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2008.06.17

隣人祭?…気脈との断絶

Photo25992 宅後、NHK歌謡コンサートが始まる前に、クローズアップ現代をチラ見。なかなか興味深い内容でしたが、しかし、ただ単にこれは素晴らしい!とは言いきれない「現代」のありさまでありました。
 「隣人祭」とは、つまり、ご近所に声をかけ、食べ物や飲み物持参で集まったりしてコミュニケーションの場を作りましょうということです。近所の老人が孤独死したことをきっかけにフランスの青年が始めたものが、今や全世界に広がり、各地でそういった「祭」が催されるようになったとのこと。普段人間関係が希薄な、都会のマンションの住民が近所の公園に集まってパーティーを開いたという日本の例なども紹介されていました。まあ、結構なことだと思います。
 私は別荘地に定住しています。ある意味特殊なロケーション&シチュエーションでして、引っ越してきた頃は、いったいどういう共同体が成立するのだろうと不安に思っていたんですが、丸10年住んでみまして、それが全くの杞憂だったということに気づきました。非常に幸運なことですね。ありがたいことです。
 昨日も、カミさんが「やばい!味噌がない!」と叫ぶなり、近所に電話して「味噌貸して!」…です。すぐにそのお宅のおばあちゃんと孫が味噌を届けてくれました。本当はこちらから出向くべきなのにね。そのかわりと言ってはなんですが、その家から頼まれてネットで注文していた物がちょうど届いていたので、それを渡しました。お金は端数を切り捨てていただきました。味噌代っていうことですかね。
 近所にウチのと同世代の子どももたくさんいまして、お互いの子どもの預かりっこは日常的です。私が職場から帰宅すると、子どもの数が倍増していることもしばしば。あるいは、ウチの子がいなくなってるとかね。
 困った時には助け合うというムードも非常に強くあります。ウチもいろいろとお世話になりましたし、お世話もしています。なんだか、本当に古き佳き日本の雰囲気がありますね。見た目とはだいぶ違って(家々の外見はかなり現代的?)。
 ここの住人は、たとえば都会の人間関係に疲れて逃げてきたとか、逆に田舎の人間関係に疲れて逃げてきたとか、私のように人間関係そのものを断ち切ろうとしてきたとか、多少そういう部分があると思うんですが、それが逆に非常にいい距離感の共同体を作るきっかけになっていると思います。近からず遠からずというのを、皆さん経験でわかっていらっしゃるんですね、きっと。
 世代的にもいろいろな方々がいらっしゃって、非常にバランスのよい、非常に温かいコミュニティーが成立しています。これは本当に幸せなことですね。生活の基盤に安心があります。
Photo25991 クローズアップ現代でも、実際交流してみたら、実はみんなかかわり合いたがっていた、誤解していた、言いたいことが言えないでいた、というような発見が多々あったと紹介されていました。なるほど、その通りでしょう。三丁目の夕日ではありませんが、そういうご近所の人情の復権のようなことが叫ばれるのは、それ自体は正常なことですし、大いに結構なことだと思います。
 しかし、解説の辻信一さんもおっしゃってましたが、そうして「祭」にしないと、そういう関係が築けないというのは、これはどんなものなんでしょう。
 昨日の記事で「祭」について書きましたね。祭は非日常であり、ハレの場であるわけです。そういう非日常的インパクトをもってしないと日常が立ち上がらないという現状、少し心配になりもしませんか。
 もちろん、古来「祭」というのものは、そういう機能も備えていましたよね。凝固した日常を融解する、あるいは逆に放浪しそうな日常を繋留する役割がありました。しかし、「祭」は、昨日も書いたように「マレビト」を招来するのが本来であって、「隣人」を招くものではありません。「隣人」はともに招く立場であるべきで、招かれる「マレビト」ではないはずです。
 今日もいろいろと悩みをかかえる複数の生徒といろいろ話しました。そこでも感じましたし、また死刑が執行された宮崎勤に関するニュース、また秋葉原での無差別殺人のニュースを見ても感じましたが、なんだかみんな漠然とした孤独感を持っていますね。みんなかかわり合いたいのに、かかわるのが怖い。
 それって、目に見えるコミュニケーションをしようとするから、そういうことになるんじゃないでしょうかね。私には、それの手段自体が間違っているような気がするんです。それじゃあ、最初から無理に決まってるじゃんと。
 そう、なんとなく我々を結ぶ気脈のようなものが断絶している感じがするんですね。私のイメージでは、それは地面の下にあるような気がするんですけど、それがどうも我々の足まで届いていないというか。
 昨日も、土地や社会を覆っている被膜のような存在について書きました。どうもそいつがそうした気脈と私たちの連絡を断っているような気がするんです。我々が自ら築いてしまった、世界を覆う分厚い甲殻。
 最近の私は、非常に強力なデバイス(?)を手に入れたので、その甲殻を突き抜けて底流する気脈とつながる術を持っているんですよ。これは非常にラッキーなことですね。世界中、あるいは宇宙中に張り巡らされた光ファイバーをほとんど独占的に使わせていただいてるようなものですから(笑)。いや、冗談でなく、そんな気がします。
 これからはそんな術を多くの人に紹介し、そして分け与えていけたらなあ、と思っています…なんちゃって。まあ、いずれにせよ、「祭」という形も結構ですが、もっと本質的なところで、我々は我々の作った障壁と闘っていかなくてはならないのでしょうね。
 気脈とのつながり方、気脈への乗っかり方については、とても一言では言えませんが、まあこのブログに小出しにしつつ蓄積してありますので、興味をお持ちなった方はコツコツお読みください(笑)。あるいはウチにいらしていただければ、何かわかるかもしれませんよ。ただ一つ言えるのは、これは全然難しいことでもなく、努力も必要なく、非常に他力本願的な方法だということです。

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コメント

前略 蘊恥庵御亭主 様
愚僧も田舎者であります。
立ち話・・・「たちばなし」 が とても
大切な時代になっています。
立ち話が 気楽にできる人には ほとんど問題は
ありません。笑
だから 女性の御方様に問題はございません。
ちょっとした なにげない会話が とても
重要です。
日常的な挨拶であったり 莫迦× 馬鹿話が
社会生活の 大切な「大黒柱」 となってきています。
この情報交換こそが 不安定な現代社会の・・・
危険回避策だと 信じています。
「あの ばあさん ころごろ 元気なかねぇぇぇ」
「あの おいさん ころごろ やせとるばい」
「あの おしょさん ぶったおれんしゃったらしい」笑
世間話は 現代社会の 安定剤なのかもしれません。
合唱おじさん


 

投稿: 合唱おじさん | 2008.06.18 09:12

合唱おじさん様、こんばんは。
まずは「挨拶」、そして「立ち話」「世間話」「馬鹿話」…いいですね。
それが日常的に行われるのがポイントですね。
そして、高尚、上品ばかりではダメ。
いずれにせよ、笑顔が必要です。
木喰さんのような笑顔が街にあふれていると、
きっと世界は平和なんでしょう。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.06.18 20:24

前略 蘊恥庵御亭主 様
御返事 まことに有難う御座います。
仕事柄 様々な「御方様」に出会う事が・・・・
とても大切な 毎日であります。
作り笑顔しか・・・作れませんが
笑顔は 本当に大切ですね。
出会いは笑顔から始まります。
文面だけのやり取りでは・・・ありますが
蘊恥庵御亭主様との出会いは・・・
愚僧にとりまして 本当に尊いものです。
本当に楽しく毎日 学ばせていただいております。
今後とも どうぞ よろしくお願い
いたします。【笑顔】 合唱おじさん  拝 

投稿: 合唱おじさん | 2008.06.20 18:48

合唱おじさん様、こちらこそありがとうございます。
尊いだなんて、とんでもございません。
もったいない、もったいない。
面白いもので、文章でも笑顔は伝わるものですね。
文章の笑顔はずっと残りますから、案外いいものです。
実はウンウンうなりながら書いてますが(笑)

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.06.20 22:16

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