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2008.03.22

『明日の広告』 佐藤尚之 (アスキー新書)

75615094 今日は縁あって某有名ハンバーガーチェーンの社長さんと差しで話をする機会を得ました。経営や教育に関する貴重なお話をいただき、感銘いたしました。ありがとうございました。
 その会社は、たとえばテレビCMなんかをそれほど積極的にやらないで、どちらかというと口コミの力でブランドイメージを築きました。独特のマーケティングもあって、激戦区で確固たる地位を不動のものにしています。
 社長さんのお話でなるほどと思ったのは、従業員へのサービスがお客様へサービスにつながる、従業員の心からの笑顔がお客様に対する本当のサービスになるという考え方ですね。つまり、従業員の働きぶりが広告にもなるということです。
 ちょうどこの本を読んでいたところだったので、そのあたりのお話を興味深く拝聴することができました。全く違う視点もありましたけれど、結局は一緒のことを言ってるのかな、と思いました。結局は生身の人間どうしのコミュニケーションなんだよなあ。
 ちょっと前に岡康道さんと小田桐昭さんの「CM」を読みました。それで広告のイメージがだいぶ変わった。その後もまたいろいろとご縁があって、広告関係のクリエイターさんたちとお話をする機会がありまして、ちょっぴり広告がマイブームです。自分の仕事にも実は無関係ではありませんし。
 まあ、相変わらず私独自の変な切り口なんですけどね。そう、「物語論」的な捉え方です。今日の記事にも、昨日に続き「モノ・コト論」や「萌え」が登場します。
 「さとなお」さん、いや今回は本名の佐藤尚之さんの名前で書いてますね、彼は若手(と言っていいのかな)クリエイティブ・ディレクターの中でもカリスマ的な存在です。
 この本、サブタイトルにあるように「変化した消費者とコミュニケーションする方法」を書いた本です。広告をラブレターに模して説明してくれているんですけど、まずそれが実に分かりやすい。相手に「私はいいですよ!私を買ってください!」というメッセージを伝えるという意味では、たしかに双方似通ってますね。
 で、消費者(ユーザー)がどんなふうに変ったかというと、
・ラブレターが相手の手に届きにくくなった。
・他に楽しいことが山とあり、相手はラブレター自体に興味をなくしている。
・ラブレターを読んでくれたとしても、口説き文句を信じてくれなくなった。
・しかもラブレターを友達と子細に検討し、友達に判断を任せたりする。
 というふうに説明されています。要はネット社会になって、情報が丸裸になっているということですね。BBSやSNSなんかでの一般人の発言こそを信じる時代になったと。なるほど。その通りだ。
 では、どうすればいいか…という答が、決して悲観的ではなく、非常にポジティブに語られています。これは広告に限らず、現代のコミュニケーション全てに当てはまることですから、たとえば私のような教育に携わっている者にもとっても有用なお話が満載でした。結局、真心・誠意ということかな。伝える側の真剣さ、思い入れ。「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」の章なんか、ホント感動ものでしたよ。
 で、そのへんの結論については実際読んでもらうとしまして、昨日に続き、「モノ・コト論(物語論)」で咀嚼してみましょう。
 私が興味を持ったのは、消費行動モデルAIDMAとAISASです。古典的な「Attention→Interest→Desire→Memory→Action」に対して最近は「Attention→Interest→Search→Action→Share」だと。つまり、ネット社会になって、検索して感想を共有するという新しい消費行動が加わったということですね。言い方を変えると「Desire→Memory」の部分がそっくり「Search」になり、最後に「Share」が加わったということですか。
 たしかに昔は興味を持ったらもう買うしかなかったけれど、今や検索していろいろと情報を得たら、もうなんだか満足しちゃって購買意欲が失せた、なんてことも日常茶飯事ですね。そういう意味でも、「Attention」を司る「広告」の役割がまた難しくなっちゃったわけです。
 で、私はこれを読みながら、ああこれはまさに物語論だな、と思いました。「Attention」こそ「モノをカタル」ということですね。つまり、ワタクシ的な説によりますと、「モノ」とは「未知」の存在であり、それを相手の脳の中に「固成する(コト化する)」のが「物語」の本義ですから、まさに広告の行なう「Attention」と同じですよね。それによって「モノ」が「コト」になる。気づく。知る。
 で、古典の時代はですね、源氏物語のようないわゆる作品としての物語も、また、「物語す」という形で頻出する日常の井戸端会議も、とにかく相手の注意を引き、またそこから興味を喚起するに充分な役割を果たしていたんですよ。立場を変えますと、物語受容者の方の「妄想力(想像力・創造力)」も長けていたと。でも、現代ではそれが他者の情報によって補完され、結果収束(終息)してしまって、それ以上のダイナミズムが生まれなくなってしまった。それは、情報社会、特にネット社会の弊害かもしれませんね。
 さて、また話がとんでもない方に行っちゃいますけど、昔「萌え=をかし」のところにも書いた、「ゆかし」と「をかし」の関係について、ちょっと思いついたことがありましたので、書いておきます。
 「ゆかし」というのは「行かし」であり、それは「Interest」であるとも言えます。つまり、行ってでも知りたい何かがあるんですね。実際、昔は現場に行かなければその願望は満たされなかった。でも、今は「Search」すればもうおしまいですからね。便利と言えば便利ですよ(ちょっとあっけなさすぎますけど)。
 で、本来「Interest」から生ずるべき「Desire」ですが、これはつまり所有欲ですよね。こちらに招きたい。これこそ「をかし(招かし)」なわけです。現代風に言えば「萌え」ですよ。「カワイイ」なんかも、単なる「可愛い」ではなくて、所有するための消費欲求を伴った感情です。
 古典的な「ゆかし」や「をかし」はなかなか実際の所有には至らないケースがほとんどでした。そこに、「思い通りにならない」という「もののあはれ」も生じて、新たなる物語や歌なんかがた〜くさん出来ちゃったわけです。
 それが現代では、まず工業化や交通・流通の進化によって、実際に所有することが可能になった。つまり「Desire→Action」、そしてその先の結果の実現に向けて、近代社会は進化してきたということです。
 さらに情報化によって、疑似的にこちらに招くこともできるようになった。我々は、場合によっては購買や消費という形態でなはく、単にデジタルコピーしたもの(コト=情報)をゲットすることで満足するかもしれません。とにかく疑似的にであれ手もとに招いて所有することができるようになっちゃったんですね。
 そして、忘れてはならないのは、「Action」の質が、ゲットしたモノへの愛情に影響するということです。その行動がエネルギーや時間を要すれば要するほど、モノへの愛情は深まる。逆に、安易に簡便に得たモノに対する気持ちはすぐに冷めます。たいがいの場合、そういう単純な対応関係があります。
 つまり、現代では、「いとをかし」と思い続ける前に、実際に「招(を)く」ことが可能になり、そしてその結果止めどもない生産と消費と廃棄が生み出されているということになります。「ゆかし(行きたい)」はとっくに絶滅し、さらに「をかし(招きたい)」さえも消えつつあるんですね。だから、当然のごとく「もののあはれ(不随意への嘆息)」なんかほとんど復活のチャンスすら奪われてしまった。
 そうすると、現代は「萌え=をかし」の時代だなんていうのも、実はもう古い感覚であり、それすらもない、なんだかすっからかんな、ある意味虚しい(空しい)時代が到来しつつあるのかもしれません。その空虚感がまた「もののあはれ」を喚起したりしてね。
 ただ、話を冒頭のハンバーガーに戻しますと、飲食物に関してはヴァーチャルでは置換できない部分がありますよね。そのへんについて、また社長さんとお話しできればと思っています。続きはまたいつか。

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