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2008.06.06

『男の作法』 池波正太郎 (新潮文庫)

10115622 波正太郎先生による男の作法指南書。職場の後輩に借りて読んでみました。いろんな意味で面白かったなあ。いい味出してますね、池波先生。
 まず最初に大いに笑わせていただいたことを一つ。
 この本の中で、池波先生は、あの「吉兆」に触れ、自分が食べないもの、食べられないものは、手をつけずに残して使い回してもらえ、誰かに食べてもらえ、というようなことを書いています。そういう直接的な表現ではありませんが、そういうことを言っています。これはあまりにタイムリーなので、笑ってしまいました。男の作法的には、船場吉兆のやり方は間違っていなかったと(笑)。私もぜひ使い回してもらいたい派であります。
 さて、池波先生、自分は古い人間で若いもんに作法を押しつけるつもりはない、人に作法など説けるような男ではない、と言いながら語る語る。
 すし、うなぎ、そばの食べ方から、ネクタイ、スーツ、和服などの着こなし、小遣いから日記、さらには引き戸、家具まで…あっそうそう、嫁と姑の扱いなんかにも触れています。
 その一つ一つが、正直私のやり方とは全く違います。私は自他共に認める野暮天ですから、彼の一つ一つの作法にこの上ない粋を感じて、かなりうらやましい反面、私には無縁な世界だなとも感じてしまうのでした。
 いまやこうした「粋」な「作法」を身につけた「男」はほとんど死に絶えてしまいました。どうしてでしょうか。
 女のせいにするのは、それこそ野暮かもしれませんけれど、やっぱりまず女が作法を重視しなくなったというのがあるでしょう。そして、そういう野暮な女が強くなってしまいましたからね、男は作法なんかにこだわっている場合でなくなった。なにしろ、男の(女のもですが)作法には金がかかるんです。
 つまり、作法とはある意味道楽なのです。なくても生きていける趣味みたいなもんなんです。その道楽を女が許さなくなった。あるいは女が、そんな道楽に興じる男を好きにならなくなった。それじゃあ男には何のメリットもありませんから、そりゃあ作法なんて面倒なことをしなくなりますよ。
 池波先生が語る作法は、それぞれしっかりその根拠も述べられていて、一瞬なるほどと思わせるんですが、しかし、よくよく考えてみると、そこにもどこか男の道楽が含まれていることに気づきます。それらしい「語り」…「騙り」。
 そう、作法、あるいは道楽というものは、これはフィクションであり、ルールであり、私の言うところの「コト」に当たるものなんですね。男の作法、それも歴史小説家である池波正太郎先生の語る作法ともなれば、これはなんなとく武士道に通ずるものがあるような気がしますが、だまされてはいけません、実はこれは立派な貴族文化だと思うんです。つまり、オタク文化。
 すみません。池波先生、きっと怒るだろうな。でも、私にはそう読めたんですよ。形は違うけれど、一つ一つの動作や一つ一つの物に自分独自の意味を与えて、それにこだわり、それに耽溺し、それをもって自己を際立たせ、あるいは同じ道楽を共有する者との絆を強める。これはオタクそのものでしょう。
 そう考えると、これは男らしいのではなく、女らしいのだということになってしまいます。そう、常々申しているように、私は、オタク文化とは女流の貴族文化の系列だと考えているんです。
 本当の武士道というか、武士の生き方は、そんな生活の些末な部分にこだわるんではなく、生と死という壮大なテーマに対峙する存在だったはずです。江戸時代に造形された武士道というのは、これは仕事も金もないのに権力だけはあったタチの悪いニートのためのフィクションでしたからね、まさに貴族文化の正統であり、のちのオタク文化の萌芽になるものだったんですよ。
 ですから、当然、江戸の「粋」というのは、私に言わせれば「萌え」みたいなものでして、そこに「コト」はあっても「マコト」があるわけではない。「もののあはれ」という生命に一番近い感覚をあえて隠蔽して、一番無責任な先っぽの方で大いに遊んだのか「粋」であると思います。「粋」は「息」で「生き」だなんて語るお方もおられましたが、それこそ見事な(あるいは露骨な)フィクションであります。
 ということで、「粋」な「作法」を身につけた「男」が死に絶えた、という言い方は正しくないということがわかりますね。金のかかる「作法」の方法が淘汰されただけで、世の男の粋の欲望は、たとえば「萌え」という形で、あるいはビジネス(特にベンチャー)という形で、しっかり生きているんですよ。自分の世界観にこだわりつつ、しかし女にもてたい…この欲望は死に絶えるわけありません。
 まあ、こんな事実をもってですね、池波先生を非難しようなんて、これっぽっちも考えていませんよ。だって、彼は「騙り屋」だからです。逆に、小説家はこうでなきゃいけないんです。「コト」にとことんこだわって、実生活でもフィクションに生きねばダメです。そういう意味では、彼は「小説家の作法」を実践した男だったと言えるかもしれません。そういう小説家がいなくなったのが問題なのかもしれませんね。
 というわけで、この本は「小説家の作法」あるいは「男の道楽」というタイトルにするのが良かったかもしれません。もしくは「オタクの作法」とか(笑)。

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コメント

最近好んで読んでいる隆慶一郎の時代小説にも、
戦国の「いくさ人」の行動規範はいわゆる武士道とは
まったく違うとありました。ここから妄想ですが、
戦国から江戸初期にかぶいたバブルの崩壊後、低成長
あるいは縮小均衡経済の下、オタク文化が幕末まで
200年続いたのと同じような歴史が、もう一度繰り
返すような気がしております。

投稿: 貧乏伯爵 | 2008.06.07 08:36

伯爵さま、どうもです。
私も激しく同意します。
オタク文化って緊縮貴族文化ですよね。
デジタル技術は、自身をも、経済をも圧縮します。
それが案外平和だし、適度に禁欲的であったりもして、健全なような気がしますけど。
こんなふうに地味に小粒に煩悩世界を謳歌するのが、日本人にはちょうどいいような気もしますね。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.06.07 10:18

前略 蘊恥庵御亭主 様
御亭主様は 本当の礼儀をご存知です。
愚僧も・・・様々な御方様の 文章を
仕事柄 拝読いたしておりますが・・・・
やはり・・・「文」は人なりです。
御亭主様の文章には・・・
「やさしさ」が にじみでておられます。
これは もっとも尊く 困難なことです。
でちゃうんこですよ・・・・×
でちゃうんですよ・・・・・◎
人柄が・・・・・。苦笑
「人を不快にさせない・・・・文章」
これに勝る礼儀無し。
御亭主様の御文を拝読させていただくと・・・
ほんと 「しあわせ」な気持ちになります。
             合唱おじさん
 

投稿: 合唱おじさん | 2008.06.09 22:57

合唱おじさん様、おはようございます。
おほめいただいて恐縮です。

文は人なり…たしかにそうですね。
でも、私の文章には礼儀なんてものはありませんよ。
ただ、私は小心者なので、気を遣って文を書いているのは事実かもしれませんね。

基本、推敲・校正をしない、全くの書き下ろしですので、けっこうビクビク書いてるんでよ、実は。
アドリブで演奏してるみたいなものです。
素材だけはあって、あとは成り行き任せ(笑)。
そのビクビク感が出てるのかもしれませんね。
お恥ずかしい限りです…。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.06.10 06:55

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

投稿: ビジネスマナー | 2011.11.09 11:59

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