« 『図解<出口式>論理力ノート』 出口汪 (PHP研究所) | トップページ | Eve〜Songs For Sweet Memories »

2008.04.24

『オタクはすでに死んでいる』 岡田斗司夫 (新潮新書)

10610258 なたは(オレたちは)頑張った。よくやった。安らかに眠れ。オタキングによるオタクへの追悼文です。
 独自の(無手勝流な)オタク論を展開しているワタクシとしては、あるいは、オタクになりきれずコンプレックスを抱いているワタクシとしては、なんだかこのライト評論もまた、オタク的だなあ、感傷的にすぎるよ、と思われました。しかし、そして、そこが実に面白かった。
 つまり、私は岡田センセイの説にいちいち賛同はしたけれども、共感のようなものはなかったのです。なんというかなあ、オタクの一つの属性としてですねえ、私は「ナルシシズム」というのを重要視しているんですよ。自己愛ですね。
 世界の歴史を見てもよくわかります。被差別集団や少数民族、迫害された宗徒に見える矜持や一体感は、これは物語的ナルシシズムに基づくものです。いつかも書いた通り、物語は欠落の上に成り立ちますから、やはりそういう意味では彼らは社会的に何かが欠落していたんですね。
 ところが、その欠落部分にここのところ恐ろしい量の価値が注入されてしまったんです。それは社会的(さらには国際的)認知であったり、文化的評価であったり、経済的価値であったり。そうなると物語は醸成されません。つまり、ナルシシズムさえ生まれなくなってしまった。
 ナルシシズムって自信の表現ではないんですよね。逆です。たいがいコンプレックスの裏返しなんです。
 そういう物語的ナルシシズムという基盤が喪失して、それである社会や国家や集団や個人や文化の勢いがなくなっていくというのは、本当に普通なことですね。そうして新しいナルシシズムが台頭してゆき、いつのまにか、かつてのそれは前時代の遺産になっていく。あるものは忘れられ、あるものは伝統文化として研究対象になっていく。
 ですから、岡田センセイが盛んに「昭和は死んだ。だからオタクは死んだ」と言っても、それはそうだよ、としか言いようがないわけです。それはあまりに自明なことで、あるいはどちらかというとセンチメンタルになるよりも、めでたがるべきものだと思うんです。
 それはですねえ、岡田センセイがダイエットに成功して、見事にオシャレになっちゃったのと同じことですよ。デブというコンプレックスが生み続けた濃厚なナルシシズムは死に、新たにオシャレなナルシシズムが彼に棲みついたってことです。めでたいですよね…いや、たしかにちょっとさみしいかもしれない(笑)。
 私はこのブログに書き散らしているように、オタク文化とは平安時代(あるいはそれ以前の)貴族文化、国風文化の系統だと思っているんですね。そのへんは岡田センセイの説とも重なる部分が多い。そうそう、そう言えばセンセイ、昔、私の萌え論に賛同しかけたけど、結局ピンと来なかったようですね。この本でも岡田センセイは「萌えがわからん」と何度も言ってます。たぶん、旧ナルシシズムの亡霊が理解を妨げてるんでしょう(笑)。
 私は「萌え」は本当によくわかるんですよ。それはこちらに書いたとおりです。全然新しい価値観でも言葉でもない。歴史の中で時々言語化される普遍的な感情なんですよね。私はオタクではない(と自他ともに認めます)のに、「萌え」はあるんです。だからもちろん岡田センセイの言うとおり、「萌え」=オタクだとは思いません。
 で、平安から鎌倉、戦国時代への流れや、江戸から明治、昭和への流れを見ると分かるように、国風文化の爛熟と腐敗が進みますと、次に民衆宗教が流行るんですよ。で、そのうちになぜか戦争が始まる。だから、今ちょっと危険な時期に入ったんだと思いますよ、日本は。その点はちょっと憂慮します。今ふたたび宗教ブームですよ。
 オタク的(貴族的)文化って、どうしても妄想系ですので、宗教と結びつきやすいんですよねえ。疑似科学や超能力や妙な神仏が跋扈しがちです。岡田センセイの言うオタクの共同幻想、それはとっても平和的なものなんです。で、その次に来る共同幻想はちょっと危険。今そういうところに我々はいるわけです。
 いつもの繰り返しになりますけれど、また書きます。
 我々は時間を微分し、対象を分析し、疑似的な永遠性を求めて、そこに耽溺したがります。「コト化」の欲求です。「萌え=をかし(こちらに招きたい)」の感情です。それを反社会的になってまで徹底するのがオタクの人たちです。それはたしかに修行に似ています。そして、それを続けているとある時むなしさにとらわれ、「もののあはれ」を感じるようになる。「コト」の極めて「モノ」の本質を知る。本当に「物心がつく」わけです。
 そうしたら、宗教家になって瞑想するか、戦争でも起こして自ら築いた「コト」的文明を破壊するしかないんですね。悟るか自傷行為(あるいは自死行為)に走るしかない。私は痛いの嫌いなので瞑想したいんです。世の中は瞑想なんて退屈なんで戦争の方に行っちゃうんですけどね。
 話が前後しますが、修行僧のようなオタクがいなくなったのは、これはもちろんオタクの一般化、大衆化のおかげです。簡単に「をく(招く)」ことができるようになってしまった。メディアの発達と同時に商品としてのコピーが増殖しちゃったわけです。だから、当然それぞれの価値は下がりますし、求道者も求道しようにもできなくなってしまいます。そこに必ず昔は良かった的な反勢力も登場しますけど、まあ世の流れは止められませんね。鎌倉仏教なんか見るとよくわかります。大衆は楽な方に進みますから。
 そうすると、岡田センセイみたいなちょっとセンチメンタルな諦め派も現れる。一方、日蓮みたいな過激な人も現れたりするかもしれません。これから、日本の文化…というか、日本人の精神はどうなっていくんでしょうね。
 ということで、なんだか話が壮大になってしまいましたね。でも、私は本気でそんなことを考えてるんですよ。馬鹿みたいでしょう。
 さてさて、最後にもっと現実的なお話。
 今日は新入生歓迎球技大会というイベントの第1日目でした。ヲタ率70%、スポーツマン率30%の我が校としては、多くの生徒にとって辛いイベントです(笑)。一部の活発な非ヲタの先輩が大活躍して、新入生の女子をかっさらっていってしまう大会です(笑)。4月にしてすでにヲタは負け組…orz。
 だから、私は常に言ってるんです。新入生歓迎コミケとか、新入生歓迎ギャルゲー大会とかやれよって(笑)。たまにはスポーツマンに肩身の狭い思いをさせたいなあ。

Amazon オタクはすでに死んでいる

楽天ブックス オタクはすでに死んでいる

不二草紙に戻る

|

« 『図解<出口式>論理力ノート』 出口汪 (PHP研究所) | トップページ | Eve〜Songs For Sweet Memories »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

歴史・宗教」カテゴリの記事

モノ・コト論」カテゴリの記事

コメント

 ご無沙汰しております。
 この四月から嫁が職場復帰したものですから、私は自宅にて子育てと仕事に追われてしまい、なかなかこちらへコメント出来ませんでした。「やってやれないことはあまりない。」が持論の私ですが、子育てというものをなめておりましたよ。意外と繁雑であることは予想していたのですが、子供が可愛いのでつい仕事そっちのけで遊んでしまうのが困りもの。(^_^;)

 さて、手短に。
 二つ異論があります。まず、私の定義では、自称オタクはオタクではありません。自分のことをオタクだと気が付かない人、つまり庵主様のような方が真のオタクであると。理由は忙しいので詳しく説明しませんが(笑)、人類の大抵は、マトリョミンを購入したりしないものです。
 次に、私の定義では、コンプレックスを持つ人間はナルシストではありません。鏡に映っただらしなく飛び出た自分の下腹を見て、「ふむ、昔の俺は近寄りがたいほどかっこ良かったが、ちょっと隙が出来たことにより、女性も俺に声をかけやすくなったに違いない。嗚呼、妻子がある身でモテモテになったらどうしよう。」と、つい思ってしまう人、つまり私のような人間が真のナルシストなのです。

........ちっとも手短じゃないですな。

投稿: LUKE | 2008.04.25 12:14

LUKEさん、こんばんは!
いやあ、子育てお疲れさまです。
遊ぶのも立派なお仕事ですよ。
というか、それこそ大切です。
ぜひ育児オタクになってください(笑)

えっと、二つの異論には異論ございません…笑
でも、どうしてですかね、生徒も私はオタクではないと言うんですよ。
たぶん、ゲームやアニメやマンガにうといからでしょうね。
あと、一つの分野に集中してないからでしょう。
これはダメですね。
いや、オタクのニュータイプなのか!?

それにしても、LUKEさん、見事なナルシシズムですね。
その余裕ある三枚目ぶりはちょっと危険ですよ。
今、そういう男がマジでモテちゃいますから…笑
今は奥様とお子様に専念(萌え?)なさってくださいませ。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.04.25 20:28

>ぜひ育児オタクになってください(笑)

はっ! /(T_T)

>いや、オタクのニュータイプなのか!?

 いえいえ、真のオタクでございますよ。ただ、オタクという言葉が褒め言葉であるなら、いわゆる“オタク”の方々を私はそう呼びたくないのです。客観性に欠けているところが決定的で、自己満足度のレベルが低いというか、満足している時点でケシカランのだぁ!

>その余裕ある三枚目ぶりはちょっと危険ですよ。

「三枚目って言うな~~~っ!」
と、怒ったりしません。だってオレってカッコイイし。(主観的ではございますが。笑)
 語源となったナルキッソスさんは、コンプレックスとは無縁の男でしたから、そんなものを自己愛の動力源としているようでは、御本家さんに笑われるというもの。とはいえ、当のナルさんも自分しか愛せない偏狭な男でしたから、やはりこのオレ様には敵わないのですよ。(^_-)

 すみません。久々の書き込みではしゃいでおります。

投稿: LUKE | 2008.04.25 23:29

笑!
真のオタクと言われて、心から喜んでいるワタクシも、LUKEさまに負けず劣らずのナルですな。
私もカッコよさでは負けませんよ〜!

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.04.26 08:55

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『オタクはすでに死んでいる』 岡田斗司夫 (新潮新書):

« 『図解<出口式>論理力ノート』 出口汪 (PHP研究所) | トップページ | Eve〜Songs For Sweet Memories »