『現代日本女性史―フェミニズムを軸として』 鹿野政直 (有斐閣)
この前の団鬼六先生の人生論というか女性論を読みまして、ちょっと違った(だいぶ違った…かな)角度から勉強してみようかなと思って手にしてみました。
とっても勉強になったんですけど、いちいち内容についてここで語ってもどうしようもないので、いつもの通り読みながら考えたことをつらつらと記します。また「モノ・コト論」になりますがご容赦を。久々にオタク論も出てきそうですぞ。
私、二元論はいかん、デジタル的思考は好かんとかいつも言ってますけど、たとえば「モノ・コト論」なんかもろに二分ですよね。そこんとこの矛盾について疑問を抱かれる読者の方もいらっしゃるでしょう。
今日はそのへんについて明確にしておきます。えっ?なんでそれが女性論なのかって?実はですね、私、この世の中で完全に二分てきるものって「女と男(陰陽・雌雄)」と「モノ・コト」だけだと思ってるんです。ずいぶんと乱暴な感じがしますでしょう。でも、私の考えでは本当にそれしかないんですよ。で、さらにその二のつのペアが密接につながっていると。そして、その他の二分されているものは、それらの比喩に過ぎないと考えています。
確認ですが、ここでの「モノ」とは、概念化されていないもの、認識されていないものです。「コト」はその逆。脳ミソの中に情報としてあるものです。自分にとっての未知・既知とも言えますね。あるいは自分にとっての「無・有」。
そして、「女=モノ」「男=コト」と結びつけます。マ行音とカ行音の対照は面白いですよ。「イザナミ・イザナキ」とか「ヒメ・ヒコ」とか。ついでに私は助動詞の「む(推量・未来)」と「き(過去)」もそれに絡めています。未知と既知ですね。
簡単に言ってしまうと、女性はつかみどころがないということです(笑)。男はなんでもはっきりさせたがる。女は夢想しがちですが、男は事実にこだわる。
で、お互い持っていないものに憧れますからね。女性は「コト」を求める。そこに生じるのは「をかし=萌え」の感情です。何度も書いているとおり、「萌え」というのは本来女性的な感情です。オタクは女性化した男性でしたよね。
逆に男は不随意を望む。ふだんは「仕事(シゴト)」してますから、たまには「コト」を離れて「モノ好き」になる。女こそその対象の最たるものですね。ま、そうしないと、人類は滅びちゃいますから、神様はなかなか上手にプログラミングしましたよ。
で、女性論や女性学、フェミニズムの「論」や「学」や「イズム」というのは、「コト化」であり、そういう意味では実に男っぽい世界観であります。分析や分節がコト化ですが、それを積み重ねるという作業、つまり情報やデータを積み重ねて論理的に説明するのが「論」や「学」や「イズム」です。
そういうのを持ち出した時点で、既に女性の本質から離れてしまっている。だから、そこには実際の女性のイメージとの乖離があるし、それらを唱える人、たとえばフェミニストの女性学者なんかがぜんぜん「女」を感じさせないというのは、これは理の当然なわけです(失礼)。女捨ててるってことですよ。
この本でも筆者はのっけから宣言してます。「男だから女について研究する」というようなことを。私にはこれこそが「女性学」や「女性論」の本質だと感じられました。あくまで、学問や主義というのは男性の営みで、本来女性はそんなことにはほとんど興味がありません。もっと刹那的な「コト」を指向します。実生活で損はしなくないけど、学問は面倒だな、とりあえず今思い通りになればいいやと。
こんなこと言うと怒られちゃいそうですけど、ホントだから仕方ない。第一、ここのところの男女同権とか男女共同参画とかなんとか、男も女も、「仕事」もしたいし「子育て」もしたい…じゃないっすよね。ホントは「仕事」もしたくないし、「子育て」もしたくない、でしょ。たまにやりたい時だけしたい。それは身勝手な自己実現でしかありませんよね。みんなだまされちゃいけません(笑)。
男は本来的に「コト」が得意な存在ですから、喰っていくためにはその得意な「コト」をなします。それが仕事(シゴト)ですね。興味は「モノ」にありますけど、まあ趣味と仕事は別ということですよ。
ただ、「コト化」は継続しますと、結局「モノ」的になってしまうんです。ここが面白い。つまり、コト化とは分析、分節であるわけですが、それが集合すると結局全体になってしまうんですね。微分も結果を全部合わせると積分になっちゃう、みたいな感じかな。そこんとこの皮肉にまた、男性は「ああ」とため息をついてなんだかんだ言って自己満足する。「もののあはれ」ですよ。
対して、女性は本来モノノケ…いやモノ的存在ですが、指向としては刹那的なコトを求めます。まあ、もっと俗っぽく言いますと、女性は熱しやすく冷めやすいということです。「キャー」となるのも早いけど、忘れちゃうのも早い。微分の結果だけ見てるからです。で、こっちも皮肉なことに、こういう刹那的な存在こそが無常なる「モノ」的性質そのものなんですよねえ。分かりますか?そこに男たちは振り回される。惚れ続ける。そう、男性は女に関して案外未練たらしいじゃないですか。積分してっちゃう(笑)。団鬼六先生しかり。
いつかも書いたように、「萌え=をかし」の感情って、「モノ」の無常性に対抗するため、対象を徹底して微分してですね、疑似的に普遍性を見出そうとする時の気持ちなんですよ。つまりゼロに近づけば近づくほど時間の経過による変化はなくなるように見えますよね。そういう逃避的感情なんです。
それって昔は女性の専売特許だったんです。腐女子的なあり方が女性本来です。それを男であり、かつ貴族の流れをくみ(武士ではない)、財力もヒマもあるオタクの方々(私も…かな?)は、デジタル技術や工業技術によってそれを実現しちゃうんです。つまり、本来不随意で無常である、たとえば恋愛を、絵やアニメや声優さんの声や、そうした「情報(コト)」にしちゃうんです。
と、だいぶ話がそれましたね。戻しますと、つまり現代の「女性学」や「女性論」や「フェミニズム」なんかは、つまりオタクの登場に付随した現象だということですね。男性が女性化したのに対応して、女性の捉え方に男性的手法が導入されたと。ま、簡単に言えば、女が男っぽくなって、研究の対象になったということですよ。
これからはもっと男女の歩み寄り(?)が進み、男女同権・男女共同参画どころか男女の役割が入れ替わっちゃったりして、とんでもない世の中になりますよ。だって、お互い苦手なモノやコトをするわけですから。私は正直心配ですよ。
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