「梅雨」はなぜ「つゆ」なのか
梅雨入りしました。ここ富士山麓ではしばらくストーブが必要な日が続きます。今も外は9℃です。
今年はずいぶんと早い入梅ですね。これから2ヶ月近くしとしとと雨が降り続きます。だらだらと長く続く雨のことを「淫雨」とか「陰雨」とか言いますが、こんな言い方じゃあ本当にマイナスイメージですよね。実際はものすごい恵みの雨なのに。
日本の豊かな自然が育まれる、その一つの要因がこの梅雨にあることはたしかです。人間以外の生物は、特に植物は喜んでいるはずです。
ところで、なぜ「梅雨」と書いて「つゆ」と読むのでしょう。
昔から中国では、この時期の長雨のことを「霉雨」と言ったそうです。「霉」は「黴」、つまりカビが生える(当地方ではカビが咲くという表現を使います)ほどの湿気をもたらす雨ということですね。しかし、これまたちょっと悪いイメージなので、同じ音の「梅」を使うようになったらしい。6月と言えば、ちょうど梅の実のなる頃です。梅の実がなる頃に降り続く長雨ということで、きれいに落ち着きましたね。
日本では古来「五月雨」という言い方が一般的でした。それが、江戸時代くらいから「つゆ」と呼ばれることも増えてきたようです。なぜそのような呼称が生まれ広がったのか、よくわからないのですが、やはり「つゆ」という音から想像されるとおり、「露」「汁」と同様に「水分」を表す語なのでしょう。物が腐るので「潰ゆ」だという説もありますけれど、ちょっと無理があるように思われます。
私が想像するに、この言葉は俳句の世界で生まれたんではないでしょうかね。五月雨という言葉は言いふるされ過ぎてしまった感があったのでしょう。古今集あたりからずいぶんと使われてきましたからね。また、「さみだれ」と4拍使ってしまうと、どうしても次には助詞の「の」とか「を」とか「や」とかしか入れられないじゃないですか。かなりパターン化してしまいます。
そこで、ある意味比喩的な表現として、世界を「水分」の中に放り込んでしまった。巨大な水滴を想定したというより、我々や世を矮小化して、露の中にとじこめたんじゃないでしょうか。
「露」という語も、もちろん歌の伝統の世界において非常に重要なものであり、充分に言いふるされた語であったわけですが、「五月雨」よりもずっと抽象的でもあったため、こういう新奇な用法を受け入れたんではないでしょうかね。言いふるされたからこそ新鮮であったのでしょうし。
いったいどこの誰が「つゆ」という言葉を「ばいう」の意味で使い始めたのか、それはわかりません。しかし、短期間で一気に一般化したのには、やはり俳諧文化が影響しているように思われます。「つゆ」は2拍ですので、造語も作りやすい。「なたねづゆ」とか「はしりづゆ」とか「つゆざむ」とか「つゆのいり」とか。
そして、「露」と書いたり「つゆ」と書いたりすると、意味を取り違えてしまいますので、それで中国語の「梅雨」を借りてきて、「つゆ」と読ませる習慣を確立させたんではないでしょうか。
俳句というのは、ある意味新しいイメージの創造作業ですよね。いかに使いふるされたイメージを刷新するか、それは言葉の次元でも、ものの見方の次元でも言えることです。日本人の情緒をいろいろな意味で動かし支配してきた「五月雨」が、「梅雨(つゆ)」になって、新たな価値やイメージを与えられるようになったわけですね。
特にこの長雨は、それこそ「淫雨」「陰雨」であり、たいがいマイナスイメージでとらえられてきましたからね。それを新しい視点からとらえなおして、どうせならプラスのイメージで付き合っていこうというのは、いかにも日本人らしい発想です。どうせ毎年避けられないわけですから、表現の題材にしてしまえ、というわけです。
と、私の勝手な想像を書いてきましたが、おそらく当たらずとも遠からずの珍説ではないでしょうか。ついつい気が滅入りがちになるこの季節、古人の智恵にあやかって、今年は存分に楽しんでみようかと思います。
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