アンサンブル・ラルバ 『ソプラノとリュートで紡ぐ 中世の愛の歌』
富士吉田パプテスト教会で行われたヨーロッパ中世音楽のコンサートに行ってまいりました。
歌とサンフォニーは夏山美加恵さん、リュートはルネ・ジェニス=フォルジャさん。
セフェルディックやトルバドゥールの歌といった、11世紀から13世紀にかけてのイベリア半島の音楽を中心とする大変渋いプログラムでしたが、会場は満員大盛況。私のような古楽人でもなかなか生で聴く機会のないジャンルでしたから、一般の方はどのような印象を持たれたのでしょうね。きっと不思議な感じがしたのではないでしょうか。いわゆるヨーロッパのクラシック音楽のイメージを抱いて会場にいらした方々は、あの非和声的、旋法的、即興的、詩的な世界は、全くの新しい体験だったのでは。
当時のイベリア半島には、イスラムやユダヤの文化が多く流入し、中世キリスト教音楽と、現地の民俗音楽が混ざり合う、大変に個性的な音楽や詩、そして言語が発達していました。近代的なそれらに統合される前の一種カオスの状況とも言えますね。そこに立ち現れるエネルギーはどこかアジア的でもあります。ああ、そうか、その頃はまだ、「西洋」は確立してなかったんだよなあ。西洋以前、西洋はまだ世界の一地域に過ぎなかったわけでして。
今日演奏された曲、そして楽器は、明らかに西アジアを発祥としています。リュートと称された復元楽器はほとんどウードですし、歌われる旋律にもアラブ音階が多く混入していました。私は当時のヨーロッパ語についてはほとんど分かりませんけれど、歌われた詩における言葉もかなり古い形なのだと思われます。いちおう私、古い日本語を専門していますから想像はつきます。1000年前の日本語はつまり平安のそれですからね。語彙、文法だけでなく、音韻的にもとんでもなく今と違います。
そのへんの復元について、どのように行われているのか、夏山さんにいろいろとうかがいたかったのですが、終演後子どもが早く帰りたがっていたので、充分な時間が取れませんでした。残念。
そうそう、お客さんから「楽譜が残っていないのに、どうやって当時の音楽を復元するのか」というするどい質問が飛んでいましたね。夏山さんは「企業秘密」とおっしゃっていましたが、まあそのへんの事情については私はよくわかります。そして、その企業秘密の部分こそが、いわゆるクラシック的な発想とは違う古楽的な部分であると思いますし、その現代性とも、またその自己撞着性とも言えると思いますね。そうしたファンタジックなところや、フィクショナルなところが面白いんですよね。
西アジアで生まれた音楽が、かたやシルクロードを通って東の果て日本(わかりやく言えば正倉院)にたどりつき、かたや西進してイベリア半島にたどりついた。そこでしばらく醸されたのちに、16世紀に両者はグルッと回って(裏側を回ったわけではありませんけど)九州で出会うわけですよね。う〜む。
そんなことに思いを馳せながら今日の演奏を聴きますと、普段我々が接している近代ヨーロッパ音楽がいかに特殊なものであるか、再び確認されるのでした。それはまるで共通語としての英語のように世界を席巻しておりますね。英語だけが言葉ではありません。それと同様に音楽も実に多様であるわけです。
英語が機能的で便利であるのと同じように、近代西洋音楽は「便利」で「共有しやすい」、つまり近代合理主義的価値は高いわけですし、実際その特長を活かして我々は高度な作品を構築したのですが、違った価値基準からすれば、それ以上の言葉や音楽は無数にありますね。私たちがそうした別の価値に気づくよう努力しなければなりません。夏山さんもおっしゃっていました。そのために活動しているのだと。
あと、「詩=言葉が先」ということに関して。これは日本の歌(和歌)の世界も全く同じです。テキストは残っているけれども、旋律は記録されていません。記録する必要がなかったと言うよりも、記録できなかったわけですね。毎回違っていたわけですから。古い日本語では楽器の音色のことを「もののね」と言いました。歌詞は「コト」として言の葉で固定されましたが、メロディーは常に更新されては消えていく「モノ」であったわけです。そして、コトからモノが発するという、我々の一般的な活動(コト化)と逆のエネルギーの流れこそが、芸術の本質であります。
今までも何度も書いてきましたので、繰り返しになりますが、「モノ」を「カタル(コト化)」して「コト(作品)」が生まれ、それを受容した人から新たな「モノ」が生まれる、そうした循環がすなわち芸術の生命力であり、人間の生命力であるのです。
と、こんなふうにいろいろなことを考えさせてくれるいい演奏会でした。私の音楽的後半生のテーマがまた明らかになったような気がしました。ありがとうございました。
アンサンブル・ラルバ公式(視聴も可…ぜひお聴きください)
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コメント
アラブ音楽的な歌唱法とでもいうのでしょうか、わざと音程をずらしてゆらめいて消えてゆくような表現にぐっとくるものがありました。もっと残響がある場所で聴くとよかったような気もしました。メロディーなしでの詩の朗読をしてから歌うというのもあるとよかったような気がします。
トルバドゥール音楽の歌い手としてJean-Luc Madierという人はすごいと思います。なんで彼がそんなにいいと思ったかと考えてみると、ひとつにこの人はまったくのかすれた地声、話し声で歌うからです。まさに「近代西洋音楽」用ではない声です。ほかにもいろんな要素があるのでしょうがこの人の録音を聴くと、いま詩句がうまれたかのようにいきいきと歌っていると感じるのです。
あまり生で接することのない音楽をコンサートで聴いてみて、なんで叙事詩のようなものが当時あったのかということがわかるような気がしました。
最近、「読み聞かせ」というのがけっこう流行っているような気がしますが、こういう朗読、朗誦というのも芸術の一ジャンルとして意識してみると面白いかと。名前は覚えていませんがムーミンのパパの声の人とか、ヘレヴェヘの新録音の福音家のレチタティーヴォを歌うボストリッジとか、フランス2のニュースを読むダヴィッドとかを私は敬愛しています。ナクソスのオーディオブックスもミュージックライブラリーと合体すればすぐにまた入会するのですが。
投稿: 龍川順 | 2008.05.04 01:07
龍川さん、どうも。
お返事遅れてすみません。
なかなか興味深いコンサートでしたね。
いろいろと刺激になりました。
歌と語りの関係というのを最近考えています。
はたして言葉が先なのか、
物の音が先なのか…。
あるいは両方のタイプがあるのか。
朗誦こそ、言語芸術のスタート地点でしょうね。
湧き上がる言葉というのは、もしかすると舞踏のようなものかもしれません。
Jean-Luc Madierの歌、ぜひ聴いてみたいですね。
そう、近代西洋音楽用の声というのも、世界的に見るとある意味特殊なものと言えましょう。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.05.06 10:52
こんにちは。富士吉田のコンサートの後でお会いしたヴァイオリンの方ですよね。
この度は私どもの演奏会においでくださり、ありがとうございました。またこのような素敵な感想を寄せてくださり、とても嬉しく思います。
私のあんなしどろもどろの発言に深くお耳を傾けてくださり、大変恐縮です。でもこの日記に書かれていることが、本当に日頃から私たちが目指している事なので、それをご理解いただけたことは、この上なく嬉しい限りです。
今回の山梨は演奏会企画された方の意向で東京、大阪でやったプログラムの1部だけを取り上げたものです。全曲コンサートの方にはリュートに合わせて、私が詩を読むというものもあったんですが、山梨ではそれは取り上げませんでした。
ともかく笛吹市、富士吉田市ととてもご盛況で皆さんの熱気がこちらまでも伝わってきましたよ。
今の日本にこのような中世音楽をこころから受け入れられる土台が出来上がってきているというのは素晴らしい事です。
ありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
投稿: ラルバ | 2008.05.24 06:14
ああ、どうもどうも。そうです、あの時のヴァイオリン弾きです。
ご本人様にこのようにコメントいただき本当に恐縮です。
こちらこそ素晴らしい経験をさせていただき、感謝感謝です。
本当にいろいろなことを感じ、考えさせられるコンサートでしたよ。
また、機会がありましたら、心揺さぶる歌をお聞かせください。
そして、ぜひいろいろお話ししましょう。
ご主人様にもよろしくお伝えください。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.05.24 07:42