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2008.04.04

「茜色の夕日(フジファブリック)」に見る「もの」と「こと」


 今日は久々に授業でJ-POPの歌詞をやりました。いかに現代の歌詞の世界が日本の伝統的な文学、特に「もののあはれ」の伝統を継いでいるかいうことです。生徒たちも新しい発見があったのでは。
 いくつかの人と作品を採り上げました、そのうちの一つがフジファブリックの「茜色の夕日」です。来月の富士吉田凱旋ライヴの宣伝もかねて生徒に読んで聴いてもらいました(ちなみに他にはレミオロメン、バンプ、浜崎あゆみ)。
 さて、この何気ないが実に切ない曲の歌詞。これは見事に「もののあはれ」の本質を教えてくれます(マジで)。
Akanel 冒頭からハッと気づかされます。「茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました」…これは散文なら「思い出したことがありました」となるところでしょう。それをいきなり「思い出すものがありました」としたところが、志村正彦くんの天才的なところです。詩人なところです。
 そう、私の「モノ・コト論」では「もの」は不随意、漠然、未知、無常、すなわち固定されていない、自分の意識でコントロールされていない状態を表す語でした。それに対して生じる虚しさや無力感、あるいは逆に驚きや感謝、畏怖などを表したのが「もののあはれ」ということですね。つまり、日本の文学に通底する「思い通りにならないことに対するため息」が「もののあはれ」という解釈です。
 で、今私は「思い通りにならないこと」…と「もの」を説明するのに「こと」という言葉を使いましたよね。これこそが、この「茜色の夕日」のテーマだと思うんです。
 さあ、歌詞をご覧下さい。「思い出すものがありました」と、ふと誘発的に思い出された情景や感情は最初ははっきりしません。言葉に、説明になりません。これは私たちも普通に体験することです。自分の意志とは関係なくふと思い出してしまうことってありますよね。
 それを自分で確認していくんです。志村くんもたくさん確認しています。それが「…歩いたこと」であったり、「…笑っていたこと」であったり、「…悲しいこと」であったり。そのあとたくさんたくさん確認して「こと」にしていってますね。
 つまり、確認していくと、それは全て過去の「こと」であって、つまり動かせない「こと」になっているということです。茜色の夕日によって誘発された過去の記憶、それは志村くんにとって、実に切ない、辛い、でもなんか懐かしいことなんですね。どの「…こと」を見ても、思い通りにならなかったことや、なんとなく不本意なことばかりです。その動かせない過去の「こと」全体が、実は「思い通りにならない」という「もの」の本質を構成しているわけです。
 つまり、「もの」は「こと」を内包している、そういう物事の本質を感じさせるんですね。冒頭で「もの」でくくっておいて、その中の「こと」を開陳していく。動かせない「こと」が「もの思い」の原因になっている。過去が動かせない変えられないこと自体が「もののあはれ」の本質になっていると。どこかの有名な哲学者さんは「もの」は「こと」の一部であるみたいなことを言っていましたが、間違いですね(笑)。
 西欧人は一般に不随意を悪として、思い通りにならないことを不快なこととしてとらえ、それをいろいろなワザで乗り越えようとします。日本人はそういう行為を否定しました。「わざわい」という言葉がありますよね。これは「わざはひ」、すなわち人間の仕業の度が過ぎて、よけいに苦しむ状態です(ちなみにその反対が「さいわい(さきはひ)」です)。
 日本人は不随意な「もの」に美を感じ取った。それをどんどん歌にしてきたんです。それが日本文学です。志村くんもしっかりそういう伝統の上に歌を作っていますね。そう、「無責任」でいいんだよ…。身を任せるのが日本人です。
 で、この歌詞の素晴らしいところは、一つだけいい意味での「もののあはれ」が入っていることです。いい意味でのため息があるんですよ。どこでしょう。
 それはサビの部分です。「東京の空の…見えないこともないんだな」のところですね。これは予想を裏切られてはいますけれど、しかし、ちょっと得したというか、救われたというような感じですよね。このコントラストといいますか、スパイスといいますか、とってもよく効いてますね。
 志村くんはそれほど気にせず自然に作っているに違いありません。そこが詩人たるゆえんでしょう。私はしょせんエセ評論家にすぎません。しかし、今日も生徒にたくさん言いましたけれど、作者本人の意思を超えて様々な解釈の可能性があり、それを受け入れて、そして作者の手を離れて勝手に成長していくのが優れた芸術作品の本質であると思います。
 また、こうして解釈してから、彼の作ったメロディーを聴き、彼の歌声を聴きますと、また違った感じがしますよね。生徒もそれを体験したようです。そして、その体験こそが本来国語の授業で教えるべきことだと思うんです。
 「茜色の夕日」…東京から夕日の沈む西の方、すなわちふるさとの富士吉田を眺めていて、いろいろ思い出しちゃったんだろうなあ。私も両国国技館で聴いた時そんなことを思ってしまって泣いてしまいましたよ。短い夏…ここに住んでいればわかりますね。生徒たちもそういう意味でも共感したのでは。
 …と、生徒に興味を持ってもらったおかげか、たくさんゲットしてしまったチケットがさばけそうです(笑)。やっぱりプロモートというのは大切ですなあ。評論家の仕事というのは実に重要なのでありました。

リアル「茜色の夕日」

フジファブリック富士吉田凱旋ライヴ

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Amazon 茜色の夕日

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コメント

先生、こんにちは。

最近は仕事の合間に(サボって)先生のブログを読んでます。
大人になって国語の授業を受けている様です。
子どもの頃はただ眠たいだけだったのに、先生の言葉を読んでいるととても楽しいし、もっと知りたいという気持ちになります。

さてと、そろそろ働きますか。

投稿: aramoruto | 2010.08.03 16:14

aramorutotさん、ありがとうございます!
私の授業はかなり破格です。
印象には残ると思いますが、役に立ったという話は聞いたことありませんね(笑)。
ま、たまには仕事をサボるのもいいのでは。
私もサボって記事を書いてますから。
人生、息抜きというか、市場の外に出ることも大切だと思いますよ!

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.08.03 17:12

こんにちは。
MUSICにコメントさせて頂きましたきずなです。
わたしも”今”仕事をさぼっていることにきずいてしまいました。。

授業。ですか。
先生の授業受けたいです。あ。毎日ブログを拝見させていただいているので受けていますね。

「もの」と「こと」論、すばらしいです。
いつも想いますが、中学生のときこのような教えを受けたなら、今のわたしはどうなっていたんでしょう。
まぁ受けていないから今の自分がいるのですが。

9月のあたまに遅い夏休みが取れそうで、富士吉田へ
行くことにしました。志村君のお墓参りがメインです。
ここ最近一日中フジファブリックのCHRONICLEを聞いています。特に『Anthem』。歴代志の中の聖歌。
この頃の志村君は翼が大きいのです。
どこまでも羽ばたけます。

わたくしごとではありますが、音楽業界の仕事を生業にしておりまして、やはりたくさんのすばらしい「もの」と「こと」、ひとがあります。
それらが自分のなかでピークに達してしまうときがありまして、そんな時はあふれだすんです。
とにかくしゃべる、飲む、笑う、泣く、見る、聞く。
忙しいです。毎日の料理にも流れていきます。
そうやってバランスを取っているんだな。と、30過ぎて初めてきずきまして(笑)
翼でイメージして、根っこで歩くんです。

この作品を聞いていると、そういう「こと」にきずかされます。あれっ、この使い方は間違えかな。。

富士吉田の空はきれいでしょうね。
たのしみです。
いろんな「もの」と「こと」をおみやげにしよう。
そしてさらけだします。

長くなりました。
御多忙を御察しいたします。
御自愛くださいませ。

投稿: きずな | 2010.08.20 14:12

きずなさん、素敵なコメントありがとうございます!
本当に志村くんから学ぶことは無数にあります。
彼の音楽、言葉から、泉のように豊かな気づきが湧いてきますね。
彼に、そして彼の音楽や言葉に出会えたことを感謝しますし、誇りに思います。
そういう意味では、私は彼の授業を受けているんですよ。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2010.08.25 17:18

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