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2008.03.31

春用帽子2点

Vox ちょっと長い記事が続いたので、今日は短めに。今頃旅の疲れが出ています。
 剃髪するようになってから、なにしろ冬は寒く夏は暑い。春や秋も紫外線でジリジリ焼かれてけっこうきついんですね。お坊さんは大変だなと思うと同時に、髪の毛の有難さ、必要性を感じます。
 で、仕方がないので帽子をかぶるようになったんですが、これがけっこう新しい楽しみになっています。いろんな帽子を買っては、今日はこれ、今日はこれ、みたいな感じで楽しんでいます。
 真冬はニット帽が大活躍でしたが、最近だいぶ暖かくなってきたので、違うタイプを手に入れました。今までは、春や秋にはハンチングをかぶることが多かったのですが、ハンチングって案外しめつけがきつく、頭に線がついてしまうこともしばしば。風で飛ばないのはいいんですが…。
 写真、左はネットで注文して買いました。中折れ帽ですね。お店で買おうと思ったら、中古でも5000円以上するんでビックリしていたんですが、ネットだと1000円台。もちろんモノもそれなりですが、ちょっとかぶるには充分です。軽いしオシャレ。最近若者がよくかぶってるタイプですね。どういう服とコーディネイトすればいいか研究しましょう。
 右は秋田の温泉の売店で見つけたもの。シンプルですが、案外見かけない形だったのでつい買ってしまいました。たぶん、おじいさんとか、おばさんとかが、ウォーキングの時にかぶるタイプなのでは。温泉で売ってるってことはそういうことでしょう。でも、シンプルなだけにどんな服にも合いそうです。やはり軽くてしめつけが少ないので気軽にかぶれます。ただ、剃髪直後は風ですぐに吹っ飛びそうです(笑)。
 カミさんも両方とも気に入ったようで、二人で共用ということにしました。
 ああ、そうそう、気をつけなくてはならないのは、私、酔っぱらうと帽子を忘れるんですよ。今までも何回もやらかしました。お店に置いてきちゃうんですね。上着や手袋なんかは、たとえば寒いと気づくんですが、酔うと頭の感覚が鈍るんでしょうかね。すっかり忘れちゃうんです。そんなこともあって、あんまり高い帽子はかぶらない方がいいですね。

ソフトデニムハンチング

形が綺麗な中折れハットです☆春を先取りして麻素材でいきましょう♪【ch-0253】ベルト付き 麻混 ハット

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2008.03.30

会津さざえ堂

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 濃〜い秋田の旅からの帰り道、ちょっと福島県に寄り道しまして、まずは喜多方ラーメンを食べました。ラーメンに詳しくない私には、普通の醤油ラーメンにしか思えなかったのですが、まあそういうものなんでしょう。いや、たしかに旨かったっす。奇を衒わず王道を行く、といった感じ…なのかな。
 それで、お隣の会津若松市に移動しまして、念願の「さざえ堂参り(巡り?)」を実現いたしました。以前、私こちらの記事で「早速行かねば」と書いておりますね。7ヶ月目にして実現であります。そうそう、この前再放送されていた夢の美術館 世界の名建築100選にも選ばれていましたっけ。
 このさざえ堂が鎮座する飯盛山は、言うまでもなく白虎隊の悲劇の現場であります。よって、そのような目的(ってどんな目的なのか微妙でしたが)でいらっしゃる多くの観光客でごった返しておりました。それにしてもなあ、白虎隊を可愛いお土産キャラにしちゃったり、あるいはあの石段の隣の動く歩道みたいなの、ある意味トンデモぶりでは、さざえ堂以上だったかもしれませんね。ムッソリーニが建てた碑もなんか場違いな感じだったし。日本人ってホントすごいわ。
 で、いちおう白虎隊を供養しまして、土産物屋でなんだかんだ結構楽しみながら(そうそう、白虎隊なのに土方歳三がたくさんいたなあ。これも土方巽の霊のなせるわざか…笑)さざえ堂に向かいます。
 まず私が驚き、そして感嘆したのは、切符売りのおばさんの呼び声です。妙に通る声で「このさざえ堂は…」って言ってるんで、てっきりテープかと思ったら肉声でした。ああやって拝観券を売りながら解説もしちゃってるわけですね。やるな。
 で、そのおばちゃんから券を3枚買いまして家族4人でいよいよ拝観であります。下の娘は入り口の像(設計者の郁堂像)にびびってます。大丈夫、大丈夫、これは遊園地みたいなもんだから、となだめすかしながら、自分でも確かにこれは江戸のレジャー施設の一つだよな、などと思ったりして、いざ登楼開始。建物自体は小さいのですが、歩いてみると意外に道のりが長く感じます。第一、木造なのに全体が曲線で構成されているという実に不思議な感覚。これはすごい。なんとなく空間が歪んでいるような、あるいは自分が酔っぱらっているような錯覚に襲われます。時間の流れもおかしいのかも。
 そして、最上階(?)に到着するといきなり下り坂になります。下り坂になると同じ傾斜のはずなのに急坂に感じられます。カミさんは恐い恐いと言っていました。子どもたちは、さっき上った坂を下っていると思っているようなので、ちょっと説明します。たしかに所々に安置されている「モノ」がさっきと違う。
 これがウワサの二重らせん構造、木製DNAモデルか!たしかにすごい。これを設計した郁堂という禅僧もすごいが、現実に作り上げてしまった棟梁たちの技もすごい。日本のオタク道…いやいや職人道のたまものです。
Sazaedo 右の写真は売店越しのさざえ堂です。なんていうかなあ、日本人のすごさって、こういう職人的なあるいは芸術的な、トンデモない世界に誇る物が俗っぽい商売にまみれるというかなあ、それも神聖な地での供養というか、信仰のようなものと、思いっきり俗っぽいものとの共存というか、いや、あるいは向こう側でそういうものどうしが一つになるというか、まさに二重螺旋構造のようになってるところがスゴイんですよね。行きと帰りと似てるけど違う道を歩むというかね。まさに聖俗清濁併せ呑むというか、ですね。窮屈な線引きをしないところが強いところなのかもしれないなあ。そんな気がしました。
 できれば、さざえ堂を一つ庭にほしいと思いました。あるいは模型でもいいや。プラモデルとか、それこそ土産物屋で売れば売れるんじゃないかなあ。これはすごいですよ。
 ある意味、本質的なところで、昨日の「鎌鼬」や土方巽の世界とも重なっているのではないでしょうか。いわゆる世界標準の「芸術」を超えたところの…やっぱり「超芸術」っていうことかあ。土方の洗礼をたっぷりと受けている赤瀬川原平さんも、実はそのあたりに敏感になっているのでは。

さざえ堂公式

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2008.03.29

『鎌鼬』 巡礼の旅 その2 (高橋市之助さん宅訪問)

080329 昨日の奇跡的な米山家訪問に続きまして、今日は『鎌鼬』の重要な被写体の一人であり「鎌鼬の里」の代表的人物である高橋市之助さんのお宅を訪問することができました。まずは市之助さんご夫妻に心からお礼申し上げます。
 以前書きましたように、「鎌鼬」の多くの写真が、私の義母の実家の前の田や道で撮影されたものでした。そんな、私にとっての衝撃的な事実を知ってからは、この写真集の(土方巽に対する)もう一方の主人公たち、すなわち撮影地である羽後町田代の皆さん…その純朴な笑顔たちは今や世界的に有名だと思います…にお会いしていろいろとお話を聞きたいと思っていました。それが今日実現したのです。
 なにしろ家内のお母さんの実家付近の出来事ですからね、家内のお母さんはこの写真集を見るや、この人は○○さん、この人は○○さんのお嫁さん、この子は○○さんの娘…なんていう具合に名前がほとんど言えちゃう(!)。義父も当時田代の農協にお勤めでしたので、ほとんどが見知った人たち。やはり名前やその後のことまでどんどん語っていきます。もう、その時点で私は「あららら…」という感じだったんですね。
 今まで芸術作品として、それも世界に誇る最高傑作として認識していた物が、突然生活感を帯びるわけでして、最初はなんとなく拍子抜けというか、頭の中でうまく処理しきれないというか、そんな感じだったんですね。そして、さらに実際の登場人物にお会いするわけでして…もう、正直何が何だかわかりません。昨日は昨日だし。人生何が起きるかわからない。冷静になれ、自分。
 今日の訪問にあたっても、多くの人たちとのご縁に感謝しなければなりませんね。特に今回直接仲介役をしてくれた家内の祖母。祖母は何しろ、この写真集に登場している、あの土方神輿(?)の写真で傘をさしている女性と、お隣同士の茶飲み友達なわけですから…。そして、そのお隣のおばあちゃんの旦那さんが、高橋市之助さんだというわけです。
Kamaitachi21 市之助さん、この写真では左から2番目で笑っている方です。奥さんは子どもの足もとで笑っておられる。
 まずは、家内の母方の実家に車をとめ、ひと通り挨拶をいたしまして、さあ祖母を伴って私と家内、市之助さん宅を訪問です。私は初対面、家内も本当に久しぶりということで、最初は緊張気味でしたが、なにしろ、明るく機知に富む祖母のおかげでいろいろと話がスムーズに進みます。ありがたや。ありがたや。
 91歳になられた市之助さん、足腰は弱ったとおっしゃっていましたが、しかし、大変に肌のつやや血色もよくお元気な様子。この前「鎌鼬」のカメラマン細江英公さんとお会いした時、「市之助さんは元気かなあ」と心配されておりましたので、さっそくお伝えせねば。
 逆に細江さんからのメッセージを市之助さんに伝え、そこからいろいろと話が弾み始めました。市之助さんは記憶も非常に確かで、まさに鎌鼬のごとくゲリラ的にやってきた土方と細江さんのこと、それを迎え入れた村人たちの様子、あるいは後日譚など、本当に詳しくいろいろとお話しくださいました。実際に写真集を観ながらの解説もまじえて、ずいぶんと長い時間おつきあいくださり、本当に感激です。
 今まで知らなかったこともたくさんあり勉強になりました。しかし、やはり実際にその「場所」に立ち、その「人」たちの生きた言葉を聞くということは、本当に大きな意味のあることだと実感したのが一番大きい。
 最初に芸術と生活のようなことを述べましたが、市之助さんのお話を聞き終わって、私は一つの大切なことに気づいたんです。当たり前なのに、ついつい忘れてしまいがちなこと、あるいはついつい意識的に分離してしまうことです。
 それはまさに「芸術」といわれるモノと、「生活」というモノとの関係です。これは実は切っても切り離せない関係にあるはずです。当たり前と言えば当たり前ですが、生活なくして芸術は生まれませんし、実は芸術なくして生活はないのです。特に、市之助さんのような一種信仰的な生活をされている方の、その生活はほとんど芸術と一体のようなものです。何かを「信じる」ことによって、そこからもたらされる恵み。表現という「コト」から生まれる、生命力あふれる「モノ」という意味では、芸術も信仰的生活も全く同じです。
 かの出口王仁三郎は「宗教は芸術の母」ではなく「芸術は宗教の母」と言いました。もちろん、ここで言う「芸術」も「宗教」も私たちの日常的スケールをはみ出したもののことを言っているんですが、もう少し身近なところで考えてみれば、「芸術は生活の母」とも言えるような気がします。もちろん生活があっての芸術という一面もありますから、やはり両者は共依存の関係にあるのではないでしょうか。
 例えば「カネ」に対する信仰なんていう次元ではなく、農作業を通じて自然への畏怖や敬意を抱きながら、しかし結局自然を信じ祈り働くという、そういう健全な「生活」をするところに、自ずと「芸術」は生まれるのかもしれませんし、逆に「芸術」を解する心が、すなわち単なる経済的損得に陥らない正しい「生活」を生むのかもしれません。
080329y 土方巽と細江さんと市之助さんら農民たちの奇跡的な出会いは、機会としては奇跡的だったかもしれませんが、その不思議な縁が生み出した「鎌鼬」という芸術は、やはり生まれるべくして生まれたのだな、と今回の訪問で痛感したしだいです。
 本当にお話を聞くことができて幸せでした。市之助さんらの生活を知ることによって、さらに「鎌鼬」という作品の本質が分かったような気がしました。ありがとうございました。
 私はそんな感慨をもって、雪の降る「鎌鼬の里」田代をあとにしたのでした。

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2008.03.28

『鎌鼬』 巡礼の旅 その1 (土方巽生家訪問)

08032801 全く縁というのは不思議なものです。今回も想像外の有難いことがいろいろと…感謝、感謝です。
 細江英公さんによる土方巽の写真集「鎌鼬」との想定外かつ劇的な再会を果たした私は今、大きな渦に呑み込まれている気分です。
 今日はまた想定外の展開で、なんと、土方巽のベースとなっている場所の一つ、羽後町新成(にいなり)郡山の米山家本家を訪ねることとなりました。そして、米山家第16代当主の米山努さんにお会いし、貴重なお話をいろいろうかがわせていただきました。
 昨日、秋田入りした私たち家族は、まず家内の生まれ育った羽後町軽井沢に立ち寄り、そこから新宅のある横手市十文字町へ向かったわけですが、その二つの場所をつなぐ途中には、ちょうど田代と新成という、土方にとって非常に重要な土地があります。
 田代は言うまでもなく『鎌鼬』撮影場所。そして、私の家内の母親の実家がある所です。そして、新成は先ほど書いたように土方のルーツとも言うべき場所。土方巽は実際には現在の秋田市の生まれになるのですが、本人は「新成郡山の米山家で生まれた」と言い張っていたようで、奥さんである元藤燁子さんもそう信じていたとのこと。この事情に関してはのちほど少し書きたいと思います。
 で、私たちは車の中から「郡山」の標識を見ながら、ああこの辺だねと話していたんです。その時には全く訪問などという大それたことは考えていませんでした。そして、十文字の実家に到着し、実際に「鎌鼬」を見ながら土方の話をしていたところ、義父が「そういえば、そこのかあさんは郡山から来たんだ」と言い出したんです。つまり実家の斜向かいのお宅のおばあさんが新成の郡山から嫁に来たということです。ちょっと話してみるということで、義父はわざわざそのお宅へ出向き、とりあえずの事情をお話ししてくれたんです。そうしたら、そのおばあさんの実家は、なんと土方の本家のこれまた斜向かいだと言うではありませんか。驚きました。そして、そして、その方がまた、なんと米山家に電話してくれるというのです。
 と言いますか、長旅で疲れていた私が眠っているうちにそのへんの手続きが全て完了していて、その日の午後1時に米山家を訪問することになっていた(!)。なんということでしょう。私の意思のはるか上空、あるいは地底深くで何かが勝手に動いている感覚です。
 そのような事情で、本当に突然ですが、米山家を訪ねることになりました(こんな簡単にコトが進んでいいのか?)。間を取り持ってくれた近所のおばあさんと、私と家内、そして家内の弟くんの4人で、午後1時少し前に郡山の部落に入りました。
 米山家は新築間もないということで昔の趣はありませんでしたが、立派なお宅でした。まずは奥様に丁重に迎えられ、仏間にある土方のおじいさん(村長さんをされた方)の遺影などを見せていただいたりしているうちに、第16代当主米山努さんがお出ましになりました。
 努さんは「土方巽関係…」と書かれた箱を二つ抱えていらして、そのフタをあけますと、新聞や雑誌の記事の切り抜きやコピー、あるいは写真などがぎっしり詰まっています。それらを見せていただきながら、本当にずいぶんと長い時間貴重なお話ををうかがうことができました。全く突然の訪問、それこそ「鎌鼬」的な突撃だったにも関わらず、本当にていねいに熱く熱く語っていただいて、もうもうひたすら感激するばかり。特に、実際に土方巽が努さんを訪ねてきた時の、何気ないがしかし心の交流を感じさせる二人の会話や、土方が裸馬に乗って周囲を驚かせたシーンの再現には思わず涙が。それを演じる努さんの姿に何か「土方的なモノ」を感じたのは、どうも私だけではなかったようです。
 細かいお話の内容はここには書けませんが、しかし冒頭に書いた「土方自身は新成で生まれたと言っていた」という不思議な事実、その理由がよく解ったような気がしたということだけはここにはっきり書いておきたいと思います。
08032803 それは特に古い蔵の内部を見せていただいた時に強く感じました。そこには旧家らしいお宝がたくさん蔵されていまして、それは確かに「蔵」であったわけですが、しかし、そこは同時に子どもたちの遊び場であり、また土方の舞踏のベースになった空間でもあったのです。
 暗闇に溶け込み、そして妖しい光を放つ、数々の「モノ」たち。谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」ではありませんが、たしかにそこに立ち上がる「何か」があります。土方はこの蔵に入り、そして古文書や古文献やらを読み漁っていたと言います。暗黒の闇の中に差す一条の光。そこの闇と光、そしてモノの力に縛りつけられ時の経つのも忘れて無意識に身悶えする土方巽の姿。そこはまさに暗黒舞踏の舞台そのものでした。鳥肌が立ちました。
08032804 そのほか、土方と言えばスイカのイメージがありますけれど、新成はスイカの産地だというのも初めて知り、何か納得。また、土や農作業への憧れと、農家をやめて都会で商売を始めた父親に対する微妙な心理。土方の舞踏の内奥に潜む「何か」が、私にはいくつかはっきりしたような気がしました。
 彼が、羽後町新成郡山上郡米山家の出身だということにこだわった理由は、その「何か」の中にあったのです。私はそう確信しました。よって、あえてこの記事の標題には「土方巽生家」という表現を使わせていただきました。
 努さんの力説した「米山家350年の歴史」「江戸幕府よりも長い350年」…その時間、歴史、人々、土、雨、雪、陽光の堆積によって醸される「何か」。これは重く深い。そこに、土方巽、いや米山九日生は自分のルーツを置きたかったのでしょう。
 別れ際に、奥様はこうおっしゃってくれました。「今まで、たくさんの大学の先生や、取材の人が来たが、今日が一番土方の偉大さがわかりました」。努さんも大変に喜んでくださいました。う〜ん、そんな畏れ多い。土方の本質的なすごさを再確認したのは私たちの方です。
 全く自分たちの力だけではどうにもならないことが実現しました。本当にいろいろな方々のおかげです。そしてなんと言っても米山努さん、奥様、私たちの不躾な訪問を快く受け入れてくださり、そして素晴らしい時間を私たちに与えてくださり、本当にありがとうございました。
 
 そして巡礼の旅はその2に続きます。もう一つ感動的な出会いが…(涙)

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2008.03.27

『Ohzan de imane 村 cafe』(秋田県羽後町)

 (実際には28日の出来事ですが、いろいろと書くことがありますので27日の記事として書かせていただきます)
 昨年の夏、羽後町にオープンしたレトロでオシャレなカフェに行って参りました。この前紹介したかがり美少女イラストコンテストともあいまって、一部では古典的本格メイドカフェ、新たなる聖地とも呼ばれているとか(!?)。
 今回のワタクシはそのような視点をあえて排除して報告いたします(いや、実際そういうレベルではなかったので…)。
 まず一言。なんでこんな素晴らしいカフェが東北の小さな町に!(失礼)…正直そういう気持ちです。イマン(imane)と言えば、薔薇柄のホーローをはじめとして、100年前の南仏の雰囲気を踏襲する雑貨を作っているカリスマブランドですよね。そのイマンの、それも東京は自由が丘にあるイマンモンプルミエが気合いを入れてプロデュースしたカフェが、東北の地味な町の、本当に目立たない所に忽然と出現したんですから。
Imaneop そのへんについてはのちほど説明しましょう。まずはカフェの様子を紹介します。
 大通りを曲がりますと、普通の住宅やお店が並ぶ中に、オシャレな看板が出現します。そこから砂利道を数十メートル入ります。道の脇には、いかにも東北の町というフツーに崩壊した家(小屋?)なんかがあったりして、それこそ自由が丘とは対極的なムードが漂います(笑)。その道の突き当たりに、古くこぢんまりとしてはいるけれどもどこか風格のある建物が現れました。
Inanedf この建物は地元のある方の別宅として建てられたそうで築110年以上経つ歴史的建築です。あまりに素晴らしい建物ということで、町の迎賓館としても使われていたとか。今日は季節もまだ春遠く、周囲も淋しい冬木立のままですし、また玄関に雪囲いがあったり、さらにあいにくの雨ということで、なんとなく地味〜な感じの写真になってしまいましたが、春から秋にかけての雰囲気は最高でしょうね。
 入り口を入りますと、いきなりメイドさんがお出迎え。さすがに「おかえりなさいませ、ご主人様」とは言いませんでしたが(笑)。仕事上(?)メイドを見慣れているワタクシも、この雰囲気の中の本格的メイドさんにはちょっとドキッ。大正レトロな店内の空気にしっかり溶け込んでいます。ウチのクラスのエセメイドとは違い、何か歴史の重みすら感じさせるぞ。そう、考えてみれば、明治・大正・昭和初期と、これは普通に給仕服であったわけで、最近の新たなる意味付けなどまだまだ歴史が浅い。おっと、今思いつきましたが、当時は和服にエプロンなどの給仕姿もよくありましたよね。アキバでそれやったら受けるかも…。
 さて、ここからは店内の写真をご覧頂きましょう(撮影・掲載は許可いただいております)。素晴らしい雰囲気ですよね。
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 玄関を入ったところです。靴をスリッパに履き替えて入店します。レトロな照明や電話、イマンの食器のほか、きれいなお花なども目に入ります。
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 テーブルや椅子もレトロでオシャレ。建物自体の年季の入った色合いにぴたりマッチ。床の赤が効果的ですね。ところどころ配されるイマンの食器類が本当に自然にそこにあるという感じ。
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 100年前、東北の地にも案外西洋文化が入ってきていました。洋装や西洋式食事作法などもお金持ちには愛好されていました。古い西洋文化が日本の地方都市に残っているのはよくあることです。そんな意味からもイマンと純和風古建築とのマッチングは自然なわけです。
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 窓際の席から雪の残る立派な庭を眺める「avec」…ではなくて、私のカミさんと義理の弟くんです。季節が良ければ絶景でしょうね。樹齢500年という木も見えます。夏場にはオープンカフェになるそうです。
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 二階も見せていただきました。緑や紅葉の頃、ここからの眺めは最高でしょうね。古建築の文化財としても素晴らしいものです。
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 今回は時間がなかったためお食事はいただかず、コーヒーとカフェオレのみ注文。なかなか立派な(特に秋田ではビックリでは?)のお値段でしたが、味も雰囲気も言うことなし。考えてみれば、こんな所で(失礼)イマンのカップやポットで最高級のコーヒーをいただけるなんて信じられませんね。
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 かわいいメイドさんをつかまえて(変な意味ではありませんよ)お話をうかがいましたところ、地元羽後町の出身、それもウチのカミさん(&写真で緊張気味の弟くん)の生家とご近所(すなわち山の方)ということで、世間は狭いなということになりました。そして、いろいろお話をうかがっていくと、地元に古くからある懐石料理の宿櫻山(おうざん)の方と、自由が丘のイマンモンプルミエの方とが縁あって知り合いで、それで意気投合してこのカフェが出来たとのこと。地理的にも、また分野的にも、まあ遠く離れたものどうしが結びつくという、まさに「縁」が生んだ奇跡のカフェと言えるでしょう。常識的に考えて、こんなことが実現するなんて、誰も想像しなかったでしょう。
 今度はゆっくり食事を楽しみたいと思います。次は夏かな。いや、例のかがり美少女コンテストの時に来るかもしれませんね。そうそう、一部ヲタの皆さんの中では、もうすでにここは憧れの聖地になっているようですから、当日はいろいろな意味で繁盛しそうですね。そんな様子も客観的に見てみたいような…(こちらのリポートはそっちの意味で実に面白いですよ)。
 オープン時の美しい写真がこちらのブログにありますので是非ご覧下さい。ずいぶん違う雰囲気でしょ。

こちらのカフェでコンサートをさせていただきました!

 カフェの場所→地図

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2008.03.26

フジファブリック 『フジファブリック』

41ax0v8e49l_sl500_aa240_ 今年度の仕事を終え、すぐに秋田へ向かいます。日本海側を北上するいつものコース。
 高速道路代を浮かすためにいつも深夜の走行になります。特に今は深夜の割引率が3割から4割にアップしておりまして、ずいぶんと助かります。
 深夜ということで、家族はみんなガーガーゴーゴー車内で寝てまして、私は聴きたい音楽を聴きたいだけ聴けるという、眠いが素晴らしい時間を過ごせるわけです。
 今回繰り返し聴きましたのはフジファブリックです。今回は特に古い曲をじっくり聞き直してみました。
 そうなんですよ〜!5月31日、ついに夢が実現するんですよ!まずはこちら公式発表をどうぞ。
 私がこちらの記事で熱望した富士吉田凱旋ライヴが行われることになったんです!それも、実現不可能だろうと書いた「富士五湖文化センター」で。まったく人生何が起こるかわかりません。取り壊しの話もあったこの会館、財政難で取り壊し建て直しの予算さえ出ない(?)おかげで、私の夢の舞台となってくれました(笑)。
 このホール、昭和45年に建てられたものですから、もう38年くらい前の建物なんですね。ま、この前の大田区体育館が43年ですからね、まだまだと言えばまだまだですけど、いや、フジファブリックにはこういう昭和の雰囲気が合ってるんですよ。
 ホールは私の職場から徒歩3分、志村くんの実家からも7分くらいでしょうか。本当に彼の、そして私のホームグラウンドですからね。これはホントに楽しみです。フジの曲にはこのあたりの風景がたくさん描写されてます。
 今回初期の曲を聴いて、そのあたりを再確認しましたね。下吉田の独特の雰囲気、これは来て歩いていただけばすぐに分かると思いますが、とにかくいい雰囲気なんですよ。そう言えば「Tremolo'55 学園祭ライヴ&西裏探訪」の記事にも書きましたね。そういう中で感じる「切なさ」「やるせなさ」ですかね。時の流れといろいろなものの変化。自分の変化。成就しない恋や夢。まあ「もののあはれ」ですね。そういうものが彼の歌詞には溢れています。
 特にファーストアルバムは妄想とちょっとした変態性、すなわちそれがノスタルジーになるんでしょうが、そういうものが実に生き生きとしていますね。私もいちおうこの辺りで妙ちくりんな青年時代を送っていましたから、それなりの共感や同情を抱きます。
 どのバンドもそうですが、売れる前の方がドロドロしていていいものです。自分の格好悪い部分がストレートに出ている。面白いもので、マイナー(少数派)な頃にはマイナー(短調)の曲が多く、メジャー(多数派)になるとメジャー(長調)の曲が増えるんですよね。つまり個人は実は暗く、大衆になると明るくなるという、人間の本質を表してるんですかね。古今東西、どのバンドもそうなんですよねえ。あるいは、こういうことでしょうかね、明るくないとお金(商売)にならないと。カネを払ってまで暗くなりたくないのかな。経済の本質は明るさにあり。逆に言えば、カネを払ってまで人は明るくなりたがっていると。
 もちろん、このファーストアルバムはセルフプロデュースではありませんから、ある意味片寄さんの洗練されたセンスが混入してるわけですけど、だからこそでしょうか、コントラストとして彼らの美味しい未熟さや新鮮な腐乱臭が際立ってるんですね。いまだにこれをもって最高傑作だとする人が多いのもよくわかります。
 さてさて、この前のレミオロメンの凱旋ライヴもそうでしたけど、とにかくそうした自分の基礎となっている土壌での演奏というのは格別なものになります。今回の秋田の旅でもおそらくそういう「土」の重要性を感じるでしょうね。これこそが最近の私のテーマでもあります。
 ただでさえ志村くんのパフォーマンスやトークは面白いのに、今回は場所も場所、おそらく自分でもいろんなツッコミを入れられる環境ですからね、きっととんでもないスペシャルライヴになりますよ。旧メンバーやら同級生やら親戚やら、たくさん来るでしょうね。古くからのファンの皆さんには是非参戦してもらいたいですね。なんて、自分がチケット取れないと困るなあ。
 ホールのキャパは1000人です。古いけれど、彼らにはちょうどいい大きさかもしれませんね。ZEPPの雰囲気も国技館の雰囲気も今一つだったので、今回は期待をしてしまいます。
 まずはチケット手に入れないとな。頑張ります。いやあ、楽しみだなあ。

 …そして凱旋ライヴ行ってきました!

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2008.03.25

『土方巽 絶後の身体』 稲田奈緒美 (NHK出版)

14081274 まさに絶後の力作!これはすさまじいデータベースであり、そして戦いの記録であります。
 先日「土方巽・生誕80年記念  HOMAGE TO HIJIKATA vol.1 舞踏・新研究フォーラム2008」の会場でお会いした稲田さん、こんな言い方は失礼とは思いますが、これほどのエネルギーをお持ちの方とはお見受けしませんでした。とても柔和な笑顔の女性で、私たち門外漢の不躾な話を優しく聞いて下さいました。
 この本を読み終えた今、私は稲田さんにもう一度お会いして心から敬意と謝意を表したい。本当に私の人生が変わってしまうほどの衝撃を与えてくれました。これは大げさでもなく冗談でもありません。
 誰もが陥る「土方を語る」という罠。これはいつも私が繰り返しているように、「モノ」を「コト」としてとらえる、すなわち、本来言語化できない「モノ」を「コトの葉」で「カタル」危険であります。今までも、多くの方々がそれに執着して、すなわち自ら土方を理解しようとして、深い迷宮にはまってしまいました。私は三島でさえそうだったと考えています。もちろん、私もこちらであるいはこちらで語らんとして恥をかいていますね。
 なぜ、人はそう語りたがるかと言いますと、結局「理解」「解釈」という安心を得たいのだと思います。不随意であり、言語化不能であり、未知であり、豊饒であり、無限である「モノ(物の怪)」に対する恐怖や畏怖がそうさせるのでしょう。
 稲田さんは、この600ページに及ぼうかという大作で、一つの戦いを挑み、そしてそれに勝利しているように感じます。今言ったような「土方巽」を「語る」ということ(「モノ」を「カタル」=「物語」)の危険性に対して、非常に冷静に一つの手段を徹底しているのです。それは、まず事実を事実として記述すること、まずは解釈抜きで「記す=著す=明らかにする」こと。そして、それぞれの事実について、最初に自ら「語る」のではなく、他者に語らせるということ。つまり、土方を取り巻く多くの天才たちが、土方という大天才にどう挑んでいるのか、あるいはどう対抗せんとしているのか、どう敗北しているのかを、これもまた事実として記しているわけです。
 もちろん、稲田さん自身の読解も控え目ながら記されています。それがまた秀逸であり、私も大いに刺激を受けたのですが、しかしやはり著者はあくまで謙虚です。あるいは自重している、あるいは巧妙に避けているとも言えます。これは私は闘い方として非常に正しいと思います。もし、もしも私がこういった無謀な戦いをせねばならない立場にあったら、やはり巧妙に(私の場合は狡猾にですか)逃げたでしょう。なぜなら、勝ち目がないからです。
 この本を通じて、私が再読した土方は、やはり「言葉」に対抗する存在でした。「言葉」を「西洋」や「都会」や「文明」や「社会」や「科学」や「論理」や「人間の営み」そのものに置き換えてもいいのでしょうが、それではあまりにも行儀の良い、それこそ今挙げたそれらの枠組みの中での思考に陥ってしまいます。だから、今回は、今私の頭が書きたがっていることはあえて書きません。無様な惨敗が確実だからです。ただ、ただ、感じて、その次に続けたいと思うだけにしておきます。
 次に…そうです。ちょうどいいタイミングですね。明日から秋田に行きます。「鎌鼬の里」を訪れます。そこでまた何を感じるのか。そして語りたくなるのか。語るのか。あるいはまた語れないのか。非常に楽しみです。
 それにしてもこの本はすごい。もちろんそこに息づく「土方巽」という「絶後の身体」…それは、私はこの国最後の「モノ」なのかもしれないと思うのですが…の得も言われぬエネルギーのおかげではありますが、しかしまた、それを見事な手法と見事な決意とで書籍の中に充填した稲田奈緒美さんの「思い」のおかげであることも忘れてはならないでしょう。
 最後に一言。土方はまるでもう一つの宇宙のように、我々の住む社会、我々の知る風景と戦い続けました。孤高の戦いです。私たちが彼を恐怖し、しかしどこかで共感するのは、彼をこの世の敵であると見なす自分と、しかし一方でこの世を救うメシアだと感じる自分を内在しているからです。だから、私たちは彼と戦い、そして彼とともに戦い続けなければならないのでしょう。少なくとも、今こういう形で彼に再会してしまった私は、そうして行くつもりです。

Amazon 土方巽 絶後の身体

土方巽 絶後の身体

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2008.03.24

シック クアトロ4(Schick Quattro4)

Mens_sys_06_midnight02 今日は剃髪の日。いちおう禅宗の習慣に従いまして、「四」と「九」のつく日に剃ってます。5日に1回っていうことですね。これはたしかにちょうどいいサイクルです。ツルツルに剃っても、そうですねえ、4日目くらいにちょっと伸びたなあ、剃りたいなあと思うものです。ヒゲをイメージしていただければいいんじゃないでしょうか。頭の毛もヒゲと同じくらいの伸び方ですね。
 禅宗では剃髪の日を「四九日」と言うそうで、ある有名な禅僧の方はお戯れに「シック(Schick)の日」と言っておられました。もともとなぜ4と9なのかよく知りませんが(「死」と「苦」を剃るのかな)、たしかに1と6でも2と7でも3と8でもだめですよね。1のつく日だと10日〜19日も含まれちゃいますよね。2や3も同様。
 最近は当地方もようやく暖くなってきましたので剃ると気持ちいいんですけど、冬場はホント寒いんですよ。修行ですね。インドでは本来剃髪というのは刑罰だったようです。たしかに真冬のスキンヘッドは刑罰ですよ。頭の毛ってホント1ミリでもあるとあったかいんですよね。頭の毛の有難みがよくわかります。
 昨日の話、「大事なものはとっておくべきか」にも関しますが、そういう大事な髪の毛というものを捨てるというところが、つまり仏教における解脱への第一歩なのでしょう。こだわりや執着を捨てることの象徴…なのかな。お坊さんではない私は、どちらかというと逆にファッション感覚なんですが。ある意味余計な我執が生まれているのかも。
 さて、剃髪にあたって、わたしはどのような方法をとっているかといいますと、お風呂に入ったついでにゾリゾリとひげ剃りで剃っちゃいます。誰かに剃ってもらうということなく、自分でゾリゾリやります。禅宗ではこれはダメなんですよね、たしか。お隣の人に剃ってもらうんだそうです。それが和合なのだとか。一人でやるのは不和合。
 昨年まではこちらのプロ用バリカンで頭を剃っていましたが、今年になってからは、もう面倒くさいのでひげ剃りに切り替えました。で、いろいろと試した結果、やっぱりシック(四九)が一番いい。それも4枚刃のやつ。これはいいですよ。深剃りできれいにツルツルになるし、石鹸なんかをつけなくても全然痛くない。一時安い2枚刃の製品(F社)のを使ってたんですが、これはひどかった。きちんと剃れないし、きちんと剃ろうとすると、皮膚まで剃れてしまい(痛)、もう血だらけだし、血が止まってもヒリヒリして枕に頭がつけない状態になるし、学校では生徒に爆笑されるし、ホント刑罰でした(笑)。
 ちょっと値段は張りますが、いいもので剃るのが一番ですね。ただ5日に一回ずつ大量のヒゲを剃るようなものなので、すぐに刃がダメになってしまいます。替え刃もそれなりのお値段なので、経済性はあんまりよくないかもしれません。もちろん、床屋さんに行くよりは安上がりだと思いますが。
 お寺さんでは、昔はいわゆる普通のカミソリで剃りっこしてたみたいですが、あれはホントに危険だったようです。パートナーが下手くそな人だと最悪だったとか。くやしいからやりかえしたらしい(笑)。あるお坊さんの体験談です。今では私のようにT字型のひげ剃りを使っているところが多いらしい。やっぱりシックなのかな。あっそうそう、映画ファンシイ・ダンスには電動ひげ剃りでウィ〜ンと剃るシーンがありましたっけ。
 と、まあ一般の人にはなんの参考にもならないおススメでした。

シック・ジャパン

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2008.03.23

USBメモリー購入〜大事なものは取っておくべきか

Usbdonyass0 ふだんはこちらで紹介したトランセンドのオシャレなUSBメモリーを使ってます。で、今回ちょっと必要がありまして、1GのUSBメモリーをいくつか買いました。上海問屋さん上海問屋セレクトが一番安かったので、さっそく注文しまして、到着した商品を見たら、全部トランセンドの製品でした。有名メーカーさんの製品がこのお値段(677円)なんて。まったくどうなっているのでしょう。
 トランセンド(transcend)とは、「超越する」「理解を超える」という意味ですよね。まさに「まったくどうなっているのでしょう」です。
 少し前に読んで感銘を受けた中沢新一さんの「僕の叔父さん」にも何回かトランセンデンタルという言葉が出てきました。超越した、深遠な、人知を超えたというようなニュアンスでしょうか。
 パソコン用のメモリーは、まさにどんどん過去を超越してゆき、とどまることを知らない大容量化が進んでいます。トランセンドという社名も、そういうイメージから付けられたのかな。
 ところで、メモリーが増える一方なのは機械での話であって、我々の人間のメモリーはある意味トランセンデンタルに小容量化していきます。私もけっこうやばいですよ、最近。もう「ディスクがいっぱいです」なのか、新しい情報は記憶されないし、それどころか過去のデータも壊れているらしく、読み出せないこともしばしば。
 ところで、ハードディスクなんかもそうですけど、やたら大容量化すると恐い一面もありますよね。全てのデータを一瞬で失うとか、盗まれるとか、なくすとか。人間の場合も同じかもしれません。最近もある本を読んでいて思いました。天才的な頭を持った人が突然亡くなってしまったりすると、ものすごく不安になるんですね。人間のメモリーの場合、バックアップを取る技術が未完成ですから、本人が壊れちゃったり消えちゃったりすると、烏有に帰すことになっちゃいます。
 そう考えると、人間の脳ミソのデータというのも適当に分散させておくのがいいかもしれませんね。一人の天才にまかせておくと、結局全部失う時が来る。数十年で装置の寿命が来ちゃいますから。
 いや、天才が早世し、凡才や憎まれっ子が長生きするのは、神様の「なくなっていいようなものは取っとくけど、なくなって困るものは取っとかない」という究極のやり方なのかもしれませんね。
 天才自身も、「自分」という大事なものを取っておこうとしない傾向がある。酒に溺れたり、薬に走ったり、自死も多いし。我々非天才は自分を後生大事にしますよね。どうせなくなっちゃうのに。
 よく、「大事なことを忘れた」とか「どうでもいいことは覚えてる」とかいう言葉をよく聞きます。これは、実は正常なことなのかもしれません。だいたい、その「大事」とか「どうでもいい」とかの判断基準って、どんなところにあるんでしょうね。そのへんの「意味」について考えるのもまた一興かと。
 というわけで、いわゆる「大事なもの」を取っておきたがり、そして取っておくがために不安に陥っているのは、案外人間だけかもしれませぬぞ…と言いつつ、今日もこうして記録し続けるワタシ。いや、これは大切なデータじゃないから、取っておいていいのか…。

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2008.03.22

『明日の広告』 佐藤尚之 (アスキー新書)

75615094 今日は縁あって某有名ハンバーガーチェーンの社長さんと差しで話をする機会を得ました。経営や教育に関する貴重なお話をいただき、感銘いたしました。ありがとうございました。
 その会社は、たとえばテレビCMなんかをそれほど積極的にやらないで、どちらかというと口コミの力でブランドイメージを築きました。独特のマーケティングもあって、激戦区で確固たる地位を不動のものにしています。
 社長さんのお話でなるほどと思ったのは、従業員へのサービスがお客様へサービスにつながる、従業員の心からの笑顔がお客様に対する本当のサービスになるという考え方ですね。つまり、従業員の働きぶりが広告にもなるということです。
 ちょうどこの本を読んでいたところだったので、そのあたりのお話を興味深く拝聴することができました。全く違う視点もありましたけれど、結局は一緒のことを言ってるのかな、と思いました。結局は生身の人間どうしのコミュニケーションなんだよなあ。
 ちょっと前に岡康道さんと小田桐昭さんの「CM」を読みました。それで広告のイメージがだいぶ変わった。その後もまたいろいろとご縁があって、広告関係のクリエイターさんたちとお話をする機会がありまして、ちょっぴり広告がマイブームです。自分の仕事にも実は無関係ではありませんし。
 まあ、相変わらず私独自の変な切り口なんですけどね。そう、「物語論」的な捉え方です。今日の記事にも、昨日に続き「モノ・コト論」や「萌え」が登場します。
 「さとなお」さん、いや今回は本名の佐藤尚之さんの名前で書いてますね、彼は若手(と言っていいのかな)クリエイティブ・ディレクターの中でもカリスマ的な存在です。
 この本、サブタイトルにあるように「変化した消費者とコミュニケーションする方法」を書いた本です。広告をラブレターに模して説明してくれているんですけど、まずそれが実に分かりやすい。相手に「私はいいですよ!私を買ってください!」というメッセージを伝えるという意味では、たしかに双方似通ってますね。
 で、消費者(ユーザー)がどんなふうに変ったかというと、
・ラブレターが相手の手に届きにくくなった。
・他に楽しいことが山とあり、相手はラブレター自体に興味をなくしている。
・ラブレターを読んでくれたとしても、口説き文句を信じてくれなくなった。
・しかもラブレターを友達と子細に検討し、友達に判断を任せたりする。
 というふうに説明されています。要はネット社会になって、情報が丸裸になっているということですね。BBSやSNSなんかでの一般人の発言こそを信じる時代になったと。なるほど。その通りだ。
 では、どうすればいいか…という答が、決して悲観的ではなく、非常にポジティブに語られています。これは広告に限らず、現代のコミュニケーション全てに当てはまることですから、たとえば私のような教育に携わっている者にもとっても有用なお話が満載でした。結局、真心・誠意ということかな。伝える側の真剣さ、思い入れ。「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」の章なんか、ホント感動ものでしたよ。
 で、そのへんの結論については実際読んでもらうとしまして、昨日に続き、「モノ・コト論(物語論)」で咀嚼してみましょう。
 私が興味を持ったのは、消費行動モデルAIDMAとAISASです。古典的な「Attention→Interest→Desire→Memory→Action」に対して最近は「Attention→Interest→Search→Action→Share」だと。つまり、ネット社会になって、検索して感想を共有するという新しい消費行動が加わったということですね。言い方を変えると「Desire→Memory」の部分がそっくり「Search」になり、最後に「Share」が加わったということですか。
 たしかに昔は興味を持ったらもう買うしかなかったけれど、今や検索していろいろと情報を得たら、もうなんだか満足しちゃって購買意欲が失せた、なんてことも日常茶飯事ですね。そういう意味でも、「Attention」を司る「広告」の役割がまた難しくなっちゃったわけです。
 で、私はこれを読みながら、ああこれはまさに物語論だな、と思いました。「Attention」こそ「モノをカタル」ということですね。つまり、ワタクシ的な説によりますと、「モノ」とは「未知」の存在であり、それを相手の脳の中に「固成する(コト化する)」のが「物語」の本義ですから、まさに広告の行なう「Attention」と同じですよね。それによって「モノ」が「コト」になる。気づく。知る。
 で、古典の時代はですね、源氏物語のようないわゆる作品としての物語も、また、「物語す」という形で頻出する日常の井戸端会議も、とにかく相手の注意を引き、またそこから興味を喚起するに充分な役割を果たしていたんですよ。立場を変えますと、物語受容者の方の「妄想力(想像力・創造力)」も長けていたと。でも、現代ではそれが他者の情報によって補完され、結果収束(終息)してしまって、それ以上のダイナミズムが生まれなくなってしまった。それは、情報社会、特にネット社会の弊害かもしれませんね。
 さて、また話がとんでもない方に行っちゃいますけど、昔「萌え=をかし」のところにも書いた、「ゆかし」と「をかし」の関係について、ちょっと思いついたことがありましたので、書いておきます。
 「ゆかし」というのは「行かし」であり、それは「Interest」であるとも言えます。つまり、行ってでも知りたい何かがあるんですね。実際、昔は現場に行かなければその願望は満たされなかった。でも、今は「Search」すればもうおしまいですからね。便利と言えば便利ですよ(ちょっとあっけなさすぎますけど)。
 で、本来「Interest」から生ずるべき「Desire」ですが、これはつまり所有欲ですよね。こちらに招きたい。これこそ「をかし(招かし)」なわけです。現代風に言えば「萌え」ですよ。「カワイイ」なんかも、単なる「可愛い」ではなくて、所有するための消費欲求を伴った感情です。
 古典的な「ゆかし」や「をかし」はなかなか実際の所有には至らないケースがほとんどでした。そこに、「思い通りにならない」という「もののあはれ」も生じて、新たなる物語や歌なんかがた〜くさん出来ちゃったわけです。
 それが現代では、まず工業化や交通・流通の進化によって、実際に所有することが可能になった。つまり「Desire→Action」、そしてその先の結果の実現に向けて、近代社会は進化してきたということです。
 さらに情報化によって、疑似的にこちらに招くこともできるようになった。我々は、場合によっては購買や消費という形態でなはく、単にデジタルコピーしたもの(コト=情報)をゲットすることで満足するかもしれません。とにかく疑似的にであれ手もとに招いて所有することができるようになっちゃったんですね。
 そして、忘れてはならないのは、「Action」の質が、ゲットしたモノへの愛情に影響するということです。その行動がエネルギーや時間を要すれば要するほど、モノへの愛情は深まる。逆に、安易に簡便に得たモノに対する気持ちはすぐに冷めます。たいがいの場合、そういう単純な対応関係があります。
 つまり、現代では、「いとをかし」と思い続ける前に、実際に「招(を)く」ことが可能になり、そしてその結果止めどもない生産と消費と廃棄が生み出されているということになります。「ゆかし(行きたい)」はとっくに絶滅し、さらに「をかし(招きたい)」さえも消えつつあるんですね。だから、当然のごとく「もののあはれ(不随意への嘆息)」なんかほとんど復活のチャンスすら奪われてしまった。
 そうすると、現代は「萌え=をかし」の時代だなんていうのも、実はもう古い感覚であり、それすらもない、なんだかすっからかんな、ある意味虚しい(空しい)時代が到来しつつあるのかもしれません。その空虚感がまた「もののあはれ」を喚起したりしてね。
 ただ、話を冒頭のハンバーガーに戻しますと、飲食物に関してはヴァーチャルでは置換できない部分がありますよね。そのへんについて、また社長さんとお話しできればと思っています。続きはまたいつか。

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2008.03.21

『現代日本女性史―フェミニズムを軸として』 鹿野政直 (有斐閣)

64107680 この前の団鬼六先生の人生論というか女性論を読みまして、ちょっと違った(だいぶ違った…かな)角度から勉強してみようかなと思って手にしてみました。
 とっても勉強になったんですけど、いちいち内容についてここで語ってもどうしようもないので、いつもの通り読みながら考えたことをつらつらと記します。また「モノ・コト論」になりますがご容赦を。久々にオタク論も出てきそうですぞ。
 私、二元論はいかん、デジタル的思考は好かんとかいつも言ってますけど、たとえば「モノ・コト論」なんかもろに二分ですよね。そこんとこの矛盾について疑問を抱かれる読者の方もいらっしゃるでしょう。
 今日はそのへんについて明確にしておきます。えっ?なんでそれが女性論なのかって?実はですね、私、この世の中で完全に二分てきるものって「女と男(陰陽・雌雄)」と「モノ・コト」だけだと思ってるんです。ずいぶんと乱暴な感じがしますでしょう。でも、私の考えでは本当にそれしかないんですよ。で、さらにその二のつのペアが密接につながっていると。そして、その他の二分されているものは、それらの比喩に過ぎないと考えています。
 確認ですが、ここでの「モノ」とは、概念化されていないもの、認識されていないものです。「コト」はその逆。脳ミソの中に情報としてあるものです。自分にとっての未知・既知とも言えますね。あるいは自分にとっての「無・有」。
 そして、「女=モノ」「男=コト」と結びつけます。マ行音とカ行音の対照は面白いですよ。「イザナミ・イザナキ」とか「ヒメ・ヒコ」とか。ついでに私は助動詞の「む(推量・未来)」と「き(過去)」もそれに絡めています。未知と既知ですね。
 簡単に言ってしまうと、女性はつかみどころがないということです(笑)。男はなんでもはっきりさせたがる。女は夢想しがちですが、男は事実にこだわる。
 で、お互い持っていないものに憧れますからね。女性は「コト」を求める。そこに生じるのは「をかし=萌え」の感情です。何度も書いているとおり、「萌え」というのは本来女性的な感情です。オタクは女性化した男性でしたよね。
 逆に男は不随意を望む。ふだんは「仕事(シゴト)」してますから、たまには「コト」を離れて「モノ好き」になる。女こそその対象の最たるものですね。ま、そうしないと、人類は滅びちゃいますから、神様はなかなか上手にプログラミングしましたよ。
 で、女性論や女性学、フェミニズムの「論」や「学」や「イズム」というのは、「コト化」であり、そういう意味では実に男っぽい世界観であります。分析や分節がコト化ですが、それを積み重ねるという作業、つまり情報やデータを積み重ねて論理的に説明するのが「論」や「学」や「イズム」です。
 そういうのを持ち出した時点で、既に女性の本質から離れてしまっている。だから、そこには実際の女性のイメージとの乖離があるし、それらを唱える人、たとえばフェミニストの女性学者なんかがぜんぜん「女」を感じさせないというのは、これは理の当然なわけです(失礼)。女捨ててるってことですよ。
 この本でも筆者はのっけから宣言してます。「男だから女について研究する」というようなことを。私にはこれこそが「女性学」や「女性論」の本質だと感じられました。あくまで、学問や主義というのは男性の営みで、本来女性はそんなことにはほとんど興味がありません。もっと刹那的な「コト」を指向します。実生活で損はしなくないけど、学問は面倒だな、とりあえず今思い通りになればいいやと。
 こんなこと言うと怒られちゃいそうですけど、ホントだから仕方ない。第一、ここのところの男女同権とか男女共同参画とかなんとか、男も女も、「仕事」もしたいし「子育て」もしたい…じゃないっすよね。ホントは「仕事」もしたくないし、「子育て」もしたくない、でしょ。たまにやりたい時だけしたい。それは身勝手な自己実現でしかありませんよね。みんなだまされちゃいけません(笑)。
 男は本来的に「コト」が得意な存在ですから、喰っていくためにはその得意な「コト」をなします。それが仕事(シゴト)ですね。興味は「モノ」にありますけど、まあ趣味と仕事は別ということですよ。
 ただ、「コト化」は継続しますと、結局「モノ」的になってしまうんです。ここが面白い。つまり、コト化とは分析、分節であるわけですが、それが集合すると結局全体になってしまうんですね。微分も結果を全部合わせると積分になっちゃう、みたいな感じかな。そこんとこの皮肉にまた、男性は「ああ」とため息をついてなんだかんだ言って自己満足する。「もののあはれ」ですよ。
 対して、女性は本来モノノケ…いやモノ的存在ですが、指向としては刹那的なコトを求めます。まあ、もっと俗っぽく言いますと、女性は熱しやすく冷めやすいということです。「キャー」となるのも早いけど、忘れちゃうのも早い。微分の結果だけ見てるからです。で、こっちも皮肉なことに、こういう刹那的な存在こそが無常なる「モノ」的性質そのものなんですよねえ。分かりますか?そこに男たちは振り回される。惚れ続ける。そう、男性は女に関して案外未練たらしいじゃないですか。積分してっちゃう(笑)。団鬼六先生しかり。
 いつかも書いたように、「萌え=をかし」の感情って、「モノ」の無常性に対抗するため、対象を徹底して微分してですね、疑似的に普遍性を見出そうとする時の気持ちなんですよ。つまりゼロに近づけば近づくほど時間の経過による変化はなくなるように見えますよね。そういう逃避的感情なんです。
 それって昔は女性の専売特許だったんです。腐女子的なあり方が女性本来です。それを男であり、かつ貴族の流れをくみ(武士ではない)、財力もヒマもあるオタクの方々(私も…かな?)は、デジタル技術や工業技術によってそれを実現しちゃうんです。つまり、本来不随意で無常である、たとえば恋愛を、絵やアニメや声優さんの声や、そうした「情報(コト)」にしちゃうんです。
 と、だいぶ話がそれましたね。戻しますと、つまり現代の「女性学」や「女性論」や「フェミニズム」なんかは、つまりオタクの登場に付随した現象だということですね。男性が女性化したのに対応して、女性の捉え方に男性的手法が導入されたと。ま、簡単に言えば、女が男っぽくなって、研究の対象になったということですよ。
 これからはもっと男女の歩み寄り(?)が進み、男女同権・男女共同参画どころか男女の役割が入れ替わっちゃったりして、とんでもない世の中になりますよ。だって、お互い苦手なモノやコトをするわけですから。私は正直心配ですよ。

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2008.03.20

DRAGON GATE 観戦 (さらば大田区体育館)

 今日はまず新宿でバロック・バンドの練習。前前回は小橋選手の握手会、今回はドラゲー観戦と、どうもこのアンサンブルとプロレスの組み合わせが多いのはなぜ?というか、プロレスはバロック、バロックはプロレスでした。ですから、全然問題なし(笑)。
0803201 さて、今日DRAGON GATEの大会に行くことを決めたのは、まず会場となる大田区体育館での最後のプロレス興行だからです。大田区体育館、私も少年時代を大田区で過ごしましたので、何度かお世話になっている思い出の体育館です。そして、なんと言っても多くのプロレスの名勝負が繰り広げられた場所ですよね。この前買ったジャンボ鶴田伝説にもあったジャンボ鶴田対スタン・ハンセンの三冠ヘビー級王座統一戦も1989年4月18日にここで行われたんでした。大田区体育館と言えばプロレス、そう静岡の駿府会館もそうでした。私の生まれ育ったところはどうもプロレスの臭いがする。
0803202 その大田区体育館、東京オリンピックを記念して、その翌年に出来たということですから、東京オリンピックを記念して生まれた(?)私とほぼ同級ということになります。そんな古くからの友人がこうして引退取り壊しになるというのは、なんだか切ないことですね。オレもそんな歳になったんだなあ…と。
 ドラゲーの試合を観るのは2回目です。あれ?あれはまだ闘龍門時代かな。けっこう好きな団体ですし、好きな選手も多い。さらに今回はノアのKENTAと石森太二がGHCジュニアタッグのベルトを奪還しに乗り込んでくるということもあり、非常に楽しみにしておりました。試合結果等はこちらでどうぞ。
0803203 私は3階席の一番安いチケット(3000円)だったんですけど、まあ、そんなに広い会場ではありませんからね、角度的にも距離的にも案外ちょうど良かったという感じでした。今回は会場全体の雰囲気を味わうというのも目的ですしね。
 1階アリーナ席は平ら、かつリングを見上げる形になるので、ちょっと見づらそう。席から離れてあえて立ち見している人が多かったようです。そういう人抜きに純粋な立ち見もたくさんいて、いわゆる超満員札止めといった感じ。きっと私と同じように大田区体育館とのお別れをしに来た人、それからノアのファンなんかも多かったんでしょうね。全体にいい雰囲気を作っていました。
 さて、試合の方ですが、ドラゲーの皆さんはいつものようにハイスピードでアクロバティック、そしてキャラクターやストーリーのはっきりした試合を展開、プロレスの王道を見せてくれました。満足満足。
 でも、私の心に残ったのは他団体の選手たちですね。特にZERO1−MAXの田中将斗選手、アパッチプロレス軍の黒田哲広選手組 対 チーム30代の望月成晃、ドン・フジイ組の試合は良かった。やっぱりベテラン同士のアンサンブルはいいなあ。安心して観ていられる。盛り上げ所分かってるしね。さすがです。
0803204 びっくりしたのは、黒田さんとフジイさんがわざわざ私の目の前まで来て、乱闘を繰り広げてくれたことです!!3階席まで来てくれるとは…それもホントに私の目の前ですから。おかげでテレビにもしっかり映っちゃいましたよ。目の前30センチでの水平チョップやらランニングラリアットはさすがに超ド迫力!!汗が飛んでくるのはもちろん、黒田選手のジュース噴射攻撃の巻き添え喰ってビシャビシャになるし、憧れのフジイさんの背中にタッチできるし(汗でベタベタ…笑)、もう最高の体験でしたね。ありがとう大田区体育館!って感じで涙が出ました…。いいなあ、プロレスは。総合じゃ絶対こんなことないもんね(当たり前か)。10万円で総合を観るのと、3000円でプロレス観るのと、あなたはどっちを選びます?
20080320087thumb200 あと、感動したのはやっぱりGHCジュニアタッグ戦ですね。これは本当に内容の濃い素晴らしい試合でした。KENTAはちょっと格が違う感じがしましたね。繰り出す技も当然ですが、技の受け方、また気持ちの表現のしかた、素晴らしかったなあ。石森もノアでは軽めに見えますけど、ドラゲーではちょうどいい感じ。あっ考えてみれば、彼は闘龍門の出なんだよな。ある意味古巣での試合だったわけだ。あと、久々にジョー樋口さんを生で見たな。思わず「ジョー!」って叫んじゃいましたよ。ジョーさん実はウチのご近所さんなんですよ。今度はこちらでお会いしたいものです。
 ドラゲー側はどうかといいますと、B×Bハルクはややスタミナに難ありかな。いいもの持ってるんですが、気持ちが伝わってこない。それってたぶんスタミナの問題だと思います。心と体のね。あと、鷹木信悟くん。彼は注目株です。彼、山梨の出身ですし、浜口ジムの出身ですので、私は特に注目してたんですけど、ホントいいセンスしてますよ。やられっぷりもお見事。プロレスをよく分かっていますし、光る何かを持ってます。今回のノア勢との戦いはいい勉強になったでしょうね。
 ところで、気になったのが、私が好きなエル・ブレイザー選手。集中力がなかったのか、体調が悪かったのか、リングとの相性の問題なのか、とにかく技の失敗が多く、ケガしないかとヒヤヒヤ見ていました。どうしたんだろう。あと、セミに食われたのかメインがイマイチ盛り上がらなかったな。ま、しかたないでしょうか。
 しかし、全体としては超満足の興行でした。最後に大田区体育館はいいものを見せてくれました。本当にありがとう!お疲れさまでした!

オマケ…帰り、30年ぶりに池上線に乗りました。懐かしいかなあと思いきや、なんだか一駅ごとに昔の忌まわしい記憶がよみがえり、なんとも切ない気持ちになってしまいました。失恋とか…あれとかあれとか。やっぱり少年時代って忌まわしいものなんですね(笑)。

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2008.03.19

『快楽なくして何が人生』 団鬼六 (幻冬舎新書)

34498010 読むべし。これは名著ですぞ。人生の課題図書。本当にものすごく勉強になりました。
 これはもう聖典の領域です。何事も極めると悟りの境地に至るんですね。全編通して徒然草が引用されているんですけど、この本自体がもう現代の徒然草になってますよ。
 兼好法師のみならず、あの高僧もあの高僧も、いや釈迦自身もある意味快楽を尽くした結果出家し、世の摂理を知るに至ったわけじゃないですか。私にはとうてい達することのできない境地ですね。
 本当に読みながらウンウンとうなずくこと数百回。しまいには切なくて涙が出てきました。まさに「もののあはれ」…思い通りにならないことに対する嘆息ですよ。快楽の裏に切なさあり。
 私は勉強不足でして、実は団鬼六先生の官能小説を一冊も読んでいないんです。なんでかと言われると難しいんですけど、そうですねえ、たぶんあの表紙とタイトルにひるんで、買う勇気がなかったんでしょう。
 もうその時点で私には悟りの可能性はないとも言えますね。この本に書かれている驚愕の、そして抱腹の、しかし実に切ない団先生の快楽的人生に比べたら、いかに自分がスケールの小さいつまらぬ人間であり、また私の過ごしている時間というものがなんと希薄であることか。
 この前の赤塚不二夫先生もある意味同様かもしれませんね。英雄色を好むと言えばそれまでだし、そう片づけることによって凡夫は一つの諦めを得るわけですけど、ちょっとそのあたりについては検討の余地がありそうです。
 実はここのところ、私の周りでも数件、色を好む英雄とそこに関わる女性の話が続いていたんですね。そこに共通する要素というのもはっきりあったりして、では自分はどうかななどと考えたりもしていました。まあその結論はナイショとしまして(笑)、やはりこちらにも書いたとおり、創造的な仕事をする男の基本はそういう部分にあるんではないでしょうか。
 こういうことはなかなか学校では教えられないことなんですけど、実は人生や世の中の基本であり、中心的な構造であり、ほとんどの人があからさまには表明しないがしかし本当は最も興味を持っていることなんですね。
 今日はまた実に不思議なご縁があって、太宰治にゆかりのある方とお話をする機会に恵まれました。いろいろな意味であまりに幸運なことでびっくりしてしまったんですが、ちょうどこの本を読んだあとでしたし、場所も場所だったので、太宰の斜陽にあるこの一節を思い出してしまいました。

『この世の中に、戦争だの平和だの貿易だの組合だの政治だのがあるのは、なんのためだか、 このごろ私にもわかつて来ました。あなたは、ご存じないでせう。だから、いつまでも不幸なのですわ。それはね、教へてあげますわ、女がよい子を生むためです』

 うん、この女の言葉に象徴されているように、実は女がこの世の中を堂々と回していて、我々男はそれに乗っかってちょこまかちょこまか動いているだけとも言えるなあ。団鬼六先生のこの自叙伝でも、そういう女の魔性的な部分と、男の狭小な嫉妬心と未練が繰りかえされていましたよ。
 私のまわりの女性及び自分自身を観察してみましても、やっぱり女こそ「萌え=をかし」で生きていて、男の方が「もののあはれ」で生きているというのがわかりますね。男の坊さんが圧倒的に多いのもよくわかります。女は刹那的ですからねえ。あの変わり身の早さ、温度変化は、男には真似できません。女には悟りなんてどうでもいいんです。男はある意味悟りに逃げちゃうのかな。
 それにしても、団先生の人生はすごいなあ。今も人工透析を拒否し続けてるんでしょうか。「鬼の快楽教」の設立は実現しないんでしょうか。相模湖のW荘には今も行っているんでしょうか。こんな方が中学校の教師をやっておられたとは…なんと素晴らしいことか。生徒に自習させつつ教室で官能小説を書く先生…私もやってみようかな(笑)。そんな本人の実態を知らない、同僚であるまじめな英語の先生を嫁にもらってるし。あっそこはウチも一緒か。
 こういうスケールの大きな男が今絶滅しつつあるんじゃないですか?私思うんですよね。女はもともと生産力を持ってるんですよ。でも、女だけでは深化、進化はない。やっぱり彼女らの天性の強烈な生命力に太刀打ちできるくらいのパワーを持った男がたまに現れて、それでちょっとかき回してやらないと新しい世界は開けないんだと。天の沼矛でコオロコオロってやらんとね。
 快楽を得る者は、その裏にある切なさに耐え得る者である…そんな気がしました。はたして自分は…これはまだ分かりません。ある意味只今検証中とも言えます。まだ諦めてない…かな?

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2008.03.18

Monday満ちる 『My Ever Changing Moods』

51tbpdgcvdl_aa240_ うわぁ!これはいいアルバムだ!曲もアレンジも演奏もツボですぞ。
 日本が誇るジャズ・ジャイアント秋吉敏子さんの娘さんであるMonday満ちるさん。今までも彼女のアルバムは時々聴いてきましたが、どちらかというとエレクトリック寄りのアシッド・ジャズということで、どこか私としては入りきれないところがありました。
 しかし、このアルバムは完全アコースティックですし、レコーディングもライヴ形式。そして、楽曲は80年代ポップスが中心ですからね、耳に馴染みますよ。名曲はどんなふうにアレンジされても魅力的ですねえ。まず曲目から紹介しましょう。

01.Walking In Your Footsteps(ポリス)
02.True Colors(シンディ・ローパー)
03.Call Me(ブロンディ)
04.Vera Cruz(ミルトン・ナシメント)
05.Journey to the Light(ブレインストーム)
06.Remind Me(パトリース・ラッシェン)
07.I'm Gonna Love You(バリー・ホワイト)
08.Just Be Good To Me(SOSバンド)
09.Aldeia de Ogum(ジョイス)
10.Mi Vida(ダイアン・リーブス)
11.My Ever Changing Moods(スタイル・カウンシル)

 昨日の記事にも登場しましたが、私たちの歌謡曲バンドも70年代80年代の名曲を扱いますよね。我々も今やバロック音楽やジャズなどいろいろな分野を専門としていますけど、実は子どもの頃や青春時代に聴いたあの曲たちの影響が強いんです。いやとにかく好きなんですね。
 Monday満ちるさんもおそらく同じような感覚でこのアルバムを制作したんだと思いますよ。また、演奏しているミュージシャンたちもおそらく同じような気持ちなのではないでしょうか。実に楽しそうです。そうそう、楽器隊がすごいですよ。紹介します。

Antonio Sanchez(ドラムス)
Scott Colley(アコースティック・ベース)
Fima Ephron(エレクトリック・ベース)
Jon Benitez(エレクトリック・ベース/アコースティック・ベース)
Daniel Sadownick(パーカッション)
Henry Hey(キーボード)
Adam Rogers(ギター)
Alex Sipiagin(ホーン・アレンジとトランペット/フリューゲルホーン)
Donny McCaslin(サックス&フルート)

 この中で印象に残るのは、やはりサンチェスでしょうか。ちょうどこの前チック・コリア・トリオのところで書きましたように、彼の幅の広さというか、人間性の豊かさを感じる演奏です。あとはアダム・ロジャースのギターでしょうかね。派手さはありませが、見事なスパイスになってます。こういうギター弾けたらいいなあ…。
 あっ、ちなみにアレックス・シピアギンは満ちるさんの旦那さんですね。満ちるさんにはシピアギンさんとの間に息子さんが一人いるんですけど、彼に「ビートルズやスティービー・ワンダーといったベーシックな音楽は聴かせてあげたいと思います」と語るこちらの「子どもたちに聴かせたい、伝えたい10曲」というインタビューが興味深いですよ。挙げられている10曲…うわぁ、いいなあ。濃いなあ。私もけっこう共感する曲が並んでます。こういうお母さんってのもすごいな。きっと息子さんもミュージシャンになるんだろうなあ。

Amazon My Ever Changing Moods

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2008.03.17

『かがり美少女イラストコンテスト』(秋田県雄勝郡羽後町)

1kenpomihonキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
 やばいっすよ。羽後町。ここのところ、カミさんの郷里秋田県羽後町のネタが多いなあ、と思ってたんですけど、まさかこんなことまで進行しているとは!!
 そう、今年になってからというもの、まずは土方巽&細江英公さんの一件です。鎌鼬についての(ウチにとっての)衝撃的な事実ですね。これでもうウチは大騒ぎでして、いやもう羽後町にも働きかけてぜひ鎌鼬美術館を!という話にまでなっています。
 そして、おとといの記事にも登場した桜庭和志選手が羽後町にやってきました。この記事ですね。これもたまたまとは言え、あまりにタイミングが良すぎてビックリでした。
 そしてそして、これですからねえ…もう何か妙な力が働いているとしか思えません(笑)。
 それにしても…土方巽の暗黒舞踏とこの「萌え絵」とのコントラストはいったい何なんでしょう。永遠に交わることない両者…いやもう、グルッと一周して同じ極点に達しているのかもしれない。実際理解できない人にとっては両者とも全く理解できないでしょう。キモいの一言で片付けられる可能性もあり。一方、単なる芸術として片づけることもできないし、世界に発信され、日本を代表する文化と言われる面では似ているし…。う〜ん、私は頭ではまだ処理しきれてないですよ。
 まず最初に言っておきますが、私はオタク的な視点ではこの企画については何も語れません。なぜなら、私はこっちの世界にはとんと疎く(意外に思われるかもしれせまんね)、あとで列挙するそうそうたる(らしい)絵師の皆さんの名前の中で、存じ上げていたのは初音ミクのKEIさんと、もえたんで間接的にご縁のあるPOPさんだけでした。
 この「かがり美少女イラストコンテスト」は、秋田県羽後町西馬音内本町通り商店街の夏祭り「うご夏の夢市・かがり火天国」の一環として開催される企画の一つで、西馬音内の盆踊りなどをテーマにみんなでイラストを描こう!というもののようです。昨年第1回が行われなかなか好評だったみたいですね。で、びっくりしたのは昨年ゲストに山本和枝先生がいらしたとのこと。とは言っても私はこの方がどれほどすごいカリスマなのかは、前述したように分かりません。しかし、そちらの道に詳しい生徒に聞いてみますと、もうこれはとんでもないことらしいっす。いわゆるエロゲの世界では神なんだそうで、この方の萌え絵のお世話になっている男たちがこの世にたくさんいる…ってことだな。
 で、このような方をこの祭に呼ぶことを提案したのは言いますと、今回の第2回の企画の中心になっている山内貴範さんという方のようです。この方の偉業についてはのちほどじっくり味わっていただくとして、そういう世界を純粋に評価し、東北の片田舎でこの神企画を実現させたのは、どうも元町長さんのさとう正一郎さんのようです。さとうさんには昨年夏偶然お会いしました。さとう氏はウチのカミさんのお母さんの同級生でして、昨年のみちのくメルヘンの際、同じ旧皆瀬村でクラス会やったんですね、それで私たちはプロレス観戦が終わってからお母さんを宿に迎えに行ったんです。その時、私の車を「オ〜ライ、オ〜ライ」と誘導してくれたほろ酔いのオジサンがさとうさんだったということです(どうも、お世話になりました…笑)。
 う〜ん、まあそれはいいとして、かえすがえすも恐るべし羽後町ですぞ。それで今年は第2回の「かがり美少女イラストコンテスト」が行われると。そして、そのイベントの一部としてとんでもない神企画が!!
 以下、こちらやまうち氏による実行委員会の公式ブログからコピペさせていただきます。

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◆「スティックポスターin羽後町」 発売のおしらせ

羽後町観光物産協会は、美少女イラストと羽後町の文化財をコラボレーションさせた「スティックポスター in羽後町」を6月28日(「かがり美少女イラストコンテスト」当日)より発売します。

<特長>
◆豪華作家陣による、羽後町のための描き下ろしイラストを使用しています。
◆地元のプロフェッショナルも参加し、細部まで徹底的にこだわった仕様です。
◆羽後町訪問時のお土産として、誰でも気軽にご購入いただけます。
◆観光ポスターとしても活用できる仕様になっており、町内各地で掲示を行います。

【売価】:525円(税込)
※1つの箱のなかに、2種類のポスターがランダムに封入されております。

【【【ポスターリスト】】】
1◆西馬音内盆踊り(1)     
 画:山本ケイジ
2◆西馬音内盆踊り(2)     
 画:光姫満太郎
3◆西馬音内盆踊り(3)     
 画:香月☆一
4◆雪とぴあ七曲花嫁道中   
 画:西又葵
5◆国指定重要文化財「三輪神社・須賀神社」
 画:KEI
6◆あぐりこ神社と狐の伝説
 画:桜沢いづみ
7◆国指定重要文化財「鈴木家住宅」と茅葺き民家集落
 画:江草天仁
8◆黒澤家住宅
 画:真木ちとせ
9◆旧対川荘(たいせんそう)と庭園
 画:樋上いたる
10◆石馬っこ
 画:夕凪セシナ
11◆元城のケンポナシ
 画:兎塚エイジ
12◆旧飯沢小学校を活用したグリーンツーリズム
 画:POP
13◆五輪坂
 画:奈月ここ
14◆佐藤信淵
 画:大笆知子
15◆西馬音内そば・羽後牛・羽後すいか
 画:うずまき☆ぱんだ
16◆旧羽後交通雄勝線
 画:角館秋月

ポスターが入っている箱は、羽後町在住で現在85歳の染織家・縄野三女氏の作品です。
タイトルロゴは、羽後町歴史民俗資料館館長であり篆刻家である増澤廣(土龍)氏の作品です。
解説文は町内の考古学・歴史研究の第一人者である羽後町立図書館長・秋田県考古学協会会長の鈴木俊男氏が書き下ろしました。
町長、副町長、役場の企画商工課、商工会・・・のみなさんと、「羽後町の文化財」(2003年版)をもとに意見を出し合い、題材となる16種類を選びました。
みんなで力を合わせて制作中です。

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 詳細はこちら、気合いの入った記事をごらんください。
 むむむ、正直、私にはわからんのですが、専門家の生徒たちに言わせると、これはもう信じられないアンビーリバブルなインクレディブルなテリフィックな事態、いや事件だそうです。夢のオールスターなんだとか。そう言われるとそういう気がしてきました。
 う〜ん、これはもしかして羽後町がオタクの聖地になるのか…。いや、なるでしょう。そうすると、既に舞踏の世界では密かに聖地となっていて、実際聖地巡礼の旅が行われているようですから、舞踏家とオタクで聖地の奪い合いになるとか(笑)。まるでエルサレム状態だなあ。絶対融合しないか、実は融合するか…微妙であります。しっかし、すごい組み合わせだなあ。
 ということで、これは私も参戦したい!6月28日かあ…「かがり火サウンドフェスティバル」にウチのバンドふじやまも参加しようかな。いちおうボーカルが羽後町出身だし、ギタリストはPOPさんの仕事仲間だし。あっそうそう、「羽後町観光ガイドマップ」はPOPさんデザインなんだそうです…どこまで神なんだ、ふぅ…。
 とにかく、いろんな意味で羽後町を応援していきたいと思ってます。これもご縁ですからね。とりあえず再来週から秋田を訪ねるので、いろいろと活動してこよっと。

かがり火天国をのぞいて来ました&スティックポスターゲット!

関係記事 『をかし』の語源…『萌え=をかし論』の本質に迫る!

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2008.03.16

『赤塚不二夫なのだ!!』 (NHKハイビジョン特集)

Aka08
 先月、「トキワ荘の青春」を観て、そして長谷邦夫さんの書いた「漫画に愛を叫んだ男たち」を読み、ついでと言ってはなんですが、赤塚不二夫と出口王仁三郎のコラボレーションであるこちらを読んでいましたから、今日のこのハイビジョン特集は特に面白く観ることができました。
 もうとにかく内容が濃すぎて濃すぎて…。まあ赤塚自身をそのまま紹介するだけでも、それは濃くなりますよ。
 古田新太によるコスプレもまあまあ笑えた。でも、バカボンのパパのコスプレは赤塚自身が一番ですね。ちなみに私も一昨年の年賀状でやりました(41歳の春ということで)。
 みうらじゅん、しりあがり寿、喜国雅彦の3人の現役漫画家によるトークもなかなかでしたね。この中で話されていた、赤塚作品における平等性、すなわち天才もバカもみんな同列になってしまう、あるいは平等に差別されるということには、大きくうなずかせていただきました。
 ケンカやいじめや動物虐待という、今では絶対にタブーになってしまった少年期の体験こそが、彼の(あるいはその時代の大人全ての)仕事や処世術の基礎になっているということ、これにはいろいろと考えさせられました。いちおう教育者の端くれとしてね、ちょっと考えちゃいましたよ。汚いもの残酷なものを子どもたちの世界からどんどん排除していくとどうなってしまうんでしょうか。
 学者さんたちによるプロファイリングはちょっと無理があったかな。でも、その、ギャグを学問的に分析するというギャグをですね、NHKはよく理解しているのか、適度にそうしたお偉いさんを茶化して、結果として彼らを救っていました。これは素晴らしい演出だったと思いますよ。
 中でも特に無理があるなと思ったのは、町田健先生の言語学的分析ですね。「これでいいのだ!」というのが相手を包み込むような表現だとおっしゃってましたが、私はそういう印象はありません。これは全肯定、完全断定の言霊であって、周囲を納得させるというより、有無を言わせない神の言葉だと思うんですね。まあ、王仁三郎の霊界物語を言語学的に分析せよというのと同じくらい無理があるでしょうね。
 後半には長谷邦夫さんも登場しまして、当時のプロダクション形式による創作の様子が紹介されました。ここで感心したことは、赤塚不二夫の天才的なひらめき、そして技術はもちろんのこと、なんといっても彼自身が他者のアイデアをどんどん受け入れる柔軟性や包容力を持っているということですね。人の力を借りることによって自分の能力以上のものが発揮されると。
 これはまさにブッダの悟りの境地ですね。才能が溢れているのにそこに溺れず、またそれを必要以上に信じず、そしてそこにこだわらず、ある意味狭小なプライドは捨てて他力を利用するわけです。これは無我の境地でしょう。いや実際忙しすぎてそういう形態になったとも言えますが、それでもやはり才能があればあるほどこういうことを実行するのは難しいことです。
 それにしてもなあ、なんでこの時代はこんなにすごかったんでしょう。作る側も受け取る側も、そして作品もパワフルだったし、妄想力に長けてたよなあ。できれば今回タモリにも出演してもらいたかったなあ。最近のタモリは全く元気ないですから。久々にはっちゃけてもらいたかった。
 赤塚さん、もう6年も意識が戻らないんですか…辛いですね。いや、それこそ夢の中で思いっきりギャグ飛ばしてるんじゃないでしょうか。あるいは出口王仁三郎と会ってるとかね(笑)。意識を失う前の最後の言葉が「あっオッパイだ!」というのが笑えると同時に泣けました…。

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2008.03.15

「DREAM.1」&桜庭和志選手握手会

Dream 「夢」の結末は…(試合結果などはカクトウログさんで)。
 写真は、いじめっ子カルバンが調子に乗りすぎて青木くんを保健室送りにし、先生に怒られてるところです。「ごめんなさ〜い…(泣)」。青木くんも泣いてました。まるで小学校の教室だなあ。
 まあ何といいますか、どうしようもない夢を見てしまったあと目覚めて、なんでこんなバカな夢見たんだよう…っていうのに似た感覚ですね。大晦日での対決が流れ、さんざん引っ張って盛り上げた結果これだもんなあ。お客さん不在だよなあ。
 これは言ってはいけないことなんでしょうが、ノアの森嶋くんは三沢くんのエルボー何十発も受けて、意識がとんでも体がしびれても戦い続け、そして勝ちましたよ(笑)。
 というわけで、私はテレビ観戦いたしました。ミルコもなんだかなあでしたし、正直さっぱり面白くありませんでした。戦極の勝ちですね。ま、ライト級が中心だったので迫力に欠けたのも事実ですけど。あの大きな会場ではきついでしょう。
0016 さて、そのさいたまスーパーアリーナにはウチのカミさんと子どもたちが駆けつけました!えっ?もしかして生観戦したの?…いえいえ、違うんですよ。
 写真が小さくてわかりにくいと思いますが、ウチの子どもたちの服装を見てください。長女はサクTシャツを、次女はスギッチ(秋田県のキャラ)Tシャツを着ています。そうなんですよ〜!「DREAM」が始まる前に桜庭和志選手の握手会があったんです。桜庭の熱狂的なファンであるウチのカミさんは、それに参戦したわけですね。なにしろ、桜庭選手に関しては、試合を観に行ったり、あるいは外堀を攻略したりしてたんですけど、直接お触りする機会はなかったんですから。
 急なことでしたし、決して近くありませんし、また私が仕事なので子どもも連れていかねばならないということで、一時はちょっと無理かなあと思っていたみたいなんです。でも、子どもたちも(なぜか)「行きたい!」と言ってますし、そして私としてもちょっと前に小橋建太選手の握手会に参加させてもらっているので、ぜひ行ってこいと背中を押してあげました。
0018 珍しく3人とも早起きし、さいたまスーパーアリーナに着いたのは握手会開始3時間前。限定300人のところ43番のチケットをゲットしたそうです(結局100人くらいしか集まらなかったとか…苦笑)。握手は実質一人1秒くらいしかできなかったようですが、ウチはいつも突撃力を発揮してそれなりに桜庭選手にインパクトを残したみたいです。
 まず、いきなり長女が3枚のお札(ポケモンカード)を差し出し「これを(息子さんたちに)渡してください!」と言ったらしい。桜庭選手は「お〜っ、なんだこれ?!」と叫んだそうです(笑)。続いてカミさんが握手しつつ、「道場おめでとうございます(?)、秋田なんですよ〜、頑張ってください!」とかなんとか言ったみたいです。そして最後「これ呑んでください!」と山梨の地酒セットを手渡したそうです。ウチだけ7秒くらい独占しちゃったとか(笑)。きっと桜庭選手も圧倒されたことでしょう。昨年の横アリでの秋田弁攻撃に続いてかなりのダメージを与えたのではないでしょうか(笑)。
 そう考えると小橋選手との握手会は良かったなあ。一人一人ていねいに会話してくれましたからね。そのへんももしかして総合とプロレスの違いなのかもしれない。桜庭選手本人もプロレス寄りのキャラですけどね、やはり主催者やスタッフの姿勢が違うんじゃないでしょうか。
 というわけで、カミさんと子どもたちは試合は観戦しないで、そのまま浜松町のポケモンセンターに向かったのでした。そう言えばあの日はレスリングの天皇杯とポケモンの組み合わせでした。今回も格闘技イベントとポケモンだな。不思議だ…と思ったら、単に我々夫婦が自らの趣味を満喫するために、子どもたちをポケモンで釣ってるだけでした(笑)。
 はたして、あの3枚のお札は息子さんたちに渡るのでしょうか、そしてあのお酒は桜庭選手の体に吸収されるのでしょうか。

PS 桜庭選手はトーナメントには出ない(出たくない?)とか。ぜひ出ないでほしい。もう秋山とはいかなる形でも絡まないでほしいな。

!!桜庭選手のサイトにウチの家族が思いっきり載ってます!!こちら!!サクの左手にポケモンカード、右手に日本酒…

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2008.03.14

『理系白書 この国を静かに支える人たち』 毎日新聞科学環境部 (講談社文庫)

06275435 こちらは理科の先生にお借りいたしました。意外に知られていない事実ですが(当り前か)、私は理科の先生になろうとしていたんです。なのに今は国語の先生。いろいろ事情がありましてね。で、さらに遡りますと科学者や技術者になりたかった。
 自他ともに、高校入学までは完全に理系に進むものと思っていたんです。それが高校入学後に音楽に目覚めてしまいほとんど勉強をしなくなってしまった。まず最初についていけなくなったのが数学でした。そんなわけで、あっさり理系はあきらめた…かと思いきや、完全に文系になるのもなんだかそれまでの人生を否定するようでシャクなので、弱理系という道を選びました。それが理科の先生です。教育学部は全体としては文系ですけど、その中の理科ということです。
 しかし、人生はそんなに甘くない。はっきりせい!というどなたかの思し召しでしょう、見事に第一志望の大学には落ち、なんだかよくわからん大学の文学部に進むことになってしまったのです。そして、結局は強文系の国語の先生になってしまった。
 まあ、結果としてはこれがベストだったと思います。いろんな意味でね。つくづく天職だと思いますよ。生徒にもそう言われます。いいかげんでテキトー(良い加減で適当)が通用する仕事なので(笑)。
 それでも、昔取った杵柄、多少理系的な知識や考え方も持っているつもりです。また、無い物ねだりというか隣の花というか庭というか、やっぱり憧れのような未練のようなものがあるのも事実です。次生まれ変わったら美貌の女性科学者とかいいなって(笑)。猿橋賞とか獲りたいな、なんてね。
 さて、そんな感じで、私は理系世界にも大変興味を持っております。古今東西硬軟聖俗左右文理なんでもござれ!ですなあ。これじゃあ一流にはなれないよぉ(泣)。まあ、一流になんかなるつもりは最初からありませんが、妄想としては、もし小学校中学校時代の夢を叶えて、大学や企業やらの研究室にでも入っていたらどうなっていたか知りたいじゃないですか。それでこの本を読んでみたんです。結構リアルですよって、その世界もよく知る理科の先生が言うので。
 う〜ん、読んでみましたよ。ある意味面白くてすぐに読みきってしまいました。たしかに鬱屈した世界ですねえ。華やかな成功譚の裏には様々なドロドロが…。読んでる文系の私でさえ暗澹たる気持ちになってしまった。生徒に「理系」行け!とか言えなくなっちゃうよう。
 この本の基本コンセプトが「理系は報われていない」ですから、当然そういう話満載になりますし、またその原因を日本独特の文系優位社会に求めているわけで、そういう意味で立派な告発本であることもわかりますけどね、しかしここまで悲惨な話が多いと、結果として理系離れを助長するというおそれさえある。少なくとも私は文転してよかったと思っちゃいましたよ。
 もちろん、人間を文系・理系というふうに分けるのはどうかと思いますよ。そういうデジタル的二分法にはいつも違和感を持ちます。でも、仕事上、何千人もの人間を見て来た経験から言いますと、たしかに人間は大きく二つのタイプに分けられるような気もするんです。で、それらが互いに得意不得意を補い合っている。そう、男と女みたいにね。それをごっちゃにして、男女共同参画社会みたいなことを言い出すのは野暮です。お互い補い合うのが共同ですよねえ。この本にもありました。「理系・文系は男と女の関係のようだ。永遠に理解し合えない」って(笑)。いや、理解し合えない違いがあるから共同するんでしょ。つまり、違いは違いで厳然としてあるんで、それを便宜上文系・理系で分けてもいいと、現場の私は思うのです。
 で、その分け方の定義というか基準というのは実に言語化するのは難しい。非常に感覚的なものです。ある意味根本的すぎて言葉にならないのかもしれません。ただ、一つ言えるのは、理系の方が勉強するということです。高校においても理系は文系の1.5倍はやることがあります。数学一つ取ってもそうです。数ⅢCまでやらなくてはならない。場合によっては理科3科目なんてのもいる。大学に行っても、私みたいな強文系の文学部なんかヒマすぎて曜日が分からなくなる(つまり毎日が夏休み)。一方の強理系は実験やら実習やらが忙しすぎて曜日が分からなくなる(つまり毎日徹夜や泊まり込み)。
 それなのに、本書によれば、理系の生涯賃金は文系より5000万円も少ないという。まあ、どういう比較なのか疑問な点もあるんですけどね。たとえ同額でもたしかに不公平な感じはします。それだけではなく、いろいろな不公平がこの本では紹介されていますよ。そこまでかなあ…っていう気もしますが。
 で、話としては当然共同参画になっていく。男と女仲良くしましょうよ、みたいに。リベラルアーツ的にあるいは学際的な方向に行きましょうと。まあそれもよく理解できます。江戸時代なんかは文・理のバランスが良かった。そういうふうにしましょうと。
 でもですねえ、私は思うんですよ。江戸とはあまりに環境が違う。世の中の仕組みが違いすぎる。すなわち市場経済という化け物に支配されている現代においては、理系はなかなか浮かばれないと思うんですよ。アメリカは理系天国だと言っても、それは勝ち組により多くの報酬が与えられているというだけで、ある意味単なる弱肉強食だと言えなくもありません。
 理系は無常性・不随意性を持つ「モノ」の中に潜む真理(マコト)を追究し、それを「ヒト」のための価値として創造して商品化する。つまり、疑似的であれ刹那的であれ(つまり真理ではないんですが)、無常性や不随意性に対抗して、長持ちし思い通りにコントロールできる商品を開発するわけです。そこには単純な数値化される勝ち負けが存在します。一方の文系は最初から「コト」の中のフィクションを追究していますから、そのウソ臭さをクッションにして「いいかげん」に「テキトー」に市場経済のリング上で真剣勝負を避け続けます(プロレスみたいなもんだな)。ですから、まじめに勝負を挑む理系にダメージが多いのは仕方ないんですよ。
 で、困ったことは、そうした市場経済のリングを作ってきた張本人が理系の人々だったということです。産業革命を招来し資本主義を確立してきた主役は理系の人々でした。サブタイトルにあるとおり現代社会を支えてきてしまったんですね。そこのところの自己撞着をどう始末するのか。私は最終的にそういう虚しさを感じてしまいました。
 まあ、でも今はプロレス派の私も、どこか総合格闘技もいいかなと思っているように、そういうリングに命をかけて逃げも隠れもせず臨む理系の人たちに憧れを持っているのも事実でして、やっぱり来世は美貌の女性科学者になりたいな、なんて思っちゃいます。それも薄倖のね(笑)。

Amazon 理系白書

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2008.03.13

『計算力が強くなるインド式すごい算数ドリル』 赤尾芳男 (池田書店)

26214735 そろそろ受験シーズンも終わりを告げます。今年の教え子たちも本当によく頑張ってくれました。お疲れさまでした。
 さて、彼らを見ていますと、最近計算力が下がっていることを感じます。理系で数ⅢCとかバンバン解いてるヤツとかでも、簡単な足し算やかけ算がちゃんとできなかったりするんです。
 たとえばセンター試験や模試の自己採点をするじゃないですか、その得点を合計したり、得点率を出したりする時に、すぐに電卓やケータイを出してポチポチやっちゃうんですよね。つまり安産…じゃなくて暗算ができない。
 面倒くさいんでしょうか、ずうずうしいヤツになると、私にやってと言い出す。で、私はむか〜しソロバンをやってましたし、仕事柄単純な計算はよくやるわけで、まあフツーのレベルでパッと暗算するんですよね。そうすると、すごいね、と言われる。おいおい、こんな難しい問題で正解してるお前の方がずっとすごいじゃん!やっぱり面倒なんだと思いますよ。
 そんなわけで、クラスの中でもソロバンをやってたヤツは他人のものまで計算するはめになります。点数の合計はあいつにまかせろ、みたいな。とっても繁盛してます。で、尊敬されたりする。
 珠算式暗算、すなわち日本式計算法というのが実は世界最強じゃないかと思うんです。イメージ式、右脳式の暗算ですよね。よくいるじゃないですか、暗算世界一みたいな少年とか。あれってみんな珠算式でしょう。
 しかし、考えようによっては、あれは数字を計算しているのではなく、ある種の作業をやって、その映像を読み取っていることにもなります。数字を図形の世界におきかえている。抽象的なものを具体的なものに変換している。だから、その場にソロバンがなければ何もできなくなってしまうわけです。いや、もちろんその場というのには、脳内も含まれますよ。脳内のソロバンまで紛失してしまったら、どうしようもないわけです。
 その点、最近はやりのインド式計算法は、直接数字を扱うので、基本的には道具の必要はありません。結局は普通の計算を、人間の脳ミソの特性に合わせて、ちょっと遠回りにやるという感じでしょうか。急がば回れ。
 …ということをこの本で知りました。数学の先生に借りて読んでみたわけですが、あくまで読んだだけで、ドリルは一つもやりませんでした。けっこう面倒だからです。それに、ほぼ半分のインド式テクニックは、今まで私も自然にやっていたものだったんで。これは、どこかで誰かに教わったのか、それとも自分であみ出したのか、そのへんはちょっとよく分かりません。父親からかなあ。父親は計算が仕事だったからなあ。
 特に「オレもフツーにやってるぜ」と思えたのは、キリのいい数にしてしまって、あとで修正するという、いわゆる「補数」の考え方に基づく遠回りですね。皆さんもよくやってるでしょう。19×28とか。19を20にしちゃって、あとで28ひくみたいな。
 あと、5をかける時は、かけられる数を半分にするとか、1000円札を出した時のおつりの計算方法…9の補数を使うやつですね…とか、9で割るときは1割増しにするとか(これセンターの得点率出す時によく使うんですよね。900点満点なので)。
 そうしますと、日本式とインド式を使い分けたり、組み合わせたりするのが、どうも最強といいますか、最も能率がよく、また人間的なのかもしれませんね。やっぱり学校で珠算とインド式計算法と両方教えるべきだよなあ。あと、電卓禁止令も出さなきゃ。
 ああそうそう、電卓(テンキー)とケータイ(電話)の数字の配置って上下逆じゃないですか。あれって統一できませんかね。もう無理か。

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楽天ブックス 計算力が強くなるインド式すごい算数ドリル

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2008.03.12

縦書き文庫

 国語の教師だからでしょうかね、いや、単に日本人だからでしょう、とにかく私は縦書きが好きです。本当ならこのブログも縦書きで執筆・公開したいところです。しかし、インターネット・ブラウザ上で縦書き表示をするというのは案外困難でして、今までも先達のお知恵を拝借していろいろやってみましたが、ブログという形ではどうにもうまく行きませんでした。このような素晴らしいサービスもあるにはあるんですけどね、まだ一般ユーザーには提供されていません。残念。
 最近全くの放置状態になっている本体「不二草紙」は、縦書きが基本になっています。これはFreeway Expressというソフトを使って作っておりまして、テキスト入力したものを縦書きの画像に変換してくれる機能を利用しています。なお、そのコンテンツの中の「随想駅伝」…たすきが途絶えております(汗)…はpdfで縦書きにしています。画像の場合はファイルが大きくなりますしコピペもできません。検索にももちろんひっかかりませんね。pdfもプラグインが必要だったり、読み込みに時間がかかったりして、なんとなく不自由。両方ともきれいなのはいいのですが、手軽さに欠けます。
 そんな状況の中で、最近注目していたのが、こちら縦書き文庫さんです。基本的にHTMLによる縦書きを実現してくれていまして、ブログへの貼り付けにも対応しています。さっそく登録して使ってみましたところ、なかなか便利でしたのでここに紹介しておきます。
 本来は自分の文芸作品を公開して読んでもらったり、青空文庫収蔵の作品をブラウザ上で手軽に縦書きで読んだりすることを目的に開発したものですから、このような使い方は邪道なのかもしれませんが、ブログ上で手軽に縦書きを実現したいと考える人々にとっては、まさに「神業(かみわざ)」的なサービスの登場と言えるのではないでしょうか。ありがたや。
 まず試験的に不二草紙の随想駅伝の一つを縦書きにして貼り付けてみますね。吉井和哉さん関係でよく引用している「大切(←クリックするとpdfが開きます)」です。

 どうですか?なかなかですね。全画面への切り替えもできますし、フォントなどの調整も可能です。HTML方式で生じる、「っ」のような小さい字の不自然な配置はいたしかたないとして(Windowsではその問題も解決してるようですね)、その他は非常によくできていると思います。
 まだ開発中ということですから、これからどんどん改良されていくことでしょう。
 全世界のブログの3分の1以上が日本語で書かれているとか。この際、思いっきり縦書きブログを増やして、世界に縦書きを広めましょうか…無理無理。

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2008.03.11

“Wonderful&Beautiful”レミオロメン TOUR 2008 at 山梨県民文化ホール

Remio08 レミオロメンの山梨凱旋ライヴに行ってきました。今回はなかなかチケットが取れず、半ばあきらめていたんですが、最後の最後の追加販売でようやくゲットしまして、本当に急遽参戦することになりました。
 まず結論から一言申しておきますと、非常に感慨深いコンサートでありました。じっくり彼らの良さを堪能することができ満足です。
 彼らはUNDER THE SUN以来の山梨県民文化ホール。今回は2daysでして、明日はカミさんが参戦です。あ、そうそう、不思議なのは、今日私が座った席に明日カミさんが座るということです。今日の分(2枚)は私が取り、明日の分(1枚)は知り合いに取っていただいたんですが、両方すんなり取れただけでなく、なんと同じ席とは…偶然にしてはうまく行き過ぎですね。ミキサー席のすぐ横という、鑑賞には最高の良席ですし、いったいこの最終追加販売というのはなんだったのでしょう。ま、いずれにせよ、非常にラッキーでした。
 私はなんだかんだ言って滑走路ライヴ以来なんですよね。今日のMCにもあったようにHORIZON以降、彼らは軽く都会(市場経済)の森に迷い込んだようなところがあって、はたで見ていてもちょっと辛かった。しかし、彼らは原点に帰ってじっくり曲作りをするという行為を通じて、次第に本来の明るさや素朴さを取り戻していきました。そして、今日、本当に一皮むけた彼ら、でもどこか懐かしい彼らに出会えて、正直ほっとしました。私もまあいい歳ですけど、なんというか、やっぱり親心だな、こりゃ。そういう気持ちにさせるバンドというのも珍しいですね(笑)。
 ライヴそのものの雰囲気は、やはり地元ということもありまして、非常に盛り上がりましたし、演奏者も観客も独特の身近さからか、とてもていねいに音のコミュニケーションをしていたと感じました。もちろんほかの土地でも手を抜かないのは当然でしょうが、しかしやはり地元ならではの温かさでしょうかね、心のこもった音と空気が心地よかった。
 まだツアーは続きますので詳細は避けますけれど、なにしろ曲目がよろしかった。彼ら自身、原点を確認するという意味をこめたセッティングだと思います。正直申しまして私の好きな曲目白押しでして、まるでマイベスト盤をシャッフルで聴いているような錯覚に陥りました。アルバムのプロモート的なコンサートが横行する昨今、このような本来の形、あえて言うなら演歌歌手のコンサートのような内容(?)が聴けたことは幸せでした。これもひとえにレミオの皆さんのアルバム制作が遅れているおかげです(笑)。
 さて、ここから恒例の音楽的感想を書きましょか。
 まずは、演奏から。えっと、どこから書こうかなあ。やっぱり一番印象に残ったことから。やっぱり前田くんのベースはうまい!!これでしょう。私は古楽をやってるせいか、あらゆる音楽をベースで聴いてしまう(よって周囲の人とノリ方が違っちゃう)ので、こういう感想になるのかもしれませんね。いや、彼のベースはいつ聴いても安定しているし、独特のメロディアスなランニングは非常に個性的ですよ。前田家のリズムの正確さはこちらに書いたとおりです。ライヴ用のヴァリエーションも頻繁に聴かれまして、少しやりすぎかなと思われるところもありましたけど、まあ、ギターもドラムも暴れないバンドなんで、彼がああやって動かないと平坦な演奏になっちゃうのかな。いずれにせよ、非常にいい仕事をしていました。
 神宮司くんのドラムは、まあいつも通り。もっと男らしく叩けよ!と思ったのは昔のこと。今やあの省エネドラミングと彼のキャラこそレミオの個性の根幹だと信じて疑わなくなりましたよ。いつまでも今のままでいてください。それにしても彼は天然系ですね。そこが萌えなのか、ほんとキャーキャー言われてました。お決まりの終了後の独り舞台も面白かった。妙な余韻を残してくれるいいヤツですね。
 さて藤巻くんです。今日は声もよく出ていたし、音程も彼にしてはかなり安定していて(失礼)、安心して音楽に没頭することができました。逆にあの親心的緊張感が湧かず、物足りなかったとも言えなくもない(?)。そう、今回のツアーから、サポート・ギタリストの工士くんが加わりましてね、藤巻くんはある程度ヴォーカルに専念できるようになった、というのも大きいかもしれません。
 その工士くんですけど、どうなんでしょうね。藤巻くんにとっては心強い援軍と言えるでしょう。でも、彼には申し訳ないんですけど、ちょっと全体として見た時、彼自身が生きているかどうか、少し疑問にも思いました。彼自身のギターのキャラからしますと、もっと派手に食い込んできて今までのレミオとは全く違う音にしてしまった方が良かったかも。結局それは出来ないので、なんとなく可哀想な感じもしました。1曲くらい強烈なソロを弾かせてあげてもよかったのでは。そうでないならローディーさん+αとして裏方で音を出している方がいいような。まあ、彼にとってはいい修行かな。上手ですし、人柄も良さそうですし、この経験を今後に活かしてもらいたいと思います。
 キーボードの皆川さんは、もうすっかりレミオのメンバーという感じですね。公私ともども本当にお世話になってますという感じですよ。今日もきっちり仕事してました。ところで、主にストリングスの音なんですが、あれは裏方さんが出しているのか、あるいは打ち込みもあるのか、いずれにせよ、実際には皆川さんが3人くらいいるように聞こえましたね(笑)。
 で、全体としては、大所帯になった分、ますますスリーピース的な音からはかけ離れてしまったという感もぬぐえませんでした。そうして古い曲を演奏するわけですから、そこには新鮮な感じと微妙な違和感が同居せざるをえません。私はなるべくプラス方向に考えようとしましたけれど。
 彼らの曲の特徴や魅力については、今までずいぶんと語ってきましたので割愛いたします。ただ、こうして彼らの歴史を振り返るようなプログラムを聴きますとね、やはりずいぶんと都会的になったな、洗練されてしまったなとも思います。それはもちろん基本成長であると思います。昔のように粗削りになれなんてことは言えません。でも、また1曲くらい、カッコつけない、いや田舎もんがカッコつけたような曲を作ってほしいなあ…なんてわがままな願いでしょうか。
 というわけで、全体としては、本当に楽しく充実したライヴでありました。大満足でしたよ。またいつでも山梨に御坂に帰ってきてください。タクシーで帰ってこれる距離だから(笑)。それでは、明日のカミさんにバトンタッチです。楽しんでこいよ。

“Wonderful&Beautiful”レミオロメン TOUR 2008 at 静岡市民文化会館の記事へ

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2008.03.10

『風かおる草原 中央アジア』(はじめての民族音楽シリーズ)

46fh 小学校2年の娘がなんだか泣きながら教科書を読んでいるので、そんなに勉強がいやなのかと思ったら、どうもちょっと違うらしい。のぞきこんでみると、おお懐かしい、「スーホの白い馬」ではありませんか。まだ教科書に載ってるんだ。40年ちかく前、私も小学校2年生の時読んだ覚えがあります。定番教材なんですね。
 で、娘は白馬がかわいそうすぎて泣いちゃってるわけです。むせんで朗読の宿題が一向に進まないと。あれ?どんな話だったっけ。そんなに悲しい話だっけ。よしパパが読んでやる。ということで、いちおう国語の先生であもあるし、たまにはかっこいいとこ見せてやろうと思って読み始めたら、あらら確かにこれは悲惨な話だ。教育上よろしくないんじゃないのか、というくらい残酷なお話ですね。泣きはしないけれど、けっこうショックですねえ。
 読み終えた私は、馬頭琴の音を聞かせようと思って、二階のCDコレクションをあさり始めました。たしか「草原のチェロ」という馬頭琴だけのCDを持っていたはずだ。15年ほど前、ある方のお宅で、モンゴルからツアーに来ていた馬頭琴奏者の方とジャムセッションをやったことがありまして、その時にすっかりその音色に魅了され、さっそくCDを買ったのでした。しかし、そのCDが見つからない。
 代わりに見つかったのが「はじめての民族音楽」シリーズ「風かおる草原 中央アジア」です。ああ、こんなのも買ったっけな。1曲目が馬頭琴による演奏「ボー・ジンホア」です。これをかけながら娘に朗読をさせたんです。この音を聴きながら、スーホや白馬の気持ちを考えて読みなさいって(笑)。それは酷ですよねえ。よけい悲しくなる。哀愁の音色ですから。
 いやあ、いいですねえ。馬頭琴やホーミーのモンゴル音楽もいいんですが、その他のカザフ、キルギス、ウイグル、タジク、ウズベク、トルクメン、アゼルバイジャンの音楽。音階やリズムが実に多様です。もろにシルクロードですからね。けっこう西洋モードに入ってる曲もある。かと思うと、これは完全に日本の民謡ではないかというものもある。
 まあ民族音楽と言っても、完全に古いものが残っているわけではありませんからね。楽器にしても、たとえば馬頭琴なんかずいぶんと改良されてしまい、それこそチェロみたいになってしまいました。木製だしf字孔はあるし魂柱は立ってるし弦もナイロンだったり。その他の地域の楽器にしても、案外日本の正倉院のものが最も古いオリジナル楽器だったりするんですよね。
 そうそう、「スーホの白い馬」では、死んだ馬の骨や皮を使ってモリンホール(馬頭琴)を作りますが、今や馬頭琴にはほとんど馬の体の一部は使われていません。せいぜい弓の毛(馬のしっぽ)くらいかな。昔は弦もしっぽをよって作ったんですけどね。弦が雄のしっぽ、弓が雌のしっぽ…あれ?逆だったっけな。
 ところで、「スーホの白い馬」という話、モンゴルではほとんど知られていないらしいですね。モリンホール誕生譚としては「フフー・ナムジル」が圧倒的に有名です。こちらは不倫のお話。愛人に「これで通って来て」と羽の生えた駿馬をプレゼントされ、夜な夜なそれに乗って奥さんにナイショで飛んでくんですよ。それで朝帰りする。でも最終的にばれて、激怒した奥さんがでっかいハサミで羽をヂョキンと切ってしまう。それで馬は死んじゃうんですね。ショックで男はその馬の皮やなんかを使って楽器を作るんですよ。こっちは悲しいというより恐い話ですね。ダンナが金持ち女のヒモだったことを知った奥さんが、女が買い与えた高級車をボッコボコにぶっつぶす…みたいなもんかな(笑)。こりゃあ、教科書には載せられないな。

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2008.03.09

土方巽・生誕80年記念  HOMAGE TO HIJIKATA vol.1 舞踏・新研究フォーラム2008

057thijikata1〈舞踏公演〉 「淵舞い」
小林嵯峨(舞踏)
石川雷太:Erehwon(音楽)
アイカワ・マサアキ(照明)             
〈鼎談)「60年代から70年代への土方舞踏の転換のことなど」
細江英公(写真家)
森下隆(土方巽アーカイヴ・NPO舞踏創造資源)
小林嵯峨(舞踏家)
ナビゲーター 河村悟(詩人)

 今日は土方巽の80回目の誕生日。目黒の東京都庭園美術館で行われたイベントに夫婦で行ってきました。
 細江英公さんによる土方巽を被写体とした傑作写真集「鎌鼬」にまつわる不思議な縁を持った(持っていた)私たちは、非常に楽しみにしていました。
 第1部は、土方のお弟子さんであり、今や舞踏界の重鎮でもある小林嵯峨さんの舞踏公演「淵舞い」が披露されました。
 私は生で舞踏に接するのは実のところ初めてです。自分がそれらしいことをしたことはありますが…昨日もある意味したのかな(笑)。
 平らな会場にぎっしりの観客、私は最後列でもあり、彼女の姿はほとんど見えませんでした。周りのお客さんたちも、あちこち頭を動かしたり、腰を浮かせたり、瞬間立ち上がったり、席を離れて見える位置に移ったり、あるいはブツブツ漏らしたり、しまいには寝始めたり。これは非常に面白かった。
 最後列からそうした会場を見ますとね、みんな舞踏してるんですよ。みんな嵯峨さんの姿を見たい、でも見えない、かと言って立ち上がると後ろの人に迷惑。この不自由さ。みんな足がちゃんとあるのに、しかし全く機能しないという演劇的不具性。
 嵯峨さんという「ヒト」と、椅子という「モノ」と、ある種社会性という「コト」に、みんな縛られて全く自由に動けない、生きられない。それを意識したのかどうかはわかりませんが、私はこの舞台は大成功だと思って見ていました。いや、見ていたのではないですね。感じていたんだと思います。見えないんですから、もう「目」を捨てるしかないじゃないですか。なるほどこれが「暗黒」か!私にとっての「暗黒」が「明白」になった瞬間でした。
 のちの鼎談の中で、詩人の河村悟さんがおっしゃってましたが、見えないところに見えてくる「モノ」というのがあると思います。その鼎談の中で提示されたテーゼ「舞踏家の目はどこにあるのか」ということ、その答はそんなところにあるのではないでしょうか。それは質問ではなく反語的な表現であり、土方は「舞踏家に目はいらない」ということを言おうとしたのでは。「目」すなわち「視覚」こそ、西洋的価値世界(私の言うところの「コト」文明)の最も重要な入り口であり、それは私たちの「土俗(モノ)性」からすると、最も邪魔な器官であるはずです。
 垣間見する自分と、その対象と、その空間や時間における生命力。それはまさに「目(視覚)」を頼れないところに生じる想像力や想像力であったと思います。とっても卑近なイメージでたとえますと、ケータイを忘れた時の現代人の不安ですよ。あの物狂おしさと、それを超えた時によみがえる妄想力。
 さて、それでもちらっと見える、あるいは影としてのみ見える嵯峨さんの舞踏自体ですが、それもまた不自由の中の自由を感じさせるものでした。西洋のダンス(舞踊)は、自らの体をコントロールすることによっていかに重力に逆らうかということを一つのテーマにしています。しかし舞踏は違います。まさに「踊」ではなく「踏」ですね。重力から永遠に逃れられない「体」、特に「足」が大地を踏む。踏むという行為は重力に逆らうのではなく、その逆、重力に加担するわけです。植物が根を張るように奥へ奥へ、中心へ中心へと重力をたどっていきます。そうして身動きできない自分が創出されていく。
14081274 鼎談を聞きながら感じたこととも通底します。そう、土方や舞踏を「言葉」にすることの難しさ。「言葉」という文明的暴力的な道具で概念化しよう、飛翔しようとしても、なかなかそれは能わない。根付いたものをむしり取れば、それは単なる生け花にしかなりません。生け花の価値は認めます。しかし、土方や舞踏は生け花には成り得ません。抵抗します。河村さんは詩人さんですから、その矛盾に大変苦しんでおられた。詩というのはそういうふうに元来暴力的で残酷なものです。
 そうしますと、土方巽の創造行為というのは、「体」による「体」の限界の表現、「言葉」による「言葉」の限界の表現、「命」による「命」の限界の表現ということもできるかもしれません。そして、それぞれの「限界」を表現することによって、自己の体や言葉や命の背後に、もっともっと豊かな何かが存在することを証明していく、そうした行為だと言えないでしょうか。限界が無限の広がりを示すのです。不自由によって獲得する自由。
 土方巽の命日のちなんでという記事にも書きましたとおり、彼の舞踏というか彼の存在自体が、意識以前の「モノ」であり、それはすなわち、西洋的な「コト」文明へのアンチテーゼであったと。彼と同郷のカミさんに言わせれば、それは非日常でもなんでもなく、極日常なんだそうです。暗黒や恐怖や秘め事や物の怪の方が日常であり、西洋文明的な我々現代人の日常こそが実は非日常であると。なるほど。
 まあ、こんなようなことを私の小さな脳ミソは感じたり考えたりしまして、「何か(モノ)」に対する受信機が非常に活性化いたしました。細江さんが、会場に土方の霊が来ているというようなことをおっしゃってましたけれど、私も実はそれを感じてずっと鳥肌を立てておりました。
 さてさて、ひと通りプログラムが終了したのち、レセプションとなりました。私たち夫婦は全くの門外漢でありながら、得意の突撃力を発揮いたしまして、いろいな方とお話させていただきました。
 まずは、土方巽 絶後の身体の著者であられる稲田奈緒美さんをつかまえて、秋田と土方を囲む人たちについて少し。
Hosoe 続きまして、憧れの細江英公さんに突撃。「鎌鼬」と田代にまつわる貴重なお話をいただきました。西馬音内盆踊りにおけるリズムに乗らない「自由」の話は、音楽に携わる私としては非常に興味深かった。そして、我々に一つの使命を与えてくださったので、ぜひともしっかり実行してきたいと思います。カミさんは細江さんとツーショット写真まで撮ってご満悦。う〜ん、世界的な写真家を被写体にカメラを構えるというのも妙に緊張するものだなあ(笑)。やたら手ブレしてます。
 そして、カミさんの痛い腐女子ぶりに呆れてしまったんですけど、なんと彼女、小林嵯峨さんに突撃して、自らの「モノノケ性(動物性)」について語っちゃってました。なんだかけっこう盛り上がっていて、私の入る余地は全くありません。しまいにはカミさん、舞踏のカリスマの前で、なんちゃって舞踏をやり始めちゃったんですよ!あえません。調子乗るなっつうの!嵯峨さん引いてましたよ。口では「うまい、うまい」って言ってくれましたが(笑)。全く恐いもの知らずというか、神をも畏れぬというか…ある意味大したもんです。やっぱ物の怪なのかも(笑)。
 ま、それはいいとして(あまりよくないが)、非常に充実した時間を過ごさせていただきました。この経験と思索をもとに、月末に「鎌鼬の里」を訪れます。今後、これがどう発展していくのか、楽しみであります。

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2008.03.08

ホテル鐘山苑

Maid34 今日は職場の後輩の結婚式でホテル鐘山苑に行ってまいりました。
 ワタクシは余興として久々に「メイドとオタクの饗宴」のオタク役をやらせていただきました。すみません、神聖なお式を汚すようなことをいたしまして…そして、校長先生、呆れないでください…笑。写真がないので、古いものを再利用させていただきます。結婚されたのは、後列中央でオタクを演じた青年であります。後輩くんよ、あらためておめでとう!
2003070024 地元では結婚式・披露宴といえばこの鐘山苑です。このあたりは結婚式が全国レベルで派手なことで有名です(…でした、かな。最近だいぶ地味になりました)。なにしろ、何百人もお客さんを呼ぶので、全国チェーンの某結婚式場では入りきれず、実際それらがつぶれてしまうほどなんです。で、地元に根ざしたコンセプトと施設を持つこの鐘山苑の独占状態となっているですね。仕事柄結婚式に呼ばれることが多いのですが、今までここで行われた最大規模の式は、え〜と、たしかお客さん800人!でした(さすがに一部屋に入りきれず2会場に分かれてたと記憶しています…ところで誰の結婚式だったっけ?ww)。
 さて、この鐘山苑、第33回「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で第10位にランキングされたんですよね。地元民にとっては、正直結婚式場の印象しかなく、ホテルとしての魅力はよくわからなかったんですけど、案外(失礼)質が高かったんですね。
 今日もフロントに教え子がいて、懐かしい再会をしました。ウチの卒業生がたくさんお世話になってるんですよ。そして、私も学生時代、式でヴァイオリンや琴を弾くバイトをさせてもらってました。カミさんも長いこと式のフロア係のバイトをしていたようです。ですから、なんとなく今回のランキングは我が事のように嬉しく思いました。
 ここ数十年にわたってダメダメな富士吉田市にあって、唯一頑張っているという雰囲気があります。富士五湖地域の中心に位置するとはいえ、実際には近くに湖があるわけでもなく、比較的最近まで温泉も出なかった微妙な場所にあるのに、たしかに昔から繁盛していました。おそらく経営者と社員のアイデアと努力の結果なんでしょうね。県外の人に聞きますと、富士五湖観光においてこのホテルに泊まるというのは、けっこう贅沢なことのようです。
 立地条件は微妙ですが、同ランキングで全国5位になった料理や、いろいろなイベント、個性的な施設など、内容で勝負してるんでしょうね。ただ、1階のロビーは、高級ホテルで落ち着きたいお客様と、結婚式で酔っぱらった地元のオヤジたちが渾沌としており、ちょっとどうかなと思いますねえ。入り口を別にした方がよろしいのでは…。
 ところで、人数の多い結婚式披露宴に出るメリットというのは、新しい人脈の開発にあります。ふだん知り合えない意外な方との交流が図れるというのは案外楽しいものです。今日もいろいろな方と杯を交わしながら盛り上がりました。中でも、笛吹市の副市長さんとのレミオロメン談義は楽しかったっす。そうそう、来週のレミオロメン山梨凱旋ライヴのチケットがギリギリ取れまして、夫婦ともども参戦することになりました。それを前にしての副市長さんとの出会いはまた格別だったわけです。
 ああ、いろいろと楽しかった。いい結婚式でした。あらためて、本日結婚されたお二人と両家の皆さんに「おめでとうございました」と申し上げます。

ホテル鐘山苑

お甲斐ものなび

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2008.03.07

戦極〜リアルな強さとは

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 非常に遅くなりましたが、感想やら思索やらを。試合結果などはカクトウログさんでどうぞ。
 まあ、便利な時代でして、お金を払わずともちょっと待てばこうして全戦鑑賞できるんですよね。ありがたい。で、ようやく全試合観ましたので。
 まずは御存知ない方のためにちょっと解題を。「戦極」とは、2007年に活動を停止したPRIDEの選手やスタッフの受け皿として発足した、ワールドビクトリーロードが主催する総合格闘技イベントのことです。ワールドビクトリーロードの中心になっているのは、木下工務店、ドン・キホーテ、日本レスリング協会です。
 いずれにせよ、なんとなくすっきりしない形で消滅してしまったPRIDEに対する、(私やカミさんなんかも含めた)ファンの愛情や情熱のようなものの、一つの行き場所として、この「戦極」という場所が生まれたわけです。そういう意味で、HERO'Sや昨年末の「やれんのか」、そして近く開催される「DREAM」との関係などを書き始めると逆に面倒なことになるので、今日は純粋に「戦極旗揚げ戦」についてのみ述べようと思います。
 まず、正直な一言。「プロレスラーは強いんです」…藤田和之選手とジョシュ・バーネット選手が、ああいう勝ち方をしてくれまして、プロレスファン(心のプロレスラー)としては、はっきり申しまして、かなり大量の溜飲を下げました。もちろんいろいろな見方があるのを承知でもう一度「極」言しますと、「プロレス最強」だということです。
 その象徴的なシーンが冒頭のバックドロップです。おそらくこの大会中、最も沸いたシーンでしょうね。そう、メインの試合開始早々、ジョシュが吉田秀彦に豪快なバックドロップを見舞ったのです。この美しいバックドロップを見て、私は「アントニオ猪木vsウィレム・ルスカ」と「三沢光晴・力皇vs小川直也・村上和成」を思い出しましたね。前者はプロレスラー対柔道金メダリストという意味で、後者は…まあいろいろな意味で(笑)…そうそう、この試合の解説者席に、なんと当の吉田秀彦さんが座ってるんですよ。なんの因縁でしょうねえ。
 戦極は「リアルな戦い」「本物の闘い」を見せるということを標榜しています。ここでいう「リアル・本物」と「プロレス」との間に違和感を抱く人もいるでしょうね。でも、私は今後、格闘技は再びプロレス寄りになってくると思ってますよ。その象徴がこのメインの試合だったと思うんです。
 「戦い」の本義が、優劣・雌雄・勝敗を決することであることはたしかです。しかし、その判断の基準は多様であっていいと思います。結局、ここ10年くらいのいわゆる総合格闘技ブームの浮沈を見ると、その多様性に選手や観客や運営会社や放送局がどう対処したかが問われているな、と感じるんです。
 あえて非常に分かり易い言い方をしますと、「いじめっ子」が本当に人間として強いのか、もしかすると「いじめに耐えている子」の方が強いのではないか、そういう視点も当然あるだろ、ということです。
 リアルな本物の強さの表現というのは、それこそ多様であって、ただ相手を打ちのめすだけではないはずです。プロレスには、そういう、単なる市場主義的なものではない、あるいは弱肉強食的ではない、優劣・雌雄・勝敗というものがあります。自然界で本当に一番強い生物は何かと問われて、皆さんならどう答えますか?ライオンでしょうか。人間でしょうか。ゴキブリでしょうか。目に見えない細菌でしょうか。いろんな基準や価値観が存在しますよね。
 そういう多様性を、あえて単純な図式の中で見せるのがプロレスであると、私は常々思っているんですよ。ですから、戦極が「リアル・本物」を標榜して、プロレス寄りの試合を見せてくれたことに喜びをおぼえたんです。総合の世界もようやく健全な状態に戻りそうだなと。
 三沢さんだっけかな、誰かが言ってましたっけ。総合格闘技には夢がないと。少年の頃憧れた、空を飛び、人間離れした動きをし、やられてもやられても立ち上がり、最後は必殺技で大逆転、というスーパーヒーローを体現する、そういう夢の実現がない。常人からは考えられない「非常性」…それは網野義彦的に言えば、まさに現実社会に対する「アジール」です…こそが「プロ」のスポーツの正しいあり方でしょう。お客さん不在の個人的な戦いは、私には「修行」にしか見えません。他人の修行を観ることに意味がないとは言いませんけど、お金を払ってまで観ようとは思いませんね、私は。
 ということで、今回のMVPは圧倒的大差でジョシュ・バーネットです。彼はいろいろな方法で強さを見せてくれました。現実に「夢」を混入させてくれた。そしてそれこそがリアルな強さの表現だった。
 彼は自身の中に自然に多様性を身につけた素晴らしい選手です。まあ、単なるオタクとも言えますけど(笑)。そんなところもまたカッコいいですね。こちらをご覧になれば彼がいかに「世界最強のオタク」であるか分かりますよ。
 しかし、皮肉なことですね。オープニングの煽りVにもありましたけど、対する「DREAM」を意識して、「まだ夢を見ているのか」みたいなことを言っている「戦極」が、こうして「夢」を継承してくれた。そう、そうした「夢」こそが「リアル」なんですよね。個人的に「夢を見る」のではなくて、「夢を現実にして見せる」ことこそが、プロとしての仕事だということです。
 私の「モノ・コト論」で言えば、私たちにとっての「物の怪」たちの仕業こそ、この世の本質を象徴してるってことですよ。そういう意味で、私は、プロレスラーであるジョシュや桜庭和志が総合の世界で頑張ってくれるのを純粋に応援したいんです。
 結局、長々と語り始めてしまいました。終わりそうにないんで、今日はこのくらいにしときますか。ジョシュのバックドロップはYouTubeの戦極ダイジェストでどうぞ。

 PS この前、アマレス関係の方と、そして教え子で総合をやっているヤツとも話したんですけど、やっぱりアマレス選手の就職先として、総合はあまりにハイリスク・ハイリターンなんだそうです。プロレス界を再興しないとアマレス界もジリ貧になってしまう。やっぱり60過ぎまでしっかり働ける場が大切ですよね。

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2008.03.06

「うたばん」より「松田聖子カラオケ選手権」

Seiko08 ああ、もうすぐ聖子さんのお誕生日ですね!おめでとうございます!
 ふつう、女性の年齢には触れないのが常識ですが、なにしろ「神」でらっしゃるので、人間界の時間の観念に則ったそうしたつまらぬ遠慮など意味を持ちません。千代に八千代に…まさにイワナガヒメの永遠性とコノハナサクヤヒメの美しさとを兼ね備えた究極神「松田聖子の命(みこと)」は、四十六の齢になられまする。
 その記念に行われました「うたばん」内での特別コーナー「カラオケ選手権」は非常に面白かったっす。まず、ファンとして登場したゲストが私としても身近な方々でしたね。
 バレーボールの大林さん…は、あれ?別に今まで何の関わりもないか。しかしデカイな。
 そして対照的にかわいらしいのが、お約束で大林さんのお隣に座らされた米良美一さん。実はですねえ、彼とはですねえ、なんと!一緒にカラオケやったことがあるんですよ。それも松田聖子を熱唱したんです!まだ彼が学生の時ですかね。私が実行委員を務める古楽の祭典「都留音楽祭」に生徒として来てましてね(そう、彼は古楽の人なんですよ。こんなに有名になるとは…)、夜の恒例の宴会の続きかなんかでカラオケですよ。もう、とにかく松田聖子命(いのち)という感じでして、尊敬する歌手は聖子さん!と公言して憚らなかった彼が、とうとう生聖子さんとの共演を果たしたわけです。そんなことを知っている私としましても、今日の番組は感無量でした。彼もいろいろありましたが、再び声が出るようになって、ホントに良かったですね。
Etys 続きましては、角田信朗さん。まあ格闘技好きの私にとっては、非常に身近な方です。彼は英語もうまいし、なにしろ歌もうまい、まさにタレントさんですね。彼の歌った「青い珊瑚礁」は実にパワフルでした。
 大洋ホエールズ時代からずいぶん長くベイスターズファンをやっている私ですから、大魔神佐々木主浩さんについても言わずもがなです。もちろん何度も生で拝見しました。あれ?そう言えば佐々木さんはなんにも歌わなかったな。
 最後に忘れられていたモト冬樹さんとは、私こちらのビデオ映画で共演(?)してます。彼は私のバンドでも定番の名曲「Sweet Memories」を渋く歌ってました。
 しまいには聖子様御自身が「制服」を歌ったりして、実にデラックスなカラオケ大会でしたね。相変わらずタカさんと中居くんの進行は上手いですし。楽しませていただきました。
 番組の冒頭、3月19日に発売の新曲「花びら舞う季節に」を歌われました。春らしい、明るいけれど少し切ないいい曲でした。また生神様にお会いしたいなあ。

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2008.03.05

『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』 北尾トロ (文春文庫)

16767996 教頭先生からお借りして読んでみました。以前、『裁判大噴火』を読んでどうもイマイチ小噴火で終わってしまったみたいなこと書きましたよね。やっぱり事態が事態なだけに不謹慎な発言(つまり噴火)は避けたのではないかと想像しています。
 こちらにの北尾トロさんの裁判傍聴記はですね、そのへん結構躊躇せず爆発してまして、スカッとしちゃいました。下世話なやじ馬根性的な観点からの発言が多発しており、逆に大丈夫かなと思われるほどです。実際、不快感を持つ人も多いんじゃないでしょうか。Amazonのレビューなんか見ますとね、やっぱり女性は特に腹立ててるみたいです。ごもっともですよ。
 まあ、ことが殺人やら強姦やら、そういうことですからね。特にトロさん、私たちフツーの男性のご多分にもれず、男女のドロドロ事件とか、痴漢とか、なんとなくそういう方に興味を持ってしまうわけですよ。傍聴は基本自由に事件を選択できますからね。ついついそういう方に行ってしまうのはよくわかります。テレビのチャンネルを選ぶようなものですから。
 そんなわけですので、阿曽山さんの本ではどうも奥歯に挟まったような感じがしてたモノがですね、スッキリ取れたっていう感じです。これは、連載されていた雑誌の性質にも関係しますね。阿曽山さんのは月刊「創」、トロさんのは月刊「裏モノJAPAN」です。ま、そういうことですよ。表街道か裏街道かっていうこと。
 それにしても、正直裁判の傍聴って面白そうですね。ぜったいはまりますよ。お金もかからないし、ドラマとかと違ってガチンコだし。教頭先生とも一回行こうかみたいな話になりました。実際、のぞき見的な教育者らしからぬ気持ちもあります…いやいや、そうじゃなくて、やっぱり勉強ですよ、勉強。だって、裁判員制度も始まることだし、我々もいつ傍聴人ではなく、傍聴される側にならないとも限らないんですから(笑)。
 それ以前に何事もお客さんというのは大切ですよね。格闘技をはじめとするスポーツも、やっぱりお客さんによって選手の頑張り方が違うじゃないですか。私もプロレス観に行ったりする時は自分も選手と一緒に試合を作ってるつもりになりますよ。この前の日曜日のノアの試合なんかも、まあこれはテレビで観てたんですけどね、杉浦選手なんかリングサイドにきれいなお姉ちゃんが何人かいたんでメチャクチャ張りきってましたよ。いや、気が散ったのか、途中で戦線離脱してたってけな(笑)。
 この本でも大量の女子高生が傍聴しているケースが紹介されてました。裁判官も検察官も弁護士もみんな頑張る頑張る。そういうものですよ。そういう意味も含めて、一見堅苦しい「法」の世界や「法」の言葉の中に、逆に鮮明に照射される人間臭さというのが面白いんでしょうね。みんな人生や、場合によっては命がかかってるんですよね。それこそ不謹慎かもしれませんが、そこに見える人間の愚かさや悲哀みたいなものが、まあ他人事だと楽しいんですよ。
 そして,その不謹慎さ自体の魅力というのもありますね。ドラマや小説や映画やコミックならいくらそこに耽溺しても許されますよね。でも、こっちは事実ですからね。なんか微妙にうしろめたいじゃないですか。法廷というその「場」や「空気」とのギャップに緊張して、その緊張具合に萌えるみたいな(笑)。そう、それこそが不謹慎さの正体ですよね。相手の心のステージと自分のステージがあまりに違うけれど、人間にはお互いそれは見えないので、黙っていたり、あるいは表情に出さなければ基本伝わらないわけですよ。そういう「本当のことを言わないで相手をだましている状態」、潜在的な「心裡留保(法律用語です)」かな、それってなぜか快感なんですよね。それも最もお堅い席上ですから。スリルっていうのかなあ。行ったことのない私でもドキドキしますよ。まったく人間って変な生き物ですね。
 というわけで、いつか私も傍聴席に座ってみたいですね。退職後にゆっくり…そうだ、まず親父にすすめてみようかな。議会とかしょっちゅう傍聴してるみたいだし、法律関係好きだし、メモ魔だしね。

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2008.03.04

バッハ モテット集 (クイケン指揮)

Uas うわあ〜、さっきすごい合唱団見ちゃいました(聴いちゃいました)。NHK歌謡コンサート、今日は「魅惑のムード歌謡特選」という魅惑の内容だったんです。で、特別コーナーとしてとんでもない合唱団が結成されていました!ソリストもすごい!
 「歌コン・ムード・オールスターズ」〜ロス・インディオス、ロス・プリモス、クール・ファイブ、宮路オサム、シルヴィアというとんでもない夢の合唱団です。ありえねえ〜!さすがNHK!だいたい、宮路オサムとシルヴィアが合唱団員だなんて(笑)。ドリフの合唱団を超えてるな。
 そして、ソロもすごい!テナーが前川清、アルトが和田アキ子!二人のデュエットによるアリア(?)「星降る街角」。これはもう二度と聴けないでしょう。観られないでしょう。
 ああ感動した…おっと、今日はこっちの合唱団じゃなかった。こっちこっち。いきなり世界が変わりますのでご注意を。
Sacc72160 バッハの作品の中でも特に好きなものをいくつか挙げよと言われたら、この曲集ははずせないですね。地味と言えば地味ですが、バッハらしさはかなり濃厚に表れていると思います。
 私がこの曲を初めて聴いたのは大学時代でしょうか。Hartwig Eschenburg 指揮 Rostocker Motettenchor のこちらのCDでした。またずいぶんと渋いのを買いましたな、ワタクシ。これが案外よくてですね、今の古楽のような正確さ繊細さは全くないんですが、なんというか素朴というか、ある意味リアルというかで、けっこう好きだったんですよ。その後もガーディナー盤とかヘレヴェッヘ盤とかヤーコプス盤とかを買って聴きました。でも、それこそ美しすぎるというのかなあ、心に訴えるものが今一つだったんです。ですから最近でもそのザワザワ、ゴタゴタしたエッシェンブルク盤を聴くことが多かった。
 ところが、全くタイプは違いますけどそれを超える録音を聴くことができました。昨年発売になったクイケン盤です。たしかクイケンは Accent にライヴ盤を入れてましたよね。それとは違う録音です。
 NMLでヘレヴェッヘのベートーヴェンの「運命」を聴いて感心してましたら、同じレーベル(Penta Tone)にこれがあったんで聴いてみたんです。それがとっても良かった。美しい完璧な演奏なんですけれど、人の温かさのようなものを感じたんです。ちょっと聴いてみてください。
 NMLに入会している方はこちらからどうぞ。入会されていない方はですね、この前教えてもらったんですが、試聴に関してはNML本家の方がいいみたいですね。15分フルに聴けます。日本のだと一曲ずつ制限時間があるんで…。
 こちらから入って右下の Free Preview をclick して、検索窓に「SACC72160」をコピペしてサーチして下さい。そして、お好きな曲をどうぞ。私は明るい曲が好きなので、最後にある第1番、モーツァルトも聴いて感動したという伝説のある BWV225 がおススメです。
 下に演奏者等のデータを貼っておきます。弦楽器に日本人お二人の名前が見えますね。うれしいことです。

Vocal Ensemble
Soprani : Inge Van de Kerkhove, Marie Kuijken
Alti : Petra Noskaiová, Patrizia Hardt
Tenori : Stefan-Alexander Rankl, Jens Weber
Bassi : Jan Van der Crabben, Stephan Schreckenberger

Instrumental Ensemble
Strings :
Sigiswald Kuijken, violin & direction
Sara Kuijken, violin
Masanobu Tokura, violin/viola
Marleen Thiers, viola
Koji Takahashi, cello

Winds :
Patrick Beaugiraud, oboe
Natalia Alves Chahin, oboe da caccia
Ann Vanlancker, oboe da caccia
Rainer Johannsen, bassoon

Basso continuo :
Tom Devaere, violone
Frank Agsteribbe, organ

 美しい、そしてバッハと私たちの体温を感じる演奏ですね。
 ちなみに、バッハのモテットについては、わが楽団の大先輩の書かれたこちらの素晴らしい書評をお読みください。なるほど〜ですよ。

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2008.03.03

SNOW AGAIN…懐かしい曲2曲

Dwq 今日は雛祭り。おととしは源氏物語「須磨」より…「ひなまつり」にちなんでという記事を、昨年はペコちゃんのいない雛祭りにちなんで(?)という記事を書いていますね。ペコちゃんは復帰したんですよねえ。なんとなくいまだに自粛ムードのような…。
 さて、今年もウチではいちおうひなまつり風なことをやりました。女の子が二人いますからね。とは言っても、ただ桜エビの天ぷらを揚げ、スーパーで半額になっていた鹿児島牛のステーキ1枚を四人で分けて食べただけですけど(笑)。
 ところで今日は雪が降りました。ウチのあたりではしっかり積もってしまいました。昨日父が静岡からやってきてテラスに積もって固まった雪をどけてくれたばかりだったのですが。
 で、職場から帰宅する途中、「雪再びかあ…」なんて思ったらちょうどmp3プレイヤーから森高千里の「SNOW AGAIN」が流れ始めたんです。ああ、懐かしいなあ。これが流れていた頃、今の家ができたんだよなあ。それでいきなりとんでもない大雪が降ったっけなあ。一晩で1m50cmだもんなあ。たまたま新居に来ていたカミさん(まだ結婚前でしたが)と山中に閉じこめられて大変なことになっちゃったっけ。その雪がとけた頃カミさんと結婚して、今二人の娘がいるんだよなあ…なんて感慨にふけってしまいました。
 この森高の曲については3年前に一度紹介しています。MAXの「一緒に…」と一緒に。その頃はYouTubeというものがなかったんで音を聴いてもらったり、ましてや映像なんて載せられませんでしたよね。まったく世の中便利になったものです。今日はその名曲…というか私の思い出の曲ですかね。冬も終わりますが、私の冬の名曲をYouTubeで観て聴いていただきましょう。
 森高千里の「SNOW AGAIN」は1997年から1998年にかけてのヒット曲です。森高にとってはこの曲が最後のヒット曲となりました。そして1999年に江口洋介さんと結婚しました。その1999年から2000年にかけて地味にヒットしたのがMAXの「一緒に…」です。ちょうど上の娘がカミさんの腹の中からポンと出てくる頃だな。懐かしいな。私は毎日ファンスキーばっかりやってました。

 森高千里『SNOW AGAIN』  森高のドラムがいい!

 MAX『一緒に…』  彼女たち今何してるんだろう。

 いろいろな意味で「もののあはれ」ですねえ…。「歌」はやっぱりいいなあ。

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2008.03.02

M.M.C. オリジナルブレンド 500g 10パックセット(三本コーヒー)

Img10114429835 日曜日は一日中コーヒーを飲んでます。昼間家でゆっくり(結局いろいろやりながらですが)コーヒーを飲むと、なんでこんなに幸せな気分になるんでしょうね。職場で飲んだり、お店で飲んだりするのとは全く違うリラックス感です。
 特に冬が終わってウチのあたり(富士山)でも雪解けが進み、昼間窓から射し込む陽の光に包まれながら飲むコーヒーのおいしさと言ったら…。個人的なことですが、以前なら花粉症で死んでいたこのシーズンですけれど、おかげさまで一日一食で花粉症が完治してしまったので、それはもう至福の季節であります。
 そう言えば、花粉症で苦しんでいた頃は、水分を取らないようにするために、大好きなコーヒーも断っていましたっけ。ある意味あの苦しみがあったおかげで、普通の春が特別に幸せに感じるんですね、きっと。
 さて、少し前に我が家のレギュラーコーヒーであるTACのオリジナルブレンドを紹介しました。とってもおいしい(しかし安い)コーヒーでした。その後、いつも購入しているお店でそれを取り扱わなくなってしまったため、とりあえず代わりの安いコーヒー粉を探していまして、いろいろ試した結果M.M.C.のこれに落ち着きました。
 何と言っても安い!えっと…今なら500gで380円ですか!?送料も無料ですし、三本コーヒーの直販ですから何かと安心です。パッケージなどはたしかに何の洒落っ気もありませんが、それがまたなんとなく業務用の雰囲気を醸し出していて悪くないっす。
 味もTACにはやや及ばない…というか私の趣味の問題ですけどね、まあたしかに飽きの来ないスタンダードな感じです。個性はありませんけど、毎日日課として飲むには充分すぎるおいしさだと思いますよ。
 10パックもありますと、消費するのにどれくらいかかるか分かりませんが、消費期限は来年の今頃となってましたから、さすがにそれまでには飲みきるでしょう。半年くらいかなあ。まあ、いずれにしても1杯7円かそこらでおいしいコーヒーをいただけるのですから、なんとも有難い話ですね。そして、時々お店や誰かのウチで違うフレーバーのコーヒーをいただくと。それもまた幸せです。
 これはちょうど私の日本酒道と同じですね。いつもは2リットル980円の酒を呑み、たまにぜいたくをして高いお酒を少しいただく。まあ、嗜好品に限らず、こういう生き方というのは案外幸せの基本なのかもしれませんね。自分自身を上手にだます智恵(?)こそが、幸せの条件かもしれません。「足るを知る」。そして「ありがたや」「おかげさま」と思うこと。

【送料無料】当店No1人気のコーヒー!セットで買うと更にお得!M.M.C. オリジナルブレンド 500g...

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2008.03.01

東京事変 live tour 2007 Spa & Treatment(BSフジ)

071130a_interview01 やっと聴くことができました。東京事変のアルバム「娯楽」。このバンドはやっぱりライヴがいいわけでして、CDは買わずにこうしてテレビで放映されるのを待ちに待っていたわけです。発売後、ものすごい毀誉褒貶が聞こえてきまして、いったいどんなんだ?自分はどっち派になるんだ?という興味もありました。結論、基本「誉褒」ですが「毀貶」の気持ちもよくわかる…というちょっとずるい立場。
 東京事変での椎名林檎よりもソロの椎名林檎の方が好きな私ですが、こうしてどっしりとしたバンドサウンドをベースにして、一般的な商業的音楽とは別の独特の世界を表現してくれるというのは、音楽界にとっても非常に重要なことだと思います。基本的に3年前に「教育」について書いた時と同じ感想を持ったということです。職人さんによる職人的世界。完璧なフィクション。
 まずは、耳に入ってくる音について書きましょうか。今回の放映ではニューアルバムのほとんどの楽曲を聴くことができました。今回は林檎姫は作詞に専念したということで、作曲はバンドメンバーによるものです。その結果、今までのソロ、事変のアルバムとはずいぶんと違った印象を与えることはたしか。それをどうとらえるかですね。私は別に林檎教の信者ではありませんし、林檎原理主義者でもないので、ただプロフェッショナルな面白い音楽を聴かせてくればそれでいいと思っています。そういう意味では、そんなに違和感はなかったし、ああこれはこれでいいなと思いました。これをもって、林檎は終わったとか、最近やる気がないとか言うのはどうかと。ただ、あくまで「東京事変」というバンドの一員としてやっていきたいということなのでしょう。
 古い曲も当然やってましたから、結果としてバランスのよい、あるいは変化に富んだステージになっていたと思いますよ。いや、前観たライヴより正直飽きなかったなあ。
 さて、映像的には、今回は第2期東京事変の新メンバー二人の演奏に注目してみました…と書こうと思ったんですが、なんか印象に残ったのはやはりドラムの刄田綴色さんでしたね。この人のドラミングは見た目もかなりへんちくりんです。どうしてああいう変なスタイルになっちゃったんだろ。でも、いい雰囲気作ってるんですよね。案外繊細ですし。
 あと、目に付いてしまうのは、師匠亀田誠治さん。かっこわるさは私なみです(笑)。彼が映るとなんかテンションが下がります。たしかにSpaって感じかな。「丸の内サディスティック」でのソロシーンが圧巻…いや熱燗!?まあプレイはいつもながら堅実。渋いっすね。ちなみに私と同い年です。
 で、新しい二人は、まあ可もなく不可もなくでしょうか。思ったより個性的な音ではありませんでした。もう少し乱れた感じがあってもいいのかも。そのへんに物足りなさを感じる人もいるのかなあ。
 このライヴで初披露された「閃光少女」ですが、ウチの子どもやカミさんが言ってましたけど、アニソンみたいですね(失礼)。あと、ウチとしては「黒猫道」が萌えっすね。
 いずれにせよ、一度生で聴いてみたいですね。林檎姫を生で見てみたいとういうのもあります。というわけで見どころ満載、つっこみどころ満載のライヴ番組でした。楽しかった。

Amazon 娯楽 閃光少女

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