や評論家のみならず)私たちの「シゴト(コトを為す)」だと思います。
そういう意味で、別の角度から非常に面白かったのは、棚谷文雄さんのお話でした。棚谷さんは、秋田工業高校で土方の後輩だった方。土方と一緒にノイエ・タンツを学んだ…と言えばかっこいいのですが、実際には土方先輩と一緒に「学校対抗ケンカ」に参加して無敗を誇ったという男です。その後もなんだかいろんなスポーツでオリンピックに出そこなったり、記録を作ったりという、ある意味土方以上のすごいおじいさんなんですね。80歳になろうかという今でも、ボクシング連盟の顧問をされていたり、スキーのインストラクターをされたり、ついでに息子さんはニューヨークでDJをやってるとか(笑)。
いやホントにすごい方なんですが、なにしろこのような東京の青山でとんでもない人たちに囲まれて、さすがにアウェー感を感じていたらしいんです。そこに、ウチのカミさんがコテコテの秋田弁で話しかけたから、もう大変。一気に生気を取り戻し、喋る喋る。2次会は完全に彼の独壇場になっていました。
そこで、彼とウチのカミさんの究極の会話が展開され、アカデミックな方々、アーティスティックな方々は圧倒されちゃったんです。つまり、土方の舞踏は、ありゃあ、農作業の動作だ、マタギの作法だ、ケンカのやり方だ、舞台の演出も、ありゃあ秋田の日常風景だ、芸術でもなんでもないし、いったい何がすごいんだ…と(笑)。
もう、たとえば外国から研究にいらしている研究者なんか、そう言われちゃったら、もうポカンとするしかないじゃないですか。日本人でも、それを言っちゃあおしまいよ…っいう感じですから。
そう、そういう「ホントのコト」もあるわけです。でも、それを通り越して、そこにあえて濾紙の網の目を配置してですね、私たちは私たちのフィルタリングの中で語っていいんですよ。そうして新たな意味が生まれてくるのが優れた芸術の本質ですから。そうして縁起した別のもの、本人の意思さえ超えたものこそが、生命の源泉であると思います。
というわけで、とにかく今日の皆さんのカタリは楽しかったし、勉強になりました。語られた土方巽も面白かったが、語っている皆さん、そして自分自身も面白かった。きっと、土方自身もそこにいて、ガッハッハと大笑していたことでしょう。
そんな素晴らしい時間を与えてくださった稲田さんに改めて感謝いたします。そして遅くなりましたが、出版おめでとうございます。これからも頑張ってくださいね。私たちも私たちなりのアプローチで土方に挑み、土方と遊びたいと思います。
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コメント
異端”カタリ”派お二人の突撃説法に感動いたしました!
冗談はさておき、名実ともにすごい会でしたね。
そういえばその昔、学生オケのメンバーだったころ、トレーナーで
来てくださった桐朋の学生さんの手引きで、ロストロポーヴィッチ
のオーケストラトレーニングに潜入したことがあります。もう30年
近く前です。
そのときの通訳が、佐藤陽子さんで、英語とロシア語の混ざった
指示をてきぱきと翻訳し、オーケストラに伝えていました。ほとんど
もとの言葉がわからなかったのですが、翻訳があまりに明晰だった
のが記憶に残っています。またなにしろ、眼光がするどく、まさに
会場を睥睨するという感じでした。
ただ、通訳よりなにより、とても流暢とはいえないロストロの棒の
一閃で、オーケストラが一気に鳴り出したのには感動したしました。
佐藤さん、相変わらずなんですねえ。 わかります。
投稿: 貧乏伯爵 | 2008.06.23 12:38
伯爵さま、まったく異端カタリ派は危険集団ですよ。
佐藤陽子さんは変わらずすごいオーラでしたが、
そこに竹槍で突撃しちゃうのもどうかと…。
でも、あの強い言葉を浴びせられて、ちょっと感激しました。
ロストロポーヴィチ、私も30年前に生で聴きましたが、
たしかにすごかったなあ。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.06.23 18:18
この間、巖谷國士氏の『封印された星』に収められた土方巽についてのエッセーを面白く読みました。ちょっと引用しておきます。
「…むかいあっての話はねじくれた。土方巽はとつぜんサネーッとかアンコッとか叫んで、肩をあんましてくれたりした。腕でも言葉でもあんまされながら、どこへ行くのか、どの店へ行ったのか、いまでは憶えていない。彼のいうことは十中八九わからなかった。語る人間というよりも運動する「物」のような何かを感じることがよくあった。私はいつも土方巽を理解していたのではなく、オブジェを見るように見ていただけなのかもしれない。」
このあとにもうひとつ「二冊の不思議な書物」と題されたエッセーが続き、『美貌の青空』と『病める舞姫』のことが書かれています。
「二冊の書をいま読みかえしてみて実感されるのは、実際、土方巽にとっては書く行為もまた踊る行為の延長であった、ということである。」
『病める舞姫』を以前読んだときは、なんだかよくわからなくて読み進めなかったのですが、これは意味を理解しながら読んでいくというよりは音楽のように言葉の運動の流れにのって読んでいくべきなのかと考えるようになりました。今度『美貌の青空』を読もうと思います。
投稿: 龍川順 | 2008.06.24 07:07
龍川さん、おはようございます。
この巖谷さんの文は素晴らしいですね!
非常によくわかります。
パーティー当日、上智のフランス文学の永井敦子先生(明学でも教えていらっしゃるとのこと)とお話する機会がありまして、土方や寺山や太宰の書く日本語は、あれは外国語として書いているというような話をしました(カミさんの実感です)。
ある意味自分のものになっていない言語で遊んでいる部分がありますね。
それを都会の論理で読み解こうとすればするほど、よくわからなくなるんです。
それはまさに、記事にも書いたように彼の舞踏にも言えることで、実は学問とは最も相容れないはずなんです。
だけれども、ああしてみんな語りたがるというのが、実に面白かった。
土方はきっと神話の素材のようなモノなんでしょう。
物語の源泉とは、そういうわけのわからないモノなんですね。
「病める舞姫」、私も今難渋しています。
音楽として読んでいると眠くなりますね(笑)。
すっかり土方の術中にはまっています。
佐藤陽子さんに投げかけた問いにも、実はそうした意図があったんです。
音楽を言語化することは必要でしょうが、そこを突き抜けた先をも見据えるべきでしょう。
言語化で満足したり、あるいは最初からそれを拒否したり、そういう自己満足な音楽表現が世の中にあふれていますから。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.06.24 07:58
前略 蘊恥庵御亭主 様
人物論は・・・全く無知蒙昧ですが。
著名な人物は・・・神格化されやすいですね。
虚像と実像なのでしょうか。
虚像は一人歩きし・・・・
実像は忘却されやすいようです。
奥様の・・・ふるさとの方言によって・・・
実像を知る御方様の「こころ」が打ち解け
「とても大切なこと」が語られたのでありましょう。
出会いはとても 大切 です。
蘊恥庵御亭主様御夫妻は・・・・
とても大切な・・・key person
だったわけであります。
これからも 素晴らしい出会いがあると
感じております。合唱おじさん
投稿: 合唱おじさん | 2008.06.24 09:17
合唱おじさん様、いつもありがとうございます。
いえいえ、key personだなんて…。
とんでもございません。
大変失礼な存在であったと思います、私たち。
しかし、出会いというのは本当に素晴らしいものですね。
お釈迦さまのおっしゃる通り、一瞬も自分だけで自分があることなどありません。
さまざまな出会い(ご縁)こそが私を作っているのだなあ、と今さらながら実感しております。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.06.24 18:09