田中泯 『場踊り〜森の奥へ』
ー私は、場所で踊るのではなく場所を踊るー
土方巽の舞踏の重要な継承者の一人である田中泯さんの場踊りに行ってまいりました。場は富士吉田市のナノリウム裏の森の中。
本当にここのところ、土方との縁から舞踏の世界に半ば強制的に引き込まれている私です。自らのキャリアから、私は舞踏と言語の関係について、あるいは舞踏と音楽の関係について考えることが多いのですが、今日はそんな小さな試みに対する大きなヒントを多く得ることができました。また、最近の一つのキーワードである「場」についても。
それにしてもこれほど語るのが難しい体験というのも珍しい。たしかな実感があるのに「コト化」できないとはいかなることなのか。しかたがないので、私の脳に生起した言葉の断片をここに記しておきます。語ることはできずとも、記すことはできましょう。
我々は重力でつながっている
時機よく降り出した小雨もまっすぐに地に落ちる
我々はなぜそれに逆らおうとするのか
人間という根無し草
言語もまた重力に従う
土方の言葉を聞け
文脈という社会性などいらない
楽譜の呪縛と恍惚
我々は自由を得ようとして死にさらされる
なぜに我々は表現にまでアフォーダンスを求めるのか
プラグマティズムという名の自傷行為
さまよう人間の不安定さと
そこにあり続ける木々のしなやかさ
そしてしたたかさ
頭上に飛行機の音の軌跡
我々はそこまで飛ばねば不幸なのか
目の前の障害物から逃げ続け
森を切り開き道を作る
それでも不安なら
雲の上まで飛んでしまえ
そして気づけ
大地から遠く遠く見放されたことを
話すとは放すことであった
無責任に放された言葉たちが
無意味に充満する世界
なら黙ってしまうのも一つの手だ
そこに現れるのは無言の音楽
見事な緩急を蔵した分子の振動
それがあればもう充分だ
今までと違う耳と目と皮膚と
そして呼吸
人間はもっと隠れて生きるべき存在なのかもしれない
木々の間に不安そうに擬態して
息を潜めることの安心と興奮
発見されることの不幸
言語以前の言語
前衛という名の古典
田中泯は
大きく動揺して
再び
大地と自らを断絶する靴を履き
宇宙と自らを断絶する帽子を被り
そして森の奥へ帰っていった
写真は彼の舞踏が堆積したのちの「場」の風景です。
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コメント
最近いろんな本を斜め読みしていますが、こんな文章に出会いました。
「ではいったいことばと書字はどうやって機能を果すのだろうか。身振りに再びかえることによってだ。」
「≪言葉以前のことば≫を再び見出さなければならない。そこでは身振りとことばとは、まだ、上演の論理によって乖離されてはいない。≪私は話される言語にいま一つの言語を付加するのだ。私は、すでに神秘的な可能性の忘れられてしまったことばの言語に、かつての魔術的な効用を、その呪術的、全体的効果を返すことを試みる。書かれた作品は演じまい、と私が言う時、その意味は次のことだ。すなわち、書字とことばとを基底としている作品は演じまいということ、そして、私が示して見せる光景の中では身体の役割がとりわけ優位なのだがしかしその役割は通常の言葉の言語に定着されたり記入されたりはできないだろうということ、またさらに、話され書かれた部分といえども、それは別の新しい意味で話され書かれるのだというそのことである」
デリダ『エクリチュールと差異』のアルトーについて書かれた章で読みました。そういえば土方巽とアントナン・アルトーは近い関係にあるとか、と誰か言っていたような。
投稿: 龍川順 | 2008.04.22 21:13
龍川さん、おはようございます。
先日はご同行いただきありがとうございました。
非常に興味深い舞踏体験でしたね。
あれからいろいろと考えています。
そして、このデリダのアルトーに関する記述。
まさにこれですね!
私が言葉にならない言葉で無理矢理定着させた何かとは、まさにこのことなのでした。
たしかに土方とアルトーはよく比較されたり、関連させられたりしてますね。
私はアルトーのことはほとんど何も知らないのですが。
ただ、私たちが感じた「モノ」は世界中に充満していることは確かなようですね。
またいろいろ教えてください。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.04.23 07:05
私もアルトーについてはぜんぜん知らないのですが、映画でみたことはあります。ドレイエルの『裁かれるジャンヌ』に出演していました。私の一番好きな映画のひとつです。
投稿: 龍川順 | 2008.04.23 08:03
裁かるるジャンヌ…幻の名作ですよね。
もう観れないのかと思ってたら、いつのまにかDVDも発売されてるんですね。
知りませんでした。
アルトーにも興味ありますが、やっぱりファルコネッティを観てみたいなあ。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.04.23 15:08