『チーズスイートホーム』 こなみかなた (モーニングKCDX)
最近ウチの家族がはまっているマンガ。猫好きにはたまらない一冊。
私もかなりの猫好きですけど、やっぱりウチのカミさんや子どもたちにはかなわないな。とにかく三度のメシよりネコという感じ。
今ウチには三匹の黒猫がいます。10年前から一緒にいる大和守弥右衛門と丹後守新之助に、最近子猫のミー(いきなり普通の名前だな)も加わりました。これがねえ、なんとも可愛いんですよ。どうもどこからか落ちたかなにかしたらしく、脊髄を損傷していて、下半身が不随なんです。で、当然もらい手がいなかったのをちょっと預かったら、これもまた当然ずっと預かることになっちゃったと。
私は最初反対しました。ハンディーキャップ猫を育てるのは大変だからです。自分たちの生活だけでなく、ヤエとシンの生活も脅かされると思ったからです。でも、カミさんや子どもたちは、まあ母性本能を刺激されちゃったのか、責任やら運命やらを感じちゃったのか、もう泣いて「飼う」と言い張るわけです。
私もかなり強硬に抵抗しましたけれど、しかししばらく一緒にいるうちに、様々な心配が杞憂であったことが判明してゆき、今では全く自然に家族4人黒猫3匹の幸せな生活が続いています。
ということで、迷子の子猫と、それを飼うことになってしまう家族をテーマにしたこのマンガには、たしかに共感するところが多い。
で、私はそれほどでもないんですけれど、カミさんなんて毎日何度も読んで泣いてる。可愛いと思って、つまり「萌え〜」と思って読んでるのかと思いきや、そうではなくて「切ない…」と思いながら読んでるらしいのです。つまり、古語で言えば、「をかし」ではなく「あはれ」で読んでるんですよね。
こういうことらしい。このマンガの主人公猫のチーは、最初はママのところに一生懸命帰ろうとしてるんですね。本来のおうちへ。ところが、拾われて人間の家に住み始めて、だんだんとママのことや本来のおうちのことを忘れていってしまう。そして、次第に人間を親だと思ったり、人間の家をおうちだと思うようになってしまう。そのへんの描写がとても上手なんですね。
時々ふとしたことから思い出すんだけれども、だんだん本当のママの姿や感触が薄れていってしまう。「あれ?なっだったっけ…」という感じで。何か大切なものを思い出しかけるんだけれど、そこは猫だし子どもだから、だんだん「…まあ、いいか」という感じになってしまう。つまり、チーのスイートホーム(ママ、おうち)の変化がテーマなわけです。
そういう姿をウチのミーやおじさん猫たちに重ねているんです。まあたしかにそういう大切なことを忘れていく、親子の別れというのは、古今東西を問わず文学の重要なファクターでした。「もののあはれ」というやつですね。時間の流れに従って、淡々と悲しむべきことが進んでいく。桜の花が散るように。特に日本人はそこに「切ない美」を感じてきましたからね。ただ悲しいとういことでなく。
作者もかなりの猫好きですね。猫の表情、動作、人間の様子も非常にリアルです。逆に言えば、猫があまり好きでない人、猫を飼ったことがない人には、ほとんどその微妙なニュアンスはわからないでしょうね。
このマンガを読んで、猫を飼うようになる人も多いと聞きます。いいことですね。最近、世間は猫ブームです。景気がいい時は犬がはやり、景気が悪いと猫がはやる。なんとなく分かりますね。いつかも書きましたが、私たち人間にとって、犬は生活のためのパートナー、猫は文学のためのパートナーですから。
今年春からアニメも始まりました。おかげで子どもたちも早起きになりましたよ。
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「愛」か「金(カネ)」か。
たぶん「金」が「愛」を大安売りしたのがバブルで、それが破綻してしまったのが現在の不景気なんでしょうね。バブルとその崩壊は、「神」の世界でもよくあることです。そんな時、「金」や「神」は突然「悪魔」に変ったような気がします。ま、実は変ったのは自分たちなんですけどね。
え〜、
それに比べると「おかえりなさい(ませ)」というのは、やっぱり異質です。たしかに玄関が開いた音を聞いて「おかえり!」と言う時もあります。それを「いらっしゃい」と同じように考えることも可能ですけれど、我々はもちろんそんな意識をもってこの言葉を使っているわけではありません。
おっと、またプロレスネタだぞ。どうした自分。それも昭和プロレスへのノスタルジー的記事、多くないか?
今日は嵐の中、父方母方双方のお墓参り。毎日楽しく幸せな生活ができるのも、ご先祖様のおかげであります。
さて、ワタクシ、今日は昼間っからおいしいご先祖様からのプレゼントをいただいちゃいました。日本酒です。写真に写っている揚げとろと日本酒がよく合うんですよねえ。
と言うわけで、とってもおいしくとろろ汁&麦飯、その他とろろ料理、そして私はお酒をいただきまして、ごちそうさまです。実は、みんな出かける前に早めのお昼ご飯を食べていまして、さすがにたくさん食べられないんじゃないかとか言ってたんですけど、みんな食べる食べる。ふだんは夕飯しか食べない私も、とろろなら昼間っからいくらでも食べられます。
障子というのはよく考えるとすごいモノですね。世界中探しても、なかなかこういうものはない。なにしろ紙ですからね。昔はもちろんガラス戸なんかありませんから、紙一枚で内と外を画していたわけです。
で、ミーがですねえ、なんだかいつのまにかケージから脱出しまして、実家の和室の障子をガリッとやってしまったんですよ。ガーン。
で、今回は被害が小さめでしたので、すでに数枚用意されている桜の花の形をした当て紙で補修いたしました。これもまたいかにも日本的な世界観ですね。張りたての完全なる障子世界も美しいものですが、こうして、完全の欠けてしまった、いわば不完全な世界を、一つ発想を変えて、一つ何かを加えることによって、違う完全世界を作ってしまうんですね。
左の微妙な萌えキャラは総務省のホームページから無断転用しております。総務省さん許してね。「え〜?勝手に使わないでよ」と困った顔をしている彼女、「電波りようこ」という名前だそうです。
またプロレスネタですみません。でも、これは私にとって、自分の生き方そして社会の変化について考える、非常に重要なヒントを与えてくれるもの、いやほとんどテーマそのものなので、どうしても避けて通れないんです。
今日はいい天気でしたね。雲一つない五月晴れ。ようやく富士北麓にも初夏の気配がやってきました。
結局モンシロチョウを一匹捕獲しただけで、ウチに帰ってきたんですが、庭で遊んでいた娘たち、今度は高級食材を見つけました。そう、
出先から帰ってきて、録画してあったサラリーマンNEOを観ましたら、また「サラリーマン体操」にプロレスネタが…。ついに馬場と鶴田の登場です。どう考えてもこれは私の趣味を考慮して番組を作ってますな(笑)。「オーッ」までやってくれました。
さて、カール・ゴッチは「神様」ですと指摘させてもらったのに関しまして、違った意味で再び反論しているのがこの本です。帯にはこうあります。
昨日より、ワタクシの実家のある静岡市に来ております。山梨はなんとなく寒くてストーブなんてたいたりしてたんですけど、こっちはもう完全に夏です。寝苦しいなんてもんじゃない。いやあ、隣の県なのにこうも違うか…。
あと、面白かったのは併設されている遊園地(?)でしょうか。それこそ昭和を感じさせる遊具がたくさん。一番笑ったのはメリーゴーランドです。遊具自体の渋さは言うまでもありませんが、なぜか回転中ずっと「山口さんちのツトムくん」がかかってました(笑)。

富士吉田パプテスト教会で行われたヨーロッパ中世音楽のコンサートに行ってまいりました。