『欲望する脳』 茂木健一郎 (集英社新書)
茂木さんの趣味は、私のそれと重なるところが多いだけに、かえってしっくり来ないことが多い。今回もバッハや本居宣長について、そして「自己」と「他者」についての記述などで少し違和感を覚えました。いや、別にいいんです。趣味は同じでも「趣味」は違って当然ですからね。
それでも、なんだか最近茂木さんの著書に萌えないのはなんでかなあ。もしかして、科学者と称していながら、内容がいつも哲学者風だから…あっ、つい言ってしまった(笑)。だけど、それも全然いいんです。ある意味そうあるべきだと思っていますから。
もしかすると嫉妬してるとか(笑)。頭いいもんなあ(たぶん)。同世代としてはジェラシーも抱きますよ。ああやってメディアに露出すること多いし。そうそう、あの、イチローにコテンパンにやられた茂木さんを見て、スカッとしちゃったっけ、私。やっぱりこれはやきもちだな。
ん?待てよ。実はちょっと腹立たしいのかもしれない。単なる嫉妬ではないような気もするぞ。今回もそうだけれども、言葉の端々に自慢や偽善が感じ取れるような…いやいや、そんなことはないない(笑)。
で、こういう他者に対する感情というのは、やっぱり「欲望」の一つの表現なんでしょうか。恋愛のような感情は、これはもちろん欲望でしょうが、こういうマイナスの感情というのも欲望に端を発するのでしょうか。
たぶん、そうなのでしょう。結局は「利己」の感情ですからね。自分の思い通りになってほしい。自分がもっと優れた人間であってほしい。あるいは、誰かが自分より劣った人間であってほしい。自分がほめられたい。人が怒られるのを見てみたい。こんなふうに言いますと、私がとんでもなくイヤなヤツに感じられると思いますが、実際そういう人なんです。そして、皆さんもそうじゃないですか?
一方「利他」の欲望もあると言います。たしかにそうでしょう。私にも常に利他の欲求、いや欲望があります。そうそう、「欲求」と「欲望」を違うものとして定義する、丸山圭三郎さんの本も今読んでいるんですけど、私もここでは、「欲求」は本能的なもので「欲望」は意識的なもの、と使い分けさせていただきますね。
つまり、「利他、利他」と言うけれども、結局はそれによって「自分はいいヤツだ」という満足や快感を得ようとしたり、「情は人のためならず」…のちに自分が得をするんではないかというある種の商売っ気があったりしてですね、結局はそれらが「利己」の手段になってしまっているんじゃないかと思うんです。
倫理や宗教の問題として「利他」とか「布施」とか「親切」とか「無償の愛」とか語るのはいくらでもできます。しかし、それがいわゆる欲求レベルで存在するのか、それは今のところ私にはわかりません。ここはとっても重要だと思うんですけどね。
私が理想とする経済システムである「仏教経済」にしても、欲望としての、あるいは語りとしての「利他」では成り立ちませんから。本能的な「利己」に対抗する本能的な「利他」を発見しなければ、単なる机上の空論で終わっちゃいます。
「欲望」というのは意識下での現象です。これは「コト」そのものです。人は不確実性(モノ性)に不安を抱き、それを克服するために「コト化(カタリ)」を始めます。そのために科学も経済も言語も音楽も、みんな発明され発展してきたわけです。
一方の「欲求」は、これは本能的なものですから、不随意な「モノ」ですね。皆さんも私も、自分の本能的欲求にしょっちゅう振り回されていますでしょ。つまり、奴らは他者なんですね。
そうした自己の中の他者(欲求)によって、自己の中の自己(欲望)を制御できるようになるのか、これが人類の課題であると思います。これは難しそうですけれど、しかし、私は少し期待もしてるんですよ。
「もののあはれ」…これについては、何度も書いてきました。今日の話の流れから言いますと、「もののあはれ」とは「自己」に内在する「他者感」とも言えます。不随意への詠嘆ではありますが、しかし、日本の文化の中では、それはマイナスの価値ではなく、どちらかというとプラスの価値として機能してきました。不随意とは、まさに「コト化」の失敗です。欲望の未達成です。そこにプラスの価値を見出してきたという事実は、これは我々に大いなる期待を抱かせる事実です。私はそこにかけてみたいと思ってるんです。
…と、茂木さんそっちのけで、一人ガタリ、問わず語りしてしまいました。いや、こういうことを考えさせてくれたんですから、茂木さんのこの本に感謝感謝。
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コメント
そういえば、親がよく「自利利他」といっていた
なあと、検索してみたら、税理士さんのページが
出てきました。おやおや。
投稿: 貧乏伯爵 | 2008.06.10 07:42
伯爵さま、おはようございます。
「自利利他」こそ、欲求のレベルでの利他ですね。
仏教では、その存在を信じています。
私も基本そっちに近い人間なんで(外見だけ?)、信じたいんですよね。
だけど、実感としての自己にはそれがないんです。
いや、まだまだ「自己」から解放されてない証拠ですかね。
まあ、とにかく難しいです。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.06.10 08:01