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2008.03.31

春用帽子2点

Vox ちょっと長い記事が続いたので、今日は短めに。今頃旅の疲れが出ています。
 剃髪するようになってから、なにしろ冬は寒く夏は暑い。春や秋も紫外線でジリジリ焼かれてけっこうきついんですね。お坊さんは大変だなと思うと同時に、髪の毛の有難さ、必要性を感じます。
 で、仕方がないので帽子をかぶるようになったんですが、これがけっこう新しい楽しみになっています。いろんな帽子を買っては、今日はこれ、今日はこれ、みたいな感じで楽しんでいます。
 真冬はニット帽が大活躍でしたが、最近だいぶ暖かくなってきたので、違うタイプを手に入れました。今までは、春や秋にはハンチングをかぶることが多かったのですが、ハンチングって案外しめつけがきつく、頭に線がついてしまうこともしばしば。風で飛ばないのはいいんですが…。
 写真、左はネットで注文して買いました。中折れ帽ですね。お店で買おうと思ったら、中古でも5000円以上するんでビックリしていたんですが、ネットだと1000円台。もちろんモノもそれなりですが、ちょっとかぶるには充分です。軽いしオシャレ。最近若者がよくかぶってるタイプですね。どういう服とコーディネイトすればいいか研究しましょう。
 右は秋田の温泉の売店で見つけたもの。シンプルですが、案外見かけない形だったのでつい買ってしまいました。たぶん、おじいさんとか、おばさんとかが、ウォーキングの時にかぶるタイプなのでは。温泉で売ってるってことはそういうことでしょう。でも、シンプルなだけにどんな服にも合いそうです。やはり軽くてしめつけが少ないので気軽にかぶれます。ただ、剃髪直後は風ですぐに吹っ飛びそうです(笑)。
 カミさんも両方とも気に入ったようで、二人で共用ということにしました。
 ああ、そうそう、気をつけなくてはならないのは、私、酔っぱらうと帽子を忘れるんですよ。今までも何回もやらかしました。お店に置いてきちゃうんですね。上着や手袋なんかは、たとえば寒いと気づくんですが、酔うと頭の感覚が鈍るんでしょうかね。すっかり忘れちゃうんです。そんなこともあって、あんまり高い帽子はかぶらない方がいいですね。

ソフトデニムハンチング

形が綺麗な中折れハットです☆春を先取りして麻素材でいきましょう♪【ch-0253】ベルト付き 麻混 ハット

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2008.03.30

会津さざえ堂

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 濃〜い秋田の旅からの帰り道、ちょっと福島県に寄り道しまして、まずは喜多方ラーメンを食べました。ラーメンに詳しくない私には、普通の醤油ラーメンにしか思えなかったのですが、まあそういうものなんでしょう。いや、たしかに旨かったっす。奇を衒わず王道を行く、といった感じ…なのかな。
 それで、お隣の会津若松市に移動しまして、念願の「さざえ堂参り(巡り?)」を実現いたしました。以前、私こちらの記事で「早速行かねば」と書いておりますね。7ヶ月目にして実現であります。そうそう、この前再放送されていた夢の美術館 世界の名建築100選にも選ばれていましたっけ。
 このさざえ堂が鎮座する飯盛山は、言うまでもなく白虎隊の悲劇の現場であります。よって、そのような目的(ってどんな目的なのか微妙でしたが)でいらっしゃる多くの観光客でごった返しておりました。それにしてもなあ、白虎隊を可愛いお土産キャラにしちゃったり、あるいはあの石段の隣の動く歩道みたいなの、ある意味トンデモぶりでは、さざえ堂以上だったかもしれませんね。ムッソリーニが建てた碑もなんか場違いな感じだったし。日本人ってホントすごいわ。
 で、いちおう白虎隊を供養しまして、土産物屋でなんだかんだ結構楽しみながら(そうそう、白虎隊なのに土方歳三がたくさんいたなあ。これも土方巽の霊のなせるわざか…笑)さざえ堂に向かいます。
 まず私が驚き、そして感嘆したのは、切符売りのおばさんの呼び声です。妙に通る声で「このさざえ堂は…」って言ってるんで、てっきりテープかと思ったら肉声でした。ああやって拝観券を売りながら解説もしちゃってるわけですね。やるな。
 で、そのおばちゃんから券を3枚買いまして家族4人でいよいよ拝観であります。下の娘は入り口の像(設計者の郁堂像)にびびってます。大丈夫、大丈夫、これは遊園地みたいなもんだから、となだめすかしながら、自分でも確かにこれは江戸のレジャー施設の一つだよな、などと思ったりして、いざ登楼開始。建物自体は小さいのですが、歩いてみると意外に道のりが長く感じます。第一、木造なのに全体が曲線で構成されているという実に不思議な感覚。これはすごい。なんとなく空間が歪んでいるような、あるいは自分が酔っぱらっているような錯覚に襲われます。時間の流れもおかしいのかも。
 そして、最上階(?)に到着するといきなり下り坂になります。下り坂になると同じ傾斜のはずなのに急坂に感じられます。カミさんは恐い恐いと言っていました。子どもたちは、さっき上った坂を下っていると思っているようなので、ちょっと説明します。たしかに所々に安置されている「モノ」がさっきと違う。
 これがウワサの二重らせん構造、木製DNAモデルか!たしかにすごい。これを設計した郁堂という禅僧もすごいが、現実に作り上げてしまった棟梁たちの技もすごい。日本のオタク道…いやいや職人道のたまものです。
Sazaedo 右の写真は売店越しのさざえ堂です。なんていうかなあ、日本人のすごさって、こういう職人的なあるいは芸術的な、トンデモない世界に誇る物が俗っぽい商売にまみれるというかなあ、それも神聖な地での供養というか、信仰のようなものと、思いっきり俗っぽいものとの共存というか、いや、あるいは向こう側でそういうものどうしが一つになるというか、まさに二重螺旋構造のようになってるところがスゴイんですよね。行きと帰りと似てるけど違う道を歩むというかね。まさに聖俗清濁併せ呑むというか、ですね。窮屈な線引きをしないところが強いところなのかもしれないなあ。そんな気がしました。
 できれば、さざえ堂を一つ庭にほしいと思いました。あるいは模型でもいいや。プラモデルとか、それこそ土産物屋で売れば売れるんじゃないかなあ。これはすごいですよ。
 ある意味、本質的なところで、昨日の「鎌鼬」や土方巽の世界とも重なっているのではないでしょうか。いわゆる世界標準の「芸術」を超えたところの…やっぱり「超芸術」っていうことかあ。土方の洗礼をたっぷりと受けている赤瀬川原平さんも、実はそのあたりに敏感になっているのでは。

さざえ堂公式

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2008.03.29

『鎌鼬』 巡礼の旅 その2 (高橋市之助さん宅訪問)

080329 昨日の奇跡的な米山家訪問に続きまして、今日は『鎌鼬』の重要な被写体の一人であり「鎌鼬の里」の代表的人物である高橋市之助さんのお宅を訪問することができました。まずは市之助さんご夫妻に心からお礼申し上げます。
 以前書きましたように、「鎌鼬」の多くの写真が、私の義母の実家の前の田や道で撮影されたものでした。そんな、私にとっての衝撃的な事実を知ってからは、この写真集の(土方巽に対する)もう一方の主人公たち、すなわち撮影地である羽後町田代の皆さん…その純朴な笑顔たちは今や世界的に有名だと思います…にお会いしていろいろとお話を聞きたいと思っていました。それが今日実現したのです。
 なにしろ家内のお母さんの実家付近の出来事ですからね、家内のお母さんはこの写真集を見るや、この人は○○さん、この人は○○さんのお嫁さん、この子は○○さんの娘…なんていう具合に名前がほとんど言えちゃう(!)。義父も当時田代の農協にお勤めでしたので、ほとんどが見知った人たち。やはり名前やその後のことまでどんどん語っていきます。もう、その時点で私は「あららら…」という感じだったんですね。
 今まで芸術作品として、それも世界に誇る最高傑作として認識していた物が、突然生活感を帯びるわけでして、最初はなんとなく拍子抜けというか、頭の中でうまく処理しきれないというか、そんな感じだったんですね。そして、さらに実際の登場人物にお会いするわけでして…もう、正直何が何だかわかりません。昨日は昨日だし。人生何が起きるかわからない。冷静になれ、自分。
 今日の訪問にあたっても、多くの人たちとのご縁に感謝しなければなりませんね。特に今回直接仲介役をしてくれた家内の祖母。祖母は何しろ、この写真集に登場している、あの土方神輿(?)の写真で傘をさしている女性と、お隣同士の茶飲み友達なわけですから…。そして、そのお隣のおばあちゃんの旦那さんが、高橋市之助さんだというわけです。
Kamaitachi21 市之助さん、この写真では左から2番目で笑っている方です。奥さんは子どもの足もとで笑っておられる。
 まずは、家内の母方の実家に車をとめ、ひと通り挨拶をいたしまして、さあ祖母を伴って私と家内、市之助さん宅を訪問です。私は初対面、家内も本当に久しぶりということで、最初は緊張気味でしたが、なにしろ、明るく機知に富む祖母のおかげでいろいろと話がスムーズに進みます。ありがたや。ありがたや。
 91歳になられた市之助さん、足腰は弱ったとおっしゃっていましたが、しかし、大変に肌のつやや血色もよくお元気な様子。この前「鎌鼬」のカメラマン細江英公さんとお会いした時、「市之助さんは元気かなあ」と心配されておりましたので、さっそくお伝えせねば。
 逆に細江さんからのメッセージを市之助さんに伝え、そこからいろいろと話が弾み始めました。市之助さんは記憶も非常に確かで、まさに鎌鼬のごとくゲリラ的にやってきた土方と細江さんのこと、それを迎え入れた村人たちの様子、あるいは後日譚など、本当に詳しくいろいろとお話しくださいました。実際に写真集を観ながらの解説もまじえて、ずいぶんと長い時間おつきあいくださり、本当に感激です。
 今まで知らなかったこともたくさんあり勉強になりました。しかし、やはり実際にその「場所」に立ち、その「人」たちの生きた言葉を聞くということは、本当に大きな意味のあることだと実感したのが一番大きい。
 最初に芸術と生活のようなことを述べましたが、市之助さんのお話を聞き終わって、私は一つの大切なことに気づいたんです。当たり前なのに、ついつい忘れてしまいがちなこと、あるいはついつい意識的に分離してしまうことです。
 それはまさに「芸術」といわれるモノと、「生活」というモノとの関係です。これは実は切っても切り離せない関係にあるはずです。当たり前と言えば当たり前ですが、生活なくして芸術は生まれませんし、実は芸術なくして生活はないのです。特に、市之助さんのような一種信仰的な生活をされている方の、その生活はほとんど芸術と一体のようなものです。何かを「信じる」ことによって、そこからもたらされる恵み。表現という「コト」から生まれる、生命力あふれる「モノ」という意味では、芸術も信仰的生活も全く同じです。
 かの出口王仁三郎は「宗教は芸術の母」ではなく「芸術は宗教の母」と言いました。もちろん、ここで言う「芸術」も「宗教」も私たちの日常的スケールをはみ出したもののことを言っているんですが、もう少し身近なところで考えてみれば、「芸術は生活の母」とも言えるような気がします。もちろん生活があっての芸術という一面もありますから、やはり両者は共依存の関係にあるのではないでしょうか。
 例えば「カネ」に対する信仰なんていう次元ではなく、農作業を通じて自然への畏怖や敬意を抱きながら、しかし結局自然を信じ祈り働くという、そういう健全な「生活」をするところに、自ずと「芸術」は生まれるのかもしれませんし、逆に「芸術」を解する心が、すなわち単なる経済的損得に陥らない正しい「生活」を生むのかもしれません。
080329y 土方巽と細江さんと市之助さんら農民たちの奇跡的な出会いは、機会としては奇跡的だったかもしれませんが、その不思議な縁が生み出した「鎌鼬」という芸術は、やはり生まれるべくして生まれたのだな、と今回の訪問で痛感したしだいです。
 本当にお話を聞くことができて幸せでした。市之助さんらの生活を知ることによって、さらに「鎌鼬」という作品の本質が分かったような気がしました。ありがとうございました。
 私はそんな感慨をもって、雪の降る「鎌鼬の里」田代をあとにしたのでした。

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2008.03.28

『鎌鼬』 巡礼の旅 その1 (土方巽生家訪問)

08032801 全く縁というのは不思議なものです。今回も想像外の有難いことがいろいろと…感謝、感謝です。
 細江英公さんによる土方巽の写真集「鎌鼬」との想定外かつ劇的な再会を果たした私は今、大きな渦に呑み込まれている気分です。
 今日はまた想定外の展開で、なんと、土方巽のベースとなっている場所の一つ、羽後町新成(にいなり)郡山の米山家本家を訪ねることとなりました。そして、米山家第16代当主の米山努さんにお会いし、貴重なお話をいろいろうかがわせていただきました。
 昨日、秋田入りした私たち家族は、まず家内の生まれ育った羽後町軽井沢に立ち寄り、そこから新宅のある横手市十文字町へ向かったわけですが、その二つの場所をつなぐ途中には、ちょうど田代と新成という、土方にとって非常に重要な土地があります。
 田代は言うまでもなく『鎌鼬』撮影場所。そして、私の家内の母親の実家がある所です。そして、新成は先ほど書いたように土方のルーツとも言うべき場所。土方巽は実際には現在の秋田市の生まれになるのですが、本人は「新成郡山の米山家で生まれた」と言い張っていたようで、奥さんである元藤燁子さんもそう信じていたとのこと。この事情に関してはのちほど少し書きたいと思います。
 で、私たちは車の中から「郡山」の標識を見ながら、ああこの辺だねと話していたんです。その時には全く訪問などという大それたことは考えていませんでした。そして、十文字の実家に到着し、実際に「鎌鼬」を見ながら土方の話をしていたところ、義父が「そういえば、そこのかあさんは郡山から来たんだ」と言い出したんです。つまり実家の斜向かいのお宅のおばあさんが新成の郡山から嫁に来たということです。ちょっと話してみるということで、義父はわざわざそのお宅へ出向き、とりあえずの事情をお話ししてくれたんです。そうしたら、そのおばあさんの実家は、なんと土方の本家のこれまた斜向かいだと言うではありませんか。驚きました。そして、そして、その方がまた、なんと米山家に電話してくれるというのです。
 と言いますか、長旅で疲れていた私が眠っているうちにそのへんの手続きが全て完了していて、その日の午後1時に米山家を訪問することになっていた(!)。なんということでしょう。私の意思のはるか上空、あるいは地底深くで何かが勝手に動いている感覚です。
 そのような事情で、本当に突然ですが、米山家を訪ねることになりました(こんな簡単にコトが進んでいいのか?)。間を取り持ってくれた近所のおばあさんと、私と家内、そして家内の弟くんの4人で、午後1時少し前に郡山の部落に入りました。
 米山家は新築間もないということで昔の趣はありませんでしたが、立派なお宅でした。まずは奥様に丁重に迎えられ、仏間にある土方のおじいさん(村長さんをされた方)の遺影などを見せていただいたりしているうちに、第16代当主米山努さんがお出ましになりました。
 努さんは「土方巽関係…」と書かれた箱を二つ抱えていらして、そのフタをあけますと、新聞や雑誌の記事の切り抜きやコピー、あるいは写真などがぎっしり詰まっています。それらを見せていただきながら、本当にずいぶんと長い時間貴重なお話ををうかがうことができました。全く突然の訪問、それこそ「鎌鼬」的な突撃だったにも関わらず、本当にていねいに熱く熱く語っていただいて、もうもうひたすら感激するばかり。特に、実際に土方巽が努さんを訪ねてきた時の、何気ないがしかし心の交流を感じさせる二人の会話や、土方が裸馬に乗って周囲を驚かせたシーンの再現には思わず涙が。それを演じる努さんの姿に何か「土方的なモノ」を感じたのは、どうも私だけではなかったようです。
 細かいお話の内容はここには書けませんが、しかし冒頭に書いた「土方自身は新成で生まれたと言っていた」という不思議な事実、その理由がよく解ったような気がしたということだけはここにはっきり書いておきたいと思います。
08032803 それは特に古い蔵の内部を見せていただいた時に強く感じました。そこには旧家らしいお宝がたくさん蔵されていまして、それは確かに「蔵」であったわけですが、しかし、そこは同時に子どもたちの遊び場であり、また土方の舞踏のベースになった空間でもあったのです。
 暗闇に溶け込み、そして妖しい光を放つ、数々の「モノ」たち。谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」ではありませんが、たしかにそこに立ち上がる「何か」があります。土方はこの蔵に入り、そして古文書や古文献やらを読み漁っていたと言います。暗黒の闇の中に差す一条の光。そこの闇と光、そしてモノの力に縛りつけられ時の経つのも忘れて無意識に身悶えする土方巽の姿。そこはまさに暗黒舞踏の舞台そのものでした。鳥肌が立ちました。
08032804 そのほか、土方と言えばスイカのイメージがありますけれど、新成はスイカの産地だというのも初めて知り、何か納得。また、土や農作業への憧れと、農家をやめて都会で商売を始めた父親に対する微妙な心理。土方の舞踏の内奥に潜む「何か」が、私にはいくつかはっきりしたような気がしました。
 彼が、羽後町新成郡山上郡米山家の出身だということにこだわった理由は、その「何か」の中にあったのです。私はそう確信しました。よって、あえてこの記事の標題には「土方巽生家」という表現を使わせていただきました。
 努さんの力説した「米山家350年の歴史」「江戸幕府よりも長い350年」…その時間、歴史、人々、土、雨、雪、陽光の堆積によって醸される「何か」。これは重く深い。そこに、土方巽、いや米山九日生は自分のルーツを置きたかったのでしょう。
 別れ際に、奥様はこうおっしゃってくれました。「今まで、たくさんの大学の先生や、取材の人が来たが、今日が一番土方の偉大さがわかりました」。努さんも大変に喜んでくださいました。う〜ん、そんな畏れ多い。土方の本質的なすごさを再確認したのは私たちの方です。
 全く自分たちの力だけではどうにもならないことが実現しました。本当にいろいろな方々のおかげです。そしてなんと言っても米山努さん、奥様、私たちの不躾な訪問を快く受け入れてくださり、そして素晴らしい時間を私たちに与えてくださり、本当にありがとうございました。
 
 そして巡礼の旅はその2に続きます。もう一つ感動的な出会いが…(涙)

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2008.03.27

『Ohzan de imane 村 cafe』(秋田県羽後町)

 (実際には28日の出来事ですが、いろいろと書くことがありますので27日の記事として書かせていただきます)
 昨年の夏、羽後町にオープンしたレトロでオシャレなカフェに行って参りました。この前紹介したかがり美少女イラストコンテストともあいまって、一部では古典的本格メイドカフェ、新たなる聖地とも呼ばれているとか(!?)。
 今回のワタクシはそのような視点をあえて排除して報告いたします(いや、実際そういうレベルではなかったので…)。
 まず一言。なんでこんな素晴らしいカフェが東北の小さな町に!(失礼)…正直そういう気持ちです。イマン(imane)と言えば、薔薇柄のホーローをはじめとして、100年前の南仏の雰囲気を踏襲する雑貨を作っているカリスマブランドですよね。そのイマンの、それも東京は自由が丘にあるイマンモンプルミエが気合いを入れてプロデュースしたカフェが、東北の地味な町の、本当に目立たない所に忽然と出現したんですから。
Imaneop そのへんについてはのちほど説明しましょう。まずはカフェの様子を紹介します。
 大通りを曲がりますと、普通の住宅やお店が並ぶ中に、オシャレな看板が出現します。そこから砂利道を数十メートル入ります。道の脇には、いかにも東北の町というフツーに崩壊した家(小屋?)なんかがあったりして、それこそ自由が丘とは対極的なムードが漂います(笑)。その道の突き当たりに、古くこぢんまりとしてはいるけれどもどこか風格のある建物が現れました。
Inanedf この建物は地元のある方の別宅として建てられたそうで築110年以上経つ歴史的建築です。あまりに素晴らしい建物ということで、町の迎賓館としても使われていたとか。今日は季節もまだ春遠く、周囲も淋しい冬木立のままですし、また玄関に雪囲いがあったり、さらにあいにくの雨ということで、なんとなく地味〜な感じの写真になってしまいましたが、春から秋にかけての雰囲気は最高でしょうね。
 入り口を入りますと、いきなりメイドさんがお出迎え。さすがに「おかえりなさいませ、ご主人様」とは言いませんでしたが(笑)。仕事上(?)メイドを見慣れているワタクシも、この雰囲気の中の本格的メイドさんにはちょっとドキッ。大正レトロな店内の空気にしっかり溶け込んでいます。ウチのクラスのエセメイドとは違い、何か歴史の重みすら感じさせるぞ。そう、考えてみれば、明治・大正・昭和初期と、これは普通に給仕服であったわけで、最近の新たなる意味付けなどまだまだ歴史が浅い。おっと、今思いつきましたが、当時は和服にエプロンなどの給仕姿もよくありましたよね。アキバでそれやったら受けるかも…。
 さて、ここからは店内の写真をご覧頂きましょう(撮影・掲載は許可いただいております)。素晴らしい雰囲気ですよね。
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 玄関を入ったところです。靴をスリッパに履き替えて入店します。レトロな照明や電話、イマンの食器のほか、きれいなお花なども目に入ります。
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 テーブルや椅子もレトロでオシャレ。建物自体の年季の入った色合いにぴたりマッチ。床の赤が効果的ですね。ところどころ配されるイマンの食器類が本当に自然にそこにあるという感じ。
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 100年前、東北の地にも案外西洋文化が入ってきていました。洋装や西洋式食事作法などもお金持ちには愛好されていました。古い西洋文化が日本の地方都市に残っているのはよくあることです。そんな意味からもイマンと純和風古建築とのマッチングは自然なわけです。
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 窓際の席から雪の残る立派な庭を眺める「avec」…ではなくて、私のカミさんと義理の弟くんです。季節が良ければ絶景でしょうね。樹齢500年という木も見えます。夏場にはオープンカフェになるそうです。
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 二階も見せていただきました。緑や紅葉の頃、ここからの眺めは最高でしょうね。古建築の文化財としても素晴らしいものです。
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 今回は時間がなかったためお食事はいただかず、コーヒーとカフェオレのみ注文。なかなか立派な(特に秋田ではビックリでは?)のお値段でしたが、味も雰囲気も言うことなし。考えてみれば、こんな所で(失礼)イマンのカップやポットで最高級のコーヒーをいただけるなんて信じられませんね。
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 かわいいメイドさんをつかまえて(変な意味ではありませんよ)お話をうかがいましたところ、地元羽後町の出身、それもウチのカミさん(&写真で緊張気味の弟くん)の生家とご近所(すなわち山の方)ということで、世間は狭いなということになりました。そして、いろいろお話をうかがっていくと、地元に古くからある懐石料理の宿櫻山(おうざん)の方と、自由が丘のイマンモンプルミエの方とが縁あって知り合いで、それで意気投合してこのカフェが出来たとのこと。地理的にも、また分野的にも、まあ遠く離れたものどうしが結びつくという、まさに「縁」が生んだ奇跡のカフェと言えるでしょう。常識的に考えて、こんなことが実現するなんて、誰も想像しなかったでしょう。
 今度はゆっくり食事を楽しみたいと思います。次は夏かな。いや、例のかがり美少女コンテストの時に来るかもしれませんね。そうそう、一部ヲタの皆さんの中では、もうすでにここは憧れの聖地になっているようですから、当日はいろいろな意味で繁盛しそうですね。そんな様子も客観的に見てみたいような…(こちらのリポートはそっちの意味で実に面白いですよ)。
 オープン時の美しい写真がこちらのブログにありますので是非ご覧下さい。ずいぶん違う雰囲気でしょ。

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2008.03.26

フジファブリック 『フジファブリック』

41ax0v8e49l_sl500_aa240_ 今年度の仕事を終え、すぐに秋田へ向かいます。日本海側を北上するいつものコース。
 高速道路代を浮かすためにいつも深夜の走行になります。特に今は深夜の割引率が3割から4割にアップしておりまして、ずいぶんと助かります。
 深夜ということで、家族はみんなガーガーゴーゴー車内で寝てまして、私は聴きたい音楽を聴きたいだけ聴けるという、眠いが素晴らしい時間を過ごせるわけです。
 今回繰り返し聴きましたのはフジファブリックです。今回は特に古い曲をじっくり聞き直してみました。
 そうなんですよ〜!5月31日、ついに夢が実現するんですよ!まずはこちら公式発表をどうぞ。
 私がこちらの記事で熱望した富士吉田凱旋ライヴが行われることになったんです!それも、実現不可能だろうと書いた「富士五湖文化センター」で。まったく人生何が起こるかわかりません。取り壊しの話もあったこの会館、財政難で取り壊し建て直しの予算さえ出ない(?)おかげで、私の夢の舞台となってくれました(笑)。
 このホール、昭和45年に建てられたものですから、もう38年くらい前の建物なんですね。ま、この前の大田区体育館が43年ですからね、まだまだと言えばまだまだですけど、いや、フジファブリックにはこういう昭和の雰囲気が合ってるんですよ。
 ホールは私の職場から徒歩3分、志村くんの実家からも7分くらいでしょうか。本当に彼の、そして私のホームグラウンドですからね。これはホントに楽しみです。フジの曲にはこのあたりの風景がたくさん描写されてます。
 今回初期の曲を聴いて、そのあたりを再確認しましたね。下吉田の独特の雰囲気、これは来て歩いていただけばすぐに分かると思いますが、とにかくいい雰囲気なんですよ。そう言えば「Tremolo'55 学園祭ライヴ&西裏探訪」の記事にも書きましたね。そういう中で感じる「切なさ」「やるせなさ」ですかね。時の流れといろいろなものの変化。自分の変化。成就しない恋や夢。まあ「もののあはれ」ですね。そういうものが彼の歌詞には溢れています。
 特にファーストアルバムは妄想とちょっとした変態性、すなわちそれがノスタルジーになるんでしょうが、そういうものが実に生き生きとしていますね。私もいちおうこの辺りで妙ちくりんな青年時代を送っていましたから、それなりの共感や同情を抱きます。
 どのバンドもそうですが、売れる前の方がドロドロしていていいものです。自分の格好悪い部分がストレートに出ている。面白いもので、マイナー(少数派)な頃にはマイナー(短調)の曲が多く、メジャー(多数派)になるとメジャー(長調)の曲が増えるんですよね。つまり個人は実は暗く、大衆になると明るくなるという、人間の本質を表してるんですかね。古今東西、どのバンドもそうなんですよねえ。あるいは、こういうことでしょうかね、明るくないとお金(商売)にならないと。カネを払ってまで暗くなりたくないのかな。経済の本質は明るさにあり。逆に言えば、カネを払ってまで人は明るくなりたがっていると。
 もちろん、このファーストアルバムはセルフプロデュースではありませんから、ある意味片寄さんの洗練されたセンスが混入してるわけですけど、だからこそでしょうか、コントラストとして彼らの美味しい未熟さや新鮮な腐乱臭が際立ってるんですね。いまだにこれをもって最高傑作だとする人が多いのもよくわかります。
 さてさて、この前のレミオロメンの凱旋ライヴもそうでしたけど、とにかくそうした自分の基礎となっている土壌での演奏というのは格別なものになります。今回の秋田の旅でもおそらくそういう「土」の重要性を感じるでしょうね。これこそが最近の私のテーマでもあります。
 ただでさえ志村くんのパフォーマンスやトークは面白いのに、今回は場所も場所、おそらく自分でもいろんなツッコミを入れられる環境ですからね、きっととんでもないスペシャルライヴになりますよ。旧メンバーやら同級生やら親戚やら、たくさん来るでしょうね。古くからのファンの皆さんには是非参戦してもらいたいですね。なんて、自分がチケット取れないと困るなあ。
 ホールのキャパは1000人です。古いけれど、彼らにはちょうどいい大きさかもしれませんね。ZEPPの雰囲気も国技館の雰囲気も今一つだったので、今回は期待をしてしまいます。
 まずはチケット手に入れないとな。頑張ります。いやあ、楽しみだなあ。

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2008.03.25

『土方巽 絶後の身体』 稲田奈緒美 (NHK出版)

14081274 まさに絶後の力作!これはすさまじいデータベースであり、そして戦いの記録であります。
 先日「土方巽・生誕80年記念  HOMAGE TO HIJIKATA vol.1 舞踏・新研究フォーラム2008」の会場でお会いした稲田さん、こんな言い方は失礼とは思いますが、これほどのエネルギーをお持ちの方とはお見受けしませんでした。とても柔和な笑顔の女性で、私たち門外漢の不躾な話を優しく聞いて下さいました。
 この本を読み終えた今、私は稲田さんにもう一度お会いして心から敬意と謝意を表したい。本当に私の人生が変わってしまうほどの衝撃を与えてくれました。これは大げさでもなく冗談でもありません。
 誰もが陥る「土方を語る」という罠。これはいつも私が繰り返しているように、「モノ」を「コト」としてとらえる、すなわち、本来言語化できない「モノ」を「コトの葉」で「カタル」危険であります。今までも、多くの方々がそれに執着して、すなわち自ら土方を理解しようとして、深い迷宮にはまってしまいました。私は三島でさえそうだったと考えています。もちろん、私もこちらであるいはこちらで語らんとして恥をかいていますね。
 なぜ、人はそう語りたがるかと言いますと、結局「理解」「解釈」という安心を得たいのだと思います。不随意であり、言語化不能であり、未知であり、豊饒であり、無限である「モノ(物の怪)」に対する恐怖や畏怖がそうさせるのでしょう。
 稲田さんは、この600ページに及ぼうかという大作で、一つの戦いを挑み、そしてそれに勝利しているように感じます。今言ったような「土方巽」を「語る」ということ(「モノ」を「カタル」=「物語」)の危険性に対して、非常に冷静に一つの手段を徹底しているのです。それは、まず事実を事実として記述すること、まずは解釈抜きで「記す=著す=明らかにする」こと。そして、それぞれの事実について、最初に自ら「語る」のではなく、他者に語らせるということ。つまり、土方を取り巻く多くの天才たちが、土方という大天才にどう挑んでいるのか、あるいはどう対抗せんとしているのか、どう敗北しているのかを、これもまた事実として記しているわけです。
 もちろん、稲田さん自身の読解も控え目ながら記されています。それがまた秀逸であり、私も大いに刺激を受けたのですが、しかしやはり著者はあくまで謙虚です。あるいは自重している、あるいは巧妙に避けているとも言えます。これは私は闘い方として非常に正しいと思います。もし、もしも私がこういった無謀な戦いをせねばならない立場にあったら、やはり巧妙に(私の場合は狡猾にですか)逃げたでしょう。なぜなら、勝ち目がないからです。
 この本を通じて、私が再読した土方は、やはり「言葉」に対抗する存在でした。「言葉」を「西洋」や「都会」や「文明」や「社会」や「科学」や「論理」や「人間の営み」そのものに置き換えてもいいのでしょうが、それではあまりにも行儀の良い、それこそ今挙げたそれらの枠組みの中での思考に陥ってしまいます。だから、今回は、今私の頭が書きたがっていることはあえて書きません。無様な惨敗が確実だからです。ただ、ただ、感じて、その次に続けたいと思うだけにしておきます。
 次に…そうです。ちょうどいいタイミングですね。明日から秋田に行きます。「鎌鼬の里」を訪れます。そこでまた何を感じるのか。そして語りたくなるのか。語るのか。あるいはまた語れないのか。非常に楽しみです。
 それにしてもこの本はすごい。もちろんそこに息づく「土方巽」という「絶後の身体」…それは、私はこの国最後の「モノ」なのかもしれないと思うのですが…の得も言われぬエネルギーのおかげではありますが、しかしまた、それを見事な手法と見事な決意とで書籍の中に充填した稲田奈緒美さんの「思い」のおかげであることも忘れてはならないでしょう。
 最後に一言。土方はまるでもう一つの宇宙のように、我々の住む社会、我々の知る風景と戦い続けました。孤高の戦いです。私たちが彼を恐怖し、しかしどこかで共感するのは、彼をこの世の敵であると見なす自分と、しかし一方でこの世を救うメシアだと感じる自分を内在しているからです。だから、私たちは彼と戦い、そして彼とともに戦い続けなければならないのでしょう。少なくとも、今こういう形で彼に再会してしまった私は、そうして行くつもりです。

Amazon 土方巽 絶後の身体

土方巽 絶後の身体

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2008.03.24

シック クアトロ4(Schick Quattro4)

Mens_sys_06_midnight02 今日は剃髪の日。いちおう禅宗の習慣に従いまして、「四」と「九」のつく日に剃ってます。5日に1回っていうことですね。これはたしかにちょうどいいサイクルです。ツルツルに剃っても、そうですねえ、4日目くらいにちょっと伸びたなあ、剃りたいなあと思うものです。ヒゲをイメージしていただければいいんじゃないでしょうか。頭の毛もヒゲと同じくらいの伸び方ですね。
 禅宗では剃髪の日を「四九日」と言うそうで、ある有名な禅僧の方はお戯れに「シック(Schick)の日」と言っておられました。もともとなぜ4と9なのかよく知りませんが(「死」と「苦」を剃るのかな)、たしかに1と6でも2と7でも3と8でもだめですよね。1のつく日だと10日〜19日も含まれちゃいますよね。2や3も同様。
 最近は当地方もようやく暖くなってきましたので剃ると気持ちいいんですけど、冬場はホント寒いんですよ。修行ですね。インドでは本来剃髪というのは刑罰だったようです。たしかに真冬のスキンヘッドは刑罰ですよ。頭の毛ってホント1ミリでもあるとあったかいんですよね。頭の毛の有難みがよくわかります。
 昨日の話、「大事なものはとっておくべきか」にも関しますが、そういう大事な髪の毛というものを捨てるというところが、つまり仏教における解脱への第一歩なのでしょう。こだわりや執着を捨てることの象徴…なのかな。お坊さんではない私は、どちらかというと逆にファッション感覚なんですが。ある意味余計な我執が生まれているのかも。
 さて、剃髪にあたって、わたしはどのような方法をとっているかといいますと、お風呂に入ったついでにゾリゾリとひげ剃りで剃っちゃいます。誰かに剃ってもらうということなく、自分でゾリゾリやります。禅宗ではこれはダメなんですよね、たしか。お隣の人に剃ってもらうんだそうです。それが和合なのだとか。一人でやるのは不和合。
 昨年まではこちらのプロ用バリカンで頭を剃っていましたが、今年になってからは、もう面倒くさいのでひげ剃りに切り替えました。で、いろいろと試した結果、やっぱりシック(四九)が一番いい。それも4枚刃のやつ。これはいいですよ。深剃りできれいにツルツルになるし、石鹸なんかをつけなくても全然痛くない。一時安い2枚刃の製品(F社)のを使ってたんですが、これはひどかった。きちんと剃れないし、きちんと剃ろうとすると、皮膚まで剃れてしまい(痛)、もう血だらけだし、血が止まってもヒリヒリして枕に頭がつけない状態になるし、学校では生徒に爆笑されるし、ホント刑罰でした(笑)。
 ちょっと値段は張りますが、いいもので剃るのが一番ですね。ただ5日に一回ずつ大量のヒゲを剃るようなものなので、すぐに刃がダメになってしまいます。替え刃もそれなりのお値段なので、経済性はあんまりよくないかもしれません。もちろん、床屋さんに行くよりは安上がりだと思いますが。
 お寺さんでは、昔はいわゆる普通のカミソリで剃りっこしてたみたいですが、あれはホントに危険だったようです。パートナーが下手くそな人だと最悪だったとか。くやしいからやりかえしたらしい(笑)。あるお坊さんの体験談です。今では私のようにT字型のひげ剃りを使っているところが多いらしい。やっぱりシックなのかな。あっそうそう、映画ファンシイ・ダンスには電動ひげ剃りでウィ〜ンと剃るシーンがありましたっけ。
 と、まあ一般の人にはなんの参考にもならないおススメでした。

シック・ジャパン

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2008.03.23

USBメモリー購入〜大事なものは取っておくべきか

Usbdonyass0 ふだんはこちらで紹介したトランセンドのオシャレなUSBメモリーを使ってます。で、今回ちょっと必要がありまして、1GのUSBメモリーをいくつか買いました。上海問屋さん上海問屋セレクトが一番安かったので、さっそく注文しまして、到着した商品を見たら、全部トランセンドの製品でした。有名メーカーさんの製品がこのお値段(677円)なんて。まったくどうなっているのでしょう。
 トランセンド(transcend)とは、「超越する」「理解を超える」という意味ですよね。まさに「まったくどうなっているのでしょう」です。
 少し前に読んで感銘を受けた中沢新一さんの「僕の叔父さん」にも何回かトランセンデンタルという言葉が出てきました。超越した、深遠な、人知を超えたというようなニュアンスでしょうか。
 パソコン用のメモリーは、まさにどんどん過去を超越してゆき、とどまることを知らない大容量化が進んでいます。トランセンドという社名も、そういうイメージから付けられたのかな。
 ところで、メモリーが増える一方なのは機械での話であって、我々の人間のメモリーはある意味トランセンデンタルに小容量化していきます。私もけっこうやばいですよ、最近。もう「ディスクがいっぱいです」なのか、新しい情報は記憶されないし、それどころか過去のデータも壊れているらしく、読み出せないこともしばしば。
 ところで、ハードディスクなんかもそうですけど、やたら大容量化すると恐い一面もありますよね。全てのデータを一瞬で失うとか、盗まれるとか、なくすとか。人間の場合も同じかもしれません。最近もある本を読んでいて思いました。天才的な頭を持った人が突然亡くなってしまったりすると、ものすごく不安になるんですね。人間のメモリーの場合、バックアップを取る技術が未完成ですから、本人が壊れちゃったり消えちゃったりすると、烏有に帰すことになっちゃいます。
 そう考えると、人間の脳ミソのデータというのも適当に分散させておくのがいいかもしれませんね。一人の天才にまかせておくと、結局全部失う時が来る。数十年で装置の寿命が来ちゃいますから。
 いや、天才が早世し、凡才や憎まれっ子が長生きするのは、神様の「なくなっていいようなものは取っとくけど、なくなって困るものは取っとかない」という究極のやり方なのかもしれませんね。
 天才自身も、「自分」という大事なものを取っておこうとしない傾向がある。酒に溺れたり、薬に走ったり、自死も多いし。我々非天才は自分を後生大事にしますよね。どうせなくなっちゃうのに。
 よく、「大事なことを忘れた」とか「どうでもいいことは覚えてる」とかいう言葉をよく聞きます。これは、実は正常なことなのかもしれません。だいたい、その「大事」とか「どうでもいい」とかの判断基準って、どんなところにあるんでしょうね。そのへんの「意味」について考えるのもまた一興かと。
 というわけで、いわゆる「大事なもの」を取っておきたがり、そして取っておくがために不安に陥っているのは、案外人間だけかもしれませぬぞ…と言いつつ、今日もこうして記録し続けるワタシ。いや、これは大切なデータじゃないから、取っておいていいのか…。

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2008.03.22

『明日の広告』 佐藤尚之 (アスキー新書)

75615094 今日は縁あって某有名ハンバーガーチェーンの社長さんと差しで話をする機会を得ました。経営や教育に関する貴重なお話をいただき、感銘いたしました。ありがとうございました。
 その会社は、たとえばテレビCMなんかをそれほど積極的にやらないで、どちらかというと口コミの力でブランドイメージを築きました。独特のマーケティングもあって、激戦区で確固たる地位を不動のものにしています。
 社長さんのお話でなるほどと思ったのは、従業員へのサービスがお客様へサービスにつながる、従業員の心からの笑顔がお客様に対する本当のサービスになるという考え方ですね。つまり、従業員の働きぶりが広告にもなるということです。
 ちょうどこの本を読んでいたところだったので、そのあたりのお話を興味深く拝聴することができました。全く違う視点もありましたけれど、結局は一緒のことを言ってるのかな、と思いました。結局は生身の人間どうしのコミュニケーションなんだよなあ。
 ちょっと前に岡康道さんと小田桐昭さんの「CM」を読みました。それで広告のイメージがだいぶ変わった。その後もまたいろいろとご縁があって、広告関係のクリエイターさんたちとお話をする機会がありまして、ちょっぴり広告がマイブームです。自分の仕事にも実は無関係ではありませんし。
 まあ、相変わらず私独自の変な切り口なんですけどね。そう、「物語論」的な捉え方です。今日の記事にも、昨日に続き「モノ・コト論」や「萌え」が登場します。
 「さとなお」さん、いや今回は本名の佐藤尚之さんの名前で書いてますね、彼は若手(と言っていいのかな)クリエイティブ・ディレクターの中でもカリスマ的な存在です。
 この本、サブタイトルにあるように「変化した消費者とコミュニケーションする方法」を書いた本です。広告をラブレターに模して説明してくれているんですけど、まずそれが実に分かりやすい。相手に「私はいいですよ!私を買ってください!」というメッセージを伝えるという意味では、たしかに双方似通ってますね。
 で、消費者(ユーザー)がどんなふうに変ったかというと、
・ラブレターが相手の手に届きにくくなった。
・他に楽しいことが山とあり、相手はラブレター自体に興味をなくしている。
・ラブレターを読んでくれたとしても、口説き文句を信じてくれなくなった。
・しかもラブレターを友達と子細に検討し、友達に判断を任せたりする。
 というふうに説明されています。要はネット社会になって、情報が丸裸になっているということですね。BBSやSNSなんかでの一般人の発言こそを信じる時代になったと。なるほど。その通りだ。
 では、どうすればいいか…という答が、決して悲観的ではなく、非常にポジティブに語られています。これは広告に限らず、現代のコミュニケーション全てに当てはまることですから、たとえば私のような教育に携わっている者にもとっても有用なお話が満載でした。結局、真心・誠意ということかな。伝える側の真剣さ、思い入れ。「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」の章なんか、ホント感動ものでしたよ。
 で、そのへんの結論については実際読んでもらうとしまして、昨日に続き、「モノ・コト論(物語論)」で咀嚼してみましょう。
 私が興味を持ったのは、消費行動モデルAIDMAとAISASです。古典的な「Attention→Interest→Desire→Memory→Action」に対して最近は「Attention→Interest→Search→Action→Share」だと。つまり、ネット社会になって、検索して感想を共有するという新しい消費行動が加わったということですね。言い方を変えると「Desire→Memory」の部分がそっくり「Search」になり、最後に「Share」が加わったということですか。
 たしかに昔は興味を持ったらもう買うしかなかったけれど、今や検索していろいろと情報を得たら、もうなんだか満足しちゃって購買意欲が失せた、なんてことも日常茶飯事ですね。そういう意味でも、「Attention」を司る「広告」の役割がまた難しくなっちゃったわけです。
 で、私はこれを読みながら、ああこれはまさに物語論だな、と思いました。「Attention」こそ「モノをカタル」ということですね。つまり、ワタクシ的な説によりますと、「モノ」とは「未知」の存在であり、それを相手の脳の中に「固成する(コト化する)」のが「物語」の本義ですから、まさに広告の行なう「Attention」と同じですよね。それによって「モノ」が「コト」になる。気づく。知る。
 で、古典の時代はですね、源氏物語のようないわゆる作品としての物語も、また、「物語す」という形で頻出する日常の井戸端会議も、とにかく相手の注意を引き、またそこから興味を喚起するに充分な役割を果たしていたんですよ。立場を変えますと、物語受容者の方の「妄想力(想像力・創造力)」も長けていたと。でも、現代ではそれが他者の情報によって補完され、結果収束(終息)してしまって、それ以上のダイナミズムが生まれなくなってしまった。それは、情報社会、特にネット社会の弊害かもしれませんね。
 さて、また話がとんでもない方に行っちゃいますけど、昔「萌え=をかし」のところにも書いた、「ゆかし」と「をかし」の関係について、ちょっと思いついたことがありましたので、書いておきます。
 「ゆかし」というのは「行かし」であり、それは「Interest」であるとも言えます。つまり、行ってでも知りたい何かがあるんですね。実際、昔は現場に行かなければその願望は満たされなかった。でも、今は「Search」すればもうおしまいですからね。便利と言えば便利ですよ(ちょっとあっけなさすぎますけど)。
 で、本来「Interest」から生ずるべき「Desire」ですが、これはつまり所有欲ですよね。こちらに招きたい。これこそ「をかし(招かし)」なわけです。現代風に言えば「萌え」ですよ。「カワイイ」なんかも、単なる「可愛い」ではなくて、所有するための消費欲求を伴った感情です。
 古典的な「ゆかし」や「をかし」はなかなか実際の所有には至らないケースがほとんどでした。そこに、「思い通りにならない」という「もののあはれ」も生じて、新たなる物語や歌なんかがた〜くさん出来ちゃったわけです。
 それが現代では、まず工業化や交通・流通の進化によって、実際に所有することが可能になった。つまり「Desire→Action」、そしてその先の結果の実現に向けて、近代社会は進化してきたということです。
 さらに情報化によって、疑似的にこちらに招くこともできるようになった。我々は、場合によっては購買や消費という形態でなはく、単にデジタルコピーしたもの(コト=情報)をゲットすることで満足するかもしれません。とにかく疑似的にであれ手もとに招いて所有することができるようになっちゃったんですね。
 そして、忘れてはならないのは、「Action」の質が、ゲットしたモノへの愛情に影響するということです。その行動がエネルギーや時間を要すれば要するほど、モノへの愛情は深まる。逆に、安易に簡便に得たモノに対する気持ちはすぐに冷めます。たいがいの場合、そういう単純な対応関係があります。
 つまり、現代では、「いとをかし」と思い続ける前に、実際に「招(を)く」ことが可能になり、そしてその結果止めどもない生産と消費と廃棄が生み出されているということになります。「ゆかし(行きたい)」はとっくに絶滅し、さらに「をかし(招きたい)」さえも消えつつあるんですね。だから、当然のごとく「もののあはれ(不随意への嘆息)」なんかほとんど復活のチャンスすら奪われてしまった。
 そうすると、現代は「萌え=をかし」の時代だなんていうのも、実はもう古い感覚であり、それすらもない、なんだかすっからかんな、ある意味虚しい(空しい)時代が到来しつつあるのかもしれません。その空虚感がまた「もののあはれ」を喚起したりしてね。
 ただ、話を冒頭のハンバーガーに戻しますと、飲食物に関してはヴァーチャルでは置換できない部分がありますよね。そのへんについて、また社長さんとお話しできればと思っています。続きはまたいつか。

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2008.03.21

『現代日本女性史―フェミニズムを軸として』 鹿野政直 (有斐閣)

64107680 この前の団鬼六先生の人生論というか女性論を読みまして、ちょっと違った(だいぶ違った…かな)角度から勉強してみようかなと思って手にしてみました。
 とっても勉強になったんですけど、いちいち内容についてここで語ってもどうしようもないので、いつもの通り読みながら考えたことをつらつらと記します。また「モノ・コト論」になりますがご容赦を。久々にオタク論も出てきそうですぞ。
 私、二元論はいかん、デジタル的思考は好かんとかいつも言ってますけど、たとえば「モノ・コト論」なんかもろに二分ですよね。そこんとこの矛盾について疑問を抱かれる読者の方もいらっしゃるでしょう。
 今日はそのへんについて明確にしておきます。えっ?なんでそれが女性論なのかって?実はですね、私、この世の中で完全に二分てきるものって「女と男(陰陽・雌雄)」と「モノ・コト」だけだと思ってるんです。ずいぶんと乱暴な感じがしますでしょう。でも、私の考えでは本当にそれしかないんですよ。で、さらにその二のつのペアが密接につながっていると。そして、その他の二分されているものは、それらの比喩に過ぎないと考えています。
 確認ですが、ここでの「モノ」とは、概念化されていないもの、認識されていないものです。「コト」はその逆。脳ミソの中に情報としてあるものです。自分にとっての未知・既知とも言えますね。あるいは自分にとっての「無・有」。
 そして、「女=モノ」「男=コト」と結びつけます。マ行音とカ行音の対照は面白いですよ。「イザナミ・イザナキ」とか「ヒメ・ヒコ」とか。ついでに私は助動詞の「む(推量・未来)」と「き(過去)」もそれに絡めています。未知と既知ですね。
 簡単に言ってしまうと、女性はつかみどころがないということです(笑)。男はなんでもはっきりさせたがる。女は夢想しがちですが、男は事実にこだわる。
 で、お互い持っていないものに憧れますからね。女性は「コト」を求める。そこに生じるのは「をかし=萌え」の感情です。何度も書いているとおり、「萌え」というのは本来女性的な感情です。オタクは女性化した男性でしたよね。
 逆に男は不随意を望む。ふだんは「仕事(シゴト)」してますから、たまには「コト」を離れて「モノ好き」になる。女こそその対象の最たるものですね。ま、そうしないと、人類は滅びちゃいますから、神様はなかなか上手にプログラミングしましたよ。
 で、女性論や女性学、フェミニズムの「論」や「学」や「イズム」というのは、「コト化」であり、そういう意味では実に男っぽい世界観であります。分析や分節がコト化ですが、それを積み重ねるという作業、つまり情報やデータを積み重ねて論理的に説明するのが「論」や「学」や「イズム」です。
 そういうのを持ち出した時点で、既に女性の本質から離れてしまっている。だから、そこには実際の女性のイメージとの乖離があるし、それらを唱える人、たとえばフェミニストの女性学者なんかがぜんぜん「女」を感じさせないというのは、これは理の当然なわけです(失礼)。女捨ててるってことですよ。
 この本でも筆者はのっけから宣言してます。「男だから女について研究する」というようなことを。私にはこれこそが「女性学」や「女性論」の本質だと感じられました。あくまで、学問や主義というのは男性の営みで、本来女性はそんなことにはほとんど興味がありません。もっと刹那的な「コト」を指向します。実生活で損はしなくないけど、学問は面倒だな、とりあえず今思い通りになればいいやと。
 こんなこと言うと怒られちゃいそうですけど、ホントだから仕方ない。第一、ここのところの男女同権とか男女共同参画とかなんとか、男も女も、「仕事」もしたいし「子育て」もしたい…じゃないっすよね。ホントは「仕事」もしたくないし、「子育て」もしたくない、でしょ。たまにやりたい時だけしたい。それは身勝手な自己実現でしかありませんよね。みんなだまされちゃいけません(笑)。
 男は本来的に「コト」が得意な存在ですから、喰っていくためにはその得意な「コト」をなします。それが仕事(シゴト)ですね。興味は「モノ」にありますけど、まあ趣味と仕事は別ということですよ。
 ただ、「コト化」は継続しますと、結局「モノ」的になってしまうんです。ここが面白い。つまり、コト化とは分析、分節であるわけですが、それが集合すると結局全体になってしまうんですね。微分も結果を全部合わせると積分になっちゃう、みたいな感じかな。そこんとこの皮肉にまた、男性は「ああ」とため息をついてなんだかんだ言って自己満足する。「もののあはれ」ですよ。
 対して、女性は本来モノノケ…いやモノ的存在ですが、指向としては刹那的なコトを求めます。まあ、もっと俗っぽく言いますと、女性は熱しやすく冷めやすいということです。「キャー」となるのも早いけど、忘れちゃうのも早い。微分の結果だけ見てるからです。で、こっちも皮肉なことに、こういう刹那的な存在こそが無常なる「モノ」的性質そのものなんですよねえ。分かりますか?そこに男たちは振り回される。惚れ続ける。そう、男性は女に関して案外未練たらしいじゃないですか。積分してっちゃう(笑)。団鬼六先生しかり。
 いつかも書いたように、「萌え=をかし」の感情って、「モノ」の無常性に対抗するため、対象を徹底して微分してですね、疑似的に普遍性を見出そうとする時の気持ちなんですよ。つまりゼロに近づけば近づくほど時間の経過による変化はなくなるように見えますよね。そういう逃避的感情なんです。
 それって昔は女性の専売特許だったんです。腐女子的なあり方が女性本来です。それを男であり、かつ貴族の流れをくみ(武士ではない)、財力もヒマもあるオタクの方々(私も…かな?)は、デジタル技術や工業技術によってそれを実現しちゃうんです。つまり、本来不随意で無常である、たとえば恋愛を、絵やアニメや声優さんの声や、そうした「情報(コト)」にしちゃうんです。
 と、だいぶ話がそれましたね。戻しますと、つまり現代の「女性学」や「女性論」や「フェミニズム」なんかは、つまりオタクの登場に付随した現象だということですね。男性が女性化したのに対応して、女性の捉え方に男性的手法が導入されたと。ま、簡単に言えば、女が男っぽくなって、研究の対象になったということですよ。
 これからはもっと男女の歩み寄り(?)が進み、男女同権・男女共同参画どころか男女の役割が入れ替わっちゃったりして、とんでもない世の中になりますよ。だって、お互い苦手なモノやコトをするわけですから。私は正直心配ですよ。

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2008.03.20

DRAGON GATE 観戦 (さらば大田区体育館)

 今日はまず新宿でバロック・バンドの練習。前前回は小橋選手の握手会、今回はドラゲー観戦と、どうもこのアンサンブルとプロレスの組み合わせが多いのはなぜ?というか、プロレスはバロック、バロックはプロレスでした。ですから、全然問題なし(笑)。
0803201 さて、今日DRAGON GATEの大会に行くことを決めたのは、まず会場となる大田区体育館での最後のプロレス興行だからです。大田区体育館、私も少年時代を大田区で過ごしましたので、何度かお世話になっている思い出の体育館です。そして、なんと言っても多くのプロレスの名勝負が繰り広げられた場所ですよね。この前買ったジャンボ鶴田伝説にもあったジャンボ鶴田対スタン・ハンセンの三冠ヘビー級王座統一戦も1989年4月18日にここで行われたんでした。大田区体育館と言えばプロレス、そう静岡の駿府会館もそうでした。私の生まれ育ったところはどうもプロレスの臭いがする。
0803202 その大田区体育館、東京オリンピックを記念して、その翌年に出来たということですから、東京オリンピックを記念して生まれた(?)私とほぼ同級ということになります。そんな古くからの友人がこうして引退取り壊しになるというのは、なんだか切ないことですね。オレもそんな歳になったんだなあ…と。
 ドラゲーの試合を観るのは2回目です。あれ?あれはまだ闘龍門時代かな。けっこう好きな団体ですし、好きな選手も多い。さらに今回はノアのKENTAと石森太二がGHCジュニアタッグのベルトを奪還しに乗り込んでくるということもあり、非常に楽しみにしておりました。試合結果等はこちらでどうぞ。
0803203 私は3階席の一番安いチケット(3000円)だったんですけど、まあ、そんなに広い会場ではありませんからね、角度的にも距離的にも案外ちょうど良かったという感じでした。今回は会場全体の雰囲気を味わうというのも目的ですしね。
 1階アリーナ席は平ら、かつリングを見上げる形になるので、ちょっと見づらそう。席から離れてあえて立ち見している人が多かったようです。そういう人抜きに純粋な立ち見もたくさんいて、いわゆる超満員札止めといった感じ。きっと私と同じように大田区体育館とのお別れをしに来た人、それからノアのファンなんかも多かったんでしょうね。全体にいい雰囲気を作っていました。
 さて、試合の方ですが、ドラゲーの皆さんはいつものようにハイスピードでアクロバティック、そしてキャラクターやストーリーのはっきりした試合を展開、プロレスの王道を見せてくれました。満足満足。
 でも、私の心に残ったのは他団体の選手たちですね。特にZERO1−MAXの田中将斗選手、アパッチプロレス軍の黒田哲広選手組 対 チーム30代の望月成晃、ドン・フジイ組の試合は良かった。やっぱりベテラン同士のアンサンブルはいいなあ。安心して観ていられる。盛り上げ所分かってるしね。さすがです。
0803204 びっくりしたのは、黒田さんとフジイさんがわざわざ私の目の前まで来て、乱闘を繰り広げてくれたことです!!3階席まで来てくれるとは…それもホントに私の目の前ですから。おかげでテレビにもしっかり映っちゃいましたよ。目の前30センチでの水平チョップやらランニングラリアットはさすがに超ド迫力!!汗が飛んでくるのはもちろん、黒田選手のジュース噴射攻撃の巻き添え喰ってビシャビシャになるし、憧れのフジイさんの背中にタッチできるし(汗でベタベタ…笑)、もう最高の体験でしたね。ありがとう大田区体育館!って感じで涙が出ました…。いいなあ、プロレスは。総合じゃ絶対こんなことないもんね(当たり前か)。10万円で総合を観るのと、3000円でプロレス観るのと、あなたはどっちを選びます?
20080320087thumb200 あと、感動したのはやっぱりGHCジュニアタッグ戦ですね。これは本当に内容の濃い素晴らしい試合でした。KENTAはちょっと格が違う感じがしましたね。繰り出す技も当然ですが、技の受け方、また気持ちの表現のしかた、素晴らしかったなあ。石森もノアでは軽めに見えますけど、ドラゲーではちょうどいい感じ。あっ考えてみれば、彼は闘龍門の出なんだよな。ある意味古巣での試合だったわけだ。あと、久々にジョー樋口さんを生で見たな。思わず「ジョー!」って叫んじゃいましたよ。ジョーさん実はウチのご近所さんなんですよ。今度はこちらでお会いしたいものです。
 ドラゲー側はどうかといいますと、B×Bハルクはややスタミナに難ありかな。いいもの持ってるんですが、気持ちが伝わってこない。それってたぶんスタミナの問題だと思います。心と体のね。あと、鷹木信悟くん。彼は注目株です。彼、山梨の出身ですし、浜口ジムの出身ですので、私は特に注目してたんですけど、ホントいいセンスしてますよ。やられっぷりもお見事。プロレスをよく分かっていますし、光る何かを持ってます。今回のノア勢との戦いはいい勉強になったでしょうね。
 ところで、気になったのが、私が好きなエル・プレイザー選手。集中力がなかったのか、体調が悪かったのか、リングとの相性の問題なのか、とにかく技の失敗が多く、ケガしないかとヒヤヒヤ見ていました。どうしたんだろう。あと、セミに食われたのかメインがイマイチ盛り上がらなかったな。ま、しかたないでしょうか。
 しかし、全体としては超満足の興行でした。最後に大田区体育館はいいものを見せてくれました。本当にありがとう!お疲れさまでした!

オマケ…帰り、30年ぶりに池上線に乗りました。懐かしいかなあと思いきや、なんだか一駅ごとに昔の忌まわしい記憶がよみがえり、なんとも切ない気持ちになってしまいました。失恋とか…あれとかあれとか。やっぱり少年時代って忌まわしいものなんですね(笑)。

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2008.03.19

『快楽なくして何が人生』 団鬼六 (幻冬舎新書)

34498010 読むべし。これは名著ですぞ。人生の課題図書。本当にものすごく勉強になりました。
 これはもう聖典の領域です。何事も極めると悟りの境地に至るんですね。全編通して徒然草が引用されているんですけど、この本自体がもう現代の徒然草になってますよ。
 兼好法師のみならず、あの高僧もあの高僧も、いや釈迦自身もある意味快楽を尽くした結果出家し、世の摂理を知るに至ったわけじゃないですか。私にはとうてい達することのできない境地ですね。
 本当に読みながらウンウンとうなずくこと数百回。しまいには切なくて涙が出てきました。まさに「もののあはれ」…思い通りにならないことに対する嘆息ですよ。快楽の裏に切なさあり。
 私は勉強不足でして、実は団鬼六先生の官能小説を一冊も読んでいないんです。なんでかと言われると難しいんですけど、そうですねえ、たぶんあの表紙とタイトルにひるんで、買う勇気がなかったんでしょう。
 もうその時点で私には悟りの可能性はないとも言えますね。この本に書かれている驚愕の、そして抱腹の、しかし実に切ない団先生の快楽的人生に比べたら、いかに自分がスケールの小さいつまらぬ人間であり、また私の過ごしている時間というものがなんと希薄であることか。
 この前の赤塚不二夫先生もある意味同様かもしれませんね。英雄色を好むと言えばそれまでだし、そう片づけることによって凡夫は一つの諦めを得るわけですけど、ちょっとそのあたりについては検討の余地がありそうです。
 実はここのところ、私の周りでも数件、色を好む英雄とそこに関わる女性の話が続いていたんですね。そこに共通する要素というのもはっきりあったりして、では自分はどうかななどと考えたりもしていました。まあその結論はナイショとしまして(笑)、やはりこちらにも書いたとおり、創造的な仕事をする男の基本はそういう部分にあるんではないでしょうか。
 こういうことはなかなか学校では教えられないことなんですけど、実は人生や世の中の基本であり、中心的な構造であり、ほとんどの人があからさまには表明しないがしかし本当は最も興味を持っていることなんですね。
 今日はまた実に不思議なご縁があって、太宰治にゆかりのある方とお話をする機会に恵まれました。いろいろな意味であまりに幸運なことでびっくりしてしまったんですが、ちょうどこの本を読んだあとでしたし、場所も場所だったので、太宰の斜陽にあるこの一節を思い出してしまいました。

『この世の中に、戦争だの平和だの貿易だの組合だの政治だのがあるのは、なんのためだか、 このごろ私にもわかつて来ました。あなたは、ご存じないでせう。だから、いつまでも不幸なのですわ。それはね、教へてあげますわ、女がよい子を生むためです』

 うん、この女の言葉に象徴されているように、実は女がこの世の中を堂々と回していて、我々男はそれに乗っかってちょこまかちょこまか動いているだけとも言えるなあ。団鬼六先生のこの自叙伝でも、そういう女の魔性的な部分と、男の狭小な嫉妬心と未練が繰りかえされていましたよ。
 私のまわりの女性及び自分