BUMP OF CHICKEN 『ギルド』の歌詞について(その1)
授業で「ギルド」をとりあげました。私も大好きな曲なんですが、いろいろと誤解を受けやすい内容でもあります。最近でも勘違いしたヤツが世間を騒がせましたね。そういう事態を憂えて、という意味もありまして、今回ちょっと読解してみたわけです。
この曲は、バンプの中でも数本の指に入る名曲だと思います。先月のたまアリでのライヴでも、生ギルドには私も涙してしまいました。心に迫るいい演奏でした。
さて、どんな曲か御存知ない方々のためにまずは映像入り音源を貼っておきます。そして、歌詞も下に貼りましょう。
いい曲ですね。しかし案外難解な歌詞でもあります。ただ、この歌詞は(というか藤原基央くんの詩は)しっかり読み込めば読み込むほど、意味が収斂していくタイプの詩なので、授業で扱うには最適でもあります。
基本、藤原くんは冷静に状況を描写するタイプです。聴く側、読む側はどうも感情移入しやすいのですが、ある意味テキスト分析的に読み込んでいくと真意が見えてきますね。逆にフレーズのみを見ますと勘違いしやすい。
たとえば、生徒たちの中には、これはなんとなく暗いイメージの曲だと思っていた者もいるようです。マイナス・イメージの言葉だけに注目してまうと、案外そうかもしれません。バッと見ただけでもたくさんありますから、いちいちそれを全部挙げませんけれど、そこだけ見るとたしかにそう見えるという言葉を彼はよく使いますね。
実はそのあたりが、彼の音楽をゴスペルだという感じる理由の一つでもあるんです。聖書でイエスはけっこう過激な言葉を吐いています。そこだけ見れば、異教徒にいかにも突っ込まれそうな言葉がありますよね(これもまたいちいち挙げませんが)。でも全体でとらえると決してそんなことはない。ちゃんと意味がある。
まあ、そういう文脈的な読みをしなくてはならないものというのは、理解にそれなりの高度な知性を要求するんですね。バンプの詩には、ちょっとそういうところがあります。そして、そここそが藤原くんの魅力であり、天才性の現れだと思うんですね。
なお、これから私が断定的に書くことは、あくまで「私」の読みによる断定であって、いつも書いているように、当然いろいろな可能性(あるいは不可能性)の一部にしか過ぎません。ですから、他の読み、あるいは作者自身の意図の可能性(あるいは不可能性)を否定するものではありません。当然です。芸術作品とはそういうもので、また作品鑑賞とはそういうものであることも、もちろん生徒に知ってもらいたいわけでして。
と、前置きはいいとしまして、さっそく読んでみましょう。
まず、1行目、ここでもう勘違いしている生徒がたくさんいました。人間という仕事を与えられたのが、誕生の時だと思っているんですね。そうではないでしょ。まさに「仕事」とは社会的な「コト」を為す」という意味です。「コト」というのは「コトノハ(言葉)」がそうであるように、(人間によって作られた)社会性を象徴する言葉であると、私は常々主張しています。ですから、人間という仕事を与えられたとは、それが与えられていなかった純粋な存在に、社会性が侵入してきたことを表すんですね。
まあ、そうですねえ、具体的には保育園や幼稚園、小学校などで学び出すと、人間という仕事を始めざるをえなくなりますかね。ちゃんと仕事しないと先生に怒られちゃいますから(笑)。先日の記事の「国語政策」もまさに我々を立派な仕事人に仕立てるためのフィクションです。
そうそう、タイトルの「ギルド」という言葉も象徴的ですよね。言うまでもなくこれは中世の商業組織です(いや、藤原くんのことだから、ゲームの組織のことかも?)。封建的、あるいは利権的な、つまり極度に社会的な(動物的ではない)組織名です。ですから、この曲を個人の問題ではなく、社会全体の問題として解読することもできますし、それも面白いのです。つまり、人類の歴史の中で、高度な社会性(近代的構造)が私たち自身を呑み込んでいって、いつのまにか主客逆転しているような状況を歌ったとも言えるわけです。
まあ、今日はそこまでスケールを拡げず、あくまで人間個人レベルで考えましょうか。
で、我々は社会性を身につけ、それなりに仕事しているわけですが、たしかにそれ相応の報酬を得ていない気もします。例えば没個性による安全というメリットもあるかもしれませんが、なんとなく損をしているような気もします。
私たちは、そういう反自然的状態をいつの間にか正しいものだと思い違いしていますね。学校で優等生でいるのが正しいとか。でも、解る人は解っていたはずです。最初に学校に行った時のあの不自然な感じを。本来の(社会に矯正されていない)自分の姿を。でも、そうした違和感にも次第に慣れてゆき、それどころか、社会性に寄り添うことが喜びにさえなってくる。もうそうなると手遅れ。人間という仕事、すなわち社会性の中で演じさせられているコトに無感覚になってしまう。みんなそうでしょう。もちろん社会全体もそういうムードになっていきます。
そんなふうに社会に高度に適応していくということは、何かを身につけたことにもなりますが、一方でなくしてしまうものもあるのは容易に想像できますね。奪われたものは何なんでしょうか。あるいは奪い取ったのは何なんでしょう。この詩における二つの「何だ」が、素直に目的語なのか、それとも少しうがって考えて主語なのか、双方どちらとも取れますが、まあ次のフレーズとの対応で両方とも目的語と取るのが自然でしょうか。そうすると、私たちは自然状態(私はそれをいつも「コト」に対して「モノ」と表現しています)を奪われ、他人の自然状態を奪っているということですね。
そういう事態を作った原因は、はたして社会の側にあるのか、それとも社会を構成している、あるいは社会に能動的に参加してしまっている私たちの側にあるのか。どっちなんでしょう。当然両方とも言えますが、いずれにせよ、私たちはそういう事態を忘れてはいけないし、目をつぶってごまかしてはいけないのです。
「それが全て 気が狂う程 まともな日常」…このフレーズには大変感心します。もともと日常性というのは狂気を秘めているものです。これだけバラバラな主体が集合しているにも関わらず、まともであるこの社会は、考えてみれば恐ろしく不自然で不安定なものですね。そのあたりを、個人レベルにおいても共同体レベルにおいても、実にうまく表現していると思います。一見相反する言葉を組み合わせることが、藤原くんは比較的得意なんです。と言いますか、詩人の仕事の一つはそれですね。まさに社会性の権化である「コトノハ」の、その凝結してしまったシステムを崩しつつ、そこに一つの真理や共意識を表現して見せ、そうして人間や世界の両面性や不安定さ、あるいは豊饒さを伝えるのが詩人のあり方です。
(長くなってきたので、後半は明日にでもその2にて)
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コメント
こんにちは!中二病患者デス!
先生、やっぱりBUMPはスゴイですね!!
歌詞が深くてつい聴き入ってしまうんですよね。
歌詞の意味はその人次第ですが、先生の意味の捉え方はなるほど!と納得させられます。
これからもBUMP、RAD、フジファを聴き続けて考え方を豊かにしていきたいです。
(クラスのみんながまたこれを見て、「またあいつが何か言ってるぞwwwww」ってなるんでしょうね・・・・・ハハハ)
投稿: 中二病の昌平 | 2010.12.11 16:39
僕は、
ギルド=囚人
と、読んでいます。
人間という仕事をクビとは犯罪を指す気がしていて、犯罪をする人間の心境が、
愛されたくて吠えて 愛されることに 怯える
そして、檻に入るのだと感じています。
投稿: 無双 | 2012.02.11 01:26
「檻」は「孤独」の意味だと思っていました。
歌詞の意味は経験から導かれるものなのかもしれません。
投稿: Some | 2012.04.10 20:38
先生、面白いですね(^^)
ちなみに、うちの娘はBUNP大好き、ソロギターも弾きますし、地元 上総一宮 玉前神社の巫女奉仕で巫女舞もいたします。お茶、お花、英会話をこなし、今は、とても素直に見えますが、小学校は、三年生くらいから不登校でした。
関係ありませんが、なんとなく(^^;)
投稿: ∞yappy | 2014.10.15 14:43